2023年12月9日土曜日

歌うことは生きること(茨田りつ子 談) ー 博多・Bassicにて

昨夜はライブ前に色々と考え事をして気持ちが落ち着かず、正直に言えば、本番直前まで少し憂鬱を引きずった状態だった。
毎回を万全のコンディションでステージに臨むのは難しい。抱え込んだブルースは歌で昇華するしかない。

ありがたいことに、ステージに出た瞬間、一人一人のお客さんの期待や熱量をダイレクトに受け取ることができて、心のスイッチがスッと切り替わった。そういうところは、単純な奴でよかったなと思う。

ライブ中は、歌えば歌うほど心が鎮まってゆく、浄化のプロセスをたどってゆくような感覚。とても印象深い夜になった。

「歌うことは生きること」
NHK朝ドラ「ブギウギ」の中で、歌手の茨田りつ子がそう語っていたのを思い出した。
心を開けば、音楽はいつも自分に寄り添ってくれる。

ライブは遊び場だったり、出会いの場だったりすると同時に、気づきや修行の場でもある。
音楽とお客さんとBassicに救われた夜だった。

ライブ後はBassicでしばらく打ち上がった後、オーナーの圭一君からの誘いでラーメンと居酒屋を2軒ハシゴ。
圭一君と2人だけで飲んだのは昨夜が初めてかもしれない。彼が全部奢ってくれて、素直に甘えさせてもらった。
圭一君の優しさはいつもさりげなくて心地よい。
ありがとう、また。

ー 2023年12月9日(土)

2023年11月26日日曜日

旭川・アーリータイムズにて野澤さんを思う

2年ぶりに訪れた旭川・アーリータイムズには、1年近く前に亡くなった店主・野澤さんの思い入れの形がそのままそこかしこに残されていて、懐かしさと安心感と寂しさが入り混じった、一言では語れない気持ちになった。

野澤さんと関わりがあった地元の皆さんの働きかけで、野澤さんのお兄さんがオーナーを引き受け、PAスタッフだったタカちゃんが新たな店主となってアーリータイムズは継続されることになった。

店入りすると、カウンターに座って、野澤さんがいれてくるコーヒーを飲むのがアーリータイムズでの長年のルーティーンだったけれど、今回は初めてタカちゃんがコーヒーを入れてくれた。その流れが違和感がなくてホッとした。

ライブ中は、野澤さんに見守られているような気がした。
中川君との北海道ツアーの締めがアーリータイムズでよかった。馴染みの人達とも再会できて、嬉しかった。またお互い元気で再会できますように。

「これからもここに来れば野澤さんに会えるんだな」と思った。

ー 2023年11月26日(日)





2023年11月18日土曜日

来年、有山さんと久し振りにツアーを回るにあたって

自分にとって師匠と呼べる存在を敢えて一人あげるとすれば、有山じゅんじさん以外に思い浮かばない。有山さん自身は弟子をとるようなタイプではなく、何かを直接指導してもらった記憶もないけれど、その背中からは実に多くを学ばせもらった。

出会ったばかりの頃、大学を卒業したばかりの何者でもない無名の若者である自分を、有山さんはツアーに誘ってくれた。今思えば、すごい抜擢だと思う。
有山さんからはこんな言い方で声掛けしてもらった。
「リクオ、今度ツアーに出るんやけど、一人でツアー回るの寂しいから、ついてきてくれへん?」
相手にプレッシャーを与えないこれ以上の言葉を他に聞いたことがない。

自分はサポートミュージシャンとしてツアーに参加するつもりでいたのだけれど、有山さんは各ライブでオレが歌うコーナーもしっかりと用意してくれて、有山さん名義のライブにも関わらず、実質、そのツアーは2人のデュオライブのような内容のステージになった。キャリアや世代に関係なく、対等にオープンに共に音楽を楽しもうとする有山さんの姿勢は、当時も今も変わらない。
それ以降有山さんから頻繁にツアーに誘ってもらうようになった。'90年代前半までは、2人だけでなく上田正樹さんも加わった3人で地方を回らせてもらう機会も多かった(時々そこにヴァイオリンのHONZIが加わることもあった)。
まだCDデビューする前から、有山さんの運転する車で、さまざまな町へ連れて行ってもらった体験は、その後の自分のツアー生活の原点となった。とにかく、有山さんとのツアーは、オンステージ、オフステージ含めて楽しい思い出しかない。

来年に還暦イヤーを迎えるにあたり何をしようかと考えた時に、70歳を過ぎて現役バリバリの有山さんとのツアーを思いついた。
初めて2人でツアーに出てから35年の時を経て、今も現在進行形の2人が久し振りに各地を回ることを想像してワクワクした。ツアーを企画するにあたっては、有山さんに恩返ししたい思いもあったけれど(当時「いつかリクオがオレをツアーの誘ってくれよ」と有山さんから言われていたのだ)、この文章を書き連ねるうちに、むしろこのツアーは自分へのご褒美だと思い返した。35年後にまた有山さんと2人でツアーに出れるなんて、当時の自分には想像できない未来だった。続けてきてよかったなと思う。
各地でお待ちしてます。

『有山とリクオのぐるぐるツアー 〜リクオ還暦イヤー記念』
●1/4(木)大阪市・BIGCAT  新春!南吠える!!(1/3~5開催)
「今宵はリクオと二人で、ありやまな夜だ!」
●1/7(日)和歌山・オールドタイム
●1/8(月祝)和歌山白浜・甲羅館 オープニングアクト:メトロロ
●1/24(水)京都市・磔磔
●2/2(金)愛知県豊橋市・HOUSE of CRAZY
●2/3(土)下北沢・ラ・カーニャ 
●2/4(日)三重県松阪市・M'AXA(マクサ)
※後日、追加ツアー情報告知


2023年9月15日金曜日

100年前と変わらない現状 ー 森達也・監督『福田村事件』を観て

森達也監督による初の劇映画『福田村事件』を観た。
関東大震災から5日後の9月6日、香川の被差別部落から薬の行商で福田村に来ていた1行15人のうち9人が、地元住民から朝鮮人ではないかとの疑いをかけられ、幼い子供3人と妊婦を含む9人が惨殺された事件を元にした群像劇だ。100年前の事件を通じて、被差別部落と朝鮮人虐殺という2つのタブーを取り上げることで、今現在を問いかける強烈な内容だった。

この映画が、明確なテーマやメッセージを持って制作されたことは間違いないだろうけれど、そういった作品にありがちな押し付けがましさのようなものは感じられなかった。それは、劇映画としてのクオリティーの高さと、多岐にわたる視点の存在に依るのだろう。
虐殺が描かれる以前の映画前半部分において、立場の違う登場人物一人一人の姿が生々しく丁寧に描かれていることがこの作品の肝だと感じた。そうした描写を可能にしたのは、脚本の良さだけでなく、キャスティングの妙と、それに応える役者陣の演技の素晴らしさだ。制作に関わった人達同士による相互作用の大きな映画なんだと思う。

