2020年7月18日土曜日

コロナがわからない ー 陰謀論を超えてコロナ後の時代を生きるために

いまだに新型コロナウイルスのことがわからない。
どのくらい 危険なのか、どのくらい安全なのか?
一体、どの情報が正しいのか?
一体、いつになったら収束するのか?

わからないから何かにすがりたくなる。楽になりたい。
以前にも増して、無意識のうちに自分に都合の良い情報ばかりを求めるようになる。
SNSやYouTubeは、不安への答をたやすく用意してくれる便利なツールだ。
「新型コロナはそんなに危険なウイルスではない」という情報ばかりを集めるようになり、次第にそのことを事実として確信するようになる。

ネットの中で答が見つかると、それらの情報を共有し、共感してくれる仲間を求めるようになる。
ネットで繋がった仲間と情報を交換するうちに、既存のメディアは嘘の情報ばかりを流していて、インフルエンサーやユーチューバーこそが真実を語っていると考えるようになる。
情報のソースを確認する必要を感じなくなる。

そのうち、新型コロナウイルスの不安を煽ることで世界を牛耳ろうとする勢力が存在すると考えるようになる。
新型コロナウイルスは、ワクチンを売りつけるためのビル・ゲイツの陰謀だと確信する。
コロナが生物兵器ではないかと疑うようになる。
5G通信サービスがウイルスへの免疫力を低下させたと考えるようになる。
隣国の大国がこのコロナ禍で存在感を増したことに、これまで以上の脅威を感じるようになる。

知れば知るほど「敵」の存在がどんどん大きく膨らんでゆく。
「物語の単純化」「大きな物語への依存」が進行することで、「敵対と分断」がさらに広がってゆく。

このコロナ禍で、多くの人が陰謀論にすがる傾向がさらに強まったと感じる。
陰謀論を形づくる全てがデマだとは思わない。ある事実から妄想が広がり、無意識に、ある時は意識的にデマが形成されてゆく。陰謀論には妄想とデマと事実が混在する。
全ての人間は多かれ少なかれ陰謀論に陥る資質を持っているのだと思う。もちろん自分もそうだ。過去を振り返ってみれば、色々と想い当たる節があるし、まだ気づかないまま信じている陰謀論もあるのかもしれない。だから、この投稿は自分への戒めでもある。

極端な説や断定的、独善的で強い言葉からは距離を置こうと思う。
「劇的な話」は鵜呑みせず警戒しようと思う。答はすぐには見つからない。
救世主は求めないし、世界は少しずつ変化する方が持続しやすいと思う。
一つの事実を、様々な視点で捉えることを忘れずにいたい。
自分の無知を自覚し、謙虚でありたい。
「わからない」ことを受け入れて、グラデーションに目を凝らし続けるしなやかな強さを持ちたい。白と黒を反転させても同じことだ。
不安に向き合える知性を身につけたい。
知性や理性を盲信し過ぎないよう心掛けたい。

劇的さに寄りかからず、とるに足りないささやかなおこないを積み重ねて、小さな物語を丁寧に紡いでゆきたい。もっと思いやりのある人間になりたい。
地域に根ざし、ローカルから世界を眺め、ローカルから各地を巡り続けたい。そして、最小のローカルは個人であると自覚した上で、他者や知らない自分に巡り会う旅を続けたい。

自分のデフォルト(初期設定)解除を何度も試みたい。
デフォルトを解除しないまま世界を理解しようとする傲慢と弱さが陰謀論を引き寄せる。
世界が変わる前に、自分を変えたい。
それは、とても難しい試みだけれど、目指す心の自由はそこにあるように思う。
コロナを乗り越え、陰謀論を乗り越え、コロナ後の時代を生きるために、今考え続けていることを何度も思い出したい。きっと忘れてしまうから。
ー 2020年7月17日(金)

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