2008年9月27日土曜日

江ノ島共鳴

第3回 海さくらコンサート2008
【場所】江の島展望灯台サンセットテラス(野外)
【出演者】古謝美佐子・リクオ・Half Moon・山口洋・Leyona・イノトモ
  「海さくら」は、“江ノ島の海をきれいにして次世代に残してゆこう”という趣旨で活動している団体。この「海さくらコンサート」は年に1度企画され、今年 で3回目の開催にになる。自分は1度目の開催から出演者としてだけでなく、ブッキングの手伝いやステージ構成など企画の進行にも関わらせてもらっている。 海さくらとの関わりが、自分が湘南への引っ越しを考える大きなきっかけになった。今回は地元ミュージシャンとしての参加である。自宅からチャリンコで江ノ 島まで行く。

 海に囲まれた展望台のテラスがこの日のイベント会場。お客さんはウッドテラスに御座をしき座りながらライブを楽しむスタイル。
 空を舞うトビを眺めながら、その鳴き声を聴きながらの演奏なんて、このイベント以外ではなかなか考えられない。いつもよりずっと遠くまで声が響き渡るような感覚。

 自分の出番は最後で、最終的には出演者全員とセッションした。
この場では皆、余計な力が抜けてしまうようだ。相手の呼吸を感じ、空気の震えを感じ、空の広さ、海の広さを感じ、自然と、人と、見えない何かと響き合う。とても幸せな時間だった。

 始めて生で体験した古謝さんの歌声は衝撃だった。天と響き合う声だと思った。すごい共鳴力。古謝さんは沖縄の海と空を眺め、ずっと遠い何かとの繋がりを身近に感じながら歌い、そして祈り続けてこられたのだろう。
  古謝さんの表現には、沖縄民謡という枠にはおさまりきれないオリジナリティーを感じた。三線のリズムも、自分が今まで聴いたことのある乗りとは違ってい た。一緒に演奏させてもらって、洋楽育ちの自分でも違和感なく乗りが合うのだ。古謝さんの三線はまるでブギウギのリズムのようにはねていた。そのはね具合 に漲る生命力を感じて、自分の心と体も踊り出す感じがした。
 古謝さんのステージ後半で、神秘的な光景を目の当たりにした。反戦の思いを込めた 「黒い雨」という曲を古謝さん歌いはじめた時に、どこからかたくさんのトビが集まってきて、古謝さんの頭上高くを舞い始めたのだ。おそらくその場にいた誰 もが、この光景を偶然の出来事とは思えなかったはずだ。

 やはり音楽は“共鳴”である。そのことを強く実感させられるイベントだった。

 こういう場を与えてもらえたことに感謝。

2008年9月26日金曜日

3世代共演

この日は、レヨナ、ドラマーの上原ユカリさんと一緒に藤沢のスタジオで明日行われる「海さくらコンサート2008」のためのリハーサルをする。
 ユカリさんは、'70年代の村八分やシュガー.ベイブなどの活動を経て、'80年代は売れっ子セッションマンとして活躍、近年では清志郎さんとのラフィー.タフィーやトータス松本君のソロ活動のサポートなどが記憶に新しい、言わば伝説のドラマーである。
  なぜ自分がユカリさんとつながったかと言うと、4月に自分が湘南に越して来たら、たまたますぐ近くの海沿いにユカリさんが住んでいたのだ。それでこちらか らユカリさんに連絡させてもらって、明日のイベントでの共演を申し込んだ。海さくらコンサートは基本的にアコースティックライブなので、今回はパーカッ ション奏者として参加してもらうことにした。
 そして、この素敵な出会いを独り占めするのはもったいないので、明日の出演者の1人であるレヨナにもユカリさんとのセッションを提案して、3世代にまたがる共演を実現させることにしたのだ。
 リハーサルの後はユカリさん、レヨナ等と近くの居酒屋へ。ユカリさんと酒を酌み交わすのは始めて。
  村八分時代のこと、大滝詠一さんのこと、福生時代の暮らし、ここでは書けないやばい話etc、ユカリさんの話を聞いていていると、ロック少年に戻ったよう な気分になって、わくわくした。レヨナも表情を生き生きさせながら、実に興味深そうにユカリさんの話を聞いていた。自分やレヨナにとって、ユカリさんは貴 重な語り部でもある。たくさんの話を聞かせてもらったけれど、まだまだ聞き足りない気がしたなあ。