加害者側の視点が多く描かれているのも、この映画の特徴の一つだろう。
物語の中に極端で凶悪な人間は登場しない。森達也監督自らが語っていたように「善人」が「善人」を虐殺する過程を描いた物語なのだ。

虐殺の契機となるのは、自衛意識からくる集団心理の暴走。その暴走に火をつけたのがデマの拡散だ。
関東大震災において、新聞と政府内務省が朝鮮人に関するデマの流布に加担した罪は重い。映画の中でも、内務省からの通達が流言流布にお墨付きを与える様子が描かれている。
現在の日本においても、当時の新聞のデマ記事を根拠に虐殺の正当性を主張し、在日の人達や隣国に対する偏見と差別を煽る人達が一定数存在する。当時のデマが今の日本にも影響を残し続けているのだ。

事件から100年を経て、果たして自分達のリテラシーが向上したのかどうか疑わしく思う。
現代のネット社会においてデマや陰謀論に絡め取られれてゆく際の特徴の一つは、「自分は常に情報を精査している」との思い込みだろう。その思い込みがもたらす傲慢な万能感は、ネット社会の中で生まれた新しいドラッグのように感じる。

関東大震災での虐殺は、朝鮮人のみならず中国人や日本人が含まれていたことも忘れずにいたい。集団心理の中で、異質なものが排除されてゆく傾向は今も変わらない。

この作品は、今後、注目と評価が高まるほど拒絶反応を巻き起こすだろう。そういった傾向は既にSNS上で確認できる。
その拒絶反応こそが、100年前と変わらない現状をうつしだす。
「反日」を声高に叫ぶ人達にこそ観てもらいたい映画だ。


最後に、この映画が制作されるきっかけとなったシンガーソングライター・中川五郎さんの楽曲『1923年福田村の虐殺』のライブ動画のリンク先と歌詞を掲載しておきます。五郎さんはラブ・ソングと同等にプロテスト・ソングを歌うことに自覚的な日本において稀有なミュージシャンだと思います。


        1923年福田村の虐殺     作詞:中川五郎

1923年、大正12年9月6日のできごと
それはちょうど5日後のこと、関東大震災の日から
千葉県東葛飾郡福田村、今の野田市三ツ堀のあたり
行商人の一団がその村にやってきた

売り物の薬や日用品を大八車に積んで
やって来た行商人の一団、その数は全部で15人
朝早く宿を出て歩き続けて福田村に着いたのは10時頃
利根川の渡し場近くの神社のあたりでまずは一休み

神社のそばの雑貨屋の前には二組の夫婦と
若者二人と子供らが三人、九人が休み
神社の鳥居の脇には一組の夫婦と子供らが四人
夫は足が不自由だった、まだひとつの乳飲み子もいた

渡し場から船に乗ろうと行商人が値段の交渉に
突然船頭が叫び出して あたりの空気は一変
「こいつら日本語が変だぞ」船頭が大声あげる
半鐘が激しく鳴らされて村のみんなが駆けつける

駐在所の巡査が先頭に立ち、村の自警団員が続く
手には竹槍や鳶口、日本刀や猟銃も
その数は全部で数十人、あるいは百人以上とも
自警団員たちが行商人に迫る「お前ら日本人か」

「わしらは日本人じゃ」答える行商人に
「やっぱりこいつら言葉が変だぞ」
「いったいどこから来たんだ」
「四国から来たんじゃ」
千葉の人間にしてみれば聞き慣れぬ讃岐弁
「お前ら日本人なら『君が代』歌ってみろ」

命じられるままに行商人たち「君が代」を歌えば
半信半疑の自警団員たち、
こんどはお経を唱えろと言ったり
「いろは」を言えと言ったり、どんどんエスカレート
目の前の見慣れぬ者が敵に思えて来た

本署の指示を仰ごうと巡査がその場を離れたとたんに
不安に駆られた自警団員たち、行商人たちに襲いかかる
赤ん坊抱いて命乞いする母親を竹槍で突き刺し、
逃げる男たちを後ろから鳶口で頭をかち割った

川を泳いで逃げようとした者たちは小舟で追われて
日本刀でめった切りにされて銃声も響く
雑貨屋の前にいた九人が全員殺された
鳥居の脇の六人は恐怖におののき震えるだけ

残った六人も捕まえられて川べりに連行される
縄や針金で後ろ手に縛られ、まるで罪人扱い
乳飲み子を抱えたまま縛られた母親を男が後から蹴りあげ
醜い顔で大声あげる「川に投げ込んでしまえ!」

興奮して頭に血が上った自警団員の男たち
残った六人全員を後ろ手に縛ったまま
川に投げ込もうとしたちょうどその時
馬に乗った警官が駆けつけて
凄惨極めた惨殺はそこで止められた

九月初めの昼の盛り、利根川の河原には
虐殺された九人の死体が転がる
幼い子供もいれば身重の若い母親も
無残な死体に残暑の日差しが照りつける


襲いかかった自警団員、福田村と隣の田中村の男たち
数十人の中で逮捕されたのはたったの八人だけ
殺人罪で起訴されて懲役刑を受けたが
昭和天皇即位の恩赦ですぐに全員が釈放された

殺人者を告発する検察官は
「彼らに悪意はなかった」と語り
弁護費用は村費でまかなわれ
家族には見舞金も支給された
殺人者たちの家族には村をあげての支援
惨殺された行商人たちには謝罪の言葉はないまま

出所した主犯格の一人、出所後は村長になり
やがては市会議員に選ばれて地元のために尽くす
おまえは夜眠れたのか、悪夢にうなされなかったのか
おまえたちがしたことは謝ってすむことじゃない

関東大震災の直後に朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだと
いたるところでデマが流され、たくさんの朝鮮人が殺された
誰も彼もが疑心暗鬼、言葉が少しおかしいというだけで
幼い子供や母親を竹槍で突き殺した

自警団員もただの人、家に帰れば優しい父親
我が子の遊ぶ姿に相好を崩し、隣近所と親しく付き合う
そんなどこにでもいる善人たちが徒党を組んで
不安に煽られたとたんに鬼になってしまう

福田村で襲われたのは四国香川の行商人たち
僅かな薬や日用品を売ってその日その日を暮らす
地元香川のふるさとの村を後にして
どうして旅を続けなければならなかったのか
千キロ近く離れた千葉の果てまで

三豊郡のふるさとの村では彼らに仕事はなく
稲を育てる田んぼもなく、小作料は高すぎる
地区の人たちのほとんどが行商をして暮らす
旅のつらさ覚悟すればからだひとつで始められる仕事

虐殺現場の福田村から謝罪の言葉は届かず
地元香川の中からも抗議や糾弾の声は起こらず
なかったことにしようと言わんばかりに
県のお偉方は知らんぷり
虐殺された行商人たちのふるさと、香川の被差別部落

