2005年4月30日土曜日

4/30 (土)

 大阪緑地公園野外音楽堂で明日から行われる春一番コンサートのリハーサルのため、チェロの歩ちゃんと、昼過ぎに大阪入り。いい天気。駅から緑地公園に向かう道すがら、濃厚な新緑の香りを味わう。いい季節だ。
  リハを終えたら、ハナレグミ長積君のコンサートを観るため、大阪城野音に向かう。開演には間に合わなかったけれど、たっぷり2時間楽しませてもらう。客席 の方々でお客さんが、シャボン玉が飛ばしていて、これがハナレグミの音楽と、野外のロケーションにとてもよくマッチしていた。長積君の声は本当に心地よ い。
 ライブの後、楽屋にお邪魔して、長積君、飛び入りゲストの原田郁子ちゃんらと久し振りに再会。今日のステージに参加していた高田蓮君には父親高田渡さんの「送る会」に参加させてもらったことなどを話しする。
 野音を出た後は歩ちゃんと地元の知り合い達とで、阿波座のマーサに移動して、食事&飲み。
  マーサでひとしきり飲み食いした後は、マーサのオーナーである片平&こゆき夫妻、歩ちゃんと一緒に近くにあるブラジル系CDショップの「ショビショバ」へ 行く。このお店では時々ライブも企画されているのだが、行く前にお店に電話してみたら、今日はたまたま知り合いのシンガーソングライター、ピアノウーマン の鈴木亜紀ちゃんのライブをやっていることが判明。到着した頃はもうアンコールのセッションが始まっていた。来てみて知ったのだけれど、亜紀ちゃんの今日 の共演者はカオリーニョ藤原こと藤原かおるちゃん(ちなみにおっさん)。かおるちゃんは大阪を代表するブルースギター&ボサノバギターの名手。オレとかお るちゃんは学生時代からの古い付き合いで、オレが大阪在住の頃は、ずっとかるちゃんがオレのライブでギターを弾いてくれていたのだ。へえ、かおるちゃんと 亜紀ちゃんに接点があったのか。
 しかも、おれたちが到着したときに、おこなわれていたセッションに飛び入り参加していたパーカッション奏者は、 オレが大阪吹田市に住んでいた頃にご近所さんだった山村誠一さん。で、ドラムはこの前セッションしたピカリちゃんやし、客席にはカフェフィッシュの北村君 がいてるし、いや~、大阪の夜やなあ。
 ライブの後は皆で飲む。大阪の古くからの知り合いがいて、そこに東京から来た亜紀ちゃんや歩ちゃんがいて、皆が繋がって行く感じがとてもいい。明日は早いのに、上機嫌で結構飲んでしまう。
★鈴木亜紀ちゃんとオレ。
★かおるちゃんとピカリちゃん。
 

2005年4月28日木曜日

4/28 (木)

 午前11時半渋谷のスタジオ入りしてPortFM「Artist Jam Monday」の収録。今日はヤンシーが収録初参加。今日の1曲目はクレイジー.ケン.バンドの「タイガー&ドラゴン」。この曲大好き。特集はキャロル. キング、ヤンシーのソロアルバム、ベン.フォールズ。 
 午後3時前には収録を終え、渋谷を出て小金井に向かう。この日は午後1時から小金井市公会堂で高田渡さんを「送る会」が行われていて、オレも粗主演者として参加させてもらうのだ。駅に着いたら、オーケンを発見。彼も参加したのかな。面識がないので声はかけなかった。
 会場に着いたのが午後5時頃。平日の午後にも関わらず会場には立ち見が出る程、たくさんの人達が集まった。ステージ正面にはオートハープを抱えながらタバコをくわえた渡さんの写真が飾られ、ステージ前方は、ファンの人達が手向けた花束と酒瓶で埋められていた。
  渡さんとゆかりのある人達と次々とステージに上がり、歌い、語ってゆく。自分が到着したときは、小室等さんが演奏しているところだった。それまでにも、俳 優の榎本明さんの挨拶にはじまり、南こうせつさん、鮎川誠さん、伊勢正三さん等、たくさんの人達が既にステージに登場していた。客席もステージも、やはり 渡さんと同世代か、近い世代の人達が多い。
  ホールコンサートに関わらず、売店ではアルコールが売られていて、飲みながら参加しているお客さんもかなり多かったようだ。会場全体がリラックスしていて、気取りのない実にいい雰囲気。
 オレの出番は6時過ぎ。渡さんの思い出を少し語らせてもらってから「ランブリンマン」を演奏。明るく弾けたナンバーで渡さんを送らせてもらう。自分の出番の後は、ビール片手に客席に座らせてもらう。
  井上陽水さんの存在感と声量、とエンケンさんの気迫には圧倒された。久し振りに見た斎藤哲夫さんもステキだった。このお別れ会を企画した一人、中川五郎さ んの語りにはじ~んときた。鶴瓶さんは、話を聴いていて、ほんまに渡さんが好きやったのが伝わってきた。最後は残っていた出演者がステージに上がって、渡 さんのレパートリーである「生活の柄」「自転車に乗って」「私の青空」を演奏。自分は、ステージに上がるのが何かおこがましいような気もして、客席にい た。
 とてもいい「お別れ会」だった。渡さんは本当にたくさんの人から愛されているんだなあと実感。愛されたのは、愛したからだと思う。皮肉屋で、寂しがりやで、優しくて、人間好きの人だった。
★舞台袖から撮影。