2008年9月24日水曜日

リアル

水戸市 ガールトーク
 水戸を訪れるのも随分と久し振り。ガールトークは4年振りくらいかな。

 ライブ前に空席だらけの会場を見渡してがっかりした。しかし、こういう時のライブって、すごく大事なのだ。気分を切りかえ、決意を持ってピアノの前に座った。
 与えられた状況を受け入れて演奏することができたと思う。記憶に残る夜になった。だからライブは面白い。

 ライブ後半でお客さんからリクエストがあった。瞬間、その曲を歌ってみようかと思ったのだが、いかんせん14、5年くらい前に作ったナンバーで、随分と長い間歌っていなかったから歌詞もところどころ忘れてしまっていた。さて、どうしようか。
  たまたま、その曲が先月発売されたばかりのベスト盤に入っていて、この日の物販で売られていたので、リクエストしてくれたお客さんに「あなたがそのCDを 今購入してパッケージの封を開け、歌詞カードを取り出してオレに見せてくれたら演奏する」旨を伝える。お客さんはこちらの提案に同意してくれた。
 
 誰に頼まれたわけでもなく今日もメロディー口ずさむ
 東へ西へとかけずり回り余計なまねを繰り返す

 こんな歌い出しの曲である。なんだか切な過ぎて長年歌うのを避けてきたのだが、この時は歌うに充分な必然性があるように感じた。

  この日自分とお客さんの間に何か特別な絆が生まれたように感じていたので、ライブ後に自分から客席に出向き、残っていたお客さんに挨拶をした。その中に、 自分が水戸に来たときには毎回観に来てくれているという夫婦と思われるカップルがいた。2人と話していると清志郎さんと共作した「胸が痛いよ」という曲が 好きだという。別にリクエストされたわけでもないのだが、もう一度ピアノの前に戻ってその曲を歌わせてもらった。もちろん、こういうことは普段はやらな い。アルコールが回り過ぎたせいもあったのだろうけれど、自分にとってはそれくらい特別な夜だったのだ。

 お客さんはライブが終わっても 余韻を楽しんでくれているようで、皆なかなか帰ろうとしなかったので、自分の方がお客さんよりも先に会場を後にした。お店には裏口がないので、客席を通っ て店を出た。その際、残っていたお客さんが皆、拍手でオレを送り出してくれた。少し、恥ずかしかった。

 自分には地位も名誉もない。けれど、だからこそ、リアルな瞬間を積み重ねることが自分のすべてであり、誇りである。

2008年9月23日火曜日

打ち上げでシンポジウム

石巻 ラ・ストラーダ
 日中は前日のライブ会場であるカフェ.ミルトンでゆっくりとティータイムを過ごさせてもらう。美味しいコーヒーをいただきながら、いい音楽とザックバランな会話を楽しむ。
 ミルトンのライブを仙台から観に来てくれたテリーが、車でこの日のツアー先の石巻まで車で送ってくれる。石巻を訪れるのは3、4年振り。
 昔からの建物が多く残る風情のある港街なのだが、市街は随分と活気を失っていた。とにかくシャッターを降ろした店が多く、人通りが少ない。聞けば、やはり郊外に大きなショッピングモールができて、そちらに人が流れて行ってしまったというパターン。
 しかし石巻には今も音楽を愛する人達がたくさんいて、いくつかのお店でしょっちゅうライブが企画されている。この日は湯川トーベンさん(最近では湯川潮音ちゃんのお父さんと言った方が通りがいいかも)がすぐ近くのお店でライブをやっていた。
 ライブの後の打ち上げは、マスターの相澤さんテリーとオレの3人で、街の活性化を話し合うシンポジウムのような様相を呈した。