2003年9月6日、80年の歳月が流れて
虐殺現場の三ツ堀で慰霊碑の除幕式
あの日と同じように残暑の日差しが照りつける
渡し場は今はゴルフの練習場、霊はここで80年さまよっていたのか


見知らぬ人には親切に、苦境の人には助けの手を
それがよその土地の人であれ、よその国の人であれ
たとえ自分たちと違っていても、言葉が違っていても
信じることから始めよう、それが人の心というもの

昔も今も日本人はよそ者を嫌い、
身内だけで固まる狭い心の持ち主なのか
デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠
信じることから始めよう、人はみんな同じ

朝鮮人だとか部落だとか、小さな日本人よ
朝鮮人だとか部落だとか、小さな人間よ


ー 22023年9月15日(金)

2023年7月20日木曜日

「悪意」と「創作と現実の相関性」 ー 宮﨑駿監督映画『君たちはどう生きるか』を観て

 宮﨑駿監督10年ぶりの新作映画『君たちはどう生きるか』を観た。
公開が始まったばかりなので、なるべくネタバレにならない感想を残そうと思う。

観るものに解釈を委ねる示唆的、比喩的表現が多いのは、先日観た映画『怪物』(監督・是枝裕和監督、脚本・坂元裕二)とも共通していた。https://rikuonet.blogspot.com/2023/06/blog-post_28.html
そういった表現は、行間を読まずにわかりやすい答えを性急に求める者にとっては退屈かもしれないし、減点の対象ともなりうるだろう。

早くも映画に対する賛否が分かれているようだけれど、この作品を構えて批評したり、否定的に即断するのはすごくもったいない気がする。条件反射的に抱いた「違和感」が、時間をかけて魅力に変わってゆくようなことがあり得る作品だと感じるからだ。受け取る側の「わからなさ」を受け入れる力、ネガティブ・ケイパビリティーが試される作品だとも言えるかもしれない。
映画を見終わった後は、長く余韻が残った。なんだか浄化されたような、一方ですっきりしない気分も抱きながら、監督の自伝的要素も含んでいると言われるこの映画について考え続けた。

映画を観た多くの人が印象に残るキーワードの一つは「悪意」だろう。加えて、自分にとってのもう一つのキーワードは、「創作と現実の相関性」だ。どちらも、自分の今の心情にリンクしていて、いいタイミングでこの映画に出会えた気がした。
ファンタジーの世界の中で主人公が成長してゆくストーリー展開と映像は宮崎駿ワールド全開だったけれど、自分が最も印象に残ったのは、主人公がファンタジーの世界を離れて「悪意」に塗れた現実の世界に帰ってゆく決意表明をする場面だった。

主人公の少年眞人が、他人の「悪意」を受け止めながら、同時に自らの「悪意のしるし」を自覚してゆくプロセスは、今の自分自身とも重なった。「悪意」から目を逸らすことなく、「悪意」を乗り越えてゆけたらと思う(でも、しんど過ぎたら逃げよう)。

現実の世界に対する危機感が、この映画を制作するモチベーションの一つになっていることは間違いないと思う。
創作によるファンタジーの世界に逃げ込むことなく、ファンタジーの中で、大いなる矛盾を孕んだ自分自身に向き合い、現実の世界をより良くしてゆこうとの意志が作品を通じて感じ取れた気がする。
80歳を超えても、このような身を削る表現に向き合い続ける宮﨑駿監督の姿勢にあらためて敬意を抱いたし、勇気づけられもした。

この映画には、現実を変えてゆくための理想が込められている。
表現を生業にする1人として、自身の作品に込めた理想をどうにか自分の日常の言動にもフィードバックさせてゆきたい。この映画が、その思いを新たにさせてくれた。

映画『君たちはどう生きるか』と『怪物』は、詩的である点でも共通している。
説明が本質を遠ざけることもある。言葉を含めた表現の解像度を上げてゆこうとする先に、行間で伝える詩的表現が存在するように思う。

2つの映画は、人間と共にある一方で、時には人のコントロールを超えてゆく「自然」が生き生きと野生的に描かれている点でも共通している。
「自然」は、人間の外側だけに存在するものではない。人間自身がコントロールし切れない「自然」や「野生」を抱え込んだ存在であることに対して、2つの映画は自覚的だ。自分にとっては、どちらも、野生と知性の両方を呼び覚ます作用を持った作品だった。

いずれにせよ、どちらの映画も時間をかけて様々な解釈を味わいながら理解してゆくことが可能な重層的な作品だと思う。娯楽の範疇からはみ出した作品なのかもしれないけれど、自分にとっては、想像力を刺激して気づきをもたらしてくれる作品だった。

2つの映画の表現に対する妥協のなさは、受け手への信頼によっても成り立っているのだろう。
社会全体が自己完結して他者の言葉に耳を貸さなくなりがちな状況の中で、『君たちはどう生きるか』や『怪物』のような作品が成り立つことは希望だと思う。

ー 2023年7月20日(木)

2023年7月15日土曜日

ミッツ・マングローブさんの投げ掛け

 ryuchell(りゅうちぇる)さんの死を受けてのミッツ・マングローブさんの投げ掛けは、相手の未来を奪う言動への怒り、悲しみ、やりきれなさに満ちていた。

「似非(えせ)の正義や倫理を盾に誹謗や否定ばかりし続ける人たち。皮肉や嫌みを並べて嘲笑い続ける人たち。理解が追いつかない他人の選択にひたすら嫌悪感をぶつけて自分の無知を正当化しようとし続ける人たち。日頃の鬱憤や自分の不甲斐なさを紛らわすために誰かの行く手を塞ごうとし続ける人たち。そしてそんな奴らが垂れ流した排泄物を飯の種にし続ける人たち。」

どれかに自分が当てはまっていないかとも考えた。
皮肉や嫌みを並べ立て嘲笑ったこと、ぶつけられた「嫌悪感」を投げ返そうとしたこと、自分がやってきたこと、やろうとしたことを思い出して胸が苦しくなった。
もう、やらずにおきたい。

ryuchellさんの若さ、自由、不安、希望が、これからもずっと生き続け、生きづさらを抱える誰かを救ってくれますように。

ー 2023年7月15日(土)

2023年7月13日木曜日

当事者意識 ー 山下達郎さんのコメントを受けて

FM番組「サンデー・ソングブック」での山下達郎さんの一連のコメントに対して、「『犯罪は許されないが尊敬している』ではなく『尊敬しているが犯罪は許されない』という伝え方もあった」との誰かの書き込みを目にして、自分が抱いた違和感の一部を代弁してもらったような気がした。

加害者であるジャニー喜多川氏に対する尊敬や感謝よりも、被害者に思いを寄せる言葉を聞きたかった。そう感じているのは、自分1人じゃないだろう。
「それとこれとは話が別だし、その期待自体がお門違いだ」と言う人もいる。実際、松尾潔氏の達郎さんへの期待は、一部の人が抱いていた幻想を残酷に壊す結果をもたらしたと思う。