2005年4月26日火曜日

4/26 (火) 岐阜県関市 ガウチョ

朝は大阪でFMこころの番組に生出演してから、関市に向かう。
 今日のライブは関市で高橋商店という居酒屋を営むコーチャン&ヒロチャン夫妻の主催。二人との出会いは6年くらい前になるかな。
 飛騨高山のピッキンというお店でライブをやらせてもらったときに、二人がライブの後に話しかけてきて、もうすぐ地元の関市に戻って居酒屋を始めるというので、オープンの際には、関市でライブをやる約束をしたのだ。
 その約束を果たす事が出来たのが、3年位前かな。それ以来、毎年関市でライブをやらせてもらって、今回が4回目。
 リハの時にジュリーの「時の過ぎゆくままに」をさわりだけ歌ったら、コーチャンが反応していたので、本番でも演ることにする。ヒロチャンは「風のイメージ」が好きだというので、それもやることにする。「風のイメージ」は何気に評判。
 関市と言えば刃物の町。食いもんは鰻が有名ということで、リハの後、評判の鰻屋さんに連れて行ってもらい、鰻重の特上を頼む。外がカリっとした食感で、美味しかった。
 今夜のライブも多いに盛り上がる。客席にいるヒロチャンの嬉しそうな顔を発見して、オレも嬉しくなる。しかし、さすがに連日のライブ&キャンペーンと飲酒のため、ライブが終ったらどっと疲れが出て、楽屋でしばらく横になる。
 今夜の打ち上げは、高橋商店で、コーチャンが料理に腕を振るってくれる。店に入るとコーチャンがオレに「ここからが今日の僕の本番。リクオさんとの勝負ですよ」と言った。
 テーブルに次々と旨そうな料理が並んでゆく。お世辞抜きにどれも美味しかった。どの料理からも気合いが伝わった。特に「豚の角煮」と「あぶらそば」が印象に残った。
 リラックスしていたのと、疲れのせいで、酔いの回りがはやく、最後は体が横揺れしだし、ろれつも回りにくくなる。コーチャン&ヒロチャンが酔ったホテルまで見送ってくれる。
  コーチャン&ヒロチャン、ありがと。来年もよろしく。いつも楽しいことを考えよう。Keep on!!
★打ち上げの時に記念撮影。右の二人がコーチャン&ヒロチャン。

2005年4月25日月曜日

4/25 (月)

 クレフィンの新譜発売に向け、ラジオ出演、取材等、朝から大阪、滋賀で一日キャンペーン活動。
 午前中、大阪駅に向かうタクシーのラジオで、尼崎近くの宝塚線で脱線事故が起きた事を知る。どうやら大事故のよう。時間が経つに連れて、死傷者の数がどんどん増えて行く。
  今日もよく働いた。夜は、一日キャンペーンに付いてくれたjpsの森さん、氏家さん、サンクリの中原さんと飲む。中原さんとは色々あったけれど、また一緒 にやらせてもらうことになる。久し振りに酒を酌み交わすことができて嬉しかった。3人と別れた後、阿波座のマーサに行ってオーナーと店のスタッフ等と飲 む。
★FM802「フラワーアフタヌーン」のパーソナリティイー、加藤美樹ちゃんと2ショット。

2005年4月24日日曜日

4/24 (日) 「限定クレイジーフィンガーズ(リクオ&YANCY)LIVEセミナーinOSAKA~ALL88Keys Stage Piano Session Live@MIKKI GAKKI」

今日のイヴェントは三木楽器さんの主催。集まったお客さんの多くは、音楽教室に通ってキーボードを習う生徒さん。客席はやはりいつもより固い。そんな中、ヤンシーと二人で、ライブとピアノセミナーをやる。
  自分がセミナーをやるようになるとはなあ。似合わない気もするのだが、自分に与えられる役目というのは、年齢によっても変わってくるものなのだろう。まあ アカデミックなことや理論的なことはあまり語れないので、かた苦しくならず、なるべく素直に自分の思いを語るように心がける。
 「うまくなるこつ」を聞かれれば、「好きなものを見つけること」と答え、コピーの重要さを説くときは、「人間性のコピーも忘れないように」と伝える。最初にしては、結構うまくいった方かな。
★ライブセミナー中のヤンシーとオレ。

