2019年7月31日水曜日

あなたも場をつくる1人です ー ライブ中の写真&動画撮影に関して

最近、ライブ中の写真&動画撮影をOKすることにしました。
その理由は、お客さんがライブ写真をSNSに上げてくれることによるプロモーション効果への期待もありますが、それ以上に「時代の流れには抗えないな」というのが正直な気持ちです。ある程度は自分の感覚を時代に適応させることも必要なのかなと。
でも、まだ違和感が拭えないので、一度正直な気持ちを伝えさせてもらおうと思います。

自分の場合、お客さん全員の顔を見渡せるくらい小規模な会場でライブすることが多いので、多分、皆さんが想像する以上に、お客さん一人一人の動作や反応が目や耳に入ってきます。
静かなバラードを弾き語っている時に、シャツター音が聞こえてくると、平静を装いながらも内心はイラっとしてます。演奏してる目の前で、ずっとスマホやカメラを向け続けられると、さすがに演りにくいです。フラッシュの使用もやめてほしいです。

写真は1ステージにつき数枚程度、動画は1分以内くらいにしてもらえるとありがたいです。できれば、堂々とではなく、自分の目線が向いていない時などにコソコソ撮影してもらえるとありがたいです。共演者やライブの規模によって、こちらの希望が変わる場合もあります。

客席からスマホを向けられている時は、お客さんと自分の間に距離を感じることが多いんです。「観られている」という感じ。
観るよりも参加してもらいたいんです。集まってくれた皆さんと一緒になってライブ空間を作っていきたいんです。

あなたもその場をつくる大切な1人なんだということを忘れずにいてくれたら嬉しいです。
その思いさえ共有できれば、今の自分規模のライブなら、細かい禁止事項を決める必要はないんじゃないかと思ってます。そうあってほしいです。
最高の一期一会のため、ご協力お願いします。

ー 2019年7月31日(水)

2019年7月2日火曜日

逡巡をこえた答 ー 映画「新聞記者」を観て

映画「新聞記者」を観た。
権力とメディアの攻防を描いた、現実とリンクする怖い内容だけれど、娯楽映画として予想以上に楽しめる内容だった。
隅々に映像テクニックの創意工夫がなされていて、若い監督と映像チームの垢抜けたセンスを感じた。
批判に重心を置かず、複数の視点を用意し、考えさせる余白、問いかけを残そうとする姿勢にも共感を覚えた。

監督自身も語っていたけれど、この映画の軸となるテーマの一つは「集団の中の個のありよう」だ。松坂桃李が演じる官僚やシム・ウンギョン演じる新聞記者が組織の中で悩み葛藤する姿は、やり切れなさを感じさせる一方で、希望として自分の目に写った。
空気を読み、自分の属するクラスタとポジショントークに安住することで思考停止と分断が進む社会の中で、悩み葛藤を続ける態度の大切さを今まで以上に感じる。そういったプロセスを経て、逡巡をこえた答を導き出したいと思う。
もし、そうやって得た答の中にも間違いがあれば、その間違いを受け入れるしなやかさと勇気を持ちたい。

映画を見終えた後に、ネット上に掲載された、この映画のエグゼクティブ・プロデューサーである河村光庸氏と藤井道人監督、両者のインタビューを読み比べてみたのだけれど、2人の個性の違いを感じて興味深かった。
河村氏は反権力の意識が強い人で、藤井氏は元々はそういう意識の希薄な人のようだ。この意識の差は、世代の差にもよるのだろう。両者の化学反応によって、この映画は権力批判や告発を超えた人間ドラマとして、人としてのありようを問いかけるような普遍的なテーマを得たように思う。
71歳のプロデューサーの問題意識と32歳の監督のしなやかな感性が、この映画を通して理想的な出会いを果たした意味の大きさを感じる。
このような題材を扱うことに、これまで以上の覚悟が求められる時代になったと思う。その勇気にも敬意を表したい。

観終えた後に無性に語りたくなったし、誰かと語り合いたくなった。左右、世代を超えて観てもらいたい。この映画、ヒットしてほしいなあ。

ー 2019年7月2日(火)