2008年9月22日月曜日

一隅を照らす

白石市八幡町 カフェミルトン
 白石に入る前に相馬に寄って、森田レコードの森田さんと落ち合う。まずは知り合いのイタリアンレストランでランチ。その後、相馬市内にある露天付き温泉で、湯につかりながら森田さんとゆっくり語り合い、余裕を持って白石に向かう。

 ミルトンは今年の3月山口洋と一緒に訪れたのが最初。ママとマスターと知り合ってまだ1年も経っていないのに、もう長い付き合いのような感じ。
 ミルトンは自分にとって“襟を開きつつ、襟を正す場所”という感じ。すごく居心地がよくってリラックスできる場所であると同時に、ライブ中は表現者にとって必要な緊張感と集中力を与えてくれる空間でもあるのだ。
 この場所には不純なものがない。ミルトンでは開店から10数年の間ひたすら、音楽文化と人の繋がりを愛し、守り、拡げてゆくという美しい試みが続けられてきたのだろう。その積み重ねがこの日の理想的な共鳴空間に繋がったに違いない。
 こういう場で演奏できることは幸せだ。
 日本各地にこういう素晴らしい場所が点在している。音楽を愛する多くの人達が、それぞれの辺境の地で「一隅を照らす」試みを続けていることを、自分はツアー暮らしの中で知ることができた。そういった人達がゆるやかに連帯できればと思う。
  11月には沖縄那覇で「カフェミルトンへのサウダージオキナワ2008」というライブ.イベントが行われ、自分や山口、下地勇君らウチナンチュウ、ヤマト ンチュウ入り交じった歌唄いが出演する。この日は日本各地から、音楽と人を愛するバカ者達が大勢集まることになるだろう。
 点と点は繋がり始めている。

2008年9月21日日曜日

再びツアー暮らし

福島県いわき市 SHNATI HOUSE
 上野駅からJR常磐線に1人揺られ、いわきへ向かう。車窓の景色を眺めながら「またいつものツアー暮らしが始まったなあ」との思い。

 いわき駅は改装中で、駅前には大きな百貨店が出来ていた。街の景色が随分と変わった印象。どの街の駅前も風景が似通ってくる。

 この日のライブ会場のSHNATI HOUSEはいわゆるジャズ喫茶。いつもいわき市で演奏させてもらうライブハウス、SONICのスタッフが場所を変えてライブを企画してくれたのだ。
 いかにも頑固そうなマスターが、ライブの途中からカウンターの中で体を揺らしてくれていたのが嬉しかった。
 SHNATI HOUSEのピアノにはとにかく乗せられた。鳴りがよくって、導かれるように気持ちよく演奏できた。また弾かせてほしいなあ。

2008年9月16日火曜日

ある歌について

大阪 martha(dinning cafe+goods)
リクオの誕生日プレ.パーティーat cafe martha
 44歳の誕生日を前日に控えてのライブである。
 いくつになっても祝ってくれる人がいるというのは嬉しいもんである。
 ある意味で、先週の発売記念ライブとは対照的な内容。スタンディングではなくテーブル席。バンドではなくソロ。選曲はその場の気分。
 マーサは自分のホームのような場所である。マスターの片平とは学生時代に一緒にロックバンドをやっていた仲で、昨日そのバンドのメンバーが集合して、20年振りくらいに音を交わし合った。

 ライブはアットホームな雰囲気で進んだ。けれどそういうなかでもある種の緊張感と刺激は必要だ。2部の途中からしばらくは極力MCをはさまず、ひたすら演奏だけに集中した。
 その中で「機関車」という小坂忠さんの作品を歌った。この曲を歌う時はいつも他の曲にはないような特別な緊張感をともなう。この歌のサビの歌詞は強烈だ。
 