2005年4月23日土曜日

4/23 (土) リクオ&ヤンシー 京都 磔磔

この日も満席。最初から実にいい空気。
 名古屋の時よりもさらにヤンシーとの息が合う。ステージの流れもよかった。お客さんの乗りも理想的。
 中川君とのセッションは本当に楽しかった。彼の歌の力にぐいぐい引き込まれた。彼とのセッションで久し振りにアコーディオンをたくさん弾いて気持ちよかった。
 ヤンシーと会場に向かう車の中で話したときは、ドーナルさんが突然今日のライブに参加することに、少し神経質になっている様子だった。彼はドーナルさんのことを何も知らなかったのだから、それも仕方がない。でも音を交わせば問題は解決するに決まっていた。
  ドーナルさんはアイルランドの民族楽器ブズーキで参加。アイリッシュ.トラッド「ラブラン.ロード」、ヴァン.モリソンのカヴァー「クレイジーラブ」、ソ ウルフラワーの名曲「満月の夕」、オレのオリジナル「風のイメージ」、クレフィンの新譜に収録された「光」の計5曲に、ドーナルさんが参加してくれる。本 当にいいセッションになった。点と点がつながってゆくイメージ。いい出会いの場をつくることができたと思う。
 まず、お互いが心をオープンにすることが、よりよいグルーブを生み出して行くことを改めて実感。
 打ち上げでは、この日同じ京都でライブをやっていた浜崎貴司君とサンクリの中原さんが、途中から合流。かなり酔っぱらいの浜ちゃんだった。
★ライブの後に記念撮影。左から中川くん、磔磔のボス、水島さん、ドーナルさん、ヤンシー、オレ。
★ドーナルさんの娘のそらちゃん。
 

2005年4月21日木曜日

4/21 (木) リクオ&ヤンシー 名古屋 得三 ゲスト/松井宏(ブルースハープ)

 今日のゲストの松井さんとは学生時代からの音楽仲間で、昔はよく京都の磔磔や拾得で一緒にセッションしていた。デビュー当時のアルバムに参加してもらっ たこともある。彼は’80年代半ばから’90年代初頭にかけて、ドラム、ギター、ハープからなるダウンホームスペシャルというトリオバンドを組んで、京都 を拠点に活動していた。ブルースの再解釈の仕方は、今のジョンスペンサーとかGラブに共通するところもあり、ほんとユニークでかっこいいバンドだったの だ。当時、ウルフルズの松本君や、明後日のライブのゲストのソウルフラワーユニオンの中川くん等も、ダウンホームスペシャルからは相当に刺激を受けていた ようだ。今回は、得三のボス森田さんの提案で松井さんと久し振りにセッションさせてもらうことになった。多分10年ぶりぐらいの音合わせ。 
 松井さんは再婚して子供が生まれたばかり。久し振りにあった第一印象は、「変わらんなあ」。元気そうで嬉しかった。
  松井さんとのセッションは、リハでは手探りな感じだったけれど、本番では弾けた。10年の歳月が一瞬にしてうまった感じ。お互いの息づかいを感じとりながら、言葉以上の会話を交わす事ができた。
 ヤンシーと二人で演った「ソウル」はすごくよかった。高揚した。演奏していて、どこまでも上りつめてゆく感覚。
 お客さんが予想以上にたくさん来てくれて嬉しかった。
 オレと氏家さんは、また深酒。

2005年4月19日火曜日

4/19 (火)

 昼の12時から渋谷道玄坂のヤマハスタジオでヤンシーとリハ。
 午後7時からFM Port「アーティストジャムマンデー」の収録。今日はオレ以外クレフィンのメンバーは誰もスケジュールが押さえられず、独り喋りになる。いつになったらヤンシーと有太君はスタジオに来てくれるのか?
 この日の特集は高田渡さん。思い入れたっぷりに語らせてもらう。
 夜9時からは下北で打ち合わせを兼ねて飲む。
  伝わらないのは言葉が足りないのではなく、多過ぎるのかもしれない。この日は相手の話を聞くように心がける。でも、わかった風に偉そうに話されると、カチ ンときて、心が固くなってしまうのだ。かと言って、気を使われ過ぎて、回りくどい言い方ばかりされても、きっと寂しくなったり、いらいらしたりするんだろ うな。
 2件目はラカーニャへ。中川五郎さんがカウンターで一人で飲んでいたので、
連れ合いの席を離れ、五郎さんの隣の席に座らせてもらう。昨日吉祥寺の教会で行われた渡さんの送別ミサの話を聞かせてもらう。渡さんは亡くなる前にカソリックの洗礼を受けられたそうだ。ホーリーネームがパウロというのが、なんか笑えた。

