2023年2月24日金曜日

大きな括りでは捉えきれない1人1人の姿を伝えることの大切さ ー ロシア・プーチン政権のウクライナ侵攻から1年を経て

「独立した自由な国を守るために、ロシアに勝利する他に選択肢はないのです。」

2月20日にNHKで放送された番組・クローズアップ現代「シリーズ 侵攻1年 ウクライナ“真実”を追う記者たちの闘い」での、ウクライナ公共放送「ススピーリネ」会長のミコラ・チェルノティツキー氏の言葉だ。

同番組で、侵攻直後から1か月あまりに渡りロシア軍の占領下に置かれホストメリで取材を受けた現地の男性住民が、肌身離さず持っていると言って見せたワッペンには、「自由か死か」という言葉が刻まれていた。男性によれば、その言葉はウクライナ人のモットーなのだそうだ。

両者の姿や言葉から、勇敢さや美しい物語を感じ取ることもできるだろう。
けれど自分は、戦争によって人々が選択肢を奪われてゆく様を見せつけられているような、やりきれない思いを抱いた。

「自由か死か」、その言葉は確かに大多数のウクライナ人のモットーなのかもしれない。けれど、徹底抗戦が多数派の陰で、口に出せずとも即時停戦を願う人々や、その両方の思いに心を引き裂かれている人達も存在するんじゃないだろうか。特に戦火において、少数派の思いは蔑ろにされてしまうのだろう。

番組後半、ウクライナ現地から桑子真帆キャスターが語った言葉も印象に残った。
現地で出会ったウクライナ人は誰もが「パレモハ(勝利)」という言葉を口にしていたけれど、よく聞くと、その「勝利」が意味するものは、「夫や弟が生きて故郷に帰れること」「2度と攻撃にさらされないこと」「まもなく生まれてくる自分の子供が戦争を見なくてすむこと」等、1人1人異なっていると感じたそうだ。

翌日21日放送の同番組「シリーズ侵攻1年 ロシア 市民たちの12か月」も続けて観たのだけれど、国家の理想や都合の前に、個人の思いがかき消されたり、誘導され書き換えられてゆく状況は、今のロシアにおいてさらに顕著のようだ。
番組が放送された同日21日に行われたロシア・プーチン大統領の年次教書演説を聞いた時にも、国家との一体化を国民に強く望むプーチン氏の強硬な姿勢が伝わった。この強硬さは、80%を超える支持率も背景にあるのだろう。
欧米によるウクライナへの武器供与やロシアへの経済制裁が、結果としてロシア国民を精神的にも追い込み、国内でのプロパガンダも相まって、さらにプーチン支持を高める結果をもたらしているようだ。悩ましい状況だ。

「この戦争が、立ち止まって考えることをなかなかさせてくれない。
戦争が長期化して立ち止まることがどんどん難しくなっていくんじゃないか。」
番組の中でNHKヨーロッパ副総局長・有馬嘉男氏が語った言葉が重く響いた。

20日放送の同番組内で桑子キャスターが語っていたように、有事だからこそ余計に、「大きな括りでは捉えきれない1人1人の姿を伝えること」の大切さを感じる。
その違う1人1人の姿を想像し寄り添う姿勢こそが、戦争を遠ざける1つの手立てとなりうるように思う。

ー2023年2月24日(金)



そんな怖がらんで大丈夫やよ ー 首相秘書官の発言に思うこと

「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。」

更迭された荒井勝喜・首相秘書官(当時)の性的少数者への発言を知って、この人は雑多で多様な社会に慣れ親しむ機会がなかったんだろうなと思った。もしかしたら、性的少数者の人達と自覚的に交流した経験がないのかもしれない。

荒井氏によれば、同性婚制度導入に関しては秘書官室全員が反対なのだそうだ。それが事実なら、自民党議員だけでなく官僚機構にもこういう考えが一般化していることになる。
荒井氏のような人を側近に登用する岸田首相もこういった偏見、差別意識を共有しているのだろうか。考えてみれば、荒井氏の発言は、岸田首相が衆院予算委員会で同性婚法制化について「社会が変わっていく問題だ」などと答弁したことを受けてのものだ。

彼らの差別意識の中には、社会が変化してゆくことや自分とは違う他者が存在することへの「恐れ」が含まれているように感じる。
愛し合う2人に、結婚という手段を認める。ただそれだけのことで、極端に社会のありようが変わることはないだろう。同性婚が認められて、マイノリティーへの理解が深まり、社会の風通しが良くなれば、それはいい変化だと思う。

