2002年6月5日水曜日

2002年6月5日(水) 田辺市・カフェモーク

この日のライブにはヘルツのアルバムプロデュースをやってくれた山崎哲也君 がゲスト参加。
実は田辺は彼の故郷で、このお店のママである谷口さんには10代の頃、色々と お世話になっていたんだそう。それで俺が田辺でライブをすると聞いて急遽、 パーカッションをかついで東京から里帰りしてくれたのだ。
ライブには彼の家族もやってきて、ちょっとした凱旋ライブの様相。
山崎君とライブで本格共演するのは今回が初めて。実に思いっきりのよい、やん ちゃで弾けたプレイだった。がらの悪さがええ感じ。楽しい会話がステージでで きた。

2002年6月4日火曜日

2002年6月4日(火) 和歌山・OLD TIME

この日はワールドカップ日本対ベルギーが18時からということで動員が心配 だった。
でも結構席がうまって、あんまり関係なかったみたい。
最近、オールドタイムで演奏するといつも自分の歌がうまくなったような気がす る。音がええねんな。
今夜もええ感じ。よっしゃマスター打ち上がろ!飲みに行こ!

2002年6月3日月曜日

2002年6月3日(月) 和歌山県有田郡湯浅町・レストランかえん

和歌山ツアー初日。
和歌山ツアーを組んでくれた地元の音楽制作会社、フアーストテイクの松本さん が同行してくれる。浜村淳をもう少しアッパーにしたようなしゃべりで、いつも ハイテンションの人だ。松本さんとは毎回、夢のある話ができて楽しい。
主催者の尾根さんとは約10年振りの再会。 おっ、なんか尾根さん、渋みが出てかっこようなってるんちゃう? 俺もええとこみせたいね。
お店の回りは田んぼとみかん畑ばっかり。演奏中、水田の方からカエルの鳴き声 がよく聞こえてきた。先日の大阪城ホールとのギャップが笑える。 用意された60席程がええ感じでうまって、俺もお客さんも上機嫌のライブ。い やあ~ステージで飲む生ビールはうまい。

2002年6月1日土曜日

2002年6月1日(土) JAPANESOUL at 大阪城ホール

出演:リクオ、山崎まさよし、宮沢和史(THE BOOM)、元ちとせ、松たか子、コ ブクロ、玲葉奈、渡辺美里、アナム&マキ、忌野清志郎
 
出番を待つ間も、アンコールのセッションの時も、打ち上げの時も松たか子さんと隣どうし。色々と話もしたぞ。でもなかなか目を合わせてくれへんねん。かわ し方をわかってらっしゃる様子。笑顔が洗練されていて、気さくでチヤーミング な人でした。
俺のステージの評判はよかったよ。1万2千人のコール&レスポンスは気持ち良 かった。 打ち上げでYさんから「大阪城をライブハウスにしてたな。」と言われたのが嬉しかった。狙い通 りや!
この日に弾かせてもらったグランドピアノはホールの備え付けのものではなく、 スタッフの方々がリクオに最高のピアノを弾かせたいという思いで、大阪で一番 状態が良いと思われるピアノを選んで50万円の費用をかけて持ち込んでくれた そう。その熱意にレスペクト。そして心より感謝。

2002年5月26日日曜日

2002年5月26日(日)

ヘルツのラストツアーが終わった。
昨日のラストライブはステージもフロアも今までにない盛り上がり。 思いが凝縮されてた。
やっぱり、ヘルツはおもろい。そのことが確認できてよかった。
湿っけはなかった。そういう演出をするつもりもなかったし、そういう気にもならなかった。達成感というのもあんまりない。いつも、これぐらいの空間をつくれたらと思う。もっといけるんちゃうか、って 感じ。
この期に及んで、当日リハーサル中に曲ができてしまった(その曲には 「2002524」というタイトルがつけられ、ライブの1曲目で披露された)。
本番では曲のサイズやアレンジがかなりいつもと変わっていった。活動停止するバンドとは思えん姿勢やね。寺さんは客席に飛び込むし、学君はドラム.セット を破壊するし、俺はステージでシャドーボクシングするし(それを客席でみていた知り合いから「弱そうやった。」と言われた)、いつもよりアホな感じがよ かった。
後期のヘルツに欠けてたんはこのアホパワーやったんやと思う。それはワイルドネスとという言葉に置き換えてもいい。俺らはこだわりを持って生真面 目に音楽性を追及していく内に、ワイルドネスをなくしていった気がする。俺らがクールになろうとしたのは、熱を逃さないためやった。それがいつからかスタ イリッシュを演出するばかりのクールに変質していった。ヘルツの楽曲「ミュージッ ク・ライフ」の気持ち、それを忘れかけてたんやな。
多分、最近、俺らはそのことに気付いたんやと思う。ラストということでメン バーそれぞれが持ってたこだわりが薄れたこと、どの場所でもお客の熱気が高かったことなども幸いして、ラストツアーでヘルツのワイルドネスは高まって いった。
ツアーが終わって思う。俺らは、もっとアホになれる、もっとワイルドになれる、もっと弾けられる。そんな可能性を俺はこのツアーで感じた。だから終わった感じがあまりしない。
いや、でもやっぱり終わりやね。そんで、もう始まってる。 これからも始まりと終わりを何度も繰り返してゆくつもり。

今までヘルツを応援してくれた人達、支えてくれた人達に感謝します。本当に、ありがとう。
SEE YOU!