2005年4月16日土曜日

4/16 (日) 高田渡さん追悼

大先輩のフォークシンガー、高田渡さんが入院先の釧路で亡くなられた。56歳。
 渡さんが北海道ツアー中に倒れて、入院したことは4月の始めにツアー先の帯広で聞いていた。心配はしたけれど、以前から入退院を繰り返していたので、しばらく療養したら、またステージに復帰するに違いないと勝手に思っていた。残念だ。
 渡さんとは色んな思い出がある。とにかく音楽と本人の間に距離のない人だった。
  渡さんのステージを始めて観たのは、大学2年生の頃だと思う。場所は京都の拾得。当時大阪で同居していた姉が、「高田渡という知り合いのミュージシャンが 京都に歌いに来るから一緒に観に行こう。」と言って誘ってくれたのだ。なんでも数年前、当時金沢に住んで大学に通っていた姉が、路上で渡さんに声をかけら れ、日中から一緒におでんを食べながら酒を飲んだのが出会いだったらしい。姉はそのとき、渡さんのことは全く知らず、後でミュージシャンだということを 知ったそうだ。
 拾得には開演よりもかなり早めについた。客席はまだまばら。渡さんは楽屋ではなく客席の奥にぽつんと一人で座っていた。仙人か、座敷童みたいだと思った。今考えれば当時の渡さんはまだ30代後半、今の自分より少し若かったはずなのだが、とても30代には見えなかった。
 渡さんは開演前から既に飲んでいて、何度かカウンターに行って、焼酎をおかわりされていた。オレは珍しいものを観るように、離れた席から渡さんを観察していた。客席の渡さんは、なんだか寂しそうに見えた。
  でも、ステージに上がった渡さんは、表情も生き生きとして、客席との会話をとても楽しんでいる様子だった。MCは落語の小咄を聞いているみたいに気が利い ていて、面白かった。ステージでも渡さんは相変わらず飲み続けていた。ぐいぐいではなく、ちょびちょびとひたすら飲み続ける感じ。
 ステージの途 中で一度、渡さんが曲間で目を閉じてうつむいた状態のまましばらくじっとしていたことがあった。酔った渡さんが時々ステージで寝てしまうという話は、後に 逸話としてよく聞くようになったけれど、あのときもやはり寝ていたのだろうか。そのときは計算された間のようにも思えたけれど。とにかくステージで酔っぱ らおうが、うとうとしようが、すべて芸にしてしまう人だった。
 始めて聴いた渡さんの演奏は、当時学生でブルースやフォークに詳しくなかった自分が聴いてもわかるぐらいに完成された職人芸だった。余計なものが一切省かれた、洗練と粋、そして素朴が同居する音楽だった。酔っても演奏はしっかりしていた。
  考えてみれば、メジャー資本には頼らない旅回りのシンガーソングライターに生で遭遇したのは、渡さんが始めてだったかもしれない。その後、西岡恭蔵さん、 友部正人さん、有山じゅんじさん等何人ものシンガーソングライターに出会い、それらの大先輩達から自分は多大な影響を受けた。
 ライブが終った 後、姉が自分を渡さんに紹介してくれた。それで、渡さんもこの日大阪泊りだということで、帰りを一緒させてもらうことになった。何を話したのかはほとんど 覚えていないけれど、渡さんは緊張気味のオレに、色々と話しかけてくれた。渡さんのそばには30代半ばと思われる女性が付き添っていたが、色っぽい関係に は見えなかった。
 大学を卒業して、自分がプロになってからは、渡さんと地方のライブ.イヴェントで一緒させてもらう機会がときどきあった。その ときに各地で、おじいちゃんの面倒をみる嫁か孫のような女性が、よく渡さんの側に付き添っていた。ある地方でのライブの打ち上げの後、泥酔して歩けなく なった渡さんを、お付きの女性二人が両脇に抱えて連れて帰って行くのを観たことがある。昔観た、発見された宇宙人(ということになっていた)が両脇を抱え られている写真みたいで、おかしかったなあ。
 そう言えば福岡のライブ.イヴェントで一緒させてもらったときの打ち上げの後、泥酔した渡さんを当 時のマネージャーと二人で、おぶって帰ったこともあったなあ。そうしたら次の日の朝早く、泊っていたホテルの部屋に渡さんから電話がかかってきた。第一声 が「ワタシ、昨日何かしましたかね?」だった。渡さんが自分の泊っている部屋に遊びに来いと言うので、まだ眠かったけれど、うかがわせてせてもらった。
