2021年12月17日金曜日

コロナ禍のライブ活動を振り返り、「HOBO CONNECTION FESTIVAL」を語る

さっき、今年の自分のライブ数を計算したら80本だった。
コロナ禍前までは、年間130本前後のライブをやり続けていたので、例年の本数に比べれば大幅減だけれど、この状況でよくこれだけの数のライブがやれたなと思う。

コロナ禍でもある程度のライブ活動を続けることができたのは、経費のかからないソロで動けることが大きかった。
自分のライブ活動の中心は小規模のライブスポットなので、コロナ禍のガイダンスに則れば、許される客数が最小の場合は15人だったりする。この規模ではもちろん、バンド編成や複数人数でのライブは興行として成り立たないけれど、スタッフを帯同しないソロであれば、経費を最小に押さえることができるので、なんとかツアーを組むことが可能なのだ。

ただ、感染拡大が続いている時期は、地方会場だと限定15名の席数すら埋まらないこともあり、ツアー全体の中でなんとか収支の帳尻合わせをしていたのが実情だ。
そりゃ満員の熱気の中でライブがやれたらそれにこしたことはないけれど、お客さんが5人だったときでもライブのモチベーションが落ちることはなかった。演奏できることが嬉しくてありがたかったし、またこの街へ戻ってこれてよかったと心から思えた。
そういったコロナ禍での体験によって、自分がツアーをする意味や意義をあらためて確認できた気がする。

2年近くの厳しい状況の中、ソロ活動だけでなく、敢えて、なるべく多くの共演者、スタッフ関係者と仕事することも心がけてきた。自分の非力さを痛感しつつも、綱渡りをしながら、なんとか小さな経済を回そうと、自分がつぶれない程度の無理もしてきたつもりだ(結果、そういう無理が楽しみややり甲斐につながった)。
それが可能になったのは、ライブに足を運んでくれるお客さんと有料配信を観てくれる全国の視聴者の皆さんの存在があってこそだ。特にバンドでのライブや大勢が関わるイベントは、配信の収益なしには成り立たなかった。

感染拡大が始まる早い時期に、自分が暮らす街でライブ配信チーム(一乗寺フェス配信チーム)が結成され、彼らと活動を共にできたことは大きかった。コロナ禍においても自分は出会いに恵まれていたと思う。
配信ライブを通して自分が暮らす街から全国へ発信することで、グローバルに考えてローカルに行動し、離れたローカル同士でつながろうとする意識がより強まった。ローカルの活性化は、コロナ後も自分のテーマの一つになると思う。

コロナ禍でのライブイベント開催においては、行政からの交付金や補助金にもお世話になった。申請の手続きはとても複雑で、何度も書類申請のやり直しを指示され、 申請から補助金確定に至るまでには数ヶ月を要した。まわりのサポートなしに、こういった申請手続きをやり遂げることは出来なかった。というか、まわりに頼りきりだった。
こういった補助金制度が、もっと個人が申請しやすいシステムであればと思う。

音楽業界において、多分すべてのイベンターさんはJ-LODなどの補助金制度がなければコロナ禍を乗り切れなかっただろうし、飲食店は時短、休業に対する協力金が出なければ、さらに多くの店が閉店に追い込まれていただろう。
国や行政の政策によって、自分達の仕事や暮らしが大いに左右されることをこの2年間で思い知らされた。

来年1月10日(月祝)大阪・なんばHatchにて開催する「HOBO CONNECTION FESTIVAL」は、元々は自分のデビュー30周年記念として今年の5月23日に開催予定だったイベントの振替公演なのだけれど、来年1月の開催にあたっては、記念ライブのお祝い的な意味合いよりも、コロナ禍における自分の音楽活動の集大成となるフェスにしたいと思う。

「HOBO CONNECTION」は、ミュージシャン同士が一期一会のコラボを展開する出会いと化学反応の場として、自分が2013年から毎年開催し続けてきたイベントで、1月はその拡大版のフェスとして開催されるのだけれど、これまでの「HOBO CONNECTION」との違いは、関西から全国へ向けてのローカル発信を強く意識している点だ。出演者も関西ならではの地域色の伝わる人選を心掛けた。