性加害が憶測であるとの認識は明らかに間違っているし、多くの人は「知らなかった」を「知ろうとしなかった」と同義語としてととらえただろう。自分もその1人だ。
けれど、それは一個人に限られた特別な態度ではない。

感情的な非難が一方的に達郎さんに向かうことで、構造的な問題や事の本質がかえって隠されてゆくように思う。
非難する側も擁護する側もどちらも、誰かや何かのせいにばかりしたがっているように見える。
吉田豪氏の言葉を借りれば、この件は「誰もがうっすら共犯関係にあった」のだと思う。

「私たち一人一人が、この国が抱える問題として当事者意識を持ち、みんなで膿を出すというところに、舵を切るべきじゃないでしょうか」
松尾潔氏が「提言」として行なったこの発言を真摯に受け止めたい。

ー Facebook2023年7月11日の投稿からの転載

2023年7月5日水曜日

「保身」「後ろめたさ」「無意識」と「構造的な問題」


自分のSNSの投稿を読んだ音楽業界の先輩Aさんから連絡をいただき、長話しさせてもらった。Aさんの語り口からは、誰かに伝えずにはおれない、やりきれなさのようなものが伝わってきた。

問題となっている某事務所との関わりが深かったAさんの知る過去の実情を色々と教えてもらったのだけれど、それは聞きしに勝る内容だった。
話を受けて、「そんなひどい構造的な問題が何十年と続いていたんですね」と自分が言うと、Aさんから「すべて保身なんだよ」との言葉が返ってきた。

電話を切った後も「保身」という言葉がずっと心に引っかかり続けた。自分は、その言葉を、単に誰かを非難するためだけの言葉としては受け取れなかった。「保身」は、自分も含め大抵の人が行いがちなふるまいだ。Aさんも、そのことを自覚しての発言だったように思う。

この件に関しては、これからも自身の「保身」に向き合った上での「告発」が続くのかもしれない。一方では、表立たないところで、そういった「告発」に反発する流れも存在している。

少し前にSNSで、この問題に関して、加害者ではなく被害者である告発者の側を、「何を今更」といった調子で、自己責任をふりかざして強く非難する投稿を見かけた。そういった考えを持つ人が一定数いることはわかっていたけれど、その投稿の内容以上にショックだったのは、「よくぞ言ってくれた」とばかりに、投稿に賛同するコメントが多数寄せられていたことだった。

「弱い者たちが夕暮れ  さらに弱い者を叩く」 ー ブルーハーツ / TRAIN TRAIN

このやりきれない一節を僕らは、なかなか乗り越えてゆくことができない。

「もしかしたら、告発者を非難するその投稿は、それぞれが無意識に抱えていた『保身』や『後ろめたさ』を掻き消してくれる内容だったのかもしれない」
Aさんからの電話を受けた後に、そんなことを思った。そう考えるのは、自分自身の過去の言動にも思い当たる節があるからだ。

「『沈黙』は共犯だ」と声高に叫ぶことを躊躇してしまうのは、自分も「共犯者」だった過去があり、今も「共犯者」かもしれないと考えてしまうからだ。
かと言って、「共犯者」たる自分を正当化することにも躊躇を覚える。声高には叫ばずとも、自分自身の問題と捉えながら言葉を探し、時には発言し、行動したいとも思う。
こういった煮えきれない思いを言葉にするには、いつも時間がかかる。でも、それでいいのかもしれない。
条件反射を控えて、これからも乗り遅れてゆこうと思う。

Aさんとの話に戻れば、「構造的な問題」と「保身」はつながっているのだと思う。
隠し持った「保身」や「後ろめたさ」に向き合うことなしに、構造的な問題を乗り越えることはできないのだろう。

ー 2023年7月5日(水)

2023年6月28日水曜日

「怪物化」を防ぐ手立て ー 映画『怪物』を観て

 是枝裕和監督『怪物』は、何度も観直したくなる映画だった。
説明のない示唆的なシーンが多く、もう1度観れば、もっと多くの伏線に気づくだろうし、作品に対する印象も変化するかもしれない。

観客は映画を通して、自身が心の中でいくつもの「怪物」を育くんでゆく過程を体験する。
複数の個人それぞれの視点と、「怪物」化された個人それぞれの日常を伝えてゆくことで、「怪物」の正体は徐々に明らかにされてゆく。その過程を経て、「言葉の呪い」が解かれはじめ、「怪物化」された個人は血の通った自分達と同じか弱い1個人へとかえってゆく。

他者の日常に触れること、対話の試みを続けることが他者の「怪物化」を防ぐ手立てとなることを、この作品は観るものへ伝える、というよりも体験させてくれる。
見事なストーリー展開、斬新な脚本(坂元裕二)。単純な答えや結末を用意せず、受け手を信頼して想像を委ねる姿勢に、表現者としての志の高さと誠実さを感じた。

この映画を観て、全体につきまとうモヤモヤとした不穏な空気や、自身の中にある「無意識の加害性」に向き合わされる展開に、違和感を抱いたり拒絶反応を示す人もいるだろうと思う。けれど、そこにこそ作品のキモが含まれている。
『怪物』は、観る者に心の裂け目を生じさせる。その裂け目に蓋をするのか、それとも恐る恐る覗こうとするのかでも、作品に対する評価は分かれそうだ。自分は、この映画のモヤモヤも含んだ余韻を味わい続けたいと思う。

音楽を担当した坂本龍一の余白だらけのピアノは、その存在を隠すくらい常に場面に寄り添い、作品と一体化していた。
役者さんそれぞれの演技が素晴らしく、街と自然が隣接する諏訪をロケ地とした映像も美しく効果的だった。映画という総合芸術ならではの幸せな化学反応に満ちた作品だと感じた。

これ以上書くとネタバレが過ぎるのでやめときますが、同時代にこういう映画に出会えて勇気づけられました。

ー 2023年6月28日(水)

2023年6月1日木曜日

早すぎるよ〜! ー コロナ前に戻るのではなく

コロナが収まってきた影響で、都市部は特に、ライブをやる側も受ける側のお店も、スケジュールを埋めるペースが格段に早くなった。

週末のブッキングは半年以上先でも埋まってることが多く(イベンターさんが1年程前から押さえてるパターンも多い)、よほど先でないと押さえるのが難しくなった。コロナ前に戻ったというか、それ以上のペースかも。

メジャー系の人達が、ホール以外のライブ・スポットでライブをやる機会が増えたことも影響しているのだろう。
そういった状況に対応しきれなかったり、対応しようとし過ぎて、しんどさを感じたりもする。