2002年5月1日水曜日

2002年5月1日(水)

石巻市、相馬市、いわき市の東北3ヵ所をソロ.ツアーして東京へ戻ってきたと ころ。
なんか最近、地方でのソロライブがやたらと盛り上がる。
昨日のいわき市ソニックでのライブも弾き語りにかかわらず踊り出すお客がいた り、女子がキャーと叫びよるから、さらにアドレナリンがでたね。そう、ダ ニー・ハザウェイのライブみたいな感じ。客席も一緒に歌ったりしてね、教会で ゴスペル歌って盛り上がってるような感じにも近かった。
この3日間、なんかが降りてきてた。はまった。で、ちょ?やばいとも思っ た。
俺なりにすかしたり、かわしたりしようとはしてたけれど、笑えない部分でお客 と波長が合いすぎる瞬間があって、後でちょっと怖いなと思った。 泣きたい人は笑わせたい。笑いたい人は泣かせたい。

最近、納得がいかず、腹立ってることが多いんやけど、この3日間はその感情を うまいこと昇華できた。いろんな人に会って、皆それぞれ素敵な感性を持ってい ることを実感できた。 期待していないことが、伝わっていたりして嬉しかった。

「芸術とは怨念である。」と言った小説家がいるらしいけど、自分は今まで、そ ういう感情とは、あまりちゃんと向き合ってこなかったかもしれない。 俺が創作活動を続ける限り、この「怨念」とやらが消えることはないだろう。 だって、すぐに理解されても困るしね。理解されない限り「怨念」は残ってゆく わけで。
こういうことを言うのははじめてやけど、俺はヘルツがあまり多くに伝わらず、 理解されないまま活動停止することが、今だに割り切れず、腹立たしい。 多分、ラスト.ツアーは皆の想いが凝縮されてハッピーに終わるとは思うけど、 割り切れない気持ちはどっかに残るやろな。
ヘルツの活動が停止しても俺はこれから、残された作品で、ヘルツの評価を上げ てやろうと思う。だから、その前に自分にたいする評価を上げんとね。
今後、もし俺が素敵にかっこよく軽い感じで歌っていたら、きっとそれは「怨 念」という燃料が燃えているからやよ。あれは、よう燃えるで。「憎しみ」も 「愛」も「憂鬱」も「怨念」もすべて、美しく燃やしてやる。 さあ、もうすぐヘルツのラストツアー。

2002年4月15日月曜日

2002年4月15日(月)

昼の2時からJ-WAVEでヘルツのスタジオライブ録り。
その後、ソロに関する打ち合わせを少し。そこで気持ちが疲れた。
気をつかってる自分がやな感じ。なんで俺が調停役やねん? バランスばっかりとってたらあかんわ。

本来、わがままなはずの俺がそうなられへんのは、なんでやねん? これを打算って言うの?俺が切れたら終わってまうやん。
一番大事なんは何? そればっかり優先してたらワイルドが消えてゆくよ。 おまえはそないに器用か?
そんな思いで六本木通りの歩道にたたずんでおったまさにその時、「リクオさ~ ん、リクオさ~ん。」と恥ずかしくなる程に馬鹿でかい男の声が車道から聞こえ てきた。 振り向けば走る車の窓から身を乗り出しておもいっきり手を振る奴がいる。シン ガーソングライターの東野純直君だった。まるで音信普通の兄貴に偶然30年振 りに再会したかのような興奮振り。無我夢中。 「アホや、あいつ。」 俺は思わずそうつぶやきながら、彼が消えてゆくまで手を振り続けた。 ほんの数秒の出来事だった。 東野、最高。

先日の札幌コロニーでのライブは弾き語りにもかかわらず、フロアはスタンディ ング形式。これ、大正解。俺の弾き語りは踊れるもん。 狙い通りお客さん、気持ちよさげに揺れてました。
俺の最近のステージでの口癖がリック.フレアーばりの「フゥ~!」という奇 声。この日のお客さんはわかってらして、俺が「フゥ~!」と叫べばすぐに 「フゥ~!」で返し、一曲がいい感じで終わる度に「フゥ~!」でこたえてくれ た。軽い感じでいいね!
札幌以外の皆さんも「フゥ~!」よろしく。