2016年7月27日水曜日

だんだんよくする

今月10日(日)に、アルバム「Hello!」発売記念スペシャルライブの最終公演、東京下北沢GARDEN公演を終え、同日に行われた参議院選投票の結果を受け止め、少し身体を休めて、またソロツアーに出て、今週月曜にツアーから戻って、久し振りに曲作りにも取りかかったりしていたら、もう月末。週末には都知事選挙かあ。でも、やっと一息つけた感じなので、近頃を振り返っておこうとブログをアップすることにした。

10日のGARDEN公演については、ブッキングが決まった時点から、この日をひとまずの総決算にしようとの思いがあった。アルバム制作から始まった流れを、これからも続けていくのかどうか、10日のライブの内容だけでなく、そこに至るまでの現実的な結果を受けて、判断を下さなくちゃいけないとも考えていた。

取りあえず、発売記念スペシャルライブと銘打ったバンドスタイルでの名古屋、大阪、東京3公演を終えてホッとした。特に最終公演の下北沢GARDEN公演では、多く人達との関わりの中で、今までにない場を作り、一歩踏み出したパフォーマンスを展開することができたという手応えがあった。現時点で自分が見せることの出来るベストなステージだったと思う。
集まってくれたお客さん、関係者の皆さんからのダイレクトなリアクションには多いに救われた。確実に何かが変わり始めているし、自分自身が一歩踏み出せたことを実感できた。


Photo by 小山雅嗣

ガーデン公演のステージを終えた後に、何人もの知人が楽屋を尋ねてくれたのだけれど、その中の1人に業界の大先輩である伊藤銀次さんがいた。
銀次さんからは、まずこのようなありがたい言葉をいただいた。
「ついにやったね。『Hello!』の完成を経て今日エンターテイナーとしてのリクオが確立したと思う」
その後にはこんな言葉が続いた。
「今回のアルバムだけでは期待する結果は出ないかもしれなけれど、あと2枚、がんばってこの方向で作品をつくり続ければ、結果がついてくると思う。ウルフルズだって結構時間がかかったんだよ(銀次さんはブレイク前からプロデューサーとして長くウルフルズに関わり続けていたのだ)」
銀次さんの言葉を受けて、「あと2枚、この感じでアルバムつくるのは大変だなあ」と思いつつも、嬉しくて感激して、少しウルッとしそうになったくらいだ。銀次さんはこの日のライブレポートとアルバム「Hello!」の紹介を自身のFacebookとブログにもアップしてくれていて、その文章にもとても勇気づけられた。
https://www.facebook.com/ginji.ito/posts/959343164185283
http://ameblo.jp/ginji-ito/entry-12171119125.html


                                                Photo by 小山雅嗣

GAERDEN公演と参院選挙を終えて、劇的な状況の変化は起きなかった。けれど今、そのことを悲観してはいない。
参院選挙の結果と戦後4番目の投票率に低さには、やはりがっかりしたけれど、絶望はしなかった。もう少し正確に言うと、表立った結果は絶望的にも思えたけれど、選挙期間前からのさまざまな動きには希望を見いだすことができたし、それらの動きはある一定の成果をもたらした気がしている。そういった動きが各地で繋がり、一気にではなく次第にひろがってゆけばいいのではと思う。
自分は元々、極端な変化や革命を求めない保守的な一面を持った人間で、特に社会情勢において、劇的な状況の変化は、危険を伴うという意識が強いのだ。

少し一息ついてみて、アルバムをリリースしてからの自分は、結果を早急に求めて焦り過ぎていたのかなと思う。
7月10日のガーデン公演の後に、色々と判断を下そうと考えていたのだけれど、ライブを終え、これまでの状況を受けての自分の気持ちは、想像していたものとは違っていた。

少しずつ何かが変わり始めていることを実感して、今の気持ちは前向きだ。まだ始まったばかり。これからもこの歩みを懲りずに続けて、だんだんよくしていこうと思う。そう言えばオレ、「僕らのパレード」(共作:丸谷マナブ)で、そんなことを歌ってたんやよな。





今回のアルバム「Hello!」は、曲作りの段階から、聴いてくれた人達が歌に自身を重ね合わせてくれることを意識していたのだけれど、完成してみたら、パーソナルな要素も強く含んだ作品になっていた。アルバムを貫く「再生」というテーマは、自分自身のテーマでもあった。ポップで開かれた作品を作ろうと目指していたら、今の自分を投影した正直な内容になった気がする。

こういう作品をつくる事ができて、今自分がこういう形で活動を続けていられるのは、関わってくれるミュージシャンとスタッフ、応援してくれるお客さん、地方を含めた関係者の皆さんの存在があってこそだ。
自分は人と関わることが好きなんだなと思う。元々好きと言うよりは、音楽活動を積み重ねることで、孤独な作業を経て、人と関わり合い、互いを生かし合い、何かを生み出すプロセスにやりがいを感じるようになったのだ。

