神奈川県藤沢市 太陽ぬ荘(てぃーだぬそう)スタジオロビー
【出演】リクオ/キム・ウリョン(元cutman-booche)
ゴールデンウイークの締めは自分が暮らす藤沢でのライブ。日中は汗ばむ陽気。8日振りに帰ってきたら、季節が変わっていた感じ。
先月末に風邪をひいて、大した症状ではなかったのだけれど、なかなか治りきらず、ツアー中は体調が万全ではなかった。昨日の大阪でやっと治った感じ。こんなに時間がかかるのはめずらしい。それでも、ステージ上で気力が途切れることがなかった。
この日のライブは、スタジオのロビーがライブ会場。太陽ぬ荘は、自分もよくリハーサル等で使わせてもらっている音楽スタジオ。ライブも何度もやらせてもらっていてスタッフとも馴染み。
この日のライブの企画発案は、こちらに越して来てからずっとお世話になっているミュージックバー、サウサリートのジョージさん。藤沢のいいところの1つ
は、お店同士で横のつながりがあるところ。お店同士が連携してこういう企画ができるのがいいと思う。この日は、馴染みのバーや居酒屋のマスターが何人も、
お客さんとして会場に駆けつけてくれた。客席に知人が多いのは、藤沢ならでは。
共演者のウリョン君とは、昨年末の20周年イベント以来の共演。彼のステージには腰越在住のベーシスト、かっちゃんと、藤沢のバー、ケインズでで何度が
セッションしたことのあるペダルスティール奏者の宮下君がサポートで参加。演奏者同士の気持ちが通じ合っていて、いいアンサンブルだった。
ウリョン君の音楽は、洗練されたリズムとアーシーなサウンド、少し泥臭い情感とのバランスが独特。彼の持ってる嗜好、世界観が、さらにどんな融合を果たしてゆくのかが楽しみ。
自分のステージは、いつも以上にリラックスモード。ツアーの締めにふさわしい盛り上がりになった。藤沢でライブをする時の会場の空気は、いつも開放的で
素晴らしい。アンコールでのウリョン君とのセッションも楽しかったなあ。きっと彼も藤沢を気に入ってくれたと思う。
打ち上げはサウサリートで。こちらも多いに盛り上がる。
藤沢に越してきて、もう3年。この街での暮らしが気に入っている。
2011年5月8日日曜日
2011年5月7日土曜日
「音楽ライブ」
「音楽ライブ」
【場所】和歌山県田辺市 アタゴヤマ(カッチャンタウン)
【出演】リクオ/有山じゅんじ/加川良/シバ/金森孝介/グラスホッパー/光玄/薮下将人
田辺の街との縁は長く、大学を卒業した直後の22年前、有山じゅんじさんのツアーに同行させてもらって訪れたのが最初だった。この日のライブの主催者の一人であるためさんとは、その当時からの付き合い。
ライブ会場のかっちゃんたうんはアタゴヤマにあるかっちゃんの別宅の敷地内。かっちゃんは中学生の頃に加川良さんに出会って音楽に目覚め、長年このよう なライブイベントの企画を夢見てきたのだそうだ。このイベントの出演者は、その手のファンにとってはたまらないメンバーだったと思う。
この日の田辺は日差しが強く、初夏の陽気で、絶好の野外イベント日和だった。陽が沈む頃には、蛙が一斉に鳴き出し、空には奇麗な三日月が見えた。
蛙と一緒にセッションしたのは始めてかもしれない。夜空を眺めながら、有山さんと一緒に演らせてもらった「ウーララ」は、ほんと気持ちよかったなあ。
加川良さんのステージを観るのは久し振りだった。素晴らしい集中力。とても60半ばとは思えないコンディション。感服。
【場所】和歌山県田辺市 アタゴヤマ(カッチャンタウン)
【出演】リクオ/有山じゅんじ/加川良/シバ/金森孝介/グラスホッパー/光玄/薮下将人
田辺の街との縁は長く、大学を卒業した直後の22年前、有山じゅんじさんのツアーに同行させてもらって訪れたのが最初だった。この日のライブの主催者の一人であるためさんとは、その当時からの付き合い。
ライブ会場のかっちゃんたうんはアタゴヤマにあるかっちゃんの別宅の敷地内。かっちゃんは中学生の頃に加川良さんに出会って音楽に目覚め、長年このよう なライブイベントの企画を夢見てきたのだそうだ。このイベントの出演者は、その手のファンにとってはたまらないメンバーだったと思う。