有観客+オンライン配信の2WAY開催であることも、コロナ禍前との大きな違いだ。
配信の制作は「中津川 THE SOLAR BUDOKAN」などの配信を手かげるLIVE LOVERSと、コロナ禍に自分が暮らしている京都一乗寺で結成され活動を共にしてきた一乗寺フェス配信チームとのコラボレーション。ライブも配信もコラボ尽くしのフェスなのだ。

ミュージシャン、地元のスタッフ、イベンター、FM局 etc.、「HOBO CONNECTION FESTIVAL」は、自分が主催するライブイベントの中では、間違いなく最も多くの人が関わるイベントだ。しかも関わってくれる人達が多様であるのも特徴。コロナ禍を経なければ、こういった繋がりによる企画は生まれなかったし実現できなかっただろう。

フェスを通じて、この厳しい状況の中でもポジティブな何かを生み出されることを証明したいと思う。
多くの人たちの関わりの中で、こういう企画が実現すること自体が既に素晴らしいことだと思いつつも、今は正直、興行として成り立たせることができるのかどうかの不安とプレッシャーも大きい。自分の影響力のなさに悔しさも感じる。

今まで何度もこういう思いをしながらやってきたなと思う。結局、やり終えた後に後悔したことはなかった。
そんなことを思い出しながら、しっかりとイベントの準備を進め、日々の積み重ねを経て、みなで奇跡を起こせたらと思う。
応援してください。
ー2021年12月17日(金)


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2020年1月10日(月祝)@なんばHatch
《リクオ presents HOBO CONNECTION FESTIVAL》
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リクオと親交のある関西出身の多彩なアーティストをゲストを迎え、コロナ禍を経ての出会いとローカル発信のイベントとして、有観客+オンライン配信の2WAY開催。出演者同士のコラボを中心とした2部構成ステージ。
関西から全国にローカルパワーを発信します。
●FM COCOLO SPEICIAL LIVE
リクオ presents HOBO CONNECTION FESTIVAL(21年5月23日公演の振替公演)
【日時】2022年1月10日(月・祝) 開場16:00/開演17:00
【会場】大阪・なんばHatch
【出演】(五十音順) 
<1部> シェキナベイベーズ・オールスターズバンド
メンバー:安藤八主博&山口しんじ(ザ・たこさん) 、コージロー&タツロー(THE HillAndon)、城領明子、高木まひことシェキナベイベーズ、リクオ
<2部> ウルフルケイスケ、押尾コータロー、奇妙礼太郎、木村充揮、TAKUMA、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、リクオ
ハウスバンド:リクオ with HOBO HOUSE BAND
(ベース:寺岡信芳/ギター:高木克/ドラム:小宮山純平/ペダルスティール:宮下広輔/Chorus 真城めぐみ)
【M C】加美幸伸(FM COCOLO DJ)
【料金】6,000円(全席指定/税込) 配信あり(詳細は後日告知)
【チケット発売日】11月27日(土)10:00
■モバイルサイトGREENS!チケット
■チケットぴあ https://w.pia.jp/t/rikuo-o/ [WEBのみ受付 ] Pコード:206-681
■ローソンチケット https://l-tike.com/hof/ Lコード:54871
■イープラス https://eplus.jp/rikuo-o/
【配信視聴申し込み】
12月10日(金)よりチケット発売(Streaming+) 料金¥3300
アーカイブ視聴&視聴申し込みは2022年1月23日(日)まで。
【主催】FM COCOLO/GREENS
【お問い合わせ】GREENS 06-6882-1224<平日11:00-19:00>