 目がつぶれ 耳も聴こえなくなって
 それに手までしばられても

こ のフレーズが何度も繰り返されるのだ。ライブの後のオフィシャルサイトのBBSにも書き込みがあったけれど、この歌詞を歌う自分に対して、違和感を持った りショックを受けて、異議を唱える人がいることは自分も知っている。そのようなことを直接言われたこともある。だから「機関車」を歌うことに躊躇するよう な気持ちになることもある。
 この日は客席に、ジョニーという20代前半の若いピアノマンがライブを観に来てくれていた。ジェリー.リー.ルイス やレイ.チャールズを彷佛とさせるピアノを弾く男である。滋賀在住なのだが、東京と関西のオレのライブにはしょっちゅう足を運んでくれる。時には打ち上げ にも参加して、一緒にセッションしたりすることもある。彼は幼少の頃に視力を失っている。
 この日もジョニーは途中から打ち上げに合流して、飲んだくれていた。ジョニーが「機関車」をどんな気持ちで聴いていたのか、確かめることはしなかった。もし彼の心を深く傷つけていたのだとしたら、自分はこの日「機関車」を歌わないほうがよかったんではないかとも思う。
 できれば傷つけたくも傷つけられたくもないけれど、あらゆる表現が人を傷つける可能性を持っていることも確かだ。
 なぜ自分は「機関車」を歌うのか。問いかけは続いている。 

2008年9月15日月曜日

Little T&A再び

 大学生の頃、同世代の音楽仲間達とLittleT&Aというロックバンドをやっていた。活動を始めた86年当時の自分は、まだ本格的に歌い始め る前で、キーボード奏者としての参加だった。京都の拾得や磔磔、今はなき大阪のバーボンハウスなんかで定期的にライブを行い、かなり勢力的に活動していた のだが、大学卒業後にバンドは解散、それぞれのメンバーが別々の道を歩むことになった。メンバーの中で音楽を生業にしたのは自分だけだった。
  数ヶ月前にT&Aのヴォーカルとギター、作詞作曲担当だった外村から自宅に封筒が届いた。その中には当時のバンドの音源をまとめたCDRが3枚 入っていた。その後しばらくしてドラムの片平から連絡があって、“外村からT&Aの一夜限りの復活祭をやりたいとの連絡があり、自分がそのまとめ 役をする”とのこと。片平がまとめ役をするなど、学生時代には考えられなかったこと。人は変わるもんである。
 10年前にこの話を持ちかけられた ら、OKしたかどうかわからない。もしかしたら頑なプライドが邪魔をしたかもしれない。卒業後メンバーそれぞれが、自身のなかに割り切れない思いを抱き続 け、他のメンバー対しても一言ではとても言い切れない複雑な思いを持ち続けていたに違いないのだから、再び皆が集まって音を交わし合うのには、やはり長い 時間が必要だった。
 この日久し振りにT&Aのメンバーが大阪に集合して、恐らく20年振りくらいに一緒にスタジオ入りし、音を交わした。
 少しの気恥ずかしさは感じつつも、たいした違和感もなくセッションが始まり、その後は20年の歳月がみるみるうちに埋まってゆくような気がした。それぞれがしっかりと準備をしてきたようで、20曲近い楽曲をメンバー全員がほとんど覚えていた。
 演奏していて楽しくてしっくりきた。この乗り、やはり自分の育った場所である。
  メンバーの中で音楽を生業にしたのは自分だけだけれど、音楽との関係を断ったメンバーは1人もいなかった。この20年の間で誰も楽器を手放さなかった。そ れぞれが、さまざまな葛藤を経ながら、それぞれのやりかたで音楽との付き合いを続けてきたのだ。だからこそ、一夜で20年の歳月を埋めるようなセッション が可能だったのだと思う。
 時を経て、お互い性格が以前程ややこしくなくなった。前よりも素直になって、互いに気遣いができるようになった気がする。20年前には出せなかった楽器の鳴りや乗りが出せるようにもなった。もちろん、20年の間になくしたものもあるだろう。
 自分はこうやって久し振りに皆と音を通じて会話できたことが、ただただ嬉しかった。リハーサルの後、深夜までメンバーと飲んで、語り合った。
 