この日の田辺は日差しが強く、初夏の陽気で、絶好の野外イベント日和だった。陽が沈む頃には、蛙が一斉に鳴き出し、空には奇麗な三日月が見えた。
蛙と一緒にセッションしたのは始めてかもしれない。夜空を眺めながら、有山さんと一緒に演らせてもらった「ウーララ」は、ほんと気持ちよかったなあ。
加川良さんのステージを観るのは久し振りだった。素晴らしい集中力。とても60半ばとは思えないコンディション。感服。
2011年5月6日金曜日
5/6(金)マーサベストライブ
大阪 martha(dinning cafe+goods)
大阪に向かう前に、昨夜のライブを主催してくれた大学の後輩、多田と一緒に、山手にあるカフェ&ギャラリー、AIR CAFEとパン屋さんのネコノテパンを訪ねる。AIR CAFEのミカミ君からは、山手の空き家再生プロジェクト(http://www.onomichisaisei.com/index.php)の話など を聞かせてもらう。プロジェクトは順調に進んでいるようだった。
尾道は、他の街から越して来る若者が多く、古いものと新しいものが同居していて、歴史の連続性が感じられる。これからの街作りの1つの参考になるのでは ないかと思う。この街に来るといつも、経済至上主義の発想から遠く距離を置いて、新しい暮らしと街作りを模索している人達との出会いがある。考えてみれ ば、自分は日本各地で、そういう発想を持った人達に出会ってきたのだった。
心の風通しを良くして、大阪へ向かう。この日もいい天気。
自分にとってマーサは最も縁の深いお店の1つ。マーサのオーナー片平とは学生時代に一緒にバンドをやっていた仲で、奥さんのこゆきちゃんとも学生時代からの付き合い。
8年前にマーサがオープンしたときは、仲間が音楽に関わるお店を始めてくれたことが嬉しかった反面、大丈夫かなと心配もした。けれど、今や多くのツアー ミュージシャンから愛され、大阪でも人気のカフェに成長。3年前には、マーサの向かいに、姉妹店のバー、ロージーもオープン。
片平はもう一軒お店を出したいそうで、その時のお店の名前は「ロンリー」と決めているのだそうだ。わかる人はわかると思うけれど、3店ともトム.ウエイツの曲名なのだ。
「ロンリー」では自分がマスターになって、お客さんと1対1で飲みたいのだそう。お店の規模をどんどん小さくして、フェイス.トゥ.フェイスを目指してゆくという発想が面白いし、片平らしくていいなと思う。
この日のライブでは、3.11以降の自分の音楽に対する姿勢、変化をごく自然に表現できた気がする。その変化を、まだうまく言葉にはできないのだけれ ど、行間に想いを込める度合いが深まったことは確かだと思う。自分の中で祈りの気持ちが増したのかもしれない。
ライブを終えた後、とても充実感があった。お世辞や上辺の言葉を嫌う片平がライブ後に、この日のライブのことをとてもよかったと言ってくれたのが嬉しかった。
大阪に向かう前に、昨夜のライブを主催してくれた大学の後輩、多田と一緒に、山手にあるカフェ&ギャラリー、AIR CAFEとパン屋さんのネコノテパンを訪ねる。AIR CAFEのミカミ君からは、山手の空き家再生プロジェクト(http://www.onomichisaisei.com/index.php)の話など を聞かせてもらう。プロジェクトは順調に進んでいるようだった。
尾道は、他の街から越して来る若者が多く、古いものと新しいものが同居していて、歴史の連続性が感じられる。これからの街作りの1つの参考になるのでは ないかと思う。この街に来るといつも、経済至上主義の発想から遠く距離を置いて、新しい暮らしと街作りを模索している人達との出会いがある。考えてみれ ば、自分は日本各地で、そういう発想を持った人達に出会ってきたのだった。
心の風通しを良くして、大阪へ向かう。この日もいい天気。
自分にとってマーサは最も縁の深いお店の1つ。マーサのオーナー片平とは学生時代に一緒にバンドをやっていた仲で、奥さんのこゆきちゃんとも学生時代からの付き合い。