「そんな怖がらんで大丈夫やよ」
荒井氏にそう伝えたい。

ー 2023年2月8日(水)

2023年2月8日水曜日

2023年2月3日〜5日ツアー日記(Facebookからの転載) 

今日は神戸にある啓明学院の卒業記念講演会にお招きいただき、校内チャペルにて、卒業直前の高校3年生徒251名と先生方の前で約1時間半の弾き語り。

学院の社会科教諭の長久と関大同学科の同級生だったことに加えて、指宿(いぶすき)校長とも、彼が関学の軽音時代からの知り合いだった偶然が重なって、今回の講演ライブが実現。
つくづく人の縁はおもしろくてありがたいなあと思う。
校内で先生が見守る中でのライブなんで、生徒達が大人しくかしこまることも予想していたのだけれど、ライブは冒頭から予想を裏切る盛り上がり。生徒さん達の瑞々しいエネルギーに大いに触発された。
終演後、楽屋にライブに参加したばかりの生徒達が次々と訪ねてきて、サインを求めたり、それぞれが感想を伝えてくれたのも嬉しかったなあ。
長久と指宿校長にも喜んでもらえてよかった。
ホント嬉しい再会。
続けてきてよかったなあと心から思えた1日でした。
ー2023年2月3日(金)


春日部・エバーチャイルド、満員御礼。最高の盛り上がりでした。
初めて訪れた町なのに、曲を知ってくれているお客さんが多くてびっくり。
主催してくれた田川&倉橋両氏が、自分達のライブでオレの曲をカヴァーしたりして仲間内にリクオの音楽を広めてくれていたそうだ。
思えば、2人が去年6月札幌でのリクオ・トリオのライブを観に来てくれて、春日部でのライブを直談判してくれた時から、昨夜のライブはすでに始まっていたんだと思う。
春日部初ライブの会場がエバーチャイルドでよかった。ミトウさん&あやちゃん、いいバイブをありがとう。
集まってくれたみなさん、最高の夜をありがとう。
これを始まりに、また春日部でオモロイことやりましょう。
今日5日は下北沢 ラ•カーニャにて17時開演。ゲストはギター高木克ちゃん。
ー2023年2月5日(日)

@下北沢 ラ•カーニャ
下北沢には若者が溢れていた。駅前は数年前とは様変わりして、街全体に雑多な要素が薄まった。
下北沢は便利で明るい街になった。
5月になってマスクも外せるようになれば、コロナ禍のさまざまな出来事もすっかり忘れ去られてしまうのかもしれない。街の賑わいの中でそんなことを思った。
地下への階段を降りてラ•カーニャのドアを開け、マスターの岩下さんと普段着の挨拶を交わしたらホッとした。
ゲストの高木克ちゃんとの合奏は2人ロックバンド状態。
このときめきや初期衝動をくたばるまで燃やし続けたい。あの人達のように。
克ちゃんと演れてよかった。楽しくてワクワクした。
下北沢は鮎川誠さんとシーナさんがいた街だ。
ラ•カーニャで2人にお会いした時のことなど、やはり思い出してしまった。
でも、感傷に流されることなく、一期一会の歓びを集まってくれたみんなと共有できたと思う。
その瞬間に全てを捧げれば、音楽はいつだってそれに応えてくれる。
ホンマ音楽は最高やね。
この魔法はもうとけないと思う。
ありがとう、また。

ー2023年2月6日(月)

2023年1月16日月曜日

Facebook1月8日(日)〜16日(月)投稿まとめ

★1月8日(日)黒岡アイスクリーム主催、京都丹後宮津市・カフェレストラン彩での3年振りのライブは、感慨深い夜になりました。
彩のアップライトピアノがオレとの再会をとっても喜んで、いい鳴りで応えてくれました。
当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないと気付かされた3年間。この場所に戻って来れて本当に良かった。感謝です。
打ち上げでは最高に美味しい魚介料理をいただきながら、黒岡君達と次回のイベントに向けての話で盛り上がりました。
今年初ライブ、いいスタートが切れました。