2021年12月1日水曜日

自国ファースト、身内ファースト、自分ファーストを超えて ー 新たな変異株「オミクロン」に思うこと

最近のニュースは、南アフリカで新たに見つかった新型コロナウイルス変異株「オミクロン」の話題で持ちきりだ。
どうやらこの変異株が世界に蔓延するのは時間の問題のようで、話によれば、32カ所の変異が感染性を高めるだけでなく、ワクチンや自然感染による免疫を回避する恐れもあるという。そう聞かされると、デルタ株を超えるような、さらにやっかいなウイルスを想像して不安になる。

その一方で、南アフリカの医師会の会長からは「オミクロン株の症状は軽く、重症患者はほとんどいないため、パニックになる理由はない」とのコメントもあり(https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000236639.html?fbclid=IwAR3mJnGgBdVtk5nqAKaferEDuAubqlN4KqlKcbgJ86TjN-5MLEgv0SteXVk)、じゃあ、それって風邪みたいなもんじゃないのとツッコミもいれたくなる。
この新たな変異株に関する知見はまだまだ乏しく、その実態がはっきりつかめていないのが実情なのだろう。楽観し過ぎず、悲観し過ぎず、冷静に状況を受け止めたいと思う。

この変異株が南アフリカで発見されたという事実を知ったときには、懸念が実現してしまったような思いを持った。
以下は、11月27日のニューズウィークの記事(https://www.newsweekjapan.jp/kimura/2021/11/post-129_2.php)からの抜粋。

《「アフリカの人口のうちコロナワクチンを1回でも接種したことのある人はわずか11%程度。 これまでのところサハラ以南のアフリカ諸国の多くは公衆衛生や医療サービスのリソースが非常に限られているにもかかわらず、流行をうまく抑えてきた」と評価する。

「しかし感染しやすい集団がたくさんあるため、コロナの流行が低所得層の医療サービスを圧迫する可能性は十分にあり、その結果、新たなVOCが増える恐れもある。これはワクチン展開の不公平さがもたらした結果であり、富裕国が十分すぎるワクチンを手にしたとしても、いつかは自分たちに跳ね返ってくる」》


やはり自国ファースト、身内ファースト、自分ファーストでは、コロナを克服することはできないんだと思う。
日本では今月から3回目のワクチン接種受付が始まっているけれど、途上国へのワクチン展開を加速させることができなければ、いくら先進国で3回目の接種が進んでも、あらたな変異株とのイタチごっこは終わらないのかもしれない。これは人類全体の問題なのだ。

そして、ワクチン接種が全世界に行き届いてコロナが世界的に一旦収束したとしても、このウイルスが人類に提起した問題の根本解決にはならない気がする。ワクチンによって新型コロナを急速に駆逐すれば、今度はそれによる副作用、自然からのあらたなしっぺ返しが起こるかもしれない。

そもそも、自然を完全にコントロールしようとする人間の傲慢さが、この状況をもたらしたのではないだろうか。やはり、人類のあり方そのものが問われているように思う。
これを一つの機会と捉えて、前向きに新たな価値観を模索する1人でありたい。

ー 2021年12月1日(水)

2021年11月13日土曜日

卒業できない

 高校を卒業できずに校内をさまよう夢を見た。

自分のクラスもわからない。でも卒業はできていないのだ。心許ない気分。
この手の卒業できない夢を30年以上見続けてる。大学を卒業できない夢が多いので高校はめずらしい。

「学校は卒業したけれど
ハッピーバースデーは重ねているけど
何を卒業したんだ」

チャボさんの「ティーンエイジャー」の歌詞の一節。

自分はこれからもはみだした気持ちを抱え続けたまま、いつまでも卒業できないのかもしれない。
それでいい気もする。

ー2021年11月13日(土)

2021年9月28日火曜日

「問いかけ」としての存在 ー 映画『太陽の塔』を観て

 アマゾンプライムビデオでドミュメンタリー映画『太陽の塔』を観た。
『太陽の塔』は1970年に開催された大阪万博のシンボルとして岡本太郎が制作した建造物で、万博終了後50年以上を経て今も万博公園に残され続けている。