8年前にマーサがオープンしたときは、仲間が音楽に関わるお店を始めてくれたことが嬉しかった反面、大丈夫かなと心配もした。けれど、今や多くのツアー ミュージシャンから愛され、大阪でも人気のカフェに成長。3年前には、マーサの向かいに、姉妹店のバー、ロージーもオープン。
片平はもう一軒お店を出したいそうで、その時のお店の名前は「ロンリー」と決めているのだそうだ。わかる人はわかると思うけれど、3店ともトム.ウエイツの曲名なのだ。
「ロンリー」では自分がマスターになって、お客さんと1対1で飲みたいのだそう。お店の規模をどんどん小さくして、フェイス.トゥ.フェイスを目指してゆくという発想が面白いし、片平らしくていいなと思う。
この日のライブでは、3.11以降の自分の音楽に対する姿勢、変化をごく自然に表現できた気がする。その変化を、まだうまく言葉にはできないのだけれ ど、行間に想いを込める度合いが深まったことは確かだと思う。自分の中で祈りの気持ちが増したのかもしれない。
ライブを終えた後、とても充実感があった。お世辞や上辺の言葉を嫌う片平がライブ後に、この日のライブのことをとてもよかったと言ってくれたのが嬉しかった。
2011年5月5日木曜日
5/5(木) 尾道発宇宙
広島県尾道市 妙宣寺(尾道ロープウェー乗り場そば )
【オープニングアクト】KEIKI
日本全国を回っていて、尾道は特に好きな街の1つだ。もともと港町が好きなのだけれど、尾道という街には特別な風通しの良さと懐かしさを感じる。
妙宣寺の本堂でのライブは、いつも特別なエネルギーを受け取る。ちょっと大げさに言うと、ステージ上で自分が宇宙とつながっているような気分になるのだ。
尾道のライブで毎回オープニングで歌ってくれる多田(KEIKI)は、大学の軽音の後輩で、ライブの主催者でもある。彼の演奏を聴くのも、尾道に来る時の楽しみの1つ。
今回始めて聴いた新曲もよかったな。暮らしの中から生まれる、ほんとうに風通しの良い音楽だと思う。
リハーサル後に山手に散歩に出て、石段を昇ったら息が切れた。ツアーの疲れがたまっているようだ。
打ち上げでは、妙宣寺の住職加藤さん等から、先日、石巻と女川町にボランティアに言ってきたときの話を聞かせてもらう。そのときの写真や動画も見せても らった。加藤さんが「被災地には地獄と天国の両方が存在していた」と話していたのが印象に残った。10日後に確かに行く予定。
【オープニングアクト】KEIKI
日本全国を回っていて、尾道は特に好きな街の1つだ。もともと港町が好きなのだけれど、尾道という街には特別な風通しの良さと懐かしさを感じる。
妙宣寺の本堂でのライブは、いつも特別なエネルギーを受け取る。ちょっと大げさに言うと、ステージ上で自分が宇宙とつながっているような気分になるのだ。
尾道のライブで毎回オープニングで歌ってくれる多田(KEIKI)は、大学の軽音の後輩で、ライブの主催者でもある。彼の演奏を聴くのも、尾道に来る時の楽しみの1つ。
今回始めて聴いた新曲もよかったな。暮らしの中から生まれる、ほんとうに風通しの良い音楽だと思う。
リハーサル後に山手に散歩に出て、石段を昇ったら息が切れた。ツアーの疲れがたまっているようだ。
打ち上げでは、妙宣寺の住職加藤さん等から、先日、石巻と女川町にボランティアに言ってきたときの話を聞かせてもらう。そのときの写真や動画も見せても らった。加藤さんが「被災地には地獄と天国の両方が存在していた」と話していたのが印象に残った。10日後に確かに行く予定。
2011年5月4日水曜日
5/4(水)祈りは伝わる
祝春一番2011 40周年記念(4/30、5/1、5/3~5/5開催)
【場所】大阪 服部緑地野外音楽堂
【出演】リクオ/有山じゅんじ(vo,g)/石田長生(vo,g)/いとうたかお(vo,g)/小川美潮(vo)・スプラゥトゥラプス/木村充揮 (vo,g)withMOON CALL梅津和時(Sax)小山彰太(d)井野信義(wb)阿部篤志(pf)/坂田明(sax)Unit/笑福亭福笑/豊田勇造(vo,g)&YUZO BAND/ヤスムロコウイチ(vo,g)etc.