今となっては、1週間後のライブを決めたりしてたコロナ禍が懐かしく思えたりもする。
仕事がないつらさに比べれば贅沢な悩みかもしれないけれど、もうちょっと適当に、その時の思いつきで動けるスペースも残しておきたい。

コロナ禍前に戻るのではなく、コロナ禍を経た上での自分なりの活動ができたらと思う。

ー 2023年6月1日(木)

2023年5月29日月曜日

「暗い本音」と「卵の側」

時代が進んで価値観が変化したことで今では許されなくなった行為もあるけれど、ジャニー喜多川の件に関しては当時から許してはいけない行為だったと思う。

今の時代に至っても、声を上げた弱い立場の者がひどく叩かれる状況にあることが悲しい。
人々の「暗い本音」が可視化される時代だからこそ、そういった側面が余計に目立つのかもしれない。

<高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立とう>
作家の村上春樹がイスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で行った記念講演において、「小説を書いている時、いつも心に留めていること」として語った言葉だ。
自分もそのような立場でありたい。

ー 2023年5月29日(月)

2023年5月23日火曜日

G7広島サミットに思うこと

自分には広島サミットの正否を一刀両断することはできない。いくつもの成果があったのかもしれないけれど、判断しきれない。
ただ、原爆が投下された広島という地で、核保有が正当化されることや戦地への戦闘機投入が決められてゆくことへの心の痛み、もどかしい矛盾を忘れずにいたいと思う(自分自身も矛盾を抱えている)。

平和記念公園を訪れた各国首脳は何を感じとったのだろう(ウクライナのゼレンスキー大統領の演説の中の『歴史という石に、影のみを残すことになるかもしれない国』という言い回しは、直前に平和記念資料館で見た「人影の石」を念頭に置いたもののようだ)。特に広島に原爆を投下した当事国アメリカのバイデン大統領のコメントを聞きたかった。

広島サミットを通して、日本だけじゃなく世界が大きな流れに飲み込まれようとしてる、いや既に飲み込まれているような不安を感じた。
立ち止まって振り返り内省する時間の大切さをあらためて思う。

広島の悲惨が繰り返されないことを願うと同時に、ウクライナからのロシア軍完全撤退を前提とした早期の停戦を心から願っている。
悲惨は今現在も続いている。

ー 2023年5月23日(火)

2023年5月2日火曜日

清志郎さんの命日に、ギターパンダの新譜「オールオーバージャパンダ」を聴く

 清志郎さんの命日に、忌野清志郎&2,3sのメンバーだったギターパンダこと山川のりを君の新譜「オールオーバージャパンダ」を聴いている。


自分の知る限り、日本のミュージシャンの中で忌野清志郎イズムを最も継承している一人は、間違いなくギターパンダだと思う。新譜を聴いて、その思いをさらに強くした。 
https://guitarpanda.base.shop
でも、それがロックファンやRCサクセション、清志郎さんファンにも十分知れ渡っていないようなのが残念だし、おかしいなあと思う。 

ロックは楽しいだけの音楽じゃなくて、違和感や問題提起、内省を含んだダンスミュージックであるところに自分は魅力を感じ、影響されてきた。
ユーモアとペーソスを忘れずに、忖度なく違和感や問題提起を歌にするのりを君の音楽は、まさに自分が思うところのロックだ。

今ののりを君は清志郎イズムを受け継ぐだけでなく、清志郎さんがやれなかったこともやってるように思う。
僕らは受け継ぐだけでなく、その先を手探りで歩くべきなのだ。

ー 2023年5月2日(火)

2023年4月20日木曜日

ありがとうシェキナ また

昨夜は髙木まひことシェキナベイベーズ解散&レコ発ツアーライブを観に京都・磔磔へ。
会場には、お客さん関係者含め馴染みの顔が多勢。



今まで観たシェキナのライブの中で、最もエモーショナルで一回性の高いライブだった。彼らのアルバムの中でも内省の要素が高い新譜「CARAVAN」からの曲を色々聴けたのもよかった。

定番のステージを楽しませてもらいつつも、これまでの枠からはみ出た生々しいシェキナにも触れることができてグッときた。歌心がすごく伝わった。楽しいばかりじゃない、切なさや虚しさ、やりきれなさの琴線に触れるシェキナも魅力的だ。
解散ライブなのに、次につながるような素晴らしいステージだったと思う。

終演後、楽屋を訪ねてメンバーとしばらく話したのだけれど、メンバーそれぞれがシェキナの魅力を再認識するツアーになったことが伝わって、それがとても嬉しかった。残りの公演も間違いなく素晴らしいステージになるだろう。

彼らの決断を尊重すべきとわかりつつ、敢えて言わせてもらえば、昨夜の磔磔に集まった大勢のお客さんと関係者の中で、シェキナのいつかの再結成を願わない者は一人もいないと思う。

終わりは始まり。
4人それぞれの今後の音楽生活が益々充実してゆくことを心から願ってます。

まひこ、ヒロキ、ハヤト、ミトモ、16年間ありがとう。ムチャ楽しかった。
これからもよろしくね。

ー 2023年4月20日(水)

《リクオのFacebook上でのシェキナに関する投稿より》
2019年9月9日  

2023年3月31日

photo by 渡邉俊夫

2023年2月24日金曜日

大きな括りでは捉えきれない1人1人の姿を伝えることの大切さ ー ロシア・プーチン政権のウクライナ侵攻から1年を経て

「独立した自由な国を守るために、ロシアに勝利する他に選択肢はないのです。」

2月20日にNHKで放送された番組・クローズアップ現代「シリーズ 侵攻1年 ウクライナ“真実”を追う記者たちの闘い」での、ウクライナ公共放送「ススピーリネ」会長のミコラ・チェルノティツキー氏の言葉だ。

同番組で、侵攻直後から1か月あまりに渡りロシア軍の占領下に置かれホストメリで取材を受けた現地の男性住民が、肌身離さず持っていると言って見せたワッペンには、「自由か死か」という言葉が刻まれていた。男性によれば、その言葉はウクライナ人のモットーなのだそうだ。

両者の姿や言葉から、勇敢さや美しい物語を感じ取ることもできるだろう。
けれど自分は、戦争によって人々が選択肢を奪われてゆく様を見せつけられているような、やりきれない思いを抱いた。

「自由か死か」、その言葉は確かに大多数のウクライナ人のモットーなのかもしれない。けれど、徹底抗戦が多数派の陰で、口に出せずとも即時停戦を願う人々や、その両方の思いに心を引き裂かれている人達も存在するんじゃないだろうか。特に戦火において、少数派の思いは蔑ろにされてしまうのだろう。

番組後半、ウクライナ現地から桑子真帆キャスターが語った言葉も印象に残った。
現地で出会ったウクライナ人は誰もが「パレモハ(勝利)」という言葉を口にしていたけれど、よく聞くと、その「勝利」が意味するものは、「夫や弟が生きて故郷に帰れること」「2度と攻撃にさらされないこと」「まもなく生まれてくる自分の子供が戦争を見なくてすむこと」等、1人1人異なっていると感じたそうだ。