2011年の東日本大震災から3週間後、自分は太陽の塔を観るために万博公園にまで足を運んでいる。震災と原発事故のショックで心揺れる日々の中、太陽の塔に何か答えを求めていたのかもしれない。
離れた場所からは寂しげに見えたその姿が、近くで見上げた時には突き抜けるようなエネルギーを感じたことを覚えている。


その時、特に印象に残ったのが、塔が背後に背負う「黒い太陽の顔」だった。
映画によれば、それは人間によって分析しつくされた太陽であり、核エネルギーの象徴とのことだった。
「原子力発電は、人類が人工の太陽を手に入れたことだ。」と太郎は語っている。




太陽の塔が、大阪万博のテーマであった「人類の進歩と調和」に対するアンチテーゼが込められた作品であることは明白だけれど、その表現は、糾弾に走らず、明確な答えや選択を提示することもなく両義的だ。
なんだかよくわからないけれど、とにかくスケールがでかい。過去、現在、未来、絶望、希望、矛盾、生と死、etc.全体的なものが表現されている感じ。そこには、人類が切り捨ててきた何かが含まれている。

自分たちは今、進歩と調和からはかけ離れた場所にいるのかもしれない。太郎が言うように、全体性を失った人間が他者や地球と調和をはかれるとは思えない。
万博から50年以上を経たこの時期を、「進歩と調和」の欺瞞に向き合う何度目かのチャンスと捉えたい。自分が生きている間に、既にいくつかのチャンスを逃してしまった気がする。

太陽の塔が今も存在し続けることは、一つの救いのように思える。取り壊すことのできない畏れや良心が働いたのかもしれない。
太陽の塔は、これからも時代を超えて「問いかけ」として存在し続けるのだろう。選択や答えを導き出すのは自分自身なのだ。

ー2021年9月27日(火)

2021年8月12日木曜日

時代の変化と自身の変化 ー 張本勲氏の発言から考える

先日のツアー先での出来事。
ある宿泊先の書棚に大量の漫画が並べられていたので、小学生の頃から思い入れの深かった作品を手に取り、深夜に読み耽けった。

数十年ぶりに読み返してみて、やはり魅力的な作品だと確認できた一方で、ある戸惑いが残った。今の時代にはNGの差別用語、差別表現が想定以上に散見されたからだ。
用語使用の問題だけでなく、明らかな女性蔑視や人権意識の低さからくる表現も見受けられ、こういう表現を当時の自分が問題意識なく受け入れていたことにある種の感慨を抱いた。時代の変化と自身の意識の変化を大いに感じさせられる出来事だった。

ツアーから戻ってきたら、女子フェザー級で金メダル獲得した入江聖奈さん対する野球評論家の張本勲氏の発言が問題になっていた。

「女性でも殴り合い好きな人がいるんだね。どうするのかな、嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合って、こんな競技好きな人がいるんだ。それにしても金だから、あっぱれあげてください」

ジェンダーフリーが浸透した社会の中では相当に時代錯誤だし、ジェンダーの平等を掲げるオリンピック精神にもそぐわない発言だと思う。
10年前ならスルーされた発言かもしれないけれど、10年前であってもこの発言に傷つき違和感を抱く人は多数存在しただろう。

日本においても人権意識の高まりが加速していることは、歓迎すべき変化だと思う。その変化に自分も適応していきたい。そして、人権意識が変化する以前から、差別や抑圧そのものは存在し続け、見過ごされてきた事実も忘れちゃいけないと思う。

諦観的な態度で、差別や抑圧が消えることはないと発言する人は多い。そうかもしれないけれど、それらを可視化し、多くの人が問題を共有することで、状況は少しずつよくなるんじゃないかと思う。

ー 2021年8月12日(木)

2021年8月11日水曜日

久し振りに公で「陰謀論」という言葉を解禁して、思うことをつらつらと

AERAの連載「鴻上尚史のほがらか人生相談」は毎回読み応えがあるのだけれど、今回の、陰謀論を信じる母に悩む28歳女性の相談への鴻上氏の対応は、特に考えさせられるというか、身につまされる内容だった。

