「生命は複合体であり、全体性の中にしか宿らない」という言葉について、ChatGPTと話し合った。
《生命=さまざまな要素が関係し合い、循環し、全体として動いている状態。〜
一つ一つの音符やコードだけを調べても、その場で演奏者や聴衆との間に生まれている音楽そのものは説明しきれません。〜
生命とは「もの」ではなく、「関係が動き続けている全体」なのではないか。》
このAIからの返事に対して、こう答えた。
「つまり、多種とのアンサンブルによって成り立っていると考えればいいですか?」
するとAIはこう返した。
《はい、とても近い捉え方だと思います。
ただ、「多種とのアンサンブル」より少し広く、「多様なものとの相互作用によるアンサンブル」と考えると、さらにこの言葉の意味に近づきます。〜》
その後、会話は「ナショナリズムと民族主義の違い」に発展していき、「多様、雑多な世界でアンサンブルが成り立つことが、人類存続の鍵」という観点から、物語や神話に依存する過度なナショナリズムの危うさについて考えていった。
《問題は、「神話を事実だと思わせる」ことであり、検証可能な歴史的事実と区別できなくなって、神話が接着剤から排除の装置へ変わってしまうこと。
国家もまた、単一の本質によって成立するものではなく、多様な人々の関係によって成立している。》
このChatGPTの答えは、基本的には、こちらの考えをうまくまとめたものとも言える。
AIは、自分を映す「鏡」のような存在なのだと思う。けれど、その鏡は、ときに自分では見落としていた輪郭を見せてくれる。
今回も、最初は「生命」という言葉について話していた流れから、「アンサンブル」という言葉を手がかりに、国家やナショナリズム、民主主義、そして人類の持続可能性について考えるところまで話が広がっていった。
AIとの対話を、答えを効率よく得るためだけのものには使いたくない。
忘れていたものを思い出したり、考えが思わぬ方向へ寄り道したり、自分の中にまだうまく言葉にできていなかったものを見つけたりする。
そんなふうに、思いがけない何かに出会う「寄り道」の場にもなり得るんじゃないかと考えている。
ー 2026年8月25日(火)