50歳を過ぎてからでも、面倒を引き受けて、色んな人達とのかかわり合いを続けながら、ともにときめき、いい夢を共有したいと思う。
だんだんよくしていこう。自分自身も、自分を取り巻く世界も。すべては繋がっている。
みなさん、これからもよろしくです。 
ー2012年7月27日(水)


Photo by  小山琢也

2016年7月21日木曜日

白黒を反転させないグラデーション ー 森達也監督「FAKE」を観た

公開前から気になっていた森達也監督のドキュメンタリー映画「FAKE」を、やっと観た。
語りたいことが一杯。いや、語りたい以上に語り合いたい、誰かと感想や意見を交わし合いたくなる映画だった。

噂のエンディング12分間は、期待以上だった。白黒を反転させるのではなく、あえてグラデーションを残す結末が、大きな余韻を残す。映画全体が、2極化に走る社会に対する強烈な問題提起として成り立っていて、安易な結論を許してくれない。もやもやさせされる。でも、そこがいい。さまざまな解釈を許す自由と楽しさが、この作品にはある。

映画が進むにつれて、佐村河内氏と寄り添い合う奥さんの存在が次第に大きくなってゆくのも印象に残った。この映画を2人の愛の物語として観ることもできる。あるいは、愛と信頼に支えられた佐村河内氏の再生の物語と捉えることも可能だ。
ただ、多くの感動を残しながらも、単純に感動のまま終わらせてくれないのが、この映画の真骨頂。

「さまざまな視点と解釈があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴しい」
映画パンフレットの中で、監督の森達也氏がこんな言葉を寄せている。
この態度は、当事者意識に欠けた厭世的態度として否定的に使われることもある「価値相対主義」とは違う、もっとリアルで丁寧、謙虚な感覚に基づいたものだと思う。
自分も、グレイゾーンを行き来し、逡巡を繰り返しながら、少しずつでも前に進んでゆきたい。この映画を観て、あらためてそう思った。

ー 2016年7月21日(木)


2016年7月8日金曜日

光は闇の中に ー 参院選とライブのこと

アルバム「Hello!」発売を記念したリクオ with HOBO HOUSE BANDによるスペシャルライブ・ツアーは、先週末の名古屋、大阪公演を終え、明後日7月10日(日)下北沢・GARDENで最終公演を迎える。その日は参院選の投票日でもある。なんだか自分の置かれている状況と参院選の状況がどこかでリンクしている気がして、ライブと投票日が重なることを、自分の中で勝手に意味付けたりしている。
「Hello!」という作品を作ってからは、自主レーベルを立ち上げ、今まで自分を知らなかった人にも音を届けたい、何とか状況を変えていこうと、元気にもがき続ける日々が続いた。
まだまだやり残したことはあるけれど、これまで現実に向き合いながら正直にやってきたということに関しては納得している。自分の欲や現実に向き合う程、無力さや限界を感じると同時に、可能性や希望も見えてくる。つまり、やってみないとわからないということだ。

時には、色々正直にぶっちゃけてる自分がかっこ悪くも思えるけれど、もう一人の自分はそういう姿をおもしろがっている。
51歳になって「あんな変なメガネをかけて、へんな格好でミュージックビデオ撮って、どうなん?」みたいなことを、人から言われるのも、ありだと思ってる。中途半端にやるよりは、振り切れたほうが面白い。すべてはネタになればOKだ。

参院選は、自分の期待する流れと照らし合わせると厳しい状況だ。
いくつものメディアが、今回の参院選で改憲勢力が3分の2議席に迫る勢いだと伝えている。3分の2に達するということは、自民党の改憲草案に基づいた日本国憲法改正への道が開かれる、戦後日本が一大転換期を迎えるということだ。
立憲主義に基づき、国家の行動を制約するために存在していた憲法が、自民党の改憲草案では、国家が国民に義務を求め
る要素が強くなっている。憲法の宛名が国家よりも国民の側への比重を強くしているのだ。

学校でも教えられた現憲法の根幹をなす三原則(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)の堅持が、改憲草案ではゆるめられている印象を受ける。3分の2の議席獲得後に政権がまず着手すると言われている「災害時の緊急事態条項の新設」の本質は戒厳令であり、独裁を許容し、国民の権利を抑圧するものではないかとの危惧もある。
原発の問題が、ほとんど選挙の争点にならないことにも強い違和感がある。忘れちゃいけないこともあるはずだ。
多くの無関心が、より時代を極端な方向に向かわせようとしている気がする。時には自分自身も、その無関心の側にいるので、えらそうに言える立場でもないのだけれど、さすがにこの状況はやばいなあと思う。