  渡さんは朝からサントリーの角瓶をストレートでやっていて、上機嫌だった。大体、渡さんが話をして、自分が聞いていることが多かった。色んな話を聞かせて もらったけれど、奥さんとヨーロッパを旅した話が印象に残っている。オフステージでも、渡さんの話は面白かった。独りよがりではなく、相手が楽しめるよう にちゃんと筋立がされているのた。
 話しているうちにどんどん調子に乗ってきた渡さんは、ギターケースからギターを取り出して、オレにレッドベリーの奏法を教えてくれた。といってもオレはギターが弾けないから、説明されてもよくわからず、少し困りながら、渡さんの話にうなづき続けた。
  もう7、8年前になると思うが、下北沢のラ.カーニャで、渡さん、早川義夫さん、中川五郎さんと同席して、一緒に飲ませてもらったことがある。皆いい年の 親父なのに、旧友3人が揃うと、やんちゃ盛りの学生が集まって会話しているような感じで、微笑ましくもあり、羨ましくも思えた記憶がある。そのときに何か のきっかけで、女性にもてるとかもてないとかいうことが話題になった。早川さんが、「五郎ちゃんは、もてていいなあ」と本当にうらやましそうに何度も口に していたのが、おかしかった。オレは、姉が渡さんに路上で声をかけられた話を思い出して、その席で披露したら、早川さんも、五郎さんも「おっ、渡もやる じゃない」という話になった。しかし当の本人は「オレはそんなことはしない」といってむきになって否定するのだ。大先輩に向かって失礼かもしれないが、そ のむきになっている渡さんの様子がおかしくて、実にかわいらしかったのを覚えている。渡さんは下心の全然感じられない人だった。だから姉も安心して声をか けてきた渡さんについていったのだろう。渡さんも姉のことはよく覚えていて、印象に残っていたらしく、会う度に「姉ちゃんは元気か?」と聞かれた。
  イヴェントなどでご一緒させてもらうと渡さんは、オレの演奏を結構よく聴いてくれていて、演奏の後に、いつも少しにやにやしながら、わざわざオレに感想を 言いに来てくれた。褒められたことは、ほとんどなかった。「アンタ、相変わらず元気が良すぎるね。その指、何本が切ってやろうか」ってなことを言ってくる のだ。つまり、間を埋め過ぎる、ピアノの音数が多過ぎると言いたいのだ。そう言われると、次に渡さんと一緒させてもらうときは意識して、さらに元気よく弾 きまくり、歌いまくったりした。そうするとまた渡さんが、にやにやしながらオレのところにやってきて一言二言何か言い残してゆくのだ。渡さんとの一癖ある キャッチボールは楽しかった。本当に人とのコミュニケーションが好きな人だった。
 去年の8月、山形のイヴェントで渡さんとご一緒させてもらった ときのこと。ステージを終えて楽屋に戻って来たオレに渡さんが、またにやにやしながら話しかけて来た。「相変わらず元気だね。でもちょっと味が出てきた ね。」渡さんはそんな言葉をオレにかけてくれた。少し褒められた気がして嬉しかった。
 今から5、6年前かな。北海道の野外イヴェトで一緒させて もらったときの事。退院直後の渡さんは、めずらしく禁酒を続けていて、体調がよく、楽屋にいても、あっちこっちに話しかけ、ちょっかいを出したりして、 じっとしていられない感じで、まさに絶好調の様子だった。イヴェントが終って、会場で別れ際に、渡さんと何か言葉を交わした後に、握手をした。渡さんはい たずらっぽい顔をしながらオレの手を思いっきり握ってきて、なかなか離してくれなかった。握力が強くてびっくりした。そのときは「ああ、この人はなかなか 死なんな。結構長生きするんちゃうか。」と思ったのだが。
 ツアーをしていると各地で渡さんの話が持ち上がる。渡さんのネタになると皆実に楽しそ うに話しする。今月北海道ツアーをしていたときも、札幌で渡さんのCDを聴きながら、渡さんをネタに皆で飲んだばかりだった。ツアー中、移動の電車の中に ギターを置き忘れて来ただの、歌詞ノートを忘れて、ステージに少し上がっただけで帰ってしまっただの(どこまでが本当がわからないけれど)、本当に話題に 事欠かない人だった。自分の存在を徹底的にネタにしながら、日本中でたくさんの人の思い出をつくって来た渡さん。その後を、自分も追いかけているような気 がする。
 でも、やっぱりあんな風にはなられへんな。無理。自分は自分で素直に生きればいいのだ。あんな変な面白い人に会えてよかった、ラッキーだった。
 渡さんは自らの著書の中で、「『死ぬまで生きる』という、当然といえば当然の結論に至った」と述べている。その言葉通りの人生だったのだと思う。
 感謝。合掌。
★去年8月山形のイヴェントで一緒させてもらったときに撮影。

