2001年2月18日日曜日

2001年2月18日(月)

京都を含めて6日間に及んだライブイヴェント「リクオのハプニングDAYS」が無事 終了。
昨夜は最終日にふさわしい盛り上がり。今後への期待を残して、イヴェントの幕 を降ろすことが出来たんじゃないかと思う。
シークレットにしていたヘルツでの演奏も、予想以上の手応え。 メンバー3人が"初心"に戻って、弾けることができたのが大きな成果 。
自分にとっては"気付き"の6日間でもあった。
ゲストの皆さんに感じた尊敬、信頼、対抗心、嫉妬は今後の自分に良い効果をもた らすはずだ。
足を運んでくれたお客さん、支えてくれたスタッフ、ゲストの皆さんに感謝。

2001年2月11日日曜日

2001年2月11日(日)

ツアーから戻っても、レコーディングやハプニングデイズの準備のため忙しい日々 が続いている。
今日は一日、部屋にこもって譜面を書いていた。試験前の追い上げのような気分。
いやいや、あの無意味な暗記に比べれば、なんと有意義な時間だろう。
そういえばこの前も、単位が足りなくて卒業できない夢をみた。僕以外にも、中島らもと大槻ケンジが、卒業できない夢を見続けているとエッセイ の中で語っている。 いまだにそんな夢をみるのは、区切りのない人生を生きているからなのかもしれな い。
僕が20才を過ぎてからの過去をあまりなつかしく振り返ろうとしないのは、それ 以降の記憶の多くが完全な過去の思い出になりきれていないからだろう。思い出す と胸が締め付けらるような事柄が多くてつらくなるのだ。
卒業することが、何かを割り切って、切り離してゆくことなら、僕は一生、卒業す ることはないかもしれない。こんなことを、誰かが言っていた。
いよいよ近づいて来ました、東京版ハプニングデイズ、取り合えずは初日を見逃すな。最終日はカーニバルだあ~。メール予約、まだの人は急げ!!

2001年2月8日木曜日

2001年2月8日(火)

東北ツアーから無事、帰宅。
真冬の東北は初体験。
3日目の目的地、山形県川西町は恐ろしく雪深いところだった。 仙台からJR仙山線に乗り換えた時点で、車窓からの景色がどんどん濃い雪化粧を施し始 めたので、やばいとは思っていたのだが、まだ山形市内からH氏の車の運転で川西町に 向かい始めた頃は、水墨画を見るような田舎の雪景色に見とれる余裕があった。 しかし、車が米沢をこえたあたりから積雪量は更に増し、強力な地吹雪が始まり、数メ ートル先の視界が見えないという、とてもスリリングな状況に追い込まれてしまった。 ところが僕は、こんな危機的な状況の最中、連日のライブの疲れのため、強力な睡魔に 襲われてしまった。 「寝てはいけない、寝てはいけない」 雪なかの遭難者のような気分で自分に言い聞かせたのだが、次第に目の前の景色が夢の ように思えて、意識を無くしてしまった。 はっと目が覚めたら「もうすぐ近くですよ」と運転中のH氏が教えてくれた。しかし近 くと言われても回り一面深い雪ばかりで、まるで遭難車のなかにいるようなのだ。 しばらくして視界に民家が現われ始めて、少しほっとする。 予定よりかなり遅れて、ようやく目的地のライブスペース.ジャムに到着。 自然の猛威に遭遇して、「人はなんでこんな気候の厳しい土地で暮らすのだろう」な どと、おせっかいで素朴なことを考えた。
僕は「アリとキリギリス」の話を思い出した。それまでは、どちらかといえば後先を 考えずその瞬間を楽しんでいるキリギリスの方にシンパシーを抱いていたのだが、こ んな土地じゃあ、そうそうキリギリスではいられそうにない。 開演が近づいても吹雪は止まず、とてもお客さんが来れる状況には思えなかったのだ が、意外にも用意された席は開演前にほぼ、埋ってしまった。しかもスタートから出 来上がっているお客さん達で、やたらと乗りがよい。ただ騒ぐのではなく、好奇心が旺 盛で、積極的に楽しみを見つけようとする姿勢が感じられる。理想に近い客層と言え た。オーナーの板倉さんのこだわりを反映して、ピアノはよく調整されており、会場 の音鳴りもとても良かった。これだけの条件がそろうライブというのも、なかなかない ものだ。
おかげで、いいライブが出来たと思う。 打ち上げでは、地元の人達と多いに語り合う。 ジャムのオーナー、板倉さんは話し出したらなかなか止まらない、饒舌な人だ。 こだわりと遊び心を持った相当な趣味人でいろいろと感心させられてしまった。 冬はスキー、春は山菜とり、夏はバーベキューパーティーと季節ごとの遊びも非常に 充実しているようでうらやましく思った。 板倉さんはじめ、この日出会った人達は、自然と共生し、工夫しながら川西町での暮 らしを楽しもうとする姿勢が、感じられた。 打ち上げの席で「この土地の気候は厳しいばかりじゃないんですよ。」と僕に言った人 がいた。こんな雪深い季節だって、彼等は楽しむ術を知っているのだろう。 また違った季節にも川西町を訪れてみたいと思う。
今回の東北ツアーはどの場所も印象深く、ここですべて紹介できないのが残念。 新しい出会いと再会に感謝。

