2025年7月18日金曜日

『スーパーマン』における「パンク」の定義

 映画『スーパーマン』を観てきた。
デヴィッド・コレンスウェット演じる『スーパーマン』は素直なムチャいい奴だった。誰であれ「殺さない」という態度が徹底していて全くダーク色がないのが、この時代においてはむしろ新鮮で頼もしくも感じられた(でも、騙されやすそうなところはちょっと心配かな)。

映画の中の重要なキーワードは「パンク」だった。スーパーマンであるクラーク・ケントが目の前から遠くの他者にまで幅広く向ける善意と信頼、そのあまりにもいい奴ぶりこそが今の社会においてはパンクであることをこの映画は示唆する。つまり、今回の『スーパーマン』は、立場や属性の違う相手への思いやりや優しさを失いつつあるこの世界へのアンチテーゼとして描かれている。そう断言していいと思う。

アメリカでは、この映画の監督と脚本を担当したジェームズ・ガンが「スーパーマンは移民だ」と発言したことに端を発して大きな論争が巻き起こり、トランプ大統領の支持者から激しい批判が噴出しているそうだ(『スーパーマン』の原作はもともと「異星からの移民」という設定なのに)。
ジェームズ・ガンは、痛快に思えるほど娯楽映画に政治を持ち込んでみせた。この映画を観て、真っ当であることが政治的であったりパンクになる時代なんだと思った。
参議院選挙を前に実にタイムリーな映画だった。

ー 2025年7月18日(金)



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