2005年4月14日木曜日

4/14 (木)

渋谷BYG
朝倉真司(per.)橋本歩(cello)共演/Kengo
 BYGは36年続くロック.カフェ。1、2階がカフェで地下が ライブハウスというつくり。カフェといっても、最近のカフェ.ブーム後のカフェの趣とは違い、どちらかというと昔のロック喫茶(といっても選曲はジャズ、 ブルース等も含まれていて幅広い)や音楽居酒屋の趣である。営業は深夜2時まで。ドリンク、フードともに充実していて、オレもビギンのメンバーにこのお店 を教えてもらって以来、渋谷に来る際には、時々飲みに来させてもらっていた。
 36年前のオープン当初は、ライブスポットとして、はっぴいえんど やエンケンさん頭脳警察等当時のロック、フォーク系のミュージシャンがライブをやっていたそうだが、数年後にはカフェ営業のみになり、ライブを再開しはじ めたのは、ここ数年のことだそうだ。出演者はお店のこだわりで決められたレギュラーメンバーだけ。ビギンから始まり、バンバンバザール、ブラック.ボト ム.ブラスバンド、風味堂など自分には馴染みのバンドばかりだ。オーナーの安本さんからは、ありがたいことに、この2年程ずっと出演のお誘いを受けていた のだが、やっとタイミングが合って、今月からBYGのレギュラーメンバーに加わらせてせてもらうことになった。
 今日はリハーサルに、知り合いの シンガーソングライター、ハシケンが遊びにきた。本番は観れないので、リハーサルだけ観て帰ると言う。ハシケンも近々、チェロとパーカッションとのトリオ 編成でのライブを考えているので、参考にしたいそう。ちなみに、朝ちゃんは、ハシケンのサポートもやっている。リハに顔を出しただけなのに、差し入れを 持ってくる気遣いがハシケンらしい。
 リハの時に、朝ちゃんと歩ちゃんに「今日は曲順をちゃんと決めてきたよ」と言ったら、二人から一斉に「お~!」と言われる。
 今日のライブは、「ブギ、ロックンロールのリズムは一切やらない」「定番の曲は極力避ける」という2点をテーマに選曲。これからBYGでは毎月やるので、選曲も含めて毎回色々と試してみようと思う。
  共演のKENGO君は、28歳のシンガーソングライター。とにかく声がいい。ギターもうまい。イケメンである。彼が1時間のステージを終えて、9時頃から オレのステージがスタート。オレと歩ちゃんは既にアルコールを注入済み。客席は満席。いい雰囲気。聴くときは集中して聴く、盛り上がるときは盛り上がるお 客さん。女性客が圧倒的に多かったが、一人40過ぎと思われるおっさんがいて、曲間でやたらと、つっこんでくる。この人、今ひとつ空気を読めていない感じ だったが、こういうおっさんとのやりとりも結構楽しかったりするのだ。
 ライブの後半ではBYGをイメージしたナンバー、「アンダーグラウンド」を披露。これ、BYGでライブやるときの定番になるかな。後で安本さんから、「曲を作ってくれてありがとう」とお礼を言われる。
 アンコールではKENGO君にも参加してもらって「光」をやる。KENGO君が加わって、とても若々しい演奏になった。
 3年前まで一緒にヘルツというバンドをやっていたドラマーの坂田学君と、ギタリストであり打楽器奏者でもある宮田まこと君がライブに遊びに来て、打ち上げにも参加。ポラリスをやめたばかりの学君は6月にソロライブをやるそうだ。
 学君は最近、飲酒に目覚め、随分と飲んでいるらしい(この日は車で来ていたので飲酒は控えていたけれど)。以前の学君はよく、酔っぱらったオレの様子を、覚めた目でみていたものだが、どうもこちらの仲間入りになってきたようで、少し嬉しい。
 来月のBYGは5/10(火)、風味堂とのジョイント。これも楽しみ。
★BYGの地下にあるライブ会場に続く螺旋階段。

2005年4月12日火曜日

4/12 (月)

 昨日のライブ会場だった「しゃべりたい」で昼食をとった後、しんやさんが車で女満別空港まで送ってくれる。
 常呂は今日も快晴。昨日よりだいぶ寒さがやわらぐ。時々車を止めて、景色を楽しみながら移動。高台からは雪化粧の知床半島がはっきりと見えた。絶景!雪の溶けた地面から、ふきのとうが方々で顔を出していた。まだ氷の残る能取湖では、白鳥達が羽を休めていた。
 夕方5時頃羽田着。東京は雨。やっと春らしい気候を味わえるかと思っていたら、寒いやん!桜の花もかなり散っていて、見頃は過ぎていた。
★「しゃべりたい」のマスター。
★遠方に見えるのが知床半島。

2005年4月11日月曜日

4/11 (月)

