2001年5月31日木曜日

2001年5月31日(木)

アイカランバ.スタジオでヘルツのレコーディング。最近、メンバーのスケ ジュールを調整するのが大変で、なかなか作業が進まなかったけれど、ゲストを 除いてメンバーの録りの作業はほぼ終了。
現在録音中の作品はミックスの内容を変えたりして、アナログレコードとCDに分 けてリリースされる予定。
海外向けのアナログレコードの方では、僕はほとんどヴォーカルを取らず、英語 やポルトガル語でゲストシンガーが参加することになっていて、今までよりもイ ンストゥルメンタル色の強い作品になる。国内向けに出るCDでは従来通り僕が ヴォーカルをとるのだけれど、今回は曲によって、かなり今までとは違う歌い方 にトライしてみた。自分のヴォーカルスタイルを見つめ直す良いきっかけになった。

今月はいろんな街で忘れたくない、いい出会いを経験した。嬉しい再会もあっ た。それらの体験を、かみしめる余裕がほしいところ。
せわしない日々のなかで、心と体の柔軟性を保ちながら、立ち止まることも忘れ ずに暮らしていきたい。

2001年5月11日金曜日

2001年5月11日(金)

四日市フォーラムでライブ。またまた快晴。いい季節だ。
ツアーが進むにつれて体調も声の調子も良くなってる気がする。 けれど今日のお客さんはどうも反応が薄く、つかみに失敗。途中でライブの方向性を変え、その瞬間に思いついたやりたい曲をマイペースで歌ってゆく。その結 果、モノローグ的なスローナンバーがいつもより増えることになった。お客さん との掛け合いはほとんどなし。ステージでは独り言のように思いつくまま、よく喋り、ちと緩いライブになってしまったが、歌には案外集中できた。結局、いつ もより長いステージになった。エンターテイメント性に欠けるライブだったが、 自分自身はいつも以上にステージで解放されていた。 気負いなく、わがままになれて気持ちが良かった。

2001年5月10日木曜日

2001年5月10日(木)

近江八幡酒遊舘でライブ。今日も快晴。近江八幡のこじんまりして品のある町並 が気に入っているのでリハーサルを早めに切り上げて、散歩する。気持ちが落ち着いて、その気分のまま本番に入る。酒蔵を改造したこのスペース は音がとても良く響くので、弾き語りだとピアノはほとんどPAを通す必要がな い。響きを味わいながらライブを進める。
気持ちが良いのでピアノに「リクオ14号」という名前をつけてやった。ところ がライブの後半で「リクオ14号」のペダルが壊れてしまうハプニング。まあ、これはこれで面 白いかなと思い、アレンジを変えて最後の数曲を演奏する。かえって自分にとっては新鮮で良かった。今日は、その瞬間の自分の感情に無理なく、素直に従って演奏できた気がする。

2001年5月9日水曜日

2001年5月9日(水)

広島オーティスでライブ。快晴。日中は平和公園あたりを散歩してカフェで休憩。
体調良し。ライブも楽しめた。酒は控えめ、お好み食って早めに寝た。

2001年5月7日月曜日

2001年5月7日(月)

福岡B-1でスクリプト、千綿ヒデノリ君とジョイントライブ。
今日は客席がよくみえた。9割ぐらいが女性。始めてのお客さんが多いことを考慮してエンターテイメント路線で行くことにする。ナンパするような気分でライブをやった。
マネージャーからTEL。ロンドンに送ったヘルツのデモテープが評判。むこうのクラブ系音楽雑誌のチャートで、まだ発売されていないヘルツの楽曲が初登場2位 とのこと。ほんまかいな。

2001年5月5日土曜日

2001年5月5日(土)

大阪の名物ライブイヴェント「春一番」に出演。午後2時半からの出番と聞いて いたので12時半頃に会場である服部緑地公園野外音楽堂に到着、楽屋に張り出された本番のタイムテーブルをみたら、出番が最後に変わっていた。こういう適 当なところも、春一番らしさと納得する。
春一番は元々70’年代に関西フォークと総称された関西発の音楽ムーヴメント を象徴する野外音楽イヴェントとして70’年代後半まで続けられていたものが95’年に復活、それ以降毎年、ゴールデンウィークの時期に開催され続けてい る。基本的に集まっているスタッフは皆ボランティアで、ほとんど営利を目的にしない草の根的なイヴェントだ。
出演者は関西フォークの流れを組むベテランを中心に地元のミュージシャンも多 数参加する。アマチュアとプロが分け隔てなくステージに上がるのも大きな特徴の一つ。ボランティアのスタッフを除けば、ステージも客席も平均年齢は高く、 30をこえていると思われる。
会場全体にのんびり、まったりとした空気が流れていて、前席で観るよりも客席後方の芝生で横になって、ビールでも飲みながら観ることを好むお客さんが多 い。
かっての春一番には違う価値観が摩擦しあって生まれる緊張感があったのかもしれないが、今はそういう強い刺激を求めてこのイヴェントに参加している人は皆無だろう。どちらかと言えば同じ価値観を共有できる場に身を置いて、心をオー バーホールするために参加している人が多いと思う。とても貴重な究極の身内乗 りイヴェントだと思う。
毎年この時期、この空間に身を置くといつも、久し振りに故郷に帰ってきた時のような安心感と違和感を同時に抱く。自分が今大切にしたいのはこの違和感の方だ。ここからもっと遠くに離れてしまえば、こういう複雑な思いは消えてゆくの かもしれない。次にこの場所に戻ってきたとき、自分はどんな思いを抱くのだろ う。