2019年6月2日日曜日

大塚まさじさんが一乗寺にやって来た

大先輩のシンガーソングライター・大塚まさじさんが、49年続く一乗寺のカフェ「のん」に歌いに来られたので、会いに行った。自宅からチャリで数分の場所でまさじさんライブを観れるなんて不思議な気がした。
PAなしの生音ライブ。歌もMCも味わい深く、10年前とも20年前とも違う、今のまさじさんを感じることができた。
ライブ後は、久しぶりに色々お話させてもらえて嬉しかった。

自分よりも14歳年上で、来年古希を迎えるまさじさんのステージを観ながら、自分の70歳を想像した。
自分が10代、20代の頃は、60代、70代のシンガーソングライターやロックミュージシャンはまだ存在しなかったから、その姿を想像するのは難しかった。未知の世界だったのだ。

草の根のネットワークを頼りに日本中をツアーする形を日本に定着させたのは、まさじさん世代のシンガーソングライターで、自分は、その轍を辿ることで、ここまでやってこれたと思っている。
そして、今もまさじさんは新しい轍を描き続けている。70代のツアーミュージシャンは成り立つのだろうか。それは新しい試みだ。
まさじさんが元気に音楽活動を続けられている姿に、勇気づけられると同時に、その背中を見ることのできるありがたさを感じる。

昨夜のステージのMCでまさじさんが「感じやすい年頃になった」と冗談ぽく語られていたのだけれど、その感じ、自分にもわかり始めた気がする。体験の積み重ねが感情を豊かにしてくれるのだろう。
まさじさんの同世代の仲間の多くは既にこの世から旅立ったけれど、まさじさんの音楽と心の中には、今も旅立った仲間達が寄り添い続けている。そのことを昨夜のステージの端々で感じることができた。
なんだか、まさじさんの出会いに満ちた豊かな人生を、ステージを通してお裾分けしてもらっているような気がした。

歳を重ねると哀しみは深まってゆくけれど、その分人生はより彩られ味わい深くなってゆく、そう思えた夜だった。

ー 2019年6月1日

2019年5月2日木曜日

清志郎さんのこと

清志郎さんのライブや打ち上げの現場に、よく彼女を連れていった。清志郎さんの自宅でのミーティングにまで彼女を連れていったことがある。
ど新人がよくそんなことやってたなと思うけど、当時は常識も周囲の目も気にならず、ジョンとヨーコの気分だった。
清志郎さんは、とても優しく対等に彼女と接してくれた。彼女の存在を面白がっているようにさえ見えた。清志郎さんと彼女が仲良さげにしていると、ちょっと嫉妬した。でも、清志郎さんが彼女のことをわかってくれてるって思えて嬉しかった。

実際に会ってみると音楽のイメージとは違う人もいるけれど(それが悪いことだとは思わない)、清志郎さんは歌を聴いて想像した通りの人だった。自分は間違っていなかったって思った。

「胸が痛いよ」は彼女との体験を元に自分がサビのメロディーと歌詞を考え、最終的には清志郎さんが1曲にまとめ上げてくれた。ここまでストレートなラブソングは、これ以降書いたことがない。
https://youtu.be/OHiSxKx_5WU
曲調がナイーブ過ぎるのと、清志郎さんの影響から逃れたくて、10年以上、この曲を歌うのを封印していた。やっとまた歌えるようになって、清志郎さんとも再会できる機会があればと思っていたら、清志郎さんが逝ってしまった。

あれから、もう10年。あと 4年もせずに清志郎さんが旅立った年齢に追いつくことになる。残された時間について考える年頃になった。
自分の気持ちに正直に、やれることをやろうと思う。
ー 2019年5月2日

遠藤ミチロウ 追悼

10数年前、ミチロウさんがツアー中に血を吐いて倒れ、しばらく療養していた時に、ミチロウさんと電話で話した。
声を聞いて、まだ本調子ではないのが伝わった。それでも、ミチロウさんは電話口で復帰への思いを語り続けた。
「リクオ君、オレは歌えないのが悔しいよ」
「いやいや、無理せずたまにはゆっくり休んで下さいよ」
そんなやりとりをした。ミチロウさんの「悔しい」って言葉が耳に残った。

