2008年9月16日火曜日

ある歌について

大阪 martha(dinning cafe+goods)
リクオの誕生日プレ.パーティーat cafe martha
 44歳の誕生日を前日に控えてのライブである。
 いくつになっても祝ってくれる人がいるというのは嬉しいもんである。
 ある意味で、先週の発売記念ライブとは対照的な内容。スタンディングではなくテーブル席。バンドではなくソロ。選曲はその場の気分。
 マーサは自分のホームのような場所である。マスターの片平とは学生時代に一緒にロックバンドをやっていた仲で、昨日そのバンドのメンバーが集合して、20年振りくらいに音を交わし合った。

 ライブはアットホームな雰囲気で進んだ。けれどそういうなかでもある種の緊張感と刺激は必要だ。2部の途中からしばらくは極力MCをはさまず、ひたすら演奏だけに集中した。
 その中で「機関車」という小坂忠さんの作品を歌った。この曲を歌う時はいつも他の曲にはないような特別な緊張感をともなう。この歌のサビの歌詞は強烈だ。
 
 目がつぶれ 耳も聴こえなくなって
 それに手までしばられても

こ のフレーズが何度も繰り返されるのだ。ライブの後のオフィシャルサイトのBBSにも書き込みがあったけれど、この歌詞を歌う自分に対して、違和感を持った りショックを受けて、異議を唱える人がいることは自分も知っている。そのようなことを直接言われたこともある。だから「機関車」を歌うことに躊躇するよう な気持ちになることもある。
 この日は客席に、ジョニーという20代前半の若いピアノマンがライブを観に来てくれていた。ジェリー.リー.ルイス やレイ.チャールズを彷佛とさせるピアノを弾く男である。滋賀在住なのだが、東京と関西のオレのライブにはしょっちゅう足を運んでくれる。時には打ち上げ にも参加して、一緒にセッションしたりすることもある。彼は幼少の頃に視力を失っている。
 この日もジョニーは途中から打ち上げに合流して、飲んだくれていた。ジョニーが「機関車」をどんな気持ちで聴いていたのか、確かめることはしなかった。もし彼の心を深く傷つけていたのだとしたら、自分はこの日「機関車」を歌わないほうがよかったんではないかとも思う。
 できれば傷つけたくも傷つけられたくもないけれど、あらゆる表現が人を傷つける可能性を持っていることも確かだ。
 なぜ自分は「機関車」を歌うのか。問いかけは続いている。 

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