2003年11月22日土曜日

11/22(土)盛岡 紅茶のお店しゅん

盛岡に初雪が降った。先日とは打って変わって、すごく寒い!日中は瀬川さんが盛岡の街を案内してくれる。まずは盛岡名物じゃじや麺を御馳走になる。想像と はかなり違って、結構素朴な味。その後、美術館でしばらく時間を過ごし、日本で一番古いと言われる自然食品店に寄り、骨董屋の集まる通り沿いにあるクラム ボンという喫茶店で美味しいコーヒーを飲む。このお店は友部正人さんや下田逸郎さんのライブを定期的に企画しているそう。カウンター横の窓際でマスターが コ-ヒ-豆を煎っていて、いい香り。少し目にしみた。オレのライブによく来てくれる絵書きさんの個展が、数日後に、この店で開かれるそう。盛岡の街には文 化の香りがした。
夕方4時に会場入り。今日のライブ会場である「紅茶のお店しゅん」の紅茶はとても美味しい。オレは紅茶党なので東京にいる時も、しゅんから紅茶を取り寄せ ている。お店の中は1、2階が吹き抜けになっていて、多くのお客さんが2階席と階段に座ってライブを見下ろす。
今夜のライブは中盤で凄く集中力が高まった。あ~オレって、こんな力があったんやと思う。この感じがずっと続けばいいのに。亜弥ちゃんとのコンビネーションは今日が一番良かった。彼女に自分の良さを引き出してもらった気がする。
デュオにはデュオの良さがあるなあと再認識。二人で呼吸を感じて、合わしてゆく作業は色っぽい。

2003年11月21日金曜日

11/21(金)

ユウスケが仙台まで送ってくれる。今日は異様に暖かい。仙台で二郎さんと合流してキャンペーン。ラジオを生と収録を3本やって、盛岡へ。ここでもラジオを生と収録で4本やった後、地元の情報誌の取材。午後8時頃、キャンペ-ン終了。
二郎さんは東京へ日帰り。オレは明日のライブの主催者である瀬川さんの旅館に泊めてもらう。旅館についたらすぐ近くの居酒屋へ瀬川さんと二人で飲みに行く。さすがに今日は深酒せず。疲れたあ。

2003年11月19日水曜日

11/19(水)山形 ストリートシャッフル

今日からヴァイオリンの玉城亜弥ちゃんと東北を3箇所回る。正午過ぎ、二人で東京から新幹線で山形に直行。山形は快晴。雲一つない山形ってはじめてかも。 空気はやはり冷たい。山形と言えば蕎麦。まあオレはどこでも蕎麦食ってるけど。迎えに来てくれたユウスケに早速、蕎麦屋に連れて行ってもらうことにする。 曜日と時間帯のせいで、閉まっている店が多く、4軒目でやっと開いてる店をみつける。にしん蕎麦を食べた。ストリートシャッフルは山形大学の正門前にある 喫茶店。昔はこういうサブカルのにおいのする茶店が大学の近くに、よくあった。こういうお店が情報の発信地にもなっていたのだ。最近は喫茶店そのものが少 なくなっている。
ここで演奏させてもらうのはなんと11年振り。今年の6月にマスターのアリスさん
と久し振りに再会したのが、きっかけで久々のライブが実現。しかし最近ほんまに再会が多いなあ。亜弥ちゃんと二人きりで1ステージをこなすのは、実は今夜 が始めて。呼吸の探りあいが新鮮。今日は予め、曲順を決めて亜弥ちゃんにも伝えておいたのだが、ほとんど無意味だった。大体曲順表をステージに持ってくる のも忘れてたし。しかし、亜弥ちゃんはよくついてきてくれる。次の曲名を言わなくても、彼女はイントロを聴くか、オレが押さえる鍵盤の位置を確認すること によって、曲やコードを把握してくれるのだ。「奇跡の瞬間」という新曲を始めて演ってみる。この曲がよかったというお客がいて嬉しかった。今日はテリーと いうやたらとテンションの高い奴と知り合う。とにかくライブから打ち上げが終わるまで、飲み続けて?り上がりっ放しで、しまいには回りのひんしゅくを買っ ていたが、こういうアホな奴が、各地にいてくれると面白い。彼は地元のコミュニティーFMでDJをやっていて、リクオの特集も組んでくれているそう。いい 奴だ。

2003年11月16日日曜日

2003年11月15日土曜日

11/15(土)