やっぱり現実にも向き合わないと、前へ行けない、希望が見えてこないというのが今の実感だ。さらに厳しい状況になる前に、世の中がもっと極端に流される前に、ちゃんと闇の中で目を凝らしたい。個を確立した上で人と繋がり、自分達で楽しいことや希望を見いだしたいと思う。う〜ん、ちょっと固すぎるかあ。

ここではないどこかではなく、たどりついた場所や与えられた場所をパラダイスにする。瞬間に全てを捧げる。その積み重ねの中で、状況を変えて行く。その基本姿勢に変わりはない。自分達で楽しむ術は、それなりに手に入れたつもりだけれど、今はそれだけじゃダメなんじゃないかって気がしている。自分を取り巻く状況、社会を取り巻く状況、どちらにも危機感があり、その2つはつながっている。こっち側で勝手に楽しみに続けることを、許してもらえない状況が迫っているように感じるのだ。

最近、3.11東日本大震災、福島第一原発事故直後の暗がりの中で感じていたことを、またよく思い出すようになった。
「光は闇の中に」
ずっと前から自分が歌い続けてきたフレーズが、あの状況の中でとてもリアルに響いたのを覚えている。不安と絶望的な気分の中で、どうにか希望を探し続けようとした日々が、自分のあらたなスタートラインとなったはずだった。まじめさとばかばかしさのバランスを取りながら、あのときの気持ちを忘れずにいたいと思う。

長野、高岡、名古屋、大阪とHOBO HOUSE BANDの面々とともにツアーしてきて、自分はホント音楽と人に救われているのだなあと実感している。音楽を仕事にすることで、当然しんどい思いをすることもあるのだけれど、瞬間、瞬間を音楽に捧げ続け、皆とエネルギーを交感し合うことで、すべてが報われてゆく感動を幾度となく味合わせてもらっている。この感覚を持ち続けることができれば、これからもいろんな現実を乗り越えてゆけると思う。

7月10日(日)下北沢GARDENのステージでは、HOBO HOUSE BANDのメンバー、スタッフ、お客さん、アルバム制作も含めて関わってくれるすべての人達の思いを受け取ってパフォーマンスするつもりです。その場にいられる幸せを噛み締めながら、皆さんと最高の一期一会を過ごしたいと思います。
お待ちしています。

●7/10(日)下北沢・GARDEN 03-3410-3431
~リクオ・ソロアルバム「Hello!」発売記念スペシャル・ライブ~
【出演】リクオ with HOBO HOUSE BAND
Dr.kyOn(キーボード&ギター)/椎野恭一(ドラム)/寺岡信芳(ベース)/宮下広輔(ペダルスティール)/真城めぐみ(コーラス)/橋本歩(チェロ)/阿部美緒(ヴァイオリン)
前売り¥4500 当日¥5000(1DRINK別途) 開場17:30 開演18:00
メール予約フォーマット:http://goo.gl/forms/Q7Y0pSdCYs 
参院選投票の証明書か投票場で撮った写真を提示すれば、前売り扱いで入場できます。

■リクオ・アルバム「Hello!」特設サイト→ http://www.rikuo.net/hello/




2016年7月1日金曜日

3度目の17歳

先月、15年のお付き合いになる年上の知人Aさんと1年振りに再会して、色々話しさせてもらった中で、Aさんがこんなことを言っていたのが印象に残った。
「僕はもうすぐ60歳になるんだけれど、自分では3度目の20歳を迎えるつもりでいるんですよ」
プライベートで色々あったらしいAさんは、自身の今を3度目の20歳とすることで、人生の再出発を考えているようだった。前向きな発想だと思った。
Aさんの話を自分の年齢に照らし合わせて考えてみたら、51歳の自分が、3度目の17歳を迎えていることに気づいた。何だか腑に落ちたような気分になった。

1度目の17歳は、自意識過剰の半引き蘢り状態で過ごした。
たまに街に出れば、誰かが自分を見てバカにしてるんじゃないかと過敏になった。常に取り残されたような無力感に苛まれていた。特に何をするわけでもなく1人で夜更かしばかりして、学校では寝てばかりいた。
常に身体がだるく、あまりに無気力な状態が続くので、病気じゃないかと心配になって(あくまでも身体の)、自主的に病院に行って人間ドッグを受けてみたら、検査結果を見た担当医から、精神科を紹介すると言われてしまった。想定外の展開に怖くなり、精神科に行くことを拒否して、そそくさと帰宅した。
あのとき、自分のことを病気扱い、特別扱いにしなくてよかったと思う。そもそも、そんな大袈裟な話ではなく、心身のバランスの悪いティーンエージャーにごくありがちな症状だったのだ。
当時はクリエイティブなことは何もしていなかったけれど、この頃の悶々とした「ため」が、後の創作に役立った気がする。