2001年1月30日火曜日

2001年1月30日(火)

10年来の親友である某ミュージシャンの結婚パーティーが、麻布にあるクラブを借り 切って催されたので、参加してきた。
少し遅れて到着。昔、所属していた事務所のマネージャー&スタッフと同じテーブルを 囲んだ。かっては色々あって感情的になったりしたこともあったのだが、今は互いに元 気でいることを確認できるのが素直に嬉しい。
じゃ~また今度、などと言いあって別れて以来、すっかりご無沙汰して、久し振りに会う顔も多く、少し同窓会に参加したような気分になった。こういうパーティーの目玉 は決まって出席したミュージシャン仲間による演奏のプレゼ ントである。こういった場でのパフォーマンスは意外に、プレッシャーのかかるものだ。リハーサルは出来ず、音響も整わず、お客のステージへの集中力も通 常のライブに比べ れば低く、しかも玄人ばかりの客席の目と耳は普段のライブよりも厳しい。よって、おのずと演奏者の真価が問われてしまい、なかなかやっかいなのだ。
僕は3番目の演奏が予定されていた。 僕の出番の前のパフォーマー、今や売れっ子プロデューサーT.Y氏はお笑いに走った。これが会場の笑いを多いに誘い、受けた。同じテーブルを囲んでいたかってのスタッフAちゃんが「この後じゃ、やりずらいよね」 と話かけてくる。ところが僕の方は、この日、実に気分良く酒が進み、既にほろ酔い気分で、怖いもの なし状態に近づきつつあった。今までの経験上、僕はこういう場合、25分以内なら よいパフォーマンスが出来るのだ。この日も例外ではなく、とても気持ちよく演奏して、なかなかの喝采を浴びた。おとなしく早めに帰るつもりが、これでより弾けてしまい、2次会にまで参加してしま った。
再会もあれば、新しい出会いもあった。元ルースターズの池畑さんのドラムをこの日、はじめて生で聴いて、多いに感じるもの があった。2次会では、話ができて嬉しかった。シアターブルックのタイジくんとはよく、スタジオなどで遭遇していたのだが、この日 酒の席で、はじめていっしょに盛り上がった。ノリの良いナイスな奴だ。いっしょに演奏 したくなった。
やはりこもっていてはいかんなと思った。

2001年1月27日土曜日

2001年1月27日(土)

磔磔3DAYS、無事終了。アリガトウ、って気持ち。
東京に戻ってからは、ソロアルバムの準備に入っている。 どこから、いつでるかもまだ正式には決まっていないけれど、来週にはレコーディ ングに入る予定。内容は「ヘヴンズブルー」に続く完全弾き語り。今年はリリースを増やしてゆく予定。
ヘルツのアナログ.リミックス盤も3月末に出る予定。
先日、あがってきたばかりのDJムロ氏のリミックスを聴いたのだけれど、とても良か った。
東京版ハプニングデイズのリハーサルにもそろそろとりかかる。初日のトモフスキーとは初共演。トモフスキーはシャイな人だと聞いていたのでまず、ファック スでのやりとりから始めて、最近、電話に移行。長話などするようになって、 次第に打ち解けてきた気がする。音合わせが楽しみ。 二日めの祥子ちゃんとは京都に続いて大人っぽくからむつもり。ここにキョンさんが 加わって微妙な3画関係がおこりそう。最終日はブラックボトムと横山剣さんに、みんなが知ってる秘密ゲストが加わって カーニバル気分で盛り上がる予定。意外なカヴァーナンバーも飛び出すかも。 つうわけで皆さん、待ってます。