翌日21日放送の同番組「シリーズ侵攻1年 ロシア 市民たちの12か月」も続けて観たのだけれど、国家の理想や都合の前に、個人の思いがかき消されたり、誘導され書き換えられてゆく状況は、今のロシアにおいてさらに顕著のようだ。
番組が放送された同日21日に行われたロシア・プーチン大統領の年次教書演説を聞いた時にも、国家との一体化を国民に強く望むプーチン氏の強硬な姿勢が伝わった。この強硬さは、80%を超える支持率も背景にあるのだろう。
欧米によるウクライナへの武器供与やロシアへの経済制裁が、結果としてロシア国民を精神的にも追い込み、国内でのプロパガンダも相まって、さらにプーチン支持を高める結果をもたらしているようだ。悩ましい状況だ。

「この戦争が、立ち止まって考えることをなかなかさせてくれない。
戦争が長期化して立ち止まることがどんどん難しくなっていくんじゃないか。」
番組の中でNHKヨーロッパ副総局長・有馬嘉男氏が語った言葉が重く響いた。

20日放送の同番組内で桑子キャスターが語っていたように、有事だからこそ余計に、「大きな括りでは捉えきれない1人1人の姿を伝えること」の大切さを感じる。
その違う1人1人の姿を想像し寄り添う姿勢こそが、戦争を遠ざける1つの手立てとなりうるように思う。

ー2023年2月24日(金)



そんな怖がらんで大丈夫やよ ー 首相秘書官の発言に思うこと

「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。」

更迭された荒井勝喜・首相秘書官(当時)の性的少数者への発言を知って、この人は雑多で多様な社会に慣れ親しむ機会がなかったんだろうなと思った。もしかしたら、性的少数者の人達と自覚的に交流した経験がないのかもしれない。

荒井氏によれば、同性婚制度導入に関しては秘書官室全員が反対なのだそうだ。それが事実なら、自民党議員だけでなく官僚機構にもこういう考えが一般化していることになる。
荒井氏のような人を側近に登用する岸田首相もこういった偏見、差別意識を共有しているのだろうか。考えてみれば、荒井氏の発言は、岸田首相が衆院予算委員会で同性婚法制化について「社会が変わっていく問題だ」などと答弁したことを受けてのものだ。

彼らの差別意識の中には、社会が変化してゆくことや自分とは違う他者が存在することへの「恐れ」が含まれているように感じる。
愛し合う2人に、結婚という手段を認める。ただそれだけのことで、極端に社会のありようが変わることはないだろう。同性婚が認められて、マイノリティーへの理解が深まり、社会の風通しが良くなれば、それはいい変化だと思う。

「そんな怖がらんで大丈夫やよ」
荒井氏にそう伝えたい。

ー 2023年2月8日(水)

2023年2月8日水曜日

2023年2月3日〜5日ツアー日記(Facebookからの転載) 

今日は神戸にある啓明学院の卒業記念講演会にお招きいただき、校内チャペルにて、卒業直前の高校3年生徒251名と先生方の前で約1時間半の弾き語り。

学院の社会科教諭の長久と関大同学科の同級生だったことに加えて、指宿(いぶすき)校長とも、彼が関学の軽音時代からの知り合いだった偶然が重なって、今回の講演ライブが実現。
つくづく人の縁はおもしろくてありがたいなあと思う。
校内で先生が見守る中でのライブなんで、生徒達が大人しくかしこまることも予想していたのだけれど、ライブは冒頭から予想を裏切る盛り上がり。生徒さん達の瑞々しいエネルギーに大いに触発された。
終演後、楽屋にライブに参加したばかりの生徒達が次々と訪ねてきて、サインを求めたり、それぞれが感想を伝えてくれたのも嬉しかったなあ。
長久と指宿校長にも喜んでもらえてよかった。
ホント嬉しい再会。
続けてきてよかったなあと心から思えた1日でした。
ー2023年2月3日(金)


春日部・エバーチャイルド、満員御礼。最高の盛り上がりでした。
初めて訪れた町なのに、曲を知ってくれているお客さんが多くてびっくり。
主催してくれた田川&倉橋両氏が、自分達のライブでオレの曲をカヴァーしたりして仲間内にリクオの音楽を広めてくれていたそうだ。
思えば、2人が去年6月札幌でのリクオ・トリオのライブを観に来てくれて、春日部でのライブを直談判してくれた時から、昨夜のライブはすでに始まっていたんだと思う。
春日部初ライブの会場がエバーチャイルドでよかった。ミトウさん&あやちゃん、いいバイブをありがとう。
集まってくれたみなさん、最高の夜をありがとう。
これを始まりに、また春日部でオモロイことやりましょう。
今日5日は下北沢 ラ•カーニャにて17時開演。ゲストはギター高木克ちゃん。
ー2023年2月5日(日)

@下北沢 ラ•カーニャ
下北沢には若者が溢れていた。駅前は数年前とは様変わりして、街全体に雑多な要素が薄まった。
下北沢は便利で明るい街になった。
5月になってマスクも外せるようになれば、コロナ禍のさまざまな出来事もすっかり忘れ去られてしまうのかもしれない。街の賑わいの中でそんなことを思った。
地下への階段を降りてラ•カーニャのドアを開け、マスターの岩下さんと普段着の挨拶を交わしたらホッとした。
ゲストの高木克ちゃんとの合奏は2人ロックバンド状態。
このときめきや初期衝動をくたばるまで燃やし続けたい。あの人達のように。
克ちゃんと演れてよかった。楽しくてワクワクした。
下北沢は鮎川誠さんとシーナさんがいた街だ。
ラ•カーニャで2人にお会いした時のことなど、やはり思い出してしまった。
でも、感傷に流されることなく、一期一会の歓びを集まってくれたみんなと共有できたと思う。
その瞬間に全てを捧げれば、音楽はいつだってそれに応えてくれる。
ホンマ音楽は最高やね。
この魔法はもうとけないと思う。
ありがとう、また。

ー2023年2月6日(月)

2023年1月16日月曜日

Facebook1月8日(日)〜16日(月)投稿まとめ

★1月8日(日)黒岡アイスクリーム主催、京都丹後宮津市・カフェレストラン彩での3年振りのライブは、感慨深い夜になりました。
彩のアップライトピアノがオレとの再会をとっても喜んで、いい鳴りで応えてくれました。
当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないと気付かされた3年間。この場所に戻って来れて本当に良かった。感謝です。
打ち上げでは最高に美味しい魚介料理をいただきながら、黒岡君達と次回のイベントに向けての話で盛り上がりました。
今年初ライブ、いいスタートが切れました。