2度目の17歳にあたる34歳は、前回のブログでも振り返った時期だ。デビューから8年間お世話になった事務所を離れてフリーになり、今のようなツアー暮らしを始めたばかりの頃で、余裕がなく毎日が必死だった記憶がある。
ソロ活動と平行してThe Herzとしてのバンド活動も活発化していて、音楽性の幅がぐっと広がった時期でもあった。とにかく、今のままの自分ではだめなんだと自覚して、いろんなことにトライして、もがきながら前に進もうとしていた気がする。2度目の17歳は、現在に繋がるあらたな音楽生活のスタート、再出発の年だった。

そして今、51歳の自分は3度目の17歳を迎えて、またあらたなスタートを切ろうと、自主レーベルを立ち上げたり、ポップなアルバムを作ったりして、元気にもがいてる最中だ。
状況を大きく変えるのはなかなか難しいけれど、積み重ねた実感と、身につけたたくましさ、しなやかさで、17歳の頃よりも、34歳の頃よりもさらに弾けてやろうと思っている。

人は年を重ねるほど若くなってゆくとヘルマン・ヘッセが語っていたけれど、自分に関しては、あたってる気がする。これって、アンチエイジングとはまた別の感覚だ。
1度目とも2度目とも違って、3度目の17歳は格別だ。こうなると長生きして4度目、5度目の17歳も体験してみたくなる。また違った世界が見えてくるはずだ。4度目の17歳の68歳になって、またあらたな景色の中で葛藤したりするのもいいかなと思う。
取りあえず、まだ人生に飽きることはなさそうだ。

さあ、明日からアルバム「Hello!」発売ツアーの集大成、バンドセットによるスペシャル・ライブ3公演(7/2名古屋、7/3大阪、7/10東京での)が始まります。
チケットが売り切れたりしないのが悔しいけど、今からでも間に合いますので、ぜひ3度目の17歳を迎えたリクオの集大成ライブにお立ち会い下さい。

★リクオ・ソロアルバム「Hello!」発売記念スペシャル・ライブ
出演:リクオ with HOBO HOUSE BAND
Dr.kyOn(キーボード&ギター)/椎野恭一(ドラム)/寺岡信芳(ベース)/宮下広輔(ペダルスティール)/※真城めぐみメンバー(コーラス)/※橋本歩(チェロ)/※阿部美緒(ヴァイオリン) ※は東京公演のみ参加  
●7/2(土)名古屋・得三(TOKUZO) 開場18:00 開演19:00
●7/3(日)大阪・心斎橋 Music Club JANUS 開場17:00 開演18:00
●7/10(日)下北沢 GARDEN 開場17:30 開演18:00
メール予約フォーマット→ http://goo.gl/forms/Q7Y0pSdCYs
ライブ詳細→ http://www.rikuo.net/live-information/
「Hello!」特設サイト→ http://www.rikuo.net/hello/









2016年6月19日日曜日

実感の積み重ね ー 北海道にてツアー暮らしを振り返る

8日間で北海道6ヶ所を回るツアーから戻ってきたのが月曜日。それからツアーの余韻にひたることなく、日々に負われてもう週末。ライブイベントとプロモーションをかねて訪れた大阪のカフェで一息ついて、このブログを書いている。
北海道ツアー中に、色々感じたり、振り返って考えることが多かったので、忘れないようにまとめておこうと思う。

一言で言えば、充実したツアーだった。やはりアルバム「Hello!」のリリースを受けてのツアーであることが、大きかったのだと思う。お客さんの期待感とこちらの意気込みが、会場の熱量を高め、いつも以上のエネルギー循環を生みだした。
ツアー中、今までずっと自分の作品を聴いてくれていた何人もの人達から、新譜「Hello!」に対する思いを聞かせてもらって、とても勇気づけられた。アルバム各曲に自分自身を重ね合わせて聴いてもらえていることが嬉しかった。
ツアー前は、心身ともに少々疲弊した状態だったのだけれど、北海道入りしてから体調が上向き始めた。北海道の自然にふれ、多くの人達からダイレクトに想いを受け取って、気持ちが前向きになってゆくのを感じた。

ツアー中、少し心の余裕ができたせいで、今から18年前、’98年のツアーで北海道を訪れたときのことを思い返した。今のような年間100本を超えるペースで各地をツアーして回るようになったのは、この年からだ。
デビュー当時からお世話になった事務所を離れたばかりの頃で、スタッフや共演者の帯同なく1人だけで1週間以上の長いツアーを回るのは、このときが初めての体験だった。今回の公演先に含まれていた芦別・ディランと旭川・アーリータイムズとのお付き合いは、この時のツアーから始まった。