★1月9日(月)
@1/8(日)京都 一乗寺・CAFE&BAR OBBLi
'20年4月に初トライした配信ライブ(無観客)と同じ場所、同じチームでの有観客配信ライブ、振り幅広く、ムチャ盛り上がりました。一乗寺フェス配信チームならではの配信も堪能してもらえたんではないかと思います。
3年間のストーリーがあった上でのこの日のライブだったんで、やっぱ気持ち入りました。
普段の弾き語りソロライブは、その場の流れで曲を決めることも多いんですが、今回は、数日前から初配信時の曲順を確認したりしながら、事前に選曲について色々思いを巡らせました。
今回のライブを通じて、コロナ禍の間のさまざまを思い出したり、自分や自分達がやってきたこと、考えてきたことを確認する機会を持てたこともよかったです。
松尾君、三谷くん、OBLLiのタニーとさっちゃん、再びこのメンバーで、自分が暮らす一乗寺からの配信ライブをやれたこと、ライブ後に皆で楽しく打ち上げ新年会ができたこと、あ〜よかったなと。
来てくれたお客さん、配信観てくれた皆さん、ありがとう。今年も一緒に楽しみましょう。
打ち上げの時にみんなで、配信の特典映像「リクオ×一乗寺フェス 2020年〜2022年 配信ライブダイジェスト」(約40分)を観たんですが、いや〜、素晴らしかった。もう自画自賛。
オレら、色々らやってきたよなあ。しんどい状況を、何よりも一緒に工夫して楽しみながら乗り越えてこれたのがよかった。この町にいて、いい仲間に恵まれました。
アーカイブ視聴は1月22日(日) 23:59まで。ぜひ。


★1月10日(火)
コロナ対策に関しては、自由や人権を蔑ろしにしてでもトップダウンで政策を素早く進められる独裁政権の方が有利との説を耳にすることがあったけれど、今の中国を見ているとそうは思えない。
共産党独裁による情報操作や隠蔽、ご都合主義、極端から極端への政策移行が、コロナ対策に大きな弊害をもたらしているように見える。
このような状況を背景に、中国で厄介な変異株が生まれる可能性が高まることを危惧している。
パンデミックや地球温暖化問題には自国ファーストの考えが通じない。それは明らかな事実だと思う。


★1月12日(木)
昨日のタイムラインはジェフ・ベックへの追悼文ばかりが目についた。
自分も何か書こうかと考えたけれど、やはり控えることにして、ジェフ・ベックの懐かしい曲を聴きながら、日本公演を観に行った時のことや、高校の先輩が"Cause We've Ended as Loves"のギターを一生懸命コピーして、文化祭のステージで演奏してたことなどを思い出したりした。
自分の世代にとっては、世界3大ギタリストの1人としてのイメージが強い。シンボル的な存在の訃報はやはり寂しさを感じる。
今日は午前中にうじきつよしさんと、2月から始まるツアーの選曲のこと、移動行程のことなど、電話で色々と長話。電話越しに会話を交わすだけで、元気を受け取った気分。やるぞ!という気持ちが漲った。
LINEで済まさなくてよかった。
で、今は部屋を出て広島福山市へ向かう車中。今夜のポレポレのライブ、お客さん来てくれたらいいなあ。
いずれにせよ、集まってくれた皆さんと一緒に、かけがえのない時間を味わい尽くすつもり。
今年もツアー暮らしが始まったなあ。
明日14日は岩国・ヒマール、翌日は岡山・モグラへと流れてゆきます。
各地でお待ちしてます。

★1月14日(土)
@広島県福山市・ポレポレ
長く続くお店には音楽の神様がすみつきます。
ポレポレの響きを存分に味わいながらの演奏。
30年来のお付き合いのマスター・ユウさんに、「今夜のライブ良かった」って言ってもらえて嬉しかったです。
かけがえのない時間でした。
今、広島RCCラジオに向かってます。
朝10時より岡佳奈さんパーソナリティーの番組「週末ナチュラリスト」に生出演します。番組のオープニングテーマが「アイノウタ」なんです。ありがたいことです。
今夜は岩国市・ヒマールにて初書籍出版記念ライブ。残席2〜3席とのこと。
ヒマールは 出版業もやっていて「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」を 出版してくれたんです。
皆さんにとっても良い日になりますように。