 Little T&Aの一夜限りの復活ライブは10/23(木)京都 拾得です。

2008年9月11日木曜日

その先へ

アルバム発売記念 スペシャル・ライブ
セツナグルーブ2008ツアー「What's Love?」
東京・渋谷O-WEST
【ゲスト】CRAZY FINGERS(リクオ/Dr.kyOn/YANCY)
【サポートミュージシャン】ベース:寺岡信芳/ドラム:坂田学/パーカッション:朝倉真司/チェロ:笠原あやの/ヴァイオリン:阿部美緒
 
 この日のライブを“楽しかったあ”の一言で表現するのは、ちょっと違うというか、もったいない気がする。それくらい受け取ったもの、感じとったものが多かったから。
 クレフィンでは多いにパフォーマンスを楽しんで、その後のバンドメンバーとのライブでは、歌の世界に集中した。このコントラストを意識できたことがよかったように思う。
 インスパイアされると新しい景色が見えてくるから、そこにたどり着こうとする。けれど、その場所に近づいたと思うと、さらにその先が見えてくるような感じ。この日のステージで、自分は何かを乗り越えようとトライし続けていたような感じ。
 お客さんがたくさん集まってくれて嬉しかったし、ライブも盛り上がって充実感があったけれど、そういうありがたい状況の中で、だからこそ、自分は先の景色を見ることができたのだがら、やはりそこを目指さなあかんなと。ええ音楽やっていこ。

  この日は開演前の時間に急遽ハシケンがステージに登場して1曲歌う。数日前にハシケンから、11日のライブで歌わせてほしいとの電話があった。普通こうい う頼みごとは知り合いでもなかなかできないもんである。ハシケンの決意のようなものを感じたので快く了承させてもらった。ハシケンは限られた時間の中で自 分をしっかりアピールして、次につながるように会場をほぐして、いいバトンを渡してくれた。 
 
 クレフィンのライブは今年始めて。このメンバーでしか出せない高揚感があることをあらためて実感。

  自分は音楽に関しても人生に関しても相変わらず贅沢もんである。クレフィンも面白いし、今のバンドスタイルも続けたいし、弾き語りは自分の基本だし、山口 とやるのもアコパルでやるのも刺激になるし、若い才能の生き血も吸い続けたいし、もっと曲を書きたいし、いろんな人に出会いたいし。
 このまま広がり続けるのかな?
 多分それは無理なんだと思う。またどこかで転機がくるのかな。それとも自然に変わってゆくかな。まあ、今しかできんことをやろう。

  2度目のアンコールで最後の曲が終わった時に、キョンさんやヤンシー、ハシケン達がステージに登場。キョンさんがオレにピアノ椅子から離れるように促すの で、何が始まるのかと思ったら、キョンさんがハッピーバースデーを弾き始めて、ローディーのSくんがバースデーケーキを持ってステージに登場してきた。来 週17日が自分の誕生日なんである。思いがけないサプライズ演出。感激しました。ありがとう。

 感謝。

2008年9月10日水曜日

本日も夕陽を拝む

最近、ぽつぽつと新曲が出来始めている。
 しばらく作っていないと、曲作りのやり方を忘れてしまったような気分になる。
 曲ができるときは、まず予感がある。出来そうな気がする。それでフレーズが降りてきて、点と点が繋がって形になってゆく感じ。曲が完成するとすっきりとした気分になる。精神衛生上とてもよい。

 本日も夕暮れ時に湘南海岸を散歩して夕陽を拝む。大切な時間だ。
 自然の力をもらって明日の発売記念ライブに備える。

2008年9月9日火曜日

富士に沈む夕陽

 湘南に引っ越してから、夕暮れ時に浜辺をよく散歩するようになった。海岸沿いの遊歩道や芝生に腰を降ろして、夕陽が沈むのを眺めながら静かな時間を過ごすのが心地よい。
 この日の湘南は日中よく晴れて、空気が乾燥したお陰で、空が澄んでいた。絶好の散歩日和。夕方、チャリンコに乗って、すぐ近くの湘南海岸へ向かう。
 ツアー中も各地で美しい夕陽を眺めてきたけれど、この日見た夕陽は格別であった。夏の間は晴れていても、ぼやけてよく見えなかった富士山の輪郭が、陽が沈む頃にはっきりとあらわれ、その富士の丁度頂の方へ夕陽が沈んでいった。
 陽が沈んだ後の富士山はその色気のあるラインをより明確にあわらし、それは水墨画を見ているような美しさだった。空はどんどん茜色に染まっていった。
 しばらく見とれ続けた。