そもそも、自分が今のようなツアー暮らしに活動の中心を移行させたのは、必要に迫られてのことだった。メジャーレーベルからリリースし続けたCDが売れず、レコード会社との契約が切れたことで、事務所からの給料がストップし、歩合によるギャラ制に移行するも、それでは食っていけなくなり、どうしようもなくなって事務所を離れたことがきっかけだ。つまりは、食っていくための限られた選択だったのだ。
元々、ライブは好きだったので、ツアー暮らしへの移行は、嫌々というわけではなかったけれど、メジャーデビューしてから約7年で「売れなかった」という事実は、はっきりと挫折だった。18年前の北海道ツアーは、事務所を離れたばかりの不安と売れなかったという挫折を引きづりながらの、自分にとってのリスタートだった。

ツアー中は、いい夜もあれば、寂しい夜もあった。総じて慣れないことが多く、「しんどいツアーやったなあ」という印象が残っている。
ツアーの半ば、初めて訪れた街で1日を過ごし、朝目覚めたら、急に絶望感にさいなまれ、自分でも驚いた。宿泊先を出て、次のツアー先に向かう間も後ろ向きな考えばかりが堂々巡りして、ちっとも前向きになれない。突然、自分のキャラが変わってしまったような感じ。
広くてどんよりした北海道の空を見上げながら、「もう楽になりたいなあ」などと思っている自分を、「こいつ、ちょっとやばいなあ」と割と冷静に心配してるもう1人の自分がいた。こういう鬱的状態に陥るのは初めての体験で、自分がそういう心持ちになることが意外だった。フリーになってから、心身の疲れがたまっていることにも気づかないくらい、ずっと気が張りつめていて、その反動が一気に襲ってきたのだと思う。
けれど、鬱的状態に浸る余裕もなくツアーは続いた。幸い、1人にならなければ、強い落ち込みがやってくることはなかった。その後のツアーも盛り上がったり、落ち込んだり、起伏の激しい毎日が続いた。
始めての土地、初対面の人達、1人だけのツアー、ファンではないお客さんの前でのステージ。そんな中で、自分はさまざまを学んでいった。というか、学ぶしかなかった。
しんどいツアーではあったけれど、当時の体験がその後の自分に及ぼした影響は大きかった。そういった意味で、北海道は、自分のツアー暮らしの原点ともいえる場所だ。

ツアーを重ねるうちに、ライブに対する自分の意識が少しずつ変化していった。独り善がりになってはいけない。力まず視野を広く持つ。ライブの醍醐味はエネルギー循環による化学反応であり、毎回のステージが一期一会。その瞬間にすべてをかける。そのような意識が強まっていった。
それまでは、自分のことを知ってもらいたい、わかってもらいたいという自我が強すぎたのだと気づいた。それよりも、集まってくれた人達と一緒に最高の解放空間をコーディネイトしてゆくことの方が大切で、そこにこそライブの醍醐味を感じるようになった。そういった姿勢の変化によって、毎回のライブがより新鮮に感じられるようになった。
ツアー暮らしに慣れてくると、ツアーが楽しくなってきた。人と出会って、いろんな話を聞かせてもらうことが面白く感じるようになった。各土地の風土の違い、気質の違い、価値観の違い、時間の流れの違いが興味深く感じられ、それらを自然に受け入れられるようになってきた。
人も土地も多様であると実感するようになった。ツアーを重ねることで、五感のバランスが整い、心の風通しが良くなり、自分の中のワイルドネスが解放されてゆく気がした。よく弾き、よく歌い、よく飲み、よく語り、ときに羽目を外し、アホをやらかす日々が続いた。かつでのナイーブな青年キャラはどこかに行ってしまったようだった。

ツアー暮らしは実感の積み重ねだった。その積み重ねが数字に負けそうな自分を救ってくれた。ダイレクトな反応が、自分に自信と確信を与えてくれた。そういった感覚は、今も変わらないなあと、北海道の地でつくづく思った。

自分は気力が続く限りは、今のようなツアー暮らしを続けられたらと思う。ただ、その一方で、今のツアー暮らしに埋没してはいけないとも思う。いい曲を書いて、いい作品をつくり続けたいし、そのことで目に見えない誰かからも評価されたい。本当は、規模の大きいホールでのツアーもやりたい。そのためには数字に向き合う時間もつくろうと思う。今は、そういう時期なんだと思う。
音楽で食ってゆくこと事態が、増々難しくなりつつある世の中だから、いくつになってもトライし続けなければ、現状維持も難しいだろうと自覚している。
広い視野で何事も楽しむ余裕と、色んな人達に支えてもらっている感謝の気持ちを忘れずに、まだまだ元気にもがいてやろうと思う。