西麻布のLというお店で毎月行われている窪田晴夫さん企画のオールナイトライブパーティーに呼んでもらい、40分程弾き語りをする。他に出演は原マスミさん、コーヒーカラ-etc。ギャラはないが出演者は飲み放題、食い放題。そのギャ ラ代わりの料理がとにかく本格的。開演前から、高級ワインが何本もあけられ、お店のシェフが気合いを入れまくった渾身の品々が、次々と楽屋代わりになって いる奥のソファ席のテーブルに登場。う、うまい!
会場の照明は暗め。パーティーらしく、おしゃれに着飾った女性多し。色気もあって、リラックス出来て、心地よい「大人の遊び場」という感じ。
時刻が真夜中零時を回った頃にステージへ。出番前にかなり飲んでいたので、適度に酔いが回った状態。自分にとっても、多分観ている人にとっても、こういう 時のわがままで、ファンキーで、弾けまくっているオレのライブが一番楽しいんじゃないか。これが本来の自分だと思う。場内も大盛り上がり。みんながハッ ピー。気持ちよくて切なくて、もう死んでもいいか、という気分になる。死なんけどね。
朝まで飲んで歌つて踊って、チャリンコで帰る。みんな、チャリンコの飲酒運転はやめときや。危険。

2003年11月13日木曜日

11/13(木)

晴れ。
最近はしばらく外で仕事がないので、午前5時~6時の間に寝て、午後1時頃に起きるというパターン。
よく寝ている。「睡眠力」って大事やと思う。そういう言葉はないかもしれんが。
しっかりと睡眠がとれる内は、自分は大丈夫だと思う。眠っている間にリフレッシュして、生まれ変わることができるからだ。回りの状況が変化していなくても、目覚めた後は自分自身が変化しているのだ。
夕方まで練習してから、日が暮れる前に、チャリンコに乗って近所の茶店へ。背中に背負ったリュックサックの中身は本、ノートパソコン、大学ノート等で満杯。
これだけの準備があれば茶店で何時間でも過ごすことができる。最近、通っている茶店は店内に、控えめの音量でクラッシックが流れている。これが心地よい。他のお客さんも申し合わせたように静かに時を過ごしている。
しばし時間を忘れ、リラックスして読書や物思いにふける。
白州正子が自分の骨董の師匠である青山二郎のことを「百万人に一人の暇人」と表している。自分もそのような心持ちに近づきたいと、最近よく思う。
怠けたいのではない。自由に感じたいのだ。隙間に魂を入れたいのだ。
忙しさをステイタスと考える音楽関係者は多い。それも仕方がないかとも思う。自分も予定の書き込まれていない手帳を見て不安に苛まれたりする。
けれど時間をうめて、心の隙間をうめて、無意識を無視していては、歌を生み出すことも、感じとることもできない。
夜中に細野晴臣の曲をコピーしてみる。 細野氏のリズム感のよさを、再認識。
最近は練習時間があるから、新しいピアノ.スタイルを模索している。
来週の東北ツアーで成果をだせればよいのだが。

2003年11月12日水曜日

11/12(水)

久し振りに晴れた。隣家のざくろの実が紅く染まり熟れ頃。
日中はチャリンコで笹塚の紀伊国屋に行く。紀伊国屋を出て近くのドトールコーヒーで読書。夜中から曲作り。

2003年11月11日火曜日

11/11(火)

今日も雨。そして今日も一日、曲作り。3曲の新曲がほぼ完成。

2003年11月10日月曜日

11/10(月)

一日雨。
外出せず、曲作りに没頭。朝まで作業を続ける。
歌を作ることによって、さまざまな思いが昇華されて、心が楽になってゆく感じ。

2003年11月9日日曜日

11/9(日)

夕方まで曲作り。
夕方5時頃からツンタらとプロレス居酒屋ボンバイエで格闘技イヴェント「プライド」をペーパービューで観戦。
ミルコVSノゲイラ、吉田VSシウバ、桜庭VSランデルマン等注目カードが目白押し。興奮の連続。プライド史上最高といってよい内容の興業だった。
特にノゲイラがミルコを腕ひしぎ逆十字で下した瞬間の店内の興奮は凄かった。満員のお客さんが総立ちになり、大歓声と拍手が沸き起こった。
試合後になかなかリングから立ち去ろうとしない敗者ミルコの、なんともいえない悲哀のこもった表情が、とても印象に残った。
今までのクールで自信に満ちた表情とは対照的。リングにすべてを賭けたものでなければ、つくることのできない表情。
この日最も印象に残った選手は、ともにプライドで初の敗北を喫したミルコと吉田だった。

2003年11月8日土曜日

11/8(土)

夕方6時から新宿ヴァージンでインストア.ライブ。
ライブの後、店長の大川さんと店内にある茶店でお茶する。新宿ヴァージンは来年
の1月で店を閉めてしまうので、大川さんも身の振り方を色々と考えているようだ。
「‘30代は成り上がることを考えて仕事に熱中し、ある程度目標には達したので’40代になった今は『AER YOU HAPPY?』と自分に問いかけて、本当に好きなことだけをやってゆきたい」大川さんはそう語った。
自分は何かを達成したという感覚はあまりない。けれど最近、人生には節目が必要だと感じる。
夜中の10時に下北で知り合いと待ち合わせ。一番伝えなければいけないことは、感謝の気持ち。
不安を持て余している人によく遭遇する。本人はそのことに気づいていなかったり、そこにふたをしようと、もがいていたりする。自分もそんなときがある。この仕事を続けるということは、自分と向き合い、不安と戦い続けるということだ。
力の入り過ぎは、ようない。