この16年間、ゴールデンウィークの時期は、大阪で開催される野外イベント、春一番に参加するのがずっと恒例になっている。
出演者の大半は馴染みの人達ばかり。楽屋では、例年のように方々で、再会の挨拶が交わされていた。ただ今年は、その風景の中に欠かせなかった阿部さんの姿がない。
フータさんと共に春一番を引っ張ってきた阿部さんは、昨年の11月に亡くなられた。イベンター、マネージャー、プロデューサー、ミュージシャン等さまざ なま顔を持っていた阿部さんは、何をするにしても、お金のニオイからは距離を置き、自分の感性を信じ、損得抜きで人を愛し、愛され、街に生き続けた人だっ た。自然、今年の春一番は阿部さん追悼の色合いが強くなった。
会場にはほぼ満員のお客さんが集まった。会場全体が終始「これぞ春一番!これぞ大阪!」と言いたくなるような、ステージと客席の距離のない、土着的で、 ゆるくて、ベタで、明るくて、自由な空気に包まれていた。それは阿部さんがフータさん達と一緒に作り出した世界だった。
自分のステージは、1曲ソロで歌った後、梅津さんにサックスで参加してもらった。ステージでは終始、どこか穏やかな気持ちだった。心は充分に開かれてい た。客席を眺め、天に向かって歌った。今迄の自分の春一番のステージの中で、一番の盛り上がりだったかもしれない。
祈りは伝わる。そう実感できたステージだった。
【場所】大阪 服部緑地野外音楽堂
【出演】リクオ/有山じゅんじ(vo,g)/石田長生(vo,g)/いとうたかお(vo,g)/小川美潮(vo)・スプラゥトゥラプス/木村充揮 (vo,g)withMOON CALL梅津和時(Sax)小山彰太(d)井野信義(wb)阿部篤志(pf)/坂田明(sax)Unit/笑福亭福笑/豊田勇造(vo,g)&YUZO BAND/ヤスムロコウイチ(vo,g)etc.
この16年間、ゴールデンウィークの時期は、大阪で開催される野外イベント、春一番に参加するのがずっと恒例になっている。
出演者の大半は馴染みの人達ばかり。楽屋では、例年のように方々で、再会の挨拶が交わされていた。ただ今年は、その風景の中に欠かせなかった阿部さんの姿がない。
フータさんと共に春一番を引っ張ってきた阿部さんは、昨年の11月に亡くなられた。イベンター、マネージャー、プロデューサー、ミュージシャン等さまざ なま顔を持っていた阿部さんは、何をするにしても、お金のニオイからは距離を置き、自分の感性を信じ、損得抜きで人を愛し、愛され、街に生き続けた人だっ た。自然、今年の春一番は阿部さん追悼の色合いが強くなった。
会場にはほぼ満員のお客さんが集まった。会場全体が終始「これぞ春一番!これぞ大阪!」と言いたくなるような、ステージと客席の距離のない、土着的で、 ゆるくて、ベタで、明るくて、自由な空気に包まれていた。それは阿部さんがフータさん達と一緒に作り出した世界だった。
自分のステージは、1曲ソロで歌った後、梅津さんにサックスで参加してもらった。ステージでは終始、どこか穏やかな気持ちだった。心は充分に開かれてい た。客席を眺め、天に向かって歌った。今迄の自分の春一番のステージの中で、一番の盛り上がりだったかもしれない。
祈りは伝わる。そう実感できたステージだった。
2011年5月2日月曜日
5/2(月)敦賀にて原発の話をする
福井 敦賀市 酒菜楽アリーナ
金沢から福井県敦賀市へ。
この日のライブ会場であるアリーナのマスターの野口さんから、リハーサル前に原発の話を色々と聞かせてもらう。
福井県が15基もの原子力発電所を抱えていることを、日本のどれくらいの人達が知っているのだろう。中でも、敦賀にある日本原子力発電の1号機は、日本最古の軽水炉で、安全性を疑問視する声の特に多い原発である。
野口さんの話によると、街で働く約50%の人達が原発に関わる仕事に就いているのだそうだ。原発との関わりを抜きにして、この街での暮らしてゆくことは 難しい。それでも、野口さんは、福島原発の事故をきっかけに、「この街の中から原発に異を唱える者が出てこなければいけない」との思いを強くしているそう だ。
リハーサルを終えた後、被災地である相馬の知人と電話で話をした。山口洋の呼びかけで集められた募金で購入し、届けられたロシア製のガイガーカウンター がとても役に立っているとのこと。今日の相馬の放射線量は高めだそう。一般市民がガイガーカウンターを必要とする時代がくるとは。
この夜のライブには、お店の常連さんが多く集まってくれて、とてもいい盛り上がりになった。
この日は清志郎さんの命日。気持ちを込めて歌った。