ツアーもいよいよバンド編成による5公演を残すのみ。皆さん、お待ちしてますよ。
ー 2016年 6月19日

★〜リクオ・ソロアルバム「Hello!」発売記念ツアー〜
【出演】リクオ with HOBO HOUSE BAND(ドラム:椎野恭一/ベース:寺岡信芳ペダルスティール:宮下広輔)
●6/25(土)長野・ネオンホール 026-237-2719
●6/26(日)富山県高岡市・カフェ・ポローニア 0766-63-3283

★〜リクオ・ソロアルバム「Hello!」発売記念スペシャル・ライブ〜
【出演】リクオ with HOBO HOUSE BAND
Dr.kyOn(キーボード&ギター)/椎野恭一(ドラム)/寺岡信芳(ベース)/宮下広輔(ペダルスティール)/※真城めぐみ(コーラス)/※橋本歩(チェロ)/※阿部美緒(ヴァイオリン) ※東京公演のみ
●7/2(土)名古屋・得三(TOKUZO) 052-733-3709
●7/3(日)大阪・心斎橋JANUS 06-6214-7255
●7/10(日)下北沢・GARDEN 03-3410-3431

■ツアー詳細→ http://www.rikuo.net/live-information/
■「Hello!」特設サイト→ http://www.rikuo.net/hello/
■「僕らのパレード」MV https://youtu.be/Rl5h__LNwRU
■「大阪ビタースイート」MV https://youtu.be/A6-57XGuLoQ

2016年6月4日土曜日

売れたい理由

年明けから、レコーディング、レーベル立ち上げ、ライブイベント開催、アルバムリリース、プロモーション、ツアーと動き続けているうちに、もう6月になってしまった。充実はしているけれど、余裕がない。ライブと打ち上げの時間以外は、いつも何かに急き立てられている感じ。創作時間が足りないし、もっとゆっくりテレビが観たいなあと思ったりもする(テレビ好きなんです)。と、言いつつも「トットちゃんねる」とか「ゴットタン」「ワールドプロレス」は、録画して観ている。

自主レーベルを立ち上げてアルバムをリリースするにあたっては、いろんな無理を承知で、人に迷惑をかけ過ぎない程度に身の丈をこえようとしたのだけれど、予想以上にやることが多くて、こなしきれていないもどかしさを感じている。
目に入ったり耳にする作品への評価は、今までになく好評で勇気づけられるのだけれど、目標とするセールスに至るまでの道のりはまだ遠い。

今回のアルバム・リリースにあたっては、今までになく数字と評価に向き合うことを意識している。
理由はいくつかあるけれど、まず現実問題として、アルバムの制作費がいつになくかさんだことが大きい。アルバムのリクープライン(制作費を回収できる枚数)が相当に高くなってしまって、自作の通常売り上げでは、全然回収できなくなってしまったのだ。まあこれは、制作途中でアナログレコーディングに移行して、録り直しを始めた時点でわかっていたことで、そこでもう、かなりの覚悟は決めていた。

アルバム制作にあたっては当初から、スタンダードを意識した楽曲をおさめたポップ・アルバムを作りたいと構想していた。ポップスとは、多くの人達との共同作業によって生まれるものだと思っていたので、制作にあたっては、今の自分ができうるぎりぎりの無理をして(無理もお願いして)、なるべく多くの人に関わってもらうよう心掛けた。この流れは、2年前にリリースしたアルバム「HOBO HOUSE」から始まったと言える。
結果、アルバム「Hello!」は、自分が活動をインディーズに移して以降、最も多くの人達の関わりによって生まれた作品となった。関わってくれた人達とは、これ一度きりでなく、これからも一緒に仕事がしたいとの思いが強い。これは、7月の発売記念スペシャルライブに関わってくれているPAや照明、舞台スタッフに対しても同じ気持ちだ。
そのためには、数字としての結果を残さなけきゃいけない。7月の東名阪のライブも成功させなきゃいけない。そうしないと、次につながらない。次につなげることが、関わってくれた人達への恩返しにもなると思っている。

つまり、もっと売れなきゃいけない。売れたいっす。ああ、言うたったー。

でも、どうしたらいいんやろ。インディーズの自主レーベルで出来得ることは何でもやろうと、色んな人達に協力をお願いして、忙しく動いてはいるけれど、今、投げてるボールを、一体どれだけの人が受け取ってくれてるんやろと不安にもなる。作品の力が足らんのか?いやいや、そんなはずはない。などと、自問自答したり、悶々としながらも、元気は失わず、プロモーションにツアーに忙しく動いている最中だ。