陰謀論に関しては、自分もSNSで何度も取り上げてきたし、その広がりに対する危惧を昨年7月17日のブログにもまとめている。  https://rikuonet.blogspot.com/2020/07/blog-post.html 今回読み返してみて、当時から陰謀論に対する自分の基本的な考えは今と変わっていないと思った。

このコロナ禍、自分の周囲にも陰謀論にハマる人が出始め、何人もの知人から陰謀論に関する相談も受けるようになった。もうこれは特別な傾向ではなく時代の空気なのだと実感している。誰もがコロナに感染する可能性があるように、誰もが陰謀論にハマる可能性を有しているのだ。

陰謀論やインフォデミックのひろがりの先に待っているのが全体主義であることは、歴史が証明していると思う。きっと、先の戦争中は、国民の多くが大本営発表というデマを率先して信じ、国を挙げての陰謀論に熱狂したのだろう。

カルト宗教にハマった友人の洗脳を解いた自らの体験を交えてながら相談に応じる鴻上氏の文面からは、言葉選びに慎重な跡が窺える。そもそも、こういった相談に対する単純な答など存在しないはずで、その慎重ぶりこそが氏の誠実さのあらわれなのだと思う。

実は自分も浪人時代に、高校時代からの数少ない友人をカルト宗教に奪われた体験がある。それは苦さの残る記憶だ。
カルト宗教にハマった友人から執拗に勧誘を受けるようになり、彼に連れられて団体の施設を訪れた結果、自分は施設の一室に軟禁された。
狭い部屋に閉じ込められて信者に周りを囲まれ、入会をすすめる説得が続いた後、今度は長時間延々とビデオを観せられ続けた。それは、人類滅亡の恐怖を煽るおどろおどろしい内容だった。
信者から今日は帰らないようにと言われ、さすがに危険を感じて、なんとか部屋を抜け出して深夜に帰宅したのだけれど、今思えば、あれは洗脳作業の一環だったのだろう。

その後も友人は何度か自宅を尋ねてきたけれど、自分はまた施設に連れて行かれる怖さもあって、彼と面会することを拒絶した。門前払いされて、寂しげに帰ってゆく友人の背中を、自宅の窓のカーテンの隙間から見送り続けていたのを覚えている。
鴻上氏とは違って、自分は友人を取り戻すどころか、突き放してしまった。

鴻上氏が語るように、カルト宗教にハマる根本の原因は淋しさや不安で、それは陰謀論にハマる場合も同じなのだろう。
そして、さらにのめり込む理由が、「使命感」と「充実感」という指摘もその通りなんだろうと思う。

《自分だけが知っている「世界の真実」を他人に語る時、「使命感」と「充実感」を感じ、ずっと苦しめられていた淋しさや不安、空しさは消えていきます。
 ですから、冷静な論理的説得は意味がないのです。》 

この一文には心が痛んだ。
自分は、コロナ禍に陰謀論にハマった知人に対して、ある席で論理的説得を試みたことがあり、後になってその言動をずっと後悔し続けていたのだ。論理的と言いつつも、その時の自分の心持ちは、かなり感情的だったことを否定できない。話をせずにいられなかった知人の思いを受け止めるキャパが、その時の自分にはなかったのだ。
後日、別の知人がその知人と会食したときに「もうリクオとは話ができない」といった内容の話をしていたと聞いて、より後悔が深まった。

鴻上氏が指摘するように、自分の世界観を熱心に相手に説こうとするのは、心のどこかに「一抹の不安」があるからなのだろう。あのとき、知人の言葉をもう少し柔らかく受け止めることができたらと今になって思うけれど、自分がそこまでの人格者でないことも確かだ。
それでも今は、「今度その知人と会う機会があり、またそういった話が始まったときは、説得を試みるのではなく、もっと話を聞いてみよう」と思っている。