常呂町 しゃべりたい
 今回の北海道ツアーはあまり天候に恵まれなかったのだが、今日は快晴。
 日中、浜辺を散歩。オホーツク海沿いの常 呂町には、毎年流氷がやってくる。今年の流氷は3月半ば過ぎに、帰って行ったそう。浜辺の雪はほぼ溶けていた。たくさんの流木があった。オブジェになりそ うな芸術的な形をしたものもある。晴れていても、風は冷たく、相当に寒いので、あまり長くはいられなかった。
 同じ町で二日続けてライブをやるの はめずらしい。今日のライブ会場は海沿いにある30席もないぐらいの小さな喫茶店。昨日のお寺ライブとはまた違った、相当にくだけて、ワイルドなライブに なった。今日はオレも飲みながらやる。PAをやってくれた外村さんの中1の息子さんが、昨日に続き一番前の席に座っていた。今日は性愛をイメージさせるよ うな曲もレパートリーに入れていたのだが、彼はどんな気持ちで聴いていたのかな。
 ライブの後もお店に残ってそのまま打ち上がる。酔った浦西さん がみんなでリクオの曲を歌おうと言い出したので、その場にいた人達がライブ.パンフレットに掲載された歌詞を見ながら「ソウル」と「ケサラ」の合唱を始め る。こんなときオレはどうしたらええねん。一緒に歌うのもなあ。ちょっと恥ずかしかった。
★浜辺にて。

 


★しゃべりたい外観。

2005年4月10日日曜日

4/10 (日)

常呂町 常楽寺
 JRで旭川から遠軽へ。ひたすら雪景色。今日のライブの主催者である浦西さんが遠軽駅まで迎えに来てくれて、車で常呂町に向かう。
 常呂町は道東のオホーツク海沿いにある小さな町。来年は北見市と合併されるそう。縁があって、3年前から大体年に一度ライブを企画してもらっている。
 今日のライブ会場はお寺。寺院でのライブって地方だと意外に多い。
  午後4時頃会場入り。しんやさん、金沢さん、外村さんらと1年振りの再会。住職の松平ひとしさんんとは初対面。年は自分と同じくらいか、少し年上に見え た。聖職者然としたところがなく、気さくで、くだけた感じの人。 会場入りしてまず目に入ったのが、ステージのアプライトピアノの横に設置されたでっかい テレビモニター。ピアノの上からビデオカメラでオレの正面顔を撮影して、モニターに映し出そうそうというのだ。生ピアノをひく場合、セッティング上、客席 からはオレの横顔か背中しか見えないので、このモニターで表情をフォローしようというわけだ。ひたすら自分の表情がどアップで映り続けるので、ちと恥ずか し気もしたが、面白いアイデアだ。
 7時開演。用意されたシートはほぼすべて埋まっていた。とにかく音がよかった。やわらかい響きで、心身にしみ こんでゆく感じ。すごく演奏に集中できた。客席の反応もよかった。「雨上がり」や「ケサラ」「ソウル」といった曲だと、イントロが始まったり、一番を歌い 終えると拍手が起こった。素朴でとても素直なリアクションが新鮮だった。
 打ち上げの料理は、毛ガニ、ホタテ、刺身の盛り合わせ等、新鮮な海の幸づくし。すごい贅沢。おいしかったあ。
★ステージのピアノとテレビモニター。
★打ち上げに出た毛ガニ。
 

2005年4月9日土曜日

4/09 (土)

旭川 アーリータイムズ
 札幌から旭川に向かう汽車(北海道の人はJRのことを汽車と呼ぶ)の窓から見えるのは、ひたすら雪景色。東京では桜が満開だというのに。日本は広い。
  旭川は札幌よりさらに冷えた。ホテルに入ってチェックインした後、まだ時間があるので最上階の大浴場でゆっくり湯につかる。部屋に戻って、少しベッドに横 になりながら、そろそろ入りの時間だなあと思っているうちにうとうとと寝てしまう。気付けば夕方6時前。入り時間は4時半なのに。やってしもた。大急ぎで 出発の準備をして、店に向かう。
 アーリータイムズでのライブは約2年振り。前回よりもかなりお客さんが集まってくれた。今夜は丁寧に歌い、演奏する。いい流れでライブができた。やったらできるやん!って感じ。遅刻するまでホテルで寝ていたのが、かえってよかったのかも。いや、でも遅刻はあかんよ。
 打ち上げはアーリータイムズで鍋料理。毛ガニ、鳥、鮭、たらとメイン級の具がいっぱい。マスターの野澤さんが今日もライブをとても喜んでくれたのが嬉しかったな。
★旭川に向かう汽車で撮影。
★アーリータイムズの2階の屋根裏にある楽屋で撮影。
 

2005年4月8日金曜日

4/08 (金)

