2012年6月21日木曜日

新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を歌う〈1〉

 6日間の北海道ツアーから帰宅したその日の夜中から、曲作りにとりかかり、朝方に「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」という曲を完成させた。
 曲ができた日の午後からのMAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)のリハーサルに、早速その新曲を持っていった。曲に取りかかるにあたってまず、歌詞のコピー をメンバーそれぞれに手渡して、曲への思いを口頭で伝えた。いつも以上にメンバーからの反応が気になった。
 ケイヤン、寺さん、コミヤン、それぞれの心の内ははっきりとはわからなかったけれど、明日のライブでこの新曲をやりたいという強引な自分の希望を皆が受 け入れてくれた。限られた時間の中で、4人でアレンジをまとめ、なんとか本番で演奏できそうな見通しがたった。リハーサル後は、4人でケイヤンの自家用車 に同乗して、藤沢から大阪まで車を走らせた。
 車中は助手席に座り、自分がDJになって、自前のi-podでずっと曲を流し続けた。高揚していたのか、大阪に着く迄の間、睡魔に襲われることが一度もなかった。
 午前0時過ぎに大阪に到着して、オレと寺さんは共通の知人宅に同泊させてもらった。寺さんは、到着後あまり休む間もなく、ベースを持ち出し、夜ふけ迄、新曲の練習を続けていた。
 その間自分は、この日行われた野田首相の「大飯原発再稼働容認表明の記者会見」の内容をネットで確認していた。自分には一国の首相が詭弁でもって国民を 欺こうとしているように思えた。この人が守ろうとしているものは何なのだろうかと考えた。国益を守ることが必ずしも、国民の生活と命を守ることとイコール にはならないのだろう。
 この日は、なかなか寝付けなかった。やっとまどろんでも眠りが浅く、しばらくするとまた目が覚めてしまう。その繰り返し。寺さんも早朝に目を覚まして、再びベースを持ち出し、新曲の練習に取り組んでいた。

 この日のライブイベント「大阪うたの日コンサート2012」は、MAGICAL CHAIN CLUB BANDがホストバンドとなって、出演者全員とセッションすることになっていた。
 自分達がステージに上がった時点で、客席は既に出来上がった状態、熱気が充満していた。共演者である上中丈弥(THE イナズマ戦隊)、藤井一彦 (THE GROOVERS)、kainatsuさんとのセッションは、それぞれが多いに盛り上がった。会場中を素晴らしいエネルギーが循環し、皆が笑顔で、最高の 一期一会を分かち合っていた。
 藤井一彦とのセッションが終わった後、本編最後の3曲はMAGICAL CHAIN CLUB BANDが締めることになっていた。この締めの3曲の1曲目に、新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を持ってきた。
 「感謝と怒りを込めて歌います。『アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所』」そんなMCの後、コミヤンのカウントで演奏が始まった。
 曲紹介のMCをしていたほんの数秒の間、普段のステージでは体験することのないきまりの悪さを感じた。特にステージ上で「原子力発電所」という言葉を発 することに、想像以上のためらいがあった。このハッピーな空間に、「批判」とか「怒り」の要素を持ち込もうとしている自分自身に抵抗を感じた。もちろん、 ある程度は想像していたことだけれど、こういう歌を歌い、演奏するのは踏ん切りのいることだということを、演奏直前の数秒の間に、より実感した。
 一方では、「ただの歌じゃないか、ラブソングの延長線上じゃないか、無責任に自由に歌えばいいじゃないか」とも思う。だから、このようなナーバスな心情を吐露することに恥ずかしさも覚える。
 この曲での4人の演奏が、この日のライブの中でも特にエモーショナルなものになったのは、そうしなければ気持ちを振り切ることができなかったからかもし れない。気持ちを振り切ってしまえば、サビで「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所~」と歌うことにカタルシスを感じた。

 清志郎さんや斉藤和義君が歌う原発ソングに対しては、その意義を感じつつも、正直、どこかで乗り切れないもやもやした気持ちも抱いていた。けれど、それらの歌が、3.11以降の1年数ヶ月の間、自分に何かを投げかけ続けてくれていたことは確かだ。
 首相官邸前の抗議集会に参加したときも、怒声のシュプレヒコールには加われなかった。けれど、そういう違和感を持った人間でさえ、抗議集会やデモに参加することに、意義があるんじゃないかと考えた。
 とにかく今は、自分なりに声を上げる時だという意識が高まっていた。そういった心境の中での曲作りは