★1月15日(日)
昨夜は山口県岩国市・ヒマールにて、初書籍「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」発売記念ライブでした。
ヒマールは、クラフトを中心に、雑貨、文具、書籍、レコード&CD、焼き菓子等々自ジャンルに囚われないさまざまを扱い、定期的にライブも開催する岩国の文化発信地。
3年前から出版物の刊行にも乗り出し、縁あって今回の初書籍を出版してもらいました。
ヒマールの辻川夫妻との関わりがなければ、この本の存在はありませんでした。著者はリクオ名義ですが、実質は辻川夫妻との共同作品だと思ってます。そして、ナカガワ暢さんによるイラストの力も大きいです。さまざまな化学反応を経てこの本が生まれたことに充実を感じてます。
昨夜のライブもまさに化学反応の賜物。このタイミングで、この場所で、昨夜のお客さんだからこそ成り立った最高のライブ空間でした。
嬉しい再会も色々。
また会えてよかった。
また会おう。
音楽人にとって悲しい訃報が続く中、この一瞬一瞬が益々愛おしく感じられます。

★1月16日(月)
@岡山・MO:GLA(モグラ)
年末に、モグラ代表のサンジさんから今年の6月以降に移店予定との話を聞いていたので、昨夜は24年間通い続けた場所でのラストパフォーマンスとなることを意識してステージに向かった。
'98年のThe Herzでのツアーが、自分にとってのモグラ初ステージ。
客席の盛り上がりを受けて、ライブ途中からサンジさん等お店のスタッフが客席のテーブルを片し始め、急遽客席がオールスタンディングのダンスフロアと化した印象深い夜だった。
それから24年間、モグラには途切れることなく通い続けたので、多分、お店の最多出演回数ベスト5位内には自分がラインクインするんじゃないかと思う。
昨夜もPAの奥村君がいい音を作ってくれたので、歌と演奏にすごく集中できた。
集まったお客さんは、この場所で何度も楽しい時間を共に過ごしてきた馴染みの顔が多かった。
コロナ以前に比べて動員は減ったけれど、会場の熱量はコロナ以前を超えていたかもしれない。
ステージも客席も思い入れたっぷりの夜になった。
ホント楽しい思い出ばかりの場所。サンジさん、エリさん、よしき君、奥村君には感謝しかない。
移店しての新しいモグラを楽しみに待ちたいと思う。
24年間ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

2023年1月6日金曜日

立ち止まり振り返りながら楽しむ時間 ー 1月8日(日)京都一乗寺・OBBLiにて有観客&配信ライブを開催するにあたって

'20年4月29日、自分が暮らす町・京都一乗寺のミュージックバー・ノルウェイジャンウッド(現在OBLLiに改名)から行った配信ライブは、無観客にも関わらず、自分のライブ人生の中でも最も記憶に残るライブの一つとなった。

コロナ感染拡大により不要不急の外出自粛が求められ、数ヶ月の間、全てのライブが中止か延期になってしまった時期に、地元で結成された「一乗寺フェス配信チーム」と一緒に初トライした配信ライブだった(添付は'20年4月29日ライブ当日の写真)。




この初配信で自分達が意識した一つは、地域や場所が伝わる配信を心がけることだった。「一乗寺フェス配信チーム」と配信ライブを続けるにあたり、この姿勢は一貫している。
コロナ禍を通じて、中央に寄りかかるのではなく、自分が暮らす地域で新しいモデルをつくってゆくことの大切さ、やり甲斐をますます感じるようになった。視野を広く持ちながら足元をよくしてゆこう考える人達は全国に点在している。今後は、そんな人たちが繋がるネットワークづくりに参加できたらいいなと思う。

週末1月8日(日)に京都一乗寺・OBLLi(ノルウェイジャンウッドから改名)で開催される有観客&配信ライブは、初配信ライブ当時と同じ配信スタッフ(谷田晴也、松尾哲也、三谷達也)が参加してくれる。このメンバーは、共にコロナ禍を乗り越えてきた同志だと思っている。
あの時と同じメンバー、同じ場所で、会場にお客さんを入れての配信ライブを開催できることが感慨深い。OBLLiにとっても、今回のライブが本格的にライブを再開するきっかけになればいいなと思う。

コロナ禍はまだ終息したとはとても言えない状況だけれど、自分達は既にコロナに慣れてしまって、'20年4月頃の状況や心情、あの頃に得た教訓を忘れつつあるように感じる。
立ち止まり振り返ることで、今の立ち位置を確認して、また新しい一歩を踏み出したい。今回のライブが、そんな時間になればいいとも思う。

そして、何よりもまず、会場に集まってくれた人達、配信に参加してくれた人達と一緒に楽しい一期一会を過ごしたい。オレ的には、この日は新年会も兼ねているつもり。みんなと一緒にお祝いしたい気分。
ライブ会場で、そして配信で、皆さんとお会いするのを楽しみにしてます。