今年に入ってからは、公の場で「陰謀論」という言葉を多用することを控えるようになった。
「陰謀論」にハマった知人たちが、その言葉をレッテル貼りと感じ、そう呼ばれることを嫌い、そう呼ばれることで余計に心を頑なにしていると実感するようになったからだ。
それでもあえて、今回は久しぶりに公で「陰謀論」という言葉を使うことにしたのは、やはり今の時代に避けて通れないキーワードだと感じるからだ。ただ、今後も多用は避けようとは思うし、使用するときはその副作用を自覚しておこうと思う。

「陰謀論」という言葉で断罪するのではなく、そこに含まれる「物語の単純化」「大きな物語への依存」「排外思想」「分断志向」「独善性」「偏見」「全体主義的傾向」といった問題の本質や、陰謀論を生み出す「不安」や「寄る辺なさ」といった心性や社会状況に目を向け、一刀両断することなく丁寧に言葉を綴るよう心がけたいと思う。
つまり「陰謀論」とは他人事ではなく、自身と地続きの問題なのだ。
自らの胸に手を当てて考えることを忘れずにいたい。

ー 2021年8月11日(水)

2021年7月14日水曜日

ちょっと、ぶっちゃけます ー オンライン配信ライブの投げ銭制について

 ちょっと、ぶっちゃけます。

7月9日(土)&10日(日)高円寺・JIROKICHI 2days公演の配信アーカイブ期限を、今週末18日(日)まで延長した件についての本音です。

配信期間延期の告知で述べられていたように、ライブと配信が好評で、配信の視聴回数が伸び続けていることが配信期間を延長した理由の一つではあります。
けれど、もう一つの大きな理由があります。それは、配信収益の少なさです。

今回の2daysの視聴回数は、コロナ禍での前回2回のJIROKICHI公演を超える勢いで、足を運んで下さったお客さん、視聴者の皆さんからSNSやチャットを通じて多くの反響をいただきました。
にもかかわらず、その配信収益は現状、前回の4分の1程度にとどまっています。

ライブを企画する側としては完全に状況を見誤りました。前回までは、支援の気持ちで「後売りチケット(投げ銭)」を購入してくださった視聴者の方も多かったのだろうと思います。
コロナ禍が長く続く中、配信ライブも供給過多の飽和状態であることを理解しつつ、それでも正直、「これだけの視聴回数があるのに」というもやもやした思いが残っています。

東京では今週から4度目の緊急事態宣言が施行されています。ライブスポットはどこも、長期間、営業時間を制限された上に、限定人数でのライブ開催を強いられ続けています。そして、昨日からまた、アルコールの提供ができなくなりました。
そういった影響で、老舗のJIROKICHIでさえブッキングが埋まらなくなり、お店を開けることすらできない日が多くなっています。こういったあまりにも厳しい状況において、配信の収益は、お店とミュージシャンにとっての命綱なんです。

JIROKICHIがYouTube配信で採用しているフリー視聴可能な投げ銭(「後売りチケット」)システムは、視聴者の皆さんの善意に信頼を寄せることで成り立っています。
今回の2days公演はお陰様で両日ソールドアウトとなりましたが、限定人数での開催ということもあり、元々、配信の収益なしには興行として成り立たない企画でした。前回のJIROKICHIライブでの配信収益をもとに、採算が取れると踏んでの企画でしたが、甘かったです。

長く続くコロナ禍において、フリー視聴可能な投げ銭のオンライン配信というやり方自体が状況にそぐわなくなりつつあるという考えも可能だと思います。けれど、このオープンなやり方が、配信の一つの選択肢として今後も成り立つのであれば、それは、コロナ後においても、ライブシーンの裾野を広げてゆく一つの可能性になり得るだろうと自分は考えています。

フリー視聴も可能なこの配信方法は、あらかじめチケットを購入しなければ視聴できない課金制に比べて、開かれたやり方だと思うんです。視聴者が今まで知らなかった音楽を知る窓口になりやすく、送り手側にとっても、新しい視聴者に自分達の存在を知ってもらえる機会が広がる良さがあります。経済的に余裕のない人が等しく音楽を楽しめるのも、このシステムの良さだと思います。
自分は、どちらの配信システムも成り立つことで、受け手の選択の幅が確保され、送り手がそれらを臨機応変に活用できることが理想だと考えています。