★1月9日(月)
@1/8(日)京都 一乗寺・CAFE&BAR OBBLi
'20年4月に初トライした配信ライブ(無観客)と同じ場所、同じチームでの有観客配信ライブ、振り幅広く、ムチャ盛り上がりました。一乗寺フェス配信チームならではの配信も堪能してもらえたんではないかと思います。
3年間のストーリーがあった上でのこの日のライブだったんで、やっぱ気持ち入りました。
普段の弾き語りソロライブは、その場の流れで曲を決めることも多いんですが、今回は、数日前から初配信時の曲順を確認したりしながら、事前に選曲について色々思いを巡らせました。
今回のライブを通じて、コロナ禍の間のさまざまを思い出したり、自分や自分達がやってきたこと、考えてきたことを確認する機会を持てたこともよかったです。
松尾君、三谷くん、OBLLiのタニーとさっちゃん、再びこのメンバーで、自分が暮らす一乗寺からの配信ライブをやれたこと、ライブ後に皆で楽しく打ち上げ新年会ができたこと、あ〜よかったなと。
来てくれたお客さん、配信観てくれた皆さん、ありがとう。今年も一緒に楽しみましょう。
打ち上げの時にみんなで、配信の特典映像「リクオ×一乗寺フェス 2020年〜2022年 配信ライブダイジェスト」(約40分)を観たんですが、いや〜、素晴らしかった。もう自画自賛。
オレら、色々らやってきたよなあ。しんどい状況を、何よりも一緒に工夫して楽しみながら乗り越えてこれたのがよかった。この町にいて、いい仲間に恵まれました。
アーカイブ視聴は1月22日(日) 23:59まで。ぜひ。


★1月10日(火)
コロナ対策に関しては、自由や人権を蔑ろしにしてでもトップダウンで政策を素早く進められる独裁政権の方が有利との説を耳にすることがあったけれど、今の中国を見ているとそうは思えない。
共産党独裁による情報操作や隠蔽、ご都合主義、極端から極端への政策移行が、コロナ対策に大きな弊害をもたらしているように見える。
このような状況を背景に、中国で厄介な変異株が生まれる可能性が高まることを危惧している。
パンデミックや地球温暖化問題には自国ファーストの考えが通じない。それは明らかな事実だと思う。


★1月12日(木)
昨日のタイムラインはジェフ・ベックへの追悼文ばかりが目についた。
自分も何か書こうかと考えたけれど、やはり控えることにして、ジェフ・ベックの懐かしい曲を聴きながら、日本公演を観に行った時のことや、高校の先輩が"Cause We've Ended as Loves"のギターを一生懸命コピーして、文化祭のステージで演奏してたことなどを思い出したりした。
自分の世代にとっては、世界3大ギタリストの1人としてのイメージが強い。シンボル的な存在の訃報はやはり寂しさを感じる。
今日は午前中にうじきつよしさんと、2月から始まるツアーの選曲のこと、移動行程のことなど、電話で色々と長話。電話越しに会話を交わすだけで、元気を受け取った気分。やるぞ!という気持ちが漲った。
LINEで済まさなくてよかった。
で、今は部屋を出て広島福山市へ向かう車中。今夜のポレポレのライブ、お客さん来てくれたらいいなあ。
いずれにせよ、集まってくれた皆さんと一緒に、かけがえのない時間を味わい尽くすつもり。
今年もツアー暮らしが始まったなあ。
明日14日は岩国・ヒマール、翌日は岡山・モグラへと流れてゆきます。
各地でお待ちしてます。

★1月14日(土)
@広島県福山市・ポレポレ
長く続くお店には音楽の神様がすみつきます。
ポレポレの響きを存分に味わいながらの演奏。
30年来のお付き合いのマスター・ユウさんに、「今夜のライブ良かった」って言ってもらえて嬉しかったです。
かけがえのない時間でした。
今、広島RCCラジオに向かってます。
朝10時より岡佳奈さんパーソナリティーの番組「週末ナチュラリスト」に生出演します。番組のオープニングテーマが「アイノウタ」なんです。ありがたいことです。
今夜は岩国市・ヒマールにて初書籍出版記念ライブ。残席2〜3席とのこと。
ヒマールは 出版業もやっていて「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」を 出版してくれたんです。
皆さんにとっても良い日になりますように。

★1月15日(日)
昨夜は山口県岩国市・ヒマールにて、初書籍「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」発売記念ライブでした。
ヒマールは、クラフトを中心に、雑貨、文具、書籍、レコード&CD、焼き菓子等々自ジャンルに囚われないさまざまを扱い、定期的にライブも開催する岩国の文化発信地。
3年前から出版物の刊行にも乗り出し、縁あって今回の初書籍を出版してもらいました。
ヒマールの辻川夫妻との関わりがなければ、この本の存在はありませんでした。著者はリクオ名義ですが、実質は辻川夫妻との共同作品だと思ってます。そして、ナカガワ暢さんによるイラストの力も大きいです。さまざまな化学反応を経てこの本が生まれたことに充実を感じてます。
昨夜のライブもまさに化学反応の賜物。このタイミングで、この場所で、昨夜のお客さんだからこそ成り立った最高のライブ空間でした。
嬉しい再会も色々。
また会えてよかった。
また会おう。
音楽人にとって悲しい訃報が続く中、この一瞬一瞬が益々愛おしく感じられます。

★1月16日(月)
@岡山・MO:GLA(モグラ)
年末に、モグラ代表のサンジさんから今年の6月以降に移店予定との話を聞いていたので、昨夜は24年間通い続けた場所でのラストパフォーマンスとなることを意識してステージに向かった。
'98年のThe Herzでのツアーが、自分にとってのモグラ初ステージ。
客席の盛り上がりを受けて、ライブ途中からサンジさん等お店のスタッフが客席のテーブルを片し始め、急遽客席がオールスタンディングのダンスフロアと化した印象深い夜だった。
それから24年間、モグラには途切れることなく通い続けたので、多分、お店の最多出演回数ベスト5位内には自分がラインクインするんじゃないかと思う。
昨夜もPAの奥村君がいい音を作ってくれたので、歌と演奏にすごく集中できた。
集まったお客さんは、この場所で何度も楽しい時間を共に過ごしてきた馴染みの顔が多かった。
コロナ以前に比べて動員は減ったけれど、会場の熱量はコロナ以前を超えていたかもしれない。
ステージも客席も思い入れたっぷりの夜になった。
ホント楽しい思い出ばかりの場所。サンジさん、エリさん、よしき君、奥村君には感謝しかない。
移店しての新しいモグラを楽しみに待ちたいと思う。
24年間ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

2023年1月6日金曜日

立ち止まり振り返りながら楽しむ時間 ー 1月8日(日)京都一乗寺・OBBLiにて有観客&配信ライブを開催するにあたって

'20年4月29日、自分が暮らす町・京都一乗寺のミュージックバー・ノルウェイジャンウッド(現在OBLLiに改名)から行った配信ライブは、無観客にも関わらず、自分のライブ人生の中でも最も記憶に残るライブの一つとなった。

