2024年4月29日月曜日

奇跡の起きる場所 ー 祝、磔磔50周年

自分の磔磔での初ステージが’85年。その39年後、こんな風に磔磔のステージに立つことができて、お店の50周年をお祝いできるなんて、当時は想像できなかった。

ステージの上にはティーンエージャーの頃にテレビやライブで観ていた子供バンドとアナーキーの人がいて、一緒に大人気なく盛り上がっているのが、あらためて不思議に思えた。もちろん、当時は、この2人とバンドを一緒にやるなんて想像できなかった。

磔磔の業務からは一線を退いているボスこと水島さんが早い時間から車椅子で会場に来てくれたのも嬉しかった。バブルの真っ只中に、就職活動すらせず大学を卒業した自分を、アルバイトで受け入れてくれたのが磔磔で、水島さんは、言わば当時の上司。色々とお世話になりました。いいライブもたくさん観させてもらったなあ。

今や息子の浩司君がしっかりと後を受け継いで、頼もしい限り。50周年イベントシリーズも素晴らしい企画ばかり。
今回のピーズとの対バンは、うじきさんからのリクエストを浩司くんからピーズ側に伝えてもらっての実現。
うじきさんが音楽活動を休止して、芸能人、司会者として活躍していた頃に、デビュー当時のピーズのアルバムを聴いて衝撃を受けたのだそう。

ピーズのハルくんとアビちゃんが参加してのアンコールセッション2曲中の1曲「実験4号」は、自分の弾き語りアルバムでカヴァーさせてもらってる曲で、今回、ハル君にセッション曲としてリクエストさせてもらった。
もう1曲のセッション曲「サマータイム・ブルース」は、ABIちゃんがティーンエージャーの頃に子供ばんどヴァージョンでコピーしていた曲だったそう。

こうやって長い時間をかけて奇跡が起きる準備が進められてきたのだ。
思い入れや背景、歴史が積み重なってゆく程に、音楽はより豊かに共有されてゆく。磔磔はこれからも奇跡の起きる場所であり続けるだろう。

たくさんのお客さん、演者、スタッフのみんなと一緒に磔磔の50周年をお祝いすることができて幸せでした。
これからもよろしくお願いします。

FoREVER YoUNGERSの3公演ミニツアー、どの会場も愛と熱気に溢れていました。
ありがとう、また。

●4/28(日) 京都市・磔磔 『磔磔50周年記念 ピーズ × FoREVER YoUNGERS』 
出演:ピーズ / FoREVER YoUNGERS









ー 2024年4月29日(月)

2024年4月25日木曜日

雑多性の喪失 ー ‟下北線路街”を歩いて考えたこと

リハーサル前に、世田谷代田から下北沢に向けて、再開発で生まれた新しい通り‟下北線路街”を歩いた。
カフェを併設した日記専門店、台湾のソウルフード店、発酵食品店、割烹(かっぽう)や茶寮も併設した温泉旅館etc.バリエーション豊かな施設が並んでいて、何度も足が止まった。
街路は緑豊かで、天気の良さも相まって、しばしの心地良い時間を過ごすことができた。でも、どこかに違和感も残った。

今カフェでこの文章を綴りながら、下北沢界隈が再開発によって得たものと失ったものについて考えている。‟下北線路街”でのひと時は心地良く、随所に街作りの工夫とセンスを感じたけれど、再開発以前、この界隈近くに12年間住み続け、夜な夜な下北沢に通い続けた一人として、再開発によって切り捨てられ失われたものがあることも忘れずにいたい。
下北沢界隈が整然さと利便性を手に入れることによって失いつつあるものの一つは、「雑多性」だと思う。
その「雑多性」の喪失が生み出すものの一つは「分断」だろう。

そんなことを思いながら、大阪万博のことも考えた。
万博開催によって何を得て何を失うのか、何のための開催なのか、何が切り捨てらてゆくのか、これからの街づくりのあり方、持続可能な社会のあり方、50年後の未来にどう繋げるのか、等々。
哲学的思惟を含んだ未来へのビジョンが描き切れていないし、賛成と反対の二元論に縛られない議論も十分ではないように感じる。そして、そういった状況が、開催の価値や意義を下げていると思う。
このまま開催に向けて闇雲に走り続けていいものだろうか。

ー 2024年4月25日(木)