今年の1月に武道館でウルフルズのステージを観た。メンバーとは昔からの知り合いで、同じ時代に、同じ関西で音楽活動を始めたバンドとして、彼らのことをずっと意識し続けてきた。ギターのケイヤン(ウルフルケイスケ)とは、ウルフルズが活動休止中に、二人で全国をツアーして回った仲だ。
あの広い武道館のステージでも、ケイヤンはしっかりと存在感を示して、舞台映えしていた。サンコンのドラムは、パッションがグルーブとなって伝わり、今まで聴いてきた彼の演奏の中で最も印象に残った。ジョン・Bの歌う「所在ない」は、あの日のステージのハイライトの一つだった。松本君はスターって感じがしたなあ。歌の説得力は、さすがだった。
「ええなあ、オレもあのステージに立ちたいなあ」って思った。そして、そういう自分の気持ちに正直になろうとも思った。楽しい思いの方がずっと多いけれど、今まで悔しい思いも色々としてきたのだ。

自分が、今よりも売れたいと思うのは、経費回収の現実的な問題とか、恩返しとか、それだけが理由ではない。
これまでのキャリアの中で、自分なりに道を切り開いて来たという自負もあるし、多くの人達との関わりの中で、とても恵まれた音楽活動をやらせてもらっているという感謝の気持ちもあるのだけれど、一方で、今の状況に納得がいかない自分もいるのだ。
もっと作品が売れてほしいし、もっとたくさんのお客さんにライブを見てもらいたいし、もっと楽曲が評価されたい。口にすることはなかったけれど、ずっと抱え続けてきた気持ちだ。今回のアルバムリリースは、そんな自分の気持ちに向き合う一つの機会になっている。
こういうこと、口にするのは、ちょっと勇気がいりました。

50を過ぎても新しいことにトライしたいし、まだ道は切り開けると信じている。そういう可能性を、いろんな人達に見せられたらとも思う。こうした思いは、アルバム「Hello!」を貫くテーマともリンクしている。
ジョン・レノンは40歳で「スターティング・オーヴァー」を歌ったけれど、自分は51歳からの「スターティング・オーヴァー」を、見せられたらなと思う。1人ではなく、関わってくれている人達、応援してくれるお客さん達と一緒に盛り上がっていきたい、皆と一緒にいい夢をみたいと心から思う。
結局アルバムが売れず、ライブの動員にも結びつかないという結果が出たら、もちろん落ち込むけれど、卑屈になることは、もうないと思う。どちらにしても、くたばるまで音楽をやり続けるつもりだ。
ただ、時間は限られているので、自分の気持ちに正直に、トライできることは今のうちにやっておこうと思う。そして、そうした体験の全てを自分のネタにしたい。

というわけで、明日からまたアルバムを携えてツアーに出ます。実演販売は大得意。売りまくるぞー!締めは告知です。
明日5日からの北海道6ヶ所を回った後は、大阪での6/19(日)「大阪うたの日コンサート2016」出演を経て、バンド形態で長野(6/25)、高岡(6/26)を回ります。
そして、月が変われば、ツアーファイナルとして、名古屋(7/2)、大阪(7/3)、東京(7/10)にて、レコーディングメンバーにプラスしてDr.kyOnさんが加わる最強のサポートメンバーで、「Hello!」発売を記念したスペシャル・ライブを開催します。ここが大きな勝負所。
この3公演で、「Hello!」のカラフルでポップな世界観をさらに進めたエンターテインメントショーを目指します。最高のサポートメンバー、お客さん、スタッフらと一緒に、メモリアルな夜を刻みたいと思います。内容面でも動員面でも成功させて、次につなげたいです。ぜひ、観に来て下さい。応援よろしくお願いします。 
ー 2017年6月4日(土)

アルバム「Hello!」特設ページ http://www.rikuo.net/hello/
ライブ情報 http://www.rikuo.net/live-information/



2016年5月14日土曜日

熊本、大分の地震から一月を経て 

★熊本、大分の地震から一月を経て 

4月15日。アルバム発売記念ツアー初日の鹿児島公演の打ち上げを終えて、ホテルに戻り、クールダウンし始めた頃に、地震を知らせる携帯の警告音がけたたましく鳴り響いた。その数秒後に、かなり強くて長い揺れがやってきた。14日、熊本での震度7の地震直後の揺れだから、震源地が熊本であることはすぐに想像できた。
その後は、テレビをつけっぱなしにしつつ、ネットでの情報を追い続けた。鹿児島市内にいても強い揺れを感じたので、川内原発の状況も気になった。次第に、今回の地震が14日の地震を上回る被害をもたらしていて、熊本のみならず大分でも強い揺れがあり、かなりの被害が出ていることが明らかになってきた。その間も、余震が頻発し、携帯の警告音は夜明けまで繰り返し鳴り続けた。
ツアー2日目、明日のライブ地は熊本市だった。それまでは、予定通りライブを行うつもりでいたのだけれど、夜が明けるまでには、ライブができるような状況ではないことを理解した。早朝に熊本のライブ会場BATTLE-BOXのオーナー林田さんと連絡を取り合って、ライブは中止ではなく延期とすることを確認し合って、その旨の告知を急いだ。
林田さんによると、お店には相当の被害が出ていて、まだ強い余震が続いているとのこと。熊本の知人達と連絡を取り合うかどうか迷いながら、数人に連絡を入れる。ある知人は、強い余震が続いているので、車中泊しているとのこと。

