函館滞在4日目、「はこだて国際民俗芸術祭」最終出演日。ブンダステージのトリで熱く盛り上がる。
新曲「晩年ロック」のサビではお客さんが大合唱。元々弾き語りではミディアムテンポで切々と歌っていたのが、お客さんのリアクションに引っ張られて、曲か変化したり成長してゆくのが面白いし、逆説を含んだ自分なりの人生賛歌が伝わっている手応えがあるのが嬉しい。
「国境で区切ったり、人種で区切ったり、人は得てして線引きをしたがるけれど、音楽はその線引きを超えてゆく。国境を超え、海を超え、人種を超え、音楽はどこへでも流れつき、各地で化学反応を起こして、その土地ならではの新しい文化、その人ならではの個性を生み出してゆく。
『はこだて国際民俗芸術祭』は世界中の街角や路上でそのようにして生まれた音楽が集い出会う場所。この芸術祭のように、音楽のあり方そのもののように生きてゆけたらと思う。」
こんなMCをしてから「イマジン」を歌ったら、この歌がまるで音楽のことを歌っているように感じられた。音楽は、それが宗教や民族や主義のコミュニティーの中から生まれたとしても、常にそれらを超えて拡りローカル性を維持しながら融合を繰り返す。音楽においては既に多文化共生の理想が実現しているようにも思える(一方で、音楽は排外主義や全体主義にも利用されることがある)。
音楽は人間の先を行っているけれど、その音楽を生み出しているのは人間でもある。自分自身は、その音楽のあり方を日常の中である程度は意識的にも無意識でも実践しているように思うし、そのような人は世界中にたくさん存在する。ジョン・レノンが歌った世界は絵空事ではないと思う。
「イマジン」を歌うときは、常に自分の中に「問いかけ」が存在する。昨夜のように歌いながら自分の中で解釈が広がったり、その時の気分や状況によって歌の響きや意味合いが変化したりもする。曲名通り想像力を刺激する歌なのだ。この歌をサヨクによるコスモポリタン的理想主義として矮小化・単純化するのは、浅はかさだし勿体無いと思う。
終演後は函館の老舗ライブ・スポット・あうん堂でKさんと待ち合わせる。Kさんは、研究者だった自分の父のゼミの元生徒さんで、卒業後も父との交流が長く続き、その縁で、父が亡くなった後も自分のライブに足を運んでくれたり、時々連絡をいただくようになった。2年前に函館に引っ越されて、今回連絡をいただいき、2日前もライブ後に杯を交わしたばかり。
あうん堂を訪れるのは、この場所でライブをやらせてもらった26年前以来。あうん堂は「はこだて国際民俗芸術祭」を立ち上げたソガ夫妻が自分をフェスに呼んでくれるきっかけになった場所でもあった。
26年前のあうん堂でのライブに集まったお客さんは10人にも満たなかったと記憶しているけれど、その中の2人が当時大学生だったソガ夫妻だったのだ。その時に物販で購入してくれたインディーズになってからの初ソロアルバム「Heaven's Blue」を2人が長く愛聴してくれていたそうで(その影響で息子さんもアルバムを聴いてくれるようになったそう)、そんな縁が昨年からの芸術祭出演に繋がった。
あの時は、あまりの動員の少なさに、もう函館にはしばらく戻ってこれないだろうと落ち込んだけれど(実際に次の函館ライブまで8年くらいの期間が空いた)、四半世紀を経てその時の縁が繋がってゆくなんて、長く続けていて良かったと思う。
そうした縁にプラスして、Kさんがあうん堂の常連さんであり、前夜に訪れたワインバー・魚販のマスター・ノトヤ君がササイさん夫妻と懇意にしていたこともきっかけとなり、26年振りにあうん堂訪れる機会を得たのだ。
あうん堂の現在のマスター・ササイさんはお店の3代目のマスターで、自分がライブをやらせてもらった26年前はアルバイトでPAをやってくれていたそうで(覚えてなくてすいません)、その時以来の再会。
入店が閉店時間近くになったにも関わらず笑顔で迎え入れてもらい、ササイさんの奥さんも加わって4人でテーブルを囲み楽しく飲ませてもらう(魚販でも飲ませてもらった函館産のウイスキー・デイトリッパーが最高の美味しさでした)。
来年にはあうん堂での27年振りのライブが実現するんじゃないかと思う。
函館滞在の4日間は、多くの再会と出会いに恵まれた。自分がツアー暮らしを続ける意味を確認できた気がする。
今日は弘前へ。
ー 2025年8月11日(月祝)