程なくミチロウさんはステージに復帰して、年間200本を前後するツアー生活を再開させた。ミチロウさんは、その後何度も倒れ、その度に復帰して、杖に頼るようになってもツアーをやめなかった。
ミチロウさんは自分よりも14歳年上で、チャボさんや清志郎さんらと同世代なのだけれど、先輩というよりも、同じスタイルでツアー暮らしを続けてきた「旅の同志」という意識の方が強い。ミチロウさんからも、「自分がソロで弾き語りを始めた時期とリクオ君のデビューの時期が近いから、リクオ君は後輩という意識があまりないんだよ」と言われたことがある。元々、先輩風を吹かすことなど一切なく、誰に対しても対等に接する人だった。

ミチロウさんが切り開いたライブネットワークは'90年代後半に「音泉マップ」という一冊の本にまとめられ、自分も含め多くのツアーミュージシャンがこの本を頼りにツアーに出た。自分が苦労して作ったネットワークを独り占めすることなく、惜しげも無く公開するのが遠藤ミチロウという人なのだ。

福島出身のミチロウさんは、3.11以降、東北支援にも力を尽くした。ただ支援するだけではなく、戦後の日本の在りように対して問題提起することも忘れなかった。
ミチロウさんは、誰かやシステムを一方的に断罪することはしなかった。原発と同じ時代を生きた人間として、1人1人が意識を変えてゆくことの大切さを訴えた。それは、まさに身を削っての活動だった。なんだかミチロウさんがみんなの罪を背負っているようにも見えて、痛々しかったし、自分に後ろめたさを覚えた。

'11年以降は、オフステージで消耗仕切ったミチロウさんの姿をみる機会が多くなった。それでも、ステージ上のミチロウさんはいつも全身全霊でエネルギーに満ちていた。その姿にいつも圧倒され震えた。そして泣けた。

昨年、10月の手術後も、ミチロウさんは曲を書いていたそうだ。またステージで歌うことを考えていたに違いない。病床で悔しい思いをしていたのだろうと思う。それは、「死ぬまで生きる」ということだ。

その歌に、そのドロドロの美しさに、その勇気に、その優しさに、その誠実さに、その繊細さに、その大らかさに、どれだけ力をもらったことか。

ミチロウさん、日本各地で共演させてもらって最高でした。大好きです。
これからも、ありがとうございます。
オレもずっと旅を続けます。
ー 2019年5月2日

2018年10月26日金曜日

大丈夫やよ、オレ - 曲作りの最中に

今週は曲作りに時間を費やしているのだが、なかなか思うように進まない。
歌詞とメロディーを同時進行させるのが自分の曲作りのやり方なのだが、ここ最近は、メロディーばかりが先行して、言葉が降りてこない。作りかけの曲ばかりがたまってゆく。

自分が何を表現したいのか、よくわからない(まあ、曲作りの最初は往々にして、そういうもんなんだが)。今作っている曲は、当初自分がイメージしていたテーマとは明らかに違う方向に向かっていて、どこに着地しようとしているのかもわからない。パズルの空いている箇所のパーツがうまくハマらず、全体像が見えてこない。

一月前の自分とは別人になってしまったような気分。この一月の間の体験や季節や気候、体調の変化などで、もう以前の気分では曲が書けなくなってしまった感じ。「一体今まで、どんな風にして曲を書いていたのだろうか?」と不思議に思ったりする。
ふと我に返るように、「そう言えば、特に大きな需要があったり、強く求められているわけでもないのに、なんで曲を書き続けようとするのだろう」と考えてみたりもする。一月前は、こんなこと考えもしなかった。わかっていることは、しばらく曲が書けないと、不安になるのだ。
人は常に否応無しに変わり続ける。だからまた、新しい自分に会いにいかなきゃいけない。手癖で納得のゆく歌は生まれない。

最近は、曲作りに行き詰まったりすると、深夜に独りグラスを傾けながらYouTubeで音楽を聴き続けることが多い。時間を忘れて夜更かししてしまうので、生活の時間帯がどんどん不規則になってゆく。
遅ればせながらYouTubeを通じて、今大ヒットしている米津玄師の「lemon」という曲の良さに気づいた。 https://youtu.be/SX_ViT4Ra7k これは生者のためのレクイエムだ。世代を超えて訴える力のある歌だと思う。
米津玄師ともコラボしているDAOKOの新曲「終わらない世界で」も良い。https://youtu.be/tvwc7KT-I3U胸がうずく歌詞だ。魅力的な曲は、新鮮なだけでなく、いつもどこか懐かしい。
若い世代の才能には圧倒される。自分だからできることがあるはずだと言い聞かせる。

