2000年12月3日日曜日

2000年12月3日(日)

先日、CS放送で原一男監督の映画「全身小説家」を観た。小説家井上光晴の癌に 冒された晩年を追ったドキュメンタリー映画である。
学生時代に「ゆきゆきて神軍」という映画を観て以来、この監督の存在はずっと 気になっていた。
165 分、観終わったらどっと疲れたけれど、長い余韻が残った。

井上が自分の人生さえもフィクションで仕立て上げようとしていたことを、映画 は、彼自身の発言や行動、様々な証言から明らかにしてゆく。嘘つき少年だった井 上にとって小説家は天職だったようだ。井上は自分の過去をねつぞうすることによ って、過去からも自由になった。
映像が井上の真実に迫ろうとすれば、するほどに僕のなかで彼に対する幻想がふ くらんでゆくような気がした。作品のなかでフィクションとノンフィクションがせめぎ合い、強いリアリティーを生み出す様は、僕が理想とするプロレスの形をみて いるようで面白かった。
井上の、自由とは人に期待しないことだ、という言葉が頭から離れない。
映画の余韻がさめきらない2日後に、監督の原一男が今度はNHKの番組に登場し た。多発する10代の犯罪を受けて、原一男、ジャーナリストの江川招子、作家の 重松?がスタジオで現役高校生達と討論する4時間番組で、本質に迫れないもどか しさを感じながらも、最後までみてしまった。
大人の側は今の10代の若者を自分達とは別の生き物のように語ることがあるけれ ど、本当にそうなのだろうか。10代を理解し難いというのは、実は自分自身を理解 していないということではないだろうか。番組を観ながら、そんなことを考えた。
皆の心に潜む「暴力性」を議題に乗せたのは原一男だった。
僕はすべての人間の中に暴力性が存在すると思う。例えばセックスという行為には 常に暴力性が含まれているんじゃないだろうか。けれど、相手との深いつながりによ って、それが癒しに昇華されたりするのだと思う。大切なのは自分の持っている暴力 性と、どう向き合い、付き合ってゆくかだと思う。
討論に参加した多くの若者が殺したい、死にたいという感情を抱くことがあると語 っていた。今の多くの10代は、そういう感情を無意識下におさめることが出来ない 状況に置かれているのだと思う。
多くの人達が自分の中の暴力性を持て余している。けれど、その存在を否定すべき ではない。
話を奇麗事におさめず、自分の内面をさらして、10代とのコミュニケーションを はかろうとしていた原一男に、僕は好感を持った。

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