2003年11月3日月曜日

11/3(月)

午前11時半頃、新大阪到着。大阪は雨。
駅からタクシーで心斎橋タワーレコードに向かう。これが失敗だった。この時間帯は阪神優勝を記念した御堂筋パレードが行われている真っ最中で、御堂筋が通行止めのため、南に通じる道はどこも渋滞。
タクシーのカーラジオからはパレードの実況生中継が流れていた。雨の中、35万人が御堂筋に集まったそう。ラジオを通しても、歓声と熱気が十分伝わってきた。
いつもの何倍もの時間をかけてやっと心斎橋に到着。
午後1時からインストアライブが始まる。大学の同級生で、フリーのディスクジョッ
キーをやってるかみ君が観に来てくれる。
ライブとサイン会の後に楽屋でタワレコの今村さん、かみ君としばらく雑談してから、FM802の中継ライブ.イヴェントの収録場所である、靫公園内にあるカフェへ向かう。
この日のライブ会場はシークレットにされていたのだが、天気がよければ、公園を散歩している人達が、このカフェ.テラスでの演奏を聴いて、自然に集まってくる予定だったのだろう。しかし生憎の雨で公園内に人通りはまったく見られない。
会場では司会の浜崎貴司くんと加藤美樹さん、玲葉奈、ロッキングタイムの山本君、パッカッションのラティール、キーボーディストの小川文明さんetc.多 くの人達と再会の挨拶を交わす。上田現さんとは初対面。弾き語りをはじめて聴く。とても美しい曲をかく人。いつか共演の機会があればと思う。
オレは「夜霧よ今夜もありがとう」と「ジェラスガイ」の2曲を、雨音を聴きながら演奏する。この雨音もオンエアーされていればよいのだが。
トリをつとめた浜崎君のライブは、とてもよかった。文明さんのピアノは浜崎ワールドと、よくマッチしていた。浜崎君の表現のベースには、悲しみとせつなさがある。感性が自分と近い気がする。
聖と俗を行き来している感じも似ている。打ち上げが梅田東通りはずれの居酒屋であったので参加する。かなり泥酔。

2003年11月2日日曜日

11/2(日)秋葉原グッドマンVS東京60WATTS

今日はお店が企画したイヴェントで、メジャ-デビュ-直前の若手バンド東京6
0WATTSと共演。VOの大川君は何度もオレのライブに足を運んでくれているそう。
ピアノの杉浦君は最近バンバンバザールのサポートもやっている。品があって歌心を理解する、いいプレイヤーだった。
彼らの演奏を聴いていると世代の差をあまり感じなかった。大阪に住んでいたアマチュア時代、自分の回りにはこんな匂いを持った奴らが何人もいた気がする。始めて会ったようには思えない、懐かしい匂いさえするナイーブな連中。
そのナイーブさは今後、彼らの武器にも欠点にもなるだろう。
こういうバンドがデビューできるのはいいことだと思った。
アンコールでは東京60WATTSとボブ.マリーの「ONE LOVE」とボブ.ディランの「I
SHALL BE RELEASED」をセッションする。なかなかはまった。

2003年11月1日土曜日

11/1(土)

日中は駅前の古い茶店で過ごす。
そこにおいてあった週刊ポストを読んでいたら「マンガ流大人の作法/斉藤孝」という面白い連載を見つけた。毎回マンガの名作を取り上げて、そこから大人として現代を生きてゆく術を見つけだそうという試みのようだ。
この号で取り上げられているマンガは‘70年代の名作、永井豪の「デビルマン」。小学生の頃に、はじめて読んで、それから何度も読み返している思い入れのある作品だ。『デビルマン』は、悪魔の男ではなく、「悪魔+人間」。
主人公の不動明は、眠りからさめて地球を再び支配しようとするデーモンと戦うための唯一の方法として、他の生物との合体能力を持つデーモンと合体する。
つまり毒を持って毒を制しようとするのだ。 デーモンの超能力を持ちながら、人間的な理性や優しさも失わない、それがデビルマンなのだ。矛盾を体内に取り込んで、不適合を起こしながらも、その中で免 疫をつくり、強い段階にする。人間はそうやって矛盾を「止揚」することでしか、前に進むことはできないのだろう。
その中で矛盾に取り込まれ、ミイラ取りがミイラになってしまう場合も多い。けれど、それを恐れていては何も変わらないのかもしれない。