札幌 くう
 札幌市街にはまだ雪が残っていた。4月のこの時期に、これほど雪が残っているのは札幌でもめずらしいそう。それにしても寒い。日中から粉雪が降り出す。
 「くう」でのライブは2度目。ピアノもいいし、部屋なりもいいし、レトロで洒落た店の雰囲気もいい。今回も三角山放送局の主催。半年振りに会った三角山の杉澤氏はかなりやせていた。
 今夜のライブはR指定って感じ。ラブソングを中心に演る。新曲「I Want You」を始めて一人で演る。この曲を演奏しているときに、チェロを抱えた歩ちゃんが、店に入ってくるのが目に入る。
 歩ちゃんはたまたま別の仕事で札幌入りしていたのだ。
 アンコールでは歩ちゃんが飛び入りしてもらい、「夢のような日々」「グレイハウンドバス」「ソウル」の3曲を一緒にやる。お客さんがとても喜んでくれた。
 後でお客さんが書いてくれたアンケートを読んでたら、「青年のエロからオヤジのエロに成長した感じ。ニコラス.ケージみたいな。」という感想があった。う~ん、ニコラス.ケージか。確かにあいつはエロいなあ。
 13年前にオレの北海道ツアーを企画してくれた沼山さんが観に来てくれて、本当に久し振りに再会。お元気そう。もう60歳だというのに本当に若々しい。
 体調はもう大丈夫。
★三角山放送局の杉澤さん。
★リハ前に撮影。
 

2005年4月6日水曜日

4/05 (火)

 東京は随分と春らしい気候になってきた。今日から1週間北海道。東京に戻る頃には桜の見頃は終っているだろう。
 午後1時45分羽田発の便で北海道帯広へ。着陸直前、機内から下界を眺めると、そこはまだ白銀の世界。
 帯広空港で失敗をやらかす。空港に着いて、携帯で話をしている間に、市街地へ向かう空港バスが出て行ってしまったのだ。次のバスは3時間半後。仕方がないので、タクシーでホテルまで行く。
 熱は下がったのだが体調はまだ万全ではない。とにかく体に力が入らないのだ。チエックインして風呂に入った後、9時頃には早々に寝てしまう。
 しかし夜中に目が覚めて、それから朝まで眠れなくなる。テレビで大リーグのヤンキースの試合を観る。ゴジラ松井がホームランを含む3安打の大活躍。松井には品格がある。
★帯広市街に向かうタクシーの中から撮影。

4/06 (水)

帯広 ふた葉亭
 日中は帯広市街を散歩。昨日とは打って変わり、晴れ間も見え、拍子抜けするくらいに暖かい。人通りは少ない。蕎麦屋がよく目につ く。蕎麦はやせた土地でも育ちやすく、北海道ではさかんに栽培されているそう。新得の蕎麦が有名みたいだ。あと帯広は豚丼が名物。豚丼&蕎麦セットってい メューもよく見かけた。厚着していたので、しばらく歩いたら汗がにじみでてきた。
 ふた葉亭でのライブは去年の10月以来2度目。リピーターのお客さんも多かったようで、最初から歓迎ムード。よく盛り上がった。オレはまだ体力が戻らず、ユンケルを飲んで、ライブに望むも、両手に力が入らない状態。声も本調子ではなかったが、精一杯やる。
 今日は原田真二の「キャンディー」をライブで演ってみる。結構、いけるかも。
 打ち上げの最後はマスターのゲンタロウさん、奥さんのますみさんと3人で飲む。

2005年4月4日月曜日

4/04 (月)

 午前中に病院へ。風邪で胃腸がだいぶやられているとのこと。
 夕方から熱もさがり随分と楽になったので、夜中までつめて仕事する。しかし、体に力が入らない。夜中、風呂から出て体重を計ったら、一月前から約3キロ減。脇腹のあたりがすっきりした。
 明日から北海道ツアー。大丈夫か、オレ。

2005年4月3日日曜日

4/03 (日)

またも寝込んでしまう。情けない。夜中に激しく吐く。

2005年4月2日土曜日

4/02 (土)

 東京で桜の開花宣言があったらしい。しかし、近所の桜はまだ1分咲きといったところ。
 日中はずっと譜面書き。昨日から咳き込んで、少し熱っぽい。
 夜は三茶で、パーカッションの朝ちゃん、チェロの歩ちゃんと14日のBYGライブに備えてのリハーサル。新しいレパートリーを数曲試してみる。

2005年4月1日金曜日

4/01 (金)

 日中は下北で打ち合わせ。
 夜は下北沢タウンホールで弱冠15歳、盲目のシンガー&ピアニスト、木下航志君のコンサートを観る。今日のライブにはキョンさんがキーボード奏者として参加しているのだ。
  木下君はライブでレイ.チャールズやスティービー.ワンダーのカヴァーソングを取り上げていて、二人からの強い影響を感じた。まだまだこれからたくさんの ことを吸収してゆくのだろうけれど、既に自分のグルーヴというものを掴んでいる感じ。落ち着いていて、ユーモアもあり、15歳という年齢にかかわらず精神 的にはかなり成熟しているように見えた。
 キョンさんのサポートは万全であった。