2022年5月10日火曜日

共感と距離感 ー U2のボノとエッジのウクライナ・キーフでの地下鉄ライブで考えたこと

 U2のボノとエッジが、ウクライナのゼレンスキー大統領の要請に従い、5月8日(日)に、ウクライナ、キーフの現在防空壕となっている地下鉄で、サプライズのアコースティックライブを行ったニュースについて、考え続けている。

ライブの中で、ボノは”Pride”の歌詞を変えて、「今夜、5月8日に、ウクライナの空に銃撃は鳴り響いても、あなた達は自由だ。命を奪われることになっても、あなた達のプライドを奪うことは絶対にできないから」と歌い、MCでは、「あなた達の大統領は、今世界の自由を牽引している。ウクライナの人たちは、自分たちの自由のためだけに戦っているのではなくて、僕ら全員の自由への愛のために戦ってくれている」と語っている。
ボノとエッジの行動力と勇気には心から敬意を抱くけれど、それらの言葉から感じ取れるヒロイズムからは距離を置きたいとも思う。これは、ウクライナの現場でななく日本にいるからこその感覚かもしれない。

ロシアのウクライナ侵攻以来、相反する思いが同居するような機会が増えた。自分の中の価値観の揺らぎが続いている感じ。ここまで「反戦」や「非戦」について突き詰めて考える機会は、今までなかったかもしれない。
戦火では、こんな風に迷っている場合ではないんだろうなと思う。

この戦いが2国間の問題に留まらないのは周知の通りだ。 NATOの元最高司令官がNHKのインタビューに応じて、「既にわれわれは第3次世界大戦の最中にある」と語っていたけれど、既に世界中の多くの国々がこの戦いに巻き込まれていることは確かだろうと思う。気になるのは戦いの構図だ。

ボノとエッジは、大量虐殺のあったブチャの墓地にも訪れ、そこでのインタビューの中でプーチンについて言及し、「これは本当に1人の人間による戦争だと思う」と語っている。自分もそれに近い考えを持っていて、この戦争をロシアと欧米の代理戦争の構図に当てはめ過ぎることで、独裁政権による一方的な侵略とジェノサイドが、どっちもどっち論的に相殺されてしまうことを危惧している。
けれども同時に、プーチンという悪を倒せば万事上手くゆくような単純な話でもないと思う。「物語の単純化」が戦禍を拡大させることも肝に銘じておきたい。

ライブの中でボノは、ウクライナの人達の「自由のための戦い」を賛えた後に、「すぐに平和が訪れることを祈っている」と語った。平和を祈るボノのスタンスは、既に戦争が始まってしまった状況の中では、「非戦」ではないのだろう。
日本にいて平和を願う自分は、どこまで「非戦」を貫けるのだろうかと考える。自分は誰も殺したくないし殺されたくもないけれど、既に戦火の最中にあり、殺されないため、自由のために銃を持つウクライナの人達を否定することはできない。日本とウクライナでは状況が違うのだ。

最近、既に戦争気分に巻き込まれている自分自身に危うさを感じることがある。日本にいる自分がやるべきは、ウクライナと主語を同一化することではないと思う。ウクライナの人達の気持ちに寄り添いたいと思う一方で、戦火の状況にない自分達だからこその視点や感性も失うべきではないと思う。
共感と距離感の両方を大切にしながら、独裁や侵略を否定し、平和で民主的、自由な社会を尊重する世界中のすべての人達と、国境を超えて想いを共にしたい。

ー 2022年5月10日(火)