2024年4月15日月曜日

名古屋・open houseにて有山さんとのツアー楽日

 添付した写真は、名古屋今池・open house終演後、左から有山さん、open house&得三の代表・森田さん、オレ。


再オープンしてからもお世話になってるopen houseは、35年前に有山さんと2人でライブをやらせてもらった場所でもあり、個人的な思い入れで、今回の有山さんとのツアーのライブ会場から外せない場所だった。
open houseが最終日でよかった。

ステージ上の有山さんは、いつもに増して自由奔放。
MCは長過ぎたかもしれないけれど、それも含めて有山ワールド。

有山さんの音楽性はブルースの枠には収まりきれないけれど、有山さんの枠からはみ出すブルーズギターのエグさ、衝動は、まさにブルースの「真髄」。自分は一番近い場所でその「真髄」を堪能させてもらった。昨夜のギターは特にエグかった。

客席には、35年前のopen houseでの有山さんとのライブを観に来ていたお客さんが数人来てくれていて、それも感慨深かった。

マスターの森田さんが喜んでくれた様子だったのも嬉しかった。
今回の有山さんとのツアーの目標の一つは、お世話になってきた各お店のマスター&ママさんに喜んでもらうことだったので、その目標はしっかり達成できたんじゃないかと思う。

有山さんも自分も現在進行形であることを確認できたツアーだった。有山さんは終始、音を奏でるときめきに満ちていた。自分もずっとそうありたいと思えたし、そうあり続けられるような気がした。

今回のツアーは、自分にとって、かけがえのない宝物となった。
ツアーは終わったけれど、有山さんとはまたご一緒させてもらう機会があると思う。もう次の共演が楽しみ。

各地でお世話になった皆さん、来てくれたお客さん、そして、有山さん、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

有山さん、お互い飲み過ぎに注意しましょうね。







2024年4月13日土曜日

ヤギヤスオさんのこと

SNSを通じてイラストレーターのヤギヤスオさんが9日に亡くなられたことを知る。
'90年代後半から'0年代前半くらいにかけて、ヤギさんとは特に下北沢界隈でしょっちゅう一緒に飲ませてもらっていた。自分のライブにもよく顔を出してくれて(特にThe Herzのライブ)、ときには持参のビデオカメラでライブを撮影してくれることもあり、そのワンカメ映像のセンスが抜群だった。
目利きのヤギさんが自分の音楽に注目してくれていることが嬉しかったし、ヤギさんを囲んでの雑談の時間はいつも楽しかった。大先輩なのに、大御所感が希薄で、えらそぶるところが全くなく、とにかく感性が瑞々しく可愛らしい人だった。

最後にお会いしたのは、10数年前に東京で開催されたヤギさんの個展会場だったと思う。ヤギさんは当時既に下北沢の喧騒を離れて山中湖近くに移住していて、自身の店仕舞いについてい色々と考えられている様子だった。

ボ・ガンボス、細野晴臣、ハイポジ、久保田麻琴と夕焼け楽団etc.自宅のCD棚の中から、ヤギさんがジャケットデザインしたアルバムを見つけ出すことは容易い。
昨年6月にツアーで尾道を訪れた際、知り合いのカフェ・ハライソ珈琲にコーヒーに寄ってみたら、たまたまヤギヤスオ展が開催されていて、ヤギさんが描いたアルバムジャケットの原画をいくつも見ることができた。原画からはポップにおさまらない混沌の迫力が伝わった。
見れてよかったなと思い、久しぶりにヤギさんに電話してみたのだけれど、その時は不通で話しすることができなかった。

自分が東京明大前に暮らしていた頃の思い出の中で、ヤギさんは欠かせない一人だ。
また一緒に飲ませてほしかったな。
ヤギさん、嬉しい言葉、多くの刺激、楽しい時間をありがとうございました。

ー 2024年4月13日(土)

2024年4月9日火曜日

「宿泊代高騰」「物価高によるチケット料金値上げ」「コロナ禍以降のライブ供給過多」について思うこと

「宿泊代高騰」「物価高によるチケット料金値上げ」「 コロナ禍以降のライブ供給過多」、この3つは自分くらいの規模で活動するツアーミュージシャン全員が、まさに今抱えている問題じゃないかと思う。

最近のホテル代高騰は異常だ。今までの定宿が、特に週末や観光シーズンに入ると、以前の倍どころが、場合によっては3倍、4倍の価格に跳ね上がったりするのだからたまらない。
インバウンドの観光客に対応した値段なんだろうけれど、エゲツナイなと思う。