今年もツアー暮らしを続け、方々うろつき回る予定です。
各地で皆さんにお会いするのを楽しみにしてます。よろしくお願いします。
いい年にしましょう。 ー リクオ
ー 2023年1月7日

■配信チケット購入(¥3000)開演16:00
1月8日の配信ライブ本編終了後に、「一乗寺フェス2022」で独占公開していた「リクオ×一乗寺フェス 2020年〜2022年 配信ライブダイジェスト」(約40分)を再配信。
アーカイブ期間中は本編と同じく何度でも視聴が可能です。

■リクオ・オンラインショップにて配信ライブチケット+リクオ初書籍「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」【お得セット(¥3300)】販売中(1月8日12時まで)

2023年1月3日火曜日

「悩む力」が試される時代

 年末年始は、京都でゆっくり過ごし、以前に購入して読み終えていた本を何冊か読み返したりしている。
'08年に刊行され、当時愛読していた「悩む力」(姜 尚中 著)を久しぶりに読み直してみたら、当時以上に共感する箇所が多く、色んなヒントを与えてもらったような気持ちになった。

楽観的にもなれずスピリチャルにも逃げ込めない者たちがどう生きれば良いのか?そうした苦しみを百年以上前に直視した夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、「悩み」を手放さない生き方への提言は、今の自分の心情にも、この時代状況にもタイムリーな内容だと感じた。
「悩み」続けることは堂々巡りに留まることではない。階段の踊り場に立ち、逡巡しながらも考えを更新し続けることだ。そうしてまた歩を進め、その都度逡巡しながら選択を繰り返して歩き続けるのだ。

《「人はなぜ働かなければならないのか」という問いの答えは「他者からのアテンンション」そして「他者へのアテンション」》という一節も沁みた(「アテンション」→「ねぎらいのまなざしを向けること」)。
最近読んだ辻信一氏と高橋源一郎氏との対談本「『あいだ』の思想」の中で辻氏が、文化人類学者デヴィッド・グレーバーの言葉、「人間の仕事というのは、そもそも、そしてますますケアなのではないか」という一節を紹介していて、それと重なる意味合いを感じた。
英語での「ケア」は、介護や看護といった意味を大きく超えて、関心、心配、思いやり、親切、世話など、人と人、人と何かの「あいだ」の精神的、物理的な深い関わりやつながりを意味するそうだ。

それらの言葉をゆっくりと染み込ませてゆくうちに、次第に心が正直になって、「特にこの数年、自分は社会の動向や人との感覚のずれに傷つていきたのだなあ」と自覚した。そして、自分の言動が誰かを傷つけてもきただろうと想像した。

「誰かと往復書簡できないかな」ふとそんなことを思った。
それを本などの形にするのも良いかもしれない。
解を押し付け合うのではなく、丁寧なやりとりの中で、互いが少しづつ変われてゆけたらいいと思う。

やはり忙し過ぎるのは良くない。ゆっくりと自分の心に降りてゆく時間も必要だ。
方々で皆と騒ぎ続けた年末の日々から年明けの静かな内省へのダイナミズムが、自分らしさかなとも思う。

最後に、自分自身への備忘録としてアメリカの作家・デヴィット・フォスター・ウォレス著「これは水です」からの言葉を引用したい。ここ数年、Facebookでは何度も紹介してきた言葉達だ。

《僕の内部で
何が進行中が
耳を澄ませばいいだけなのに、》

《ー 傲慢、やみくもな過信、かたくなに閉ざされた心。
どちらも鉄壁の牢獄に閉じ込められ
獄中にいることすら自覚していない
囚人みたいです》

《ほんの少し謙虚になり
じぶん自身の確信に
すこし「批判的な自意識」を持つこと》

《こころは
「気の利く召使だが
恐ろしい暴君でもある」
という古い決まり文句を思い出してください。》

《これは徳の問題ではなくーー
僕に自然に組み込まれた
ハードウェアの初期設定を
どうにかして変える
あるいは削除するといった作業を
僕個人が選ぶかどうかの問題なのです。
この設定は文字通り徹底して自分中心になっています。》

《さて、こうした崇拝のありようが
油断ならないのは
邪悪とか罪深いからではありません、
無意識のうちだからなのです
初期設定のままだからです。》

《そういう崇拝は
あなたがなし崩しで
日に日に深みにはまりこんでくものです
じぶんが何をしているのか
徹底して自覚がないから、
何を観て価値をどう測るかが
どんどん狭まっていくのです。》