17日のライブ地は博多だったのだけれど、この地震によって、JRは運行を中止し、既に陸路を経たれた状況だったので、急遽、ネットでエアチケットを予約し、一睡もしないまま、熊本空港から午前の便で福岡に向かった。
移動中は、なんとも複雑で重たい気分だった。仕方ががないことと思いながらも、熊本と大分の状況を想像して、後ろめたさがつきまとった。5年前の東日本大震災、福島第1原発事故直後の気分がよみがえった。
博多に到着したら、ホテルに荷物を預け、近くのカフェで一服した。少し気持ちが落ち着いたと思ったら、クラクラとめまいがした。と思ったら余震だった。

翌日の福岡・BASSICライブは、予約キャンセルが多く出た。来る予定だった知人から連絡があり、家族が外出を心配しているので、行けなくなったとのこと。
この夜、集まってくれたお客さんの盛り上がりは特別なものだった。こういった状況の中で、皆が希望を求めていたのだと思う。
ライブ後半で「新しい町」を歌っている最中に、涙腺がゆるんで、声が上ずってしまった。そんなことではダメだと思った。
東日本大震災から2ヶ月後に被災地入りして、もの凄い被災状況を見て回ったときは、心にリミッターがかかったみたいで、一切涙が出なかった。それらは感傷を許さない光景だった。

博多の夜は長かった。地元の知人、打ち上げで合流した大柴広己らと多いに飲んで語り合ったはずだが、飲み過ぎたせいであんまり覚えていない。
翌日、ヘトヘトで帰宅して、少し気を抜いたら、いろんな気持ちが押し寄せてきてズンと落ち込んだ。ああ、これはやばいなあと思った。しかし、落ち込んでいる余裕がないくらい、その後のスケジュールは立て込んでいた。
取り急ぎの結論は、とにかく寝ることだった。
翌日、目が覚めたら、昨夜より気分が前向きになっていた。気を落ち着けて頭の中を整理しながら、焦らず一つ一つに丁寧に対処してゆくよう心掛けた。その後もキャンペーンとツアーに負われる日々が続いた。それがよかったのかどうかわからないけれど、余裕無いままに気持ちは安定して、日々がどんどんと過ぎていった。

ネット上では、鹿児島の川内原発がこの地震を受けても稼働し続けている事への是非が盛んに問われていた。平行線をたどる議論を追いながら、原発の問題は、思想とか知識以前に、感受性の問題ではないかと思った。
自分は、こういう地震があったりすると、余計に原発を早く止めてほしいと願う。でも、止めたからそれで安全というわけでもなく、廃炉までには何十年も時間を要してしまう。かかる費用も莫大だ。
「ほんまに、えらいもんつくってもうたなあ、えらいもんに頼ってもうたなあ」と、つくづく思う。立ち入ってはいけないところまで、人間は立ち入ってしまったんではないかという気持ちになる。欲深さと傲慢が、人間が本来備えていた「畏れ」を麻痺させている気がする。自分の感覚も普段は麻痺しているのだろう。やっぱり忘れていいことと、忘れちゃいけないことがあるんではないか。あれから何を終わらせて、何を始めたんだろう、そんなことをあらためて考えさせられた。しかし、日々の中で、こういった感覚がまた薄れてしまいそうだ。

震災からもう一月も経ってしまったなあと思う。熊本と大分ではまだ余震が続いていて、被災地で暮らす人達は今も不安な日々をすごしている。
先日、熊本・BATTLE-BOXのオーナー林田さんと連絡を取り合って、延期になったライブの日程について話し合った。お店は現在もまだ復旧には至っていないけれど、8月には延期になったライブが行えそうだ。

最近、2011年3月の東日本大震災の直後に、松山千春さんがラジオで述べたという言葉を思い出している。

知恵がある奴は知恵を出そう。
力がある奴は力を出そう。
金がある奴は金を出そう。
「自分は何にも出せないよ」っていう奴は元気出せ。

大きなことは言えないけれど、被災地の知人達、お世話になった人達の顔を思い浮かべながら、まずは元気でいようと思う。
この一月の間、余裕のない日々を過ごしていたのだけれど、せめて地震直後からの自分の気持ちくらい、書き留めておこうと思った次第。さあ、これからステージ。全身全霊でのぞみます。
ー2016年 5月14日 那覇にて