打ち上げにもお店の常連さん達が多く残って、賑やかな宴になった。楽しい話もたくさんしたけれど、宴も半ばを過ぎたあたりから、話題はまた原発のことが中心になった。
話を聞いていて、今回の福島原発の事故が、原発と共に暮らす敦賀の人達に与えたショックと不安の大きさを感じた。小学校の頃から学校の授業で原発の安全 性を教えられてきたという30代の男性は、今回の原発事故で、信じ込まされていたことが嘘だった、裏切られたとの思いを強く持ったそう。
この日は、敦賀原発2号機で放射線濃度が上昇との報道も。
「今日のライブ、いろんなことを忘れて久し振りに心から楽しめました」
ライブ後にお客さんの一人から受け取ったこの言葉が、とても心に響いた。
ビン.ラディン、拘束ではなく、殺害。アメリカという国家の恐ろしさをあらためて感じた。
金沢から福井県敦賀市へ。
この日のライブ会場であるアリーナのマスターの野口さんから、リハーサル前に原発の話を色々と聞かせてもらう。
福井県が15基もの原子力発電所を抱えていることを、日本のどれくらいの人達が知っているのだろう。中でも、敦賀にある日本原子力発電の1号機は、日本最古の軽水炉で、安全性を疑問視する声の特に多い原発である。
野口さんの話によると、街で働く約50%の人達が原発に関わる仕事に就いているのだそうだ。原発との関わりを抜きにして、この街での暮らしてゆくことは 難しい。それでも、野口さんは、福島原発の事故をきっかけに、「この街の中から原発に異を唱える者が出てこなければいけない」との思いを強くしているそう だ。
リハーサルを終えた後、被災地である相馬の知人と電話で話をした。山口洋の呼びかけで集められた募金で購入し、届けられたロシア製のガイガーカウンター がとても役に立っているとのこと。今日の相馬の放射線量は高めだそう。一般市民がガイガーカウンターを必要とする時代がくるとは。
この夜のライブには、お店の常連さんが多く集まってくれて、とてもいい盛り上がりになった。
この日は清志郎さんの命日。気持ちを込めて歌った。
打ち上げにもお店の常連さん達が多く残って、賑やかな宴になった。楽しい話もたくさんしたけれど、宴も半ばを過ぎたあたりから、話題はまた原発のことが中心になった。
話を聞いていて、今回の福島原発の事故が、原発と共に暮らす敦賀の人達に与えたショックと不安の大きさを感じた。小学校の頃から学校の授業で原発の安全 性を教えられてきたという30代の男性は、今回の原発事故で、信じ込まされていたことが嘘だった、裏切られたとの思いを強く持ったそう。
この日は、敦賀原発2号機で放射線濃度が上昇との報道も。
「今日のライブ、いろんなことを忘れて久し振りに心から楽しめました」
ライブ後にお客さんの一人から受け取ったこの言葉が、とても心に響いた。
ビン.ラディン、拘束ではなく、殺害。アメリカという国家の恐ろしさをあらためて感じた。
2011年5月1日日曜日
5/1(日)もっきりや40周年
もっきりやは今年で40周年を迎える。40年間、お店を続けてきた平賀さんは、今がお店をやっていて一番面白いそうだ。素晴らしい。
自分は、もっきりやで演奏するのが大好きだ。この場所には音楽の神サンが住み着いているんじゃないかと思う。何回演奏しても飽きない。この夜も、演奏を 続けるうちにどんどん集中力が高まって、インスピレーションが多いに湧いた。ああそうか、こんな風に演奏して歌えばいいんだと思った。新たな発見をしたよ うな気分。この感覚を忘れないでいたいな。
もっきりやのグランドピアノは、ほんとに鳴りが良い。もっきりやを訪れるたくさんのピアニスト達から愛されているから、よけいに音に艶が出る。けれど、彼女はきっとオレのことが一番好きなんじゃないかと思う。
もっきりや40周年、ほんまおめでとうございます。これからもよろしくです。
自分は、もっきりやで演奏するのが大好きだ。この場所には音楽の神サンが住み着いているんじゃないかと思う。何回演奏しても飽きない。この夜も、演奏を 続けるうちにどんどん集中力が高まって、インスピレーションが多いに湧いた。ああそうか、こんな風に演奏して歌えばいいんだと思った。新たな発見をしたよ うな気分。この感覚を忘れないでいたいな。
もっきりやのグランドピアノは、ほんとに鳴りが良い。もっきりやを訪れるたくさんのピアニスト達から愛されているから、よけいに音に艶が出る。けれど、彼女はきっとオレのことが一番好きなんじゃないかと思う。
もっきりや40周年、ほんまおめでとうございます。これからもよろしくです。
登録:
投稿 (Atom)