2001年1月18日木曜日

2001年1月18日(木)

リハーサル漬けの毎日。
昨日は横浜で友部正人さんと、今日は下北で鈴木祥子ちゃんとスタジオ入りして、それ ぞれとの共作ナンバーが完成。もちろん明日からのハプニングデイズで披露するつもり。 ほんとに貴重なライブになりそう。
祥子ちゃんとのリハーサルの後、忙しい合間を塗って美容院で髪をカットしてもらった。 鏡の前で1時間、まじまじと自分の顔を見続ける。こうやってカットの時に自分の顔と対面 する度に、なんや俺ってこんな顔やったんかと、ガッカリしてしまう。それでしばらくすると、まあしゃあないな、という気持ちに落ち着く。 でもカットが終わって、ワックスなんかで髪を整えてもらってから、再び鏡に写 った 自分をみると、おっ、意外にいけてるかも、なんて思ったりしているのだ。

というわけでいよいよ始まるハプニングデイズ、意外といけるかもしれないと思って いるリクオが、焦らず、力まず、気合いを入れて、最高の夜をお届けします。 よろしく。

2001年1月13日土曜日

2001年1月13日(土)

遅れましたが、明けましておめでとうございます。
月並ですが、今年もよろしく。 年明けの暮らし振りを簡単にまとめてみました。
1/1(月)京都に帰らず東京で年を越す。 近所の神社で初詣。おみくじは引かなかった。 "sight"という雑誌に載っていたジョン・レノンのインタビューを読む。 ジョンがロックンロールに対する強い思い入れを語っている箇所を読んでいるうちに、 自分が本格的にバンドに熱中し始めた大学生時代の気持ちを思い出した。 当時、自分が心をときめかせながら、がむしゃらに演奏していた音楽はロックンロール という言葉が最もあてはまる。それは僕の感情を直撃し、心と体を一気に開放させた。 現在の僕の音楽がロックンロールと呼ばれることはないかもしれないけれど、自分は 今もロックンロールの延長線上にある音楽を目指しているのだと、ジョンのインタビ ューを読みながら思った。
1/2(火)年末に友部正人さんから送られてきた詞にメロディーをつけてみる。 なかなか納得のゆくメロディーが思い浮かばず、何度も作り直す。 結局、この日は完成せず。
1/3(水)他人が口ずさんでいたメロディーをなにげなく聴いていたら、次第にそ ちらの方に耳を奪われる。巷で流行っていた曲なので前から知っていたけれど、その ときはじめてメロディーの良さに、気付いた。その瞬間、自分の今、作っている曲に 欠けている何かがわかった気がした。このちょっとした出来事が曲作りをすすめる良 いきっかけになった。
1/4(木)吉祥寺までパルコとマルイのバーゲンに行ってきた。 吉祥寺は渋谷や新宿に比べれば、人通 りが少なく、そのわりに何でもそろっているの で、よく買い物に出かける。
1/5(金)友部さんの詞にようやく納得のゆくメロディーがつけられた。 さっそく弾き語りをMDに録音して友部さん宅へ送る。 某氏との共作用に考えいるつくりかけのナンバーも某氏に送る。
1/6(土)スタジオを借りて個人練習。
1/7(日)11日のNHK-FM公開録音ライブに向けて、今年初のヘルツリハーサル。 久し振りに3人で合わすヘルツの楽曲。や~気持ちよい、これやで!という瞬間が 何度もあった。少し初心に帰れた気がして嬉しかった。 部屋に戻ってからも興奮が残っていて、夜更けまでずっと鍵盤の前に向かっていた。
1/8(月)ヘルツリハーサル2日め。 前日のリハーサルの後、リハテープを聴きながら、あれやこれやと考えてきたこと を試してみるも、結局、却下になることも多く、少しがっかりするが、演奏がツボ にはまりだすと、そんなことは忘れて気持ちよくなる。 また夜更けまで鍵盤の前に向かっていた。
1/9(火)ヘルツリハーサル3日め。 はりきり過ぎたのか右手首が少し痛くなってきた。 明日は休もう。
1/10(水)ある一日のささやかな出来事を思い出していたら、思いがけず詞とメ ロディーが同時に思い浮かぶ。形になりそうだ。