コロナ禍においては、多くのミュージシャンが、自分達のこれまでのファンだけを対象にした、コアなファンを囲い込むような発信方法や活動に向かわざるを得ない状況が続いていると感じています。それが、限られてしまった選択肢だと理解しつつも、コロナ後を考えれば、もう少し外に向かうベクトルも必要だと思うんです。

自分がこのコロナ禍において、ソロライブだけでなく、あえて共演者の多いコラボイベントを企画したり、複数スタッフとチームを組んでの配信ライブを重ねるのは、こういう状況だからこそ、開かれた場を作りたい、微力ながら小さな経済を回したい、という思いの反映でもあります。
皆にギャラが支払えるだろうかと毎回ひやひやするけれど、こういった共同作業はホント楽しいんです。目先の利益や効率を優先することでは得られない充実感があります。この楽しみと充実感を忘れたくないんです。
こういった試みが、コロナ禍でもそれなりに成り立ってきたのは、多くの人達の支援と理解があってのことです。とても感謝していますし、世の中捨てたもんじゃないなと思ってます。

当座をしのぐだけでは未来は開かれない、持続可能な希望が必要です。厳しい状況が長びくほどに、その思いを強くしています。
JIROKICHIスタッフのさまざまな奮闘と試みは、自分のとってのコロナ禍における希望の一つです。この希望灯をともし続けることができるかどうかは、お店側だけでなく音楽を愛する僕ら一人一人の自覚にもかかっている、と言えば言い過ぎでしょうか。
地べたから繋がるライブ文化を愛するすべての人が、このシーンを支えてくれている一人一人であることは間違いありません。

無理な「支援」をお願いするつもりはありません。「支援」ではなく「対価」として成り立つべきだと考えています。ライブや配信への対価がなければ、自分たちの活動は成り立たないし、JIROKICHIのこのオープンな配信システムも続かないんです。
視聴者の善意によって対価を受け取るこのオープンなやり方が続かないのであれば、コロナ禍に生まれた一つの可能性が失なわれることになります。

今回のライブ配信を楽しんでもらえたなら、余裕のある方は「後売りチケット」の購入をお願いします。
チケットは千円から用意されています。動画とライブ音源の特典も付いてます。
余裕のない方は、フリー視聴で楽しんでもらって結構です。もし、ライブを気に入ってもらえたら、誰かに教えてあげて下さい。余裕のあるときにまた「後売りチケット」を購入してください。
そして、JIROKICHIのYouTubeチャンネルにぜひ登録して下さい。 https://www.youtube.com/channel/UCAwGg0pRLhSLzhy3kIWvTng きっと新しい出会いが待っていると思います。

今回の2days公演は、会場全体が多幸感に満たされた最高の一期一会でした。その空気感、ライブ感、化学反応の瞬間をJIROKICHIのYouTube配信が十分に伝えてくれています。オンラインであってもライブの臨場感と熱量を「体験」してもらえると思います。
アーカイブ視聴は7月18日(日)23時まで可能です。自信を持っておすすめします。

もしよかったら、あなたも音楽文化を共に守り育む一員になってください。また一緒に楽しみましょう。

《リクオ JIROKICHI スペシャル2days 》 ※配信アーカイブは7/18(日)まで視聴可能
●7/9(金)〜 リクオ with ストリングス 〜 
出演:リクオ / 橋下歩(チェロ) / 阿部美緒(ヴァイオリン) 
【Youtubeチャンネル】https://youtu.be/jvuCDpQX978
●7/10(土) 〜 リクオ・トリオ Live goes on Tour vol.2 〜 
出演:リクオ・トリオ(ボーカル&ピアノ:リクオ/ベース:寺岡信芳/ドラム:小宮山純平) with 森俊之(キーボード)
飛び入りゲスト:ウルフルケイスケ(ギター)
【Youtubeチャンネル】https://youtu.be/16BTDDekuh8

【オンラインショップ(投げ銭)】https://jirokichi.official.ec