アマゾンプライムビデオでドミュメンタリー映画『太陽の塔』を観た。
『太陽の塔』は1970年に開催された大阪万博のシンボルとして岡本太郎が制作した建造物で、万博終了後50年以上を経て今も万博公園に残され続けている。
2011年の東日本大震災から3週間後、自分は太陽の塔を観るために万博公園にまで足を運んでいる。震災と原発事故のショックで心揺れる日々の中、太陽の塔に何か答えを求めていたのかもしれない。
離れた場所からは寂しげに見えたその姿が、近くで見上げた時には突き抜けるようなエネルギーを感じたことを覚えている。
その時、特に印象に残ったのが、塔が背後に背負う「黒い太陽の顔」だった。
映画によれば、それは人間によって分析しつくされた太陽であり、核エネルギーの象徴とのことだった。
「原子力発電は、人類が人工の太陽を手に入れたことだ。」と太郎は語っている。
太陽の塔が、大阪万博のテーマであった「人類の進歩と調和」に対するアンチテーゼが込められた作品であることは明白だけれど、その表現は、糾弾に走らず、明確な答えや選択を提示することもなく両義的だ。
なんだかよくわからないけれど、とにかくスケールがでかい。過去、現在、未来、絶望、希望、矛盾、生と死、etc.全体的なものが表現されている感じ。そこには、人類が切り捨ててきた何かが含まれている。
自分たちは今、進歩と調和からはかけ離れた場所にいるのかもしれない。太郎が言うように、全体性を失った人間が他者や地球と調和をはかれるとは思えない。
万博から50年以上を経たこの時期を、「進歩と調和」の欺瞞に向き合う何度目かのチャンスと捉えたい。自分が生きている間に、既にいくつかのチャンスを逃してしまった気がする。
太陽の塔が今も存在し続けることは、一つの救いのように思える。取り壊すことのできない畏れや良心が働いたのかもしれない。
太陽の塔は、これからも時代を超えて「問いかけ」として存在し続けるのだろう。選択や答えを導き出すのは自分自身なのだ。
ー2021年9月27日(火)
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