「やみくもな過信」に陥る前に、何度も思い出したい言葉達だ。
「悩む力」が試される時代だと思う。

ー 2023年1月3日(火)

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リクオの初書籍
「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」(12月12日/ヒマール刊)
ツアー暮らし、震災、コロナ禍……
この11年間の日々に書き留めた“備忘録”。
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2022年12月31日土曜日

タモリの言葉を受けて考えたこと

「徹子の部屋」に出演したタモリが、番組の最後に黒柳徹子から「来年はどんな年になりますかね?」との質問を受けて、少し考えた上で「新しい戦前になるんじゃないでしょうかね」と答えたという。
そういった時代の流れは急に始まるものではないだろうから、タモリは既に「新しい戦前」を感じ取っているのだろう(追記:もちろん、日本が戦争に巻き込まれないことを願っての発言だと思う)。
タモリの言葉を受けて、年末に再会した知人が目を輝かせながら、「既に希望に満ちた時代が始まっていて、来年はさらに素晴らしい時代が開かれてゆく」といった内容を語っていたことを思い出した。2年くらい前から、目に見えないものの価値が高まってゆくという「風の時代」が始まり、劇的に時代が良くなってゆくような話を目にしたり直接人から聞いたりするようになった。タモリの悲観的と思える見解とは対照的である。
同じ日本に生きていても、人によって見えている世界が極端に違うのが、この時代の特徴の一つだと思う。
昨日の日中は、知り合いの記者から取材を受けた後、彼に寿司屋に連れて行ってもらい、アルコールを注入しつつ色々と語り合った。話の内容の一つは「裏取り」の大切さだった。それこそが記者の生命線であり信頼の所以である。
誰もが情報発信できる時代となってからは、ネットやSNS上での「裏取り」は軽視されがちで、さまざまな「極端な真実」が発信され、蔓延するようになった。コロナ禍において、その状況はさらに進行しているように感じる。これほど安易に「裏取り」なく「自分の求める真実」に辿り着けてしまう環境は、自分の生きている時代において、なかったんじゃないだろうか。
 知り合い記者は、若い記者達の中に自分の仕事に自信を失い始めている者がいることを嘆いていた。記者になった瞬間から誹謗中傷の対象となり、「マスゴミ」などと罵られ続ける日々は、どんな気分だろうと想像した。
「極端な真実」よりも「揺るぎない事実」の丁寧な確認、その地道な積み重ねこそが持続可能な未来を切り開いてゆく、自分はそう考えているけれど、SNSやネットメディアがその役割をどこまで果たすことができるのだろう。この時代においても、既存の新聞メディアが果たすべき役割は、まだまだ大きいように思う。
「極端な真実」に耳を傾けていると、同じ日本で暮らしていても、まるで互いがパラレルワールドに生きているように感じる。けれど、そんな人達とも関わり合い影響を受け合いながら、これからも同じ時代を生きてゆくのだ。何かや誰かを切り捨ててゆくことは、結局、自分自身の何かを失うことにもつながるんじゃないだろうか。
「新しい戦前」は、「極端な真実」をもとにした「集団の高揚」を生み出してゆくだろう。その傾向は既に随所で見られる。それらの高揚がまとまってより全体化してゆくことを危惧している。その流れは、加速し始めたらもう止められないだろう。今、自分達はどの段階に立たされているのだろうか。
時代が一気に流されてゆく中でも、立ち止まり逡巡することを忘れずにいようと思う。自身の実感だけを頼りにせず、他者の声や実感にも耳を傾け、俯瞰を心がけ、想像を巡らせ、考え続ける中で、その都度選択決断して行動しようと思う。全ての答を固定させることなく、軌道修正を繰り返すことをよしとしたい。
そして、どんな時代になっても、さまざまな繋がりの中で人生を楽しむことを忘れたくない。しなやかでありたいと思う。
今年も、たくさんの人と音楽に救われました。心より感謝してます。
多くの力添えのお陰で初書籍を出版できたことは大きかったです。この一冊の中に、自分がブログで綴ってきたような考えや姿勢、音楽への思い、哲学やジャーナリズムが凝縮されていると思います。
この本とCDやDVDをキャリーバックに積み込んで、来年も日本中を巡るつもりです。各地でお会いするのを楽しみにしてます。
良いお年を。
ー 2022年12月31日(土)
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リクオの初書籍
「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」(12月12日/ヒマール刊)
ツアー暮らし、震災、コロナ禍……
この11年間の日々に書き留めた“備忘録”。
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