2014年7月11日金曜日

BEGINのスタンスと自分のスタンス

先月、大阪のライブハウスJANUSにて開催された「大阪うたの日コンサート2014」の打ち上げの席で、その日の共演者だったBEGINのメンバー・島袋優君から聞いた言葉が、ずっと心に残り続けている。

「大阪うたの日コンサート」は、BEGINの3人が2001年から沖縄で始めたフェス「うたの日コンサート」に賛同する形で、大阪で07年から開催されるようになった。自分はホスト的な役回りで、毎回参加させてもらっているのだけれど、BEGINがこのイベントに参加するのは今回が初だった。
沖縄ではかつて、歌い踊ることが不謹慎だと言われた時代があり、それでも沖縄の人達は我慢できずに山の中や防空壕の中で、こっそり歌い踊っていたのだそうだ。そんな背景があって、沖縄での「うたの日コンサート」は、沖縄で戦争が終結したとされる「慰霊の日」の翌日6月24日を、「うた」に感謝して皆でそれを祝う「うたの日」として開催されている。BEGINの「大阪うたの日コンサート」への初参加によって、自分は例年以上に「うたの日」の意味合いを意識してステージに上がった。
この日のもう一人の共演者は憂歌団の木村充揮さん。3組は互いにさまざまな縁で繋がっていて、共通言語の多い者同士。けれど、こうやって3組が同時に集まって共演し、がっつりとセッションする機会は今回が初めてだった。
チケットは早くに完売。お客さんの期待値が高く、いいイベントになるための条件は十分に揃っていた。自分達がステージに上がった時は既に、客席が出来上がった状態。こういう環境で演奏できることを幸せに感じた。「うた」の自由さ、「うた」の楽しさを皆で共有し合う、とても素敵なイベントになったと思う。

ライブの盛り上がりのまま、打ち上げもとても楽しい宴になった。2次会では、BEGINの優くんとカウンター席で隣同士になったので、自然2人で話をする時間が多くなった。
かなり夜が更けた頃に、アホな会話がマジメな方向に移行し始めた。どういった話の流れでそうなったのかは覚えていないけれど、ミュージシャンが社会的、政治的メッセージを歌に込めたり、そういう発言をすることに関して、優くんが自分の考えやBEGINとしての立ち位置を話し始めた。
「BEGINは歌や発言で反戦や基地反対を訴えることはしないと決めている。世の中の人が、戦争をやる気がなくなるような音楽をやりたいと思っている」優くんはそんな内容の話をしてくれた。
そうしたBEGINの思いは、彼らの今までの活動を通しても感じていたけれど、メンバーの一人から直接話して聞かされることで、よりその思いを受け止め、考えさせられる機会になった。じゃあ、自分のスタンスはどうなのか?

「大阪うたの日コンサート」の前の週には、同じ大阪で「100万人のキャンドルナイト @OSAKA CITY 2014」という野外イベントに参加させてもらった。「100万人のキャンドルナイト」は、夏至と冬至の日の夜8時から10時までの間、電気を消してスローな夜を過ごそうという運動で、10年程前から始まり、今では日本各地で開催されている。自分は大阪でのキャンドルナイトの常連出演者ということもあり、イベントに対しては自分なりの思い入れを持っていた。


この日のステージでは、あえてメッセージ色の強い「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」という曲を歌った。元々この歌は「原発は自分自身でもあった」という思いから生まれていて、いわゆる「反原発」とは一線を画する態度で曲を書いたつもりだったけれど、自分の思いとは違うとらえ方をされることも多かった。ライブでこの曲を歌う時には、他の曲にはないプレッシャーを毎回感じた。
今回のキャンドルナイトでは、ライブで頻繁には歌うことのない「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」を、あえて選曲に入れることにしたのは、無数のロウソクに囲まれ、都会のノイズと静けさが同居する空間の中で、この曲を「反対」するための歌ではなく、「願いと問いかけの歌」としてやわらかく響かせたいと思ったからだ。
この日のお客さんにこの曲がどう伝わったのか、正確にはわからない。ただ、この曲を歌ったときにはやはり、それまでとは違う緊張感を客席から感じ取った。選曲に対する後悔は全くなかったけれど、「こういう歌を歌ったら来年はもうこのイベントに呼んでもらえないかもしれないなあ」との思いはよぎった。
この曲を舞台袖で聴いていたイベントプロデューサー的立場のスタッフから後で聞いた話だけれど、自分がこの曲を歌っていた時、彼は隣で一緒に聴いていた広告代理店の企画代表者に「スポンサー関係は大丈夫ですか?」と確かめたそうだ。その答は「大丈夫です」だったとのこと。

翌週に参加した「大阪うたの日コンサート」では「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」は歌わなかった。歌おうという気が起こらなかった。
ステージ上でBEGINと木村さんが生み出す、あたたかく自由でオープンな空気感は素晴しかった。自分もその空気に乗っかって、実にハッピーな夜を過ごさせてもらった。会場中の誰もが笑顔だった。こんな空気の中で戦争を起こそうなんて気持ちは起きようもない。


社会にコミットする発言をしたり、何かに異議をとなえると、ネガティブな空気も呼び寄せてしまうジレンマを感じることがある。自分はそれほどでもないけれど、3・11以降、もっと知名度のある他のミュージシャンや表現者がそういう発言をすることで、レッテルをはられ、敵視され、ののしられている様をSNS上などでよく見かけるようになった。そういう状況の中に身を置きすぎると、視野が狭くなり、偏狭な相手の方に本人のメンタリティーが近づいてゆくように感じられることもあった。気が滅入るし、めんどくさいし、自分ももうそういう発言はやめて、構わずこちらで好き勝手に楽しくやっていればいいんじゃないかとも思う。
けれど、世の中のやな空気、不穏な動きに対して黙していることは、結果的にそれらを受け入れることになってしまうんじゃないかとの思いもある。このままほっておくと、排外的な空気がひろがり続け、自由を奪われる世の中になってしまうのではとの危機感がある。社会的、政治的な発言、表現はしないというBEGINのスタンスも理解しつつ、自分はやはりこれからも時々は社会に異議をとなえたりするだろう。その際は伝え方に気を使いたい。「正義と真実は我にこそあり」という押しつけや決めつけの態度はさけようと思う。正否だけで物事をとらえるのでなく、起きている事象の本質を見据え、問いかける姿勢を忘れないようにしたい。

BEGINの3人は随分前に、自分達の役割とスタンスを見つけたのだろうと思う。その役割にたいして忠実であり続ける姿には誠実さを感じる。オンステージでもオフステージでも彼らと一緒にいると、とても心地良い。その人柄がそのまま音楽に反映されているように感じる。これからも何度も共演させてもらいたいと思う。機会があれば、酒を交わしながら彼らの思うところをさらに深く聞かせてもらい、意見を交換しあってみたい。

当然ながら、自分には自分のやり方がある。大抵はハッピーにやるけれど、時には問題提起し、場の空気を壊し、他者とぶつかり合うことも辞さない、そういう態度も保ち続けようと思う。そう言ってしまうと、めんどくさくも感じるなあ。まあ逡巡もしながら、しなやかさを失わずにやってゆくつもりです。
2014年7月11日

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