2008年9月5日金曜日

大阪シャングリラにて

アルバム発売記念 スペシャル・ライブ
セツナグルーブ2008ツアー「What's Love?」
大阪 Shangri-La(シャングリラ)
【サポートミュージシャン】ベース:寺岡信芳/ドラム:坂田学/パーカッション:朝倉真司/チェロ:笠原あやの/ヴァイオリン:阿部美緒
 ありがとう大阪。集まってくれた皆さんのオープンマインドに心から感謝。
 素晴らしいバンドグルーヴ。そんで、シャングリラのミラーボル回りまくり。そら調子乗るわ。
 満員のお客さん全員の笑顔を受け取りました。
 発売記念ツアーも残すところあと1回(2回しかないけど)。もっとやりたいなあ。
 さあ東京!!。クレフィンも久し振り~。

2008年9月3日水曜日

ロックミュージックとクラブミュージック

5日大阪でのアルバム発売記念ライブを直前に控えてのリハーサル。バンドメンバーだけでなく、照明、PA、映像スタッフが揃っての通しリハ。
 いい流れ、いい乗り。まさにセツナグルーヴィー。今回のライブで、離ればなれになりがちだった自分のいくつかの要素を、いい形で引き合わせることが出来そうだ。

  自分のライブの進め方、流れの作り方というのは、クラブDJからの影響が強い。寺さん、学くんとヘルツをやっていた頃は、クラブに遊びに行ったり、クラブ イベントに出演する機会が多くて、そういう現場でDJ達が曲のつなぎの工夫とセンスによってグルーヴを操り、フロアを盛り上げる様に、刺激を受けていたの だ。今回のステージは、そういうDJ 的アプローチの要素が近年になく強くなりそう。

 自分がクラブカルチャーによく触れていた時に感じ た違和感は、その音楽、表現の匿名性が高すぎるという点だった。お皿を回している人、演奏している人達の顔が見えにくいのだ。しかし、そこにステージ側の 人間とフロア、客席側の人間との新しい関係性を前向きに感じていた部分もあった。ロックスターとファンという関係よりも隔たりがなく、自由に思えたのだの だ。実際に自分がフロアでグルーヴに身を委ねていると、我を忘れてバカになって、ただただ気持ちよくなることに集中できるのがとても幸せで、快感だった。
  それまで自分がこだわっていたロックミュージックは、こだわればこだわる程に理屈っぽくなっていって、肉体性から遠ざかってゆくようなところがあった。た だただ快楽に素直なクラブミュージックは、自分にある種の初期衝動を思い出させ、洗練と肉体性を両立させる表現が可能であることを教えてくれたように思 う。
 しかし、良質なロックミュージックに含まれている“ひっかかり”や“ストレス”が与える刺激も、自分にとってはいまだに捨てがたい要素であ る。自分の音楽にはやはり“心のノイズ”が必要だ。そのノイズをいかに押し付けがましくなく、暑苦しくなく伝えてゆくか、それが今回のステージのテーマの 一つというか、表現者として自分がこれからずっと意識してゆくべきテーマなのだと思う。
 自分はやはり、シンガーソングライターとして、1人の人間として、1人のオスとして、ステージに立ちたい思う。余計な我はいらないけれど、"割り切れない思い”を切り捨てることはできない。

2008年9月2日火曜日

夏は終わったか?ー湘南にて

 気温が上昇して久し振りに夏が戻って来たよう。
 夕方に湘南海岸沿いを散歩。
 浜辺にずらりと並ぶ海の家の解体作業が進んでいた。なんや、夏はやっぱり終わったんか。
 自分の中では、今年の夏はまだ区切りがついていない感じ。