コロナ感染拡大により不要不急の外出自粛が求められ、数ヶ月の間、全てのライブが中止か延期になってしまった時期に、地元で結成された「一乗寺フェス配信チーム」と一緒に初トライした配信ライブだった(添付は'20年4月29日ライブ当日の写真)。




この初配信で自分達が意識した一つは、地域や場所が伝わる配信を心がけることだった。「一乗寺フェス配信チーム」と配信ライブを続けるにあたり、この姿勢は一貫している。
コロナ禍を通じて、中央に寄りかかるのではなく、自分が暮らす地域で新しいモデルをつくってゆくことの大切さ、やり甲斐をますます感じるようになった。視野を広く持ちながら足元をよくしてゆこう考える人達は全国に点在している。今後は、そんな人たちが繋がるネットワークづくりに参加できたらいいなと思う。

週末1月8日(日)に京都一乗寺・OBLLi(ノルウェイジャンウッドから改名)で開催される有観客&配信ライブは、初配信ライブ当時と同じ配信スタッフ(谷田晴也、松尾哲也、三谷達也)が参加してくれる。このメンバーは、共にコロナ禍を乗り越えてきた同志だと思っている。
あの時と同じメンバー、同じ場所で、会場にお客さんを入れての配信ライブを開催できることが感慨深い。OBLLiにとっても、今回のライブが本格的にライブを再開するきっかけになればいいなと思う。

コロナ禍はまだ終息したとはとても言えない状況だけれど、自分達は既にコロナに慣れてしまって、'20年4月頃の状況や心情、あの頃に得た教訓を忘れつつあるように感じる。
立ち止まり振り返ることで、今の立ち位置を確認して、また新しい一歩を踏み出したい。今回のライブが、そんな時間になればいいとも思う。

そして、何よりもまず、会場に集まってくれた人達、配信に参加してくれた人達と一緒に楽しい一期一会を過ごしたい。オレ的には、この日は新年会も兼ねているつもり。みんなと一緒にお祝いしたい気分。
ライブ会場で、そして配信で、皆さんとお会いするのを楽しみにしてます。

今年もツアー暮らしを続け、方々うろつき回る予定です。
各地で皆さんにお会いするのを楽しみにしてます。よろしくお願いします。
いい年にしましょう。 ー リクオ
ー 2023年1月7日

■配信チケット購入(¥3000)開演16:00
1月8日の配信ライブ本編終了後に、「一乗寺フェス2022」で独占公開していた「リクオ×一乗寺フェス 2020年〜2022年 配信ライブダイジェスト」(約40分)を再配信。
アーカイブ期間中は本編と同じく何度でも視聴が可能です。

■リクオ・オンラインショップにて配信ライブチケット+リクオ初書籍「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」【お得セット(¥3300)】販売中(1月8日12時まで)

2023年1月3日火曜日

「悩む力」が試される時代

 年末年始は、京都でゆっくり過ごし、以前に購入して読み終えていた本を何冊か読み返したりしている。
'08年に刊行され、当時愛読していた「悩む力」(姜 尚中 著)を久しぶりに読み直してみたら、当時以上に共感する箇所が多く、色んなヒントを与えてもらったような気持ちになった。

楽観的にもなれずスピリチャルにも逃げ込めない者たちがどう生きれば良いのか?そうした苦しみを百年以上前に直視した夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、「悩み」を手放さない生き方への提言は、今の自分の心情にも、この時代状況にもタイムリーな内容だと感じた。
「悩み」続けることは堂々巡りに留まることではない。階段の踊り場に立ち、逡巡しながらも考えを更新し続けることだ。そうしてまた歩を進め、その都度逡巡しながら選択を繰り返して歩き続けるのだ。

《「人はなぜ働かなければならないのか」という問いの答えは「他者からのアテンンション」そして「他者へのアテンション」》という一節も沁みた(「アテンション」→「ねぎらいのまなざしを向けること」)。
最近読んだ辻信一氏と高橋源一郎氏との対談本「『あいだ』の思想」の中で辻氏が、文化人類学者デヴィッド・グレーバーの言葉、「人間の仕事というのは、そもそも、そしてますますケアなのではないか」という一節を紹介していて、それと重なる意味合いを感じた。
英語での「ケア」は、介護や看護といった意味を大きく超えて、関心、心配、思いやり、親切、世話など、人と人、人と何かの「あいだ」の精神的、物理的な深い関わりやつながりを意味するそうだ。

それらの言葉をゆっくりと染み込ませてゆくうちに、次第に心が正直になって、「特にこの数年、自分は社会の動向や人との感覚のずれに傷つていきたのだなあ」と自覚した。そして、自分の言動が誰かを傷つけてもきただろうと想像した。

「誰かと往復書簡できないかな」ふとそんなことを思った。
それを本などの形にするのも良いかもしれない。
解を押し付け合うのではなく、丁寧なやりとりの中で、互いが少しづつ変われてゆけたらいいと思う。

やはり忙し過ぎるのは良くない。ゆっくりと自分の心に降りてゆく時間も必要だ。
方々で皆と騒ぎ続けた年末の日々から年明けの静かな内省へのダイナミズムが、自分らしさかなとも思う。

最後に、自分自身への備忘録としてアメリカの作家・デヴィット・フォスター・ウォレス著「これは水です」からの言葉を引用したい。ここ数年、Facebookでは何度も紹介してきた言葉達だ。

《僕の内部で
何が進行中が
耳を澄ませばいいだけなのに、》

《ー 傲慢、やみくもな過信、かたくなに閉ざされた心。
どちらも鉄壁の牢獄に閉じ込められ
獄中にいることすら自覚していない
囚人みたいです》

《ほんの少し謙虚になり
じぶん自身の確信に
すこし「批判的な自意識」を持つこと》

《こころは
「気の利く召使だが
恐ろしい暴君でもある」
という古い決まり文句を思い出してください。》

《これは徳の問題ではなくーー
僕に自然に組み込まれた
ハードウェアの初期設定を
どうにかして変える
あるいは削除するといった作業を
僕個人が選ぶかどうかの問題なのです。
この設定は文字通り徹底して自分中心になっています。》

《さて、こうした崇拝のありようが
油断ならないのは
邪悪とか罪深いからではありません、
無意識のうちだからなのです
初期設定のままだからです。》

《そういう崇拝は
あなたがなし崩しで
日に日に深みにはまりこんでくものです
じぶんが何をしているのか
徹底して自覚がないから、
何を観て価値をどう測るかが
どんどん狭まっていくのです。》

「やみくもな過信」に陥る前に、何度も思い出したい言葉達だ。
「悩む力」が試される時代だと思う。

ー 2023年1月3日(火)

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リクオの初書籍
「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」(12月12日/ヒマール刊)
ツアー暮らし、震災、コロナ禍……
この11年間の日々に書き留めた“備忘録”。
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