宿泊代に限らず、こうも物価高が急な状況では、チケット代を上げざるをえない。基本的に、各公演のチケット代金を以前よりも500円程値上げさせてもらう機会が多くなった(離島など、物価が安い地域では据え置きにしたり柔軟に対応)。
ただ、物価と株価が上がっても、多くの人達の給与がそれらに比例していないことも理解しているので、心苦しく思うと同時に、お客さんがライブに来づらくなるんじゃないかとの不安も感じている。

自分の実感では、今、日本で開催されているライブイベントの総数は、コロナ禍以前を超えているように思う。とにかく、各お店のライブスケジュールが埋まる速度が、すごく早くなった。特に週末の日程が押さえづらくなっている。

それに対応して、自分は最近、都市部でのライブ開催を、週末にこだわることなく平日開催を積極的に考えるようになった。
ただ、地方のライブスポットに関しては、週末にしかライブを開催しないお店が多いので、それによって、ミュージシャン同士のスケジュールの取り合いのような状況が起きている。
どんどんブッキングの時期が早まっていて、「そんな先まで、スケジュールを決めたくないのになあ」と思いつつも、対応せざるおえない状況だ。

ライブの総数が増えても、多分、ライブ人口はコロナ禍以前よりも減っているので、今は需要と供給のバランスがかなり悪い、供給過多の状況だと思う。

ライブ人口やライブ文化の底上げのためには、ソロライブやワンマンライブばかりを繰り返して、ファンの人達を囲い込むのではなく、自発的にコラボライブや自主イベントを企画して、ミュージシャン同士、お客さん同士の横のつながりを広げてゆくことも大事なんじゃないかと考えている
ただ、コラボライブとか自主イベント企画って、普段のライブよりも経費と手間がかかるので、経済と心の余裕がないと二の足を踏んでしまいがちなのだ。
そこをこらえて、先行投資と考えて充実を選ぶことができるか。そういうジレンマと葛藤の中で、自分も活動を続けている感じ。
こういう話をミュージシャン同士でもっとできたらいいなと思う。

まあ、そんなことを考えたり悩んだりしながらも、楽しくツアー暮らしを続けられていることに感謝してます。

今年はアルバム発売記念ツアー、還暦イベントと、これから年内中、自分にとっての大きなライブイベントが続きます。
これからも、みんなと楽しくやりたいなあ。
引き続きよろしくお願いします。

ー 2024年4月9日(火)

2024年4月4日木曜日

「話し合い」と「寛容」について ー 「不適切にもほどがある」最終回の備忘録

ツアー先の仙台のホテルにてうまく寝付けず、ベットの中でドラマ「不適切にもほどがある」の最終回を考察するYouTube番組をラジオ感覚で音だけで聴いてたら、自分の思いと重なる意見や新たな発見があったりして、とにかく面白くて聞き入ってしまった。

無限まやかし【エンタメ面白解剖ラジオ】
芸人の大島育宙氏と高野水登氏が映画やドラマ、漫画などのフィクションを考察

「不適切にもほどがある」の最終回が放送されてから5日経ってもまだドラマの余韻を引きずっていたので、このYouTube番組は自分にとってタイムリーだった。
「寛容」をめぐる大島氏と高野氏の熱さと冷静さを伴った議論は聞き応えがあり、議論の過程で両者の考えが更新されてゆく様は対話の理想形を示しているように思えた。
完全に目が覚めてしまったので、備忘録のつもりで、自分も、番組の意見を参考にしつつ最終回の感想を少し書き残しておこうと思う。

ドラマは毎回、ミュージカルソングが披露されるのが恒例で、第1回放送では「話し合い」がテーマの歌が披露され、歌の中で「話し合いましょう」というフレーズが何度もリフレインされていた。
その後も、「話し合い」はドラマの重要なテーマの一つとなる。
けれど、ドラマ最終回においては、状況によっては必ずしも「話し合い」が万能ではないことを示唆する展開が用意される。 当たり前の話だけれど、「話し合い」は一方通行では成り立たない。時間を置くことも大切。「話し合い」も一筋縄ではいかないのだ。

「話し合い」に関するこうしたオチの付け方こそが、作品の多面性と誠実さを示していると思うのだけれど、ドラマを見続けなければオチが伝わらないあり方は、多くの誤解と批判を招いてしまった。
情報過多の時代においてワンクールのドラマにじっくり付き合うことが難しくなっている状況や、条件反射的なリアクションが可能なSNSのあり方が、批判に拍車をかけたように思う(一概に批判を否定するわけではないです)。

ドラマ最終回のミュージカルソングのテーマは「寛容」だった。歌の中で「寛容になりましょう」というフレーズが何度も繰り返されるのを聴いて、共感と同時に、正直、戸惑いも感じた。その思いはYouTube番組「無限まやかし」での藤原氏も同じだったようで、この歌に対してより肯定的だった高野氏との議論は多いに白熱した。

「寛容」はこのドラマのみならず現代のキーワードであり、もはや「ファイナルワード」のようにも自分は捉えている。故に「愛」と同様に、言葉が安易に消費され無意味化されてゆく危険性を孕んでいるように思う。
歌の中に「寛容と甘えは違う」というようなツッコミ的な歌詞も含まれているとは言え、少し表現の解像度が低く、言葉が都合よく解釈されてしまう懸念を抱いた。

3.11以降、差別する側が「レイシズム反対を訴える側にこそ自分たちが行う『区別』を受け入れる『寛容』さが欠けている」と主張したり、トーンポリシングの問題と結びつけてデモなどを通して理不尽に対する怒りを表明する態度を「不寛容」との言葉で押さえつけようとする傾向などを見てきたので、「寛容の肝要」を感じるからこそ、次第に言葉の使い方や使用場面を慎重に考えるようになっていたのだ。
ドラマの歌の締めの歌詞は「大目にみましょう」だけれど、そうだよなと思いつつ、大目にみちゃいけない場面があることも確かだとも思うのだ。

でも、脚本のクドカンさん(宮藤官九郎)はそんなことは百も承知なのかもしれない。このベタさ、直球具合こそがクドカンさんの覚悟と捉えることもできるように思う。言葉の危うさを自覚した上で、クドカンさんは批判覚悟で敢えて、「寛容」という露悪なき直球ど真ん中の「正論」をドラマの最後に投げ込んだのかもしれない。そして、ドラマを観続けてきた視聴者であれば、その真意は伝わるだろうとの思いもあったのかもしれない。
あるいは、クドカンさんは、この歌で再び批判が生まれることさえも、議論の機会としてむしろ良しとして期待していたのかもしれない。
個人的には、現在は「正論」が足りない時代だと思っているので、「相対化の時代」を生きてきたクドカンさんが、この状況において露悪表現なしに「正論」を投げかけることの意義の大きさも感じる。

自分は、このドラマを、自身の体験と重ね合わせて観る機会が多かった。第1話での「ケツバット」の場面は、中学生の野球部員時代に先輩からやられた側の記憶として、いい気分はしなかったし、少し心が固くなった。
ドラマのテーマの一つとなっている「話し合い」がうまくいかなかった苦い経験も思い出した。いつか面と向かって真意が伝わる時がくればいいなと思うけれど、その時点ではやはり「話し合い」はベストな選択ではなかったのだろうなと、ドラマを通してあらためて認識し直した。

「無限まやかし」でも語り合われていたけれど、マタハラで訴えた側の後輩・杉山ひろ美と訴えられた側の先輩・渚がエレベーターの中で偶然再会する場面は、最終回の中でも特に特に印象に残った。
2人はお互いに彼氏ができた近況を報告し合い、両者笑顔で別れる。互いの環境に変化が起こったことで、以前より2人に心の余裕ができてたことを窺わせる場面だった。
けれど、両者による「話し合い」が行われることはなく、多分、お互いのわだかまりは完全には解けていない。

後輩の杉山ひろ美と別れた後に、渚が自身に言い聞かせるように「寛容になりましょう」と呟く姿を見て、自分自身の経験が蘇り、「ああ、自分の方も相手を許せていなかったんだな」と気付かされた。
渚のように、自分自身にこそ「寛容」を言い聞かせてゆこうと思う。
そして、たまたま再会するような機会があれば、笑顔でいれるだけの心の余裕を持っていたい。

このドラマを通じて「何をいかに表現するか」の「いかに」の大切さと難しさをあらためて自覚させられた気がする。自分がどこまで受け取ることができたかわからないけれど、ドラマの中でクドカンさんが「いかに」表現するかを悩み自問自答した形跡は確かに感じられた。
ドラマのテーマとなるワードはシンプルでも、その言葉を肉付けしてゆく表現は多面的で気づきに満ちていた。繰り返し観れば、また新たな発見に出会うことのできる作品だと思う。
最初から最後まで深く楽しませてもらいました。

ー 2024年4月4日(木)