今夜はYouTubeでソロモン・バークの「Don't Give Up On Me」https://youtu.be/joXHmEOGy38 のさまざまなライブ・ヴァージョンを聴き続けている。ああ素晴しい。アルコールがすすむ。ダン・ペンの書く曲は、どうしてこうも心を揺さぶるのだろう。こんな曲を書きたい、こんな歌を歌いたい。
この思いがある限り、また新しい歌が生まれるはずだ。

気づけば、なんか、いい予感がしてきた。根拠はないけど、兆しを感じる。酔ったせい?
いつか形になると信じて、また降りてくるのを待ち続けよう。こんなことの繰り返し。
何度でも生まれ変わるため、これからも行きづまり続けよう。大丈夫やよ、オレ。
ー 2017年 10月26日

2018年9月19日水曜日

点と線の縁 - 大柴広己君のこと

今から10年前、当時まだ20代半ばだったシンガーソングライターの大柴広己君から連絡があり、「煮詰まっているので、リクオさんのツアーに同行させて下さい」といきなり直談判された。
彼とは、大阪のイベントで何度か一緒になったことはあったけれど、キャリアも年齢も随分離れていて、正直、当時は一緒にツアーを回るような関係性ではなかった。きっと、こちらに電話してくるのに勇気がいっただろうと思う。面白い奴だなあと思った。
その電話の翌週だったか翌々週だったか、はっきりと覚えていないけれど、決まっていた4ヶ所の四国ツアーに同行してもらうことにした。その実力はわかっていたので、急遽、各会場のオープニングアクトを彼にまかせることにした。

当時の大柴君はメジャーレーベルと契約したものの、思うようなレコーディングや音楽活動ができず、今後の活動のあり方に随分と悩んでいた様子で、ツアー中に色々と相談に乗った記憶がある。ただ、彼は悩みの最中にあっても、その悩みにすべてをとらわれることがなく、初の地方ツアーをしっかり満喫して楽しんでいるように見えた。その物怖じせず、オープンな姿勢を見て、彼はツアー暮らしが向いていると思った。

あれから10年の歳月を経て、今週末から2人で各地11ヶ所を回るツアーに出ることになった。車の運転は10年前と同じように大柴君にお願いするけれど(オレ、免許持ってないんです)、もちろん今回はオープニング扱いではなくがっつり2人のジョイントライブとしてのツアーだ。
この10年の間に大柴くんもすっかりツアー暮らしが身につき、日本各地で彼の話を聞くようになった。ツアー先で誰かが楽しそうに大柴君の話をしているのを聞くと、こちらも嬉しくなる。大柴くん、愛されてるなあと思う。

彼の音楽活動を見ていると、自分よりも若いミュージシャンを発掘して率先して共演したり、フェスやイベントを企画したり、「場」をつくり「縁を繋ぐ」ことにも、とても自覚的だ。それは、自分も心掛けている姿勢なので、関わりある30代のミュージシャンの中に、そういう志を持って実践している人間がいてくれることが嬉しくて頼もしい。

今回の2人ツアーには、10年前に一緒に回った街や会場も含まれている。愛媛県八幡浜ライブの主催者は、10年前の2人ツアーで初めて大柴君を知って以来、彼の愛媛ライブを企画し続けている共通の知人だったりする。大柴くんの紹介で初めて演らせてもらう会場も多い。
10年前の縁が今も続き、さらに繋がり広がり続ける中で、今回のツアーが実現したことが嬉しい。多いに満喫して楽しもうと思う。大柴くん、よろしくね。
ー2018年9月19日(水)

★リクオ&大柴広己「点と線の縁」
●9/22(土)名古屋・ハルマカフェ  オレ
●9/23(日)大阪枚方・ハングオンカフェ
●9/24(月)大阪谷町四丁目・スキッピー
●9/26(水)福岡・TheVoodooLounge
●9/28(金)愛媛八幡浜・スモーキードラゴン 
●9/29(土)高知・Sha.La.La(今年移転) 
●9/30(日)高松市・Bar RUFFHOUSE 
●10/1(月)岡山・MO:GLA(モグラ) 
●10/8(月)山形米沢・ARB 
●10/9(火)岩手盛岡・すいれん 
●10/10(水)秋田・カフェブルージュ  
ライブ詳細:http://www.rikuo.net/live-information/