2018年7月1日日曜日

丑三つ時、悶々最中、友部正人さんの言葉の意味がわかった気がした

若い頃によくしてもらった先輩ミュージシャンの多くが、こんなに早く旅立ってゆくとは思わなかった。皆、自分の指針になってくれるような存在だったので、自然、自分の残された時間について考えさせられるようになった。
清志郎さんが亡くなった年齢まで後5年、高田渡さんが亡くなった年齢まで後3年。西岡恭蔵さんよりは長生きになった。

少し前に、自分より14歳年上のシンガーソングライター・友部正人さんとお会いして、旅立った人達の話をしていた時のこと。友部さんが、さらりとこう言った。

「リクオ、多分みんな、死ぬまで自分が死ぬとは思っていなかったんだよ」

その時は正直、友部さんの言葉をどう受け止めてよいのかわからなかった。
でもさっき、丑三つ時に独り悶々としている最中、ふと、その言葉の意味がわかった気がして、忘れないようにブログに残しておこうと思った。

「 みんな、最後まで生きようとしてたんやな。病床でも、死ぬことも忘れるくらい生きてたんやな。」

そう思えたのだ。
死ぬ覚悟ができていたからこそ、死ぬことに気を病むことなく、死ぬことを忘れて、最後まで生きることを考えられたんじゃないだろうか。
友部さんの言葉の実際の真意はわからないけれど、自分にはそんな風に思えたのだ。

出会った頃に石田長生さんが、学生だった自分を2人で飲みに連れてくれて「オレは野垂れ死にすると思う」と語ってくれたこと、癌で闘病中の藤井裕さんを病院に見舞ったときに、裕さんのベットの傍にベースギターが置かれていたこと、その時に裕さんが再活動予定のサウス・トゥ・サウスのために曲作りをしている話を聞かせてくれたこと、高田渡さんの「死ぬまで生きる」という言葉、いろいろと思い出した。
自分は今も、あの世にいる先輩のお世話になっているのだと気づいた。いい出会いに恵まれてきたのだなあと思う。

時には気弱になりつつ、悶々としつつも、自分は大丈夫そうだ。
変化を受け入れようとしながら、あえて平衡を崩しそうなギリギリのところでバランスを取ろうとしている自分がいる。
これからも悶々を経て、弾けてやろう、死ぬまで生きようと思う。

ー2018年7月1日

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