2013年2月22日金曜日

「We're All Alone」 の解釈を巡って

最近、Boz Scaggsの名曲「We're All Alone」 の歌詞の意味が気になって、ネットで色々と調べてみたら、さまざまな訳詞がアップされていました。ところが、元詞に対する意味の解釈が、それぞれに相当 違っていて、どれが正しいのかと最初は混乱してしまいました。けれど、ネットサーフィンをしながらさまざまな訳詞に目を通してゆくうちに、次第にその解釈 の違いが面白く感じられるようになりました。
 歌詞全体の内容を、駆け落ちや不倫の歌と解釈する人もいれば、「死んだ主人公を目の前にして悲しんでいる恋人に向かって、その“死んだ主人公”が語りか けている」という解釈にそって訳している人もいました。シンプルな歌詞のようでいて、これだけ解釈に幅が生まれるのは、この曲がそれだけ聴き手の想像力を 掻き立てる魅力を持っているという証拠かもしれません。
 その違いが最も顕著に表れていたのは、サビのフレーズにも出てくる曲タイトル「We're All Alone」 の解釈でした。この曲は、後にRita Coolidgeがカヴァーしてヒットさせていますが、そもそもボズとリタのヴァージョンでは邦題が違っています。ボズが歌ったヴァージョンには「二人だ け」という邦題がつけられていましたが、リタがカヴァーしたときは「みんなひとりぼっち」に変更され、タイトルの意味がまるで変わってしまっているので す。
 自分はと言えば、長年の間「みんなひとりぼっち」の解釈で、この曲を聴いていました。けれども今回、曲を聴いて、あらためて英詞を読み直し、さまざまな 訳詞を見た上で、どうも「二人だけ」寄りの解釈の方が、歌詞全体を通してしっくりくるように感じました。
  最近ではアンジェラ・アキさんが、この曲を日本語でカヴァーしていて、「人間は皆ひとりだから~」と歌っています。全体を通して、曲を自分の側に強引 に引き寄せたような、オリジナルな意訳で、新鮮な違和感を持ちました。違和感を持ったということは、ひっかかる何かがあったということでもあります。それ で、もう1度聴き直してみたら、1度目とは自分の感じ方、聴こえ方に変化がありました。曲のあらたなイメージに、自分の感覚が慣れてきたのだと思います。 聴き直してみることで「カヴァーだけれど本人のオリジナルな歌になっているんだな」と勝手に納得がいきました。こういう体験が自分にはとても面白く感じら れました。
 「We're All Alone」 の歌詞を探ることで、「曲や詞の正しい解釈を求め過ぎる必要はない」という結論をあらためて確認した気がします。その訳が誤りだったとしても、その誤りが もたらすオリジナリティーに充分な魅力が感じられることもあります。解釈に正解というものはなく、どんな曲も発表された時点で作者の手を離れ、聴き手の解 釈に委ねられるものだと思います。大切なのは、「どういう意味なのか」ということではなく、「聴き手がどう受け取り、解釈し、イメージしたか」だと思いま す。聴き手の想像力をひろげ、さまざまな解釈を可能にさせることが、きっと「名曲」の条件の1つなのでしょう。

 そういえば、自分は曲の歌詞やタイトルを聴き間違えられることが、結構よくあるのですが、その間違い方に毎回笑わされたり、関心させられたりしています。
 例えば「グレイハウンドバス」というタイトルを「京阪バス」と聴き間違えた関西人がいました。グレイハウンドバスはアメリカ大陸を東西に横断する今も実 存する長距離バスです。それくらいのスケール感で聴いてもらいたかった旅の歌が、隣街の京都大阪を行き来するスケールで聴かれていたとは。唖然としつつ も、笑えました。
 「孤独とダンス」という曲タイトルを「コルクとダンス」だと思い込んでいた人もいました。聴き間違いにしても、想像力を掻き立てるいいタイトルだなと関 心させられました。こうした間違いは、人間の想像力の面白さ、豊かさ、音楽が持つ自由さを伝えてくれるエピソードだと思います。

  「We're All Alone」 の歌詞を探る作業の中で、この曲に対する新たなイメージ、自分なりの解釈がどんどんひろがってゆきました。それは誰に頼まれたわけでもないたった1人の、 自分のためだけの楽しい作業です。そういった試みの中からも新しい曲は生まれてくると思います。多分。そろそろ、生まれてこないかなあ。
 2013年2月22日

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