2024年4月25日木曜日

雑多性の喪失 ー ‟下北線路街”を歩いて考えたこと

リハーサル前に、世田谷代田から下北沢に向けて、再開発で生まれた新しい通り‟下北線路街”を歩いた。
カフェを併設した日記専門店、台湾のソウルフード店、発酵食品店、割烹(かっぽう)や茶寮も併設した温泉旅館etc.バリエーション豊かな施設が並んでいて、何度も足が止まった。
街路は緑豊かで、天気の良さも相まって、しばしの心地良い時間を過ごすことができた。でも、どこかに違和感も残った。

今カフェでこの文章を綴りながら、下北沢界隈が再開発によって得たものと失ったものについて考えている。‟下北線路街”でのひと時は心地良く、随所に街作りの工夫とセンスを感じたけれど、再開発以前、この界隈近くに12年間住み続け、夜な夜な下北沢に通い続けた一人として、再開発によって切り捨てられ失われたものがあることも忘れずにいたい。
下北沢界隈が整然さと利便性を手に入れることによって失いつつあるものの一つは、「雑多性」だと思う。
その「雑多性」の喪失が生み出すものの一つは「分断」だろう。

そんなことを思いながら、大阪万博のことも考えた。
万博開催によって何を得て何を失うのか、何のための開催なのか、何が切り捨てらてゆくのか、これからの街づくりのあり方、持続可能な社会のあり方、50年後の未来にどう繋げるのか、等々。
哲学的思惟を含んだ未来へのビジョンが描き切れていないし、賛成と反対の二元論に縛られない議論も十分ではないように感じる。そして、そういった状況が、開催の価値や意義を下げていると思う。
このまま開催に向けて闇雲に走り続けていいものだろうか。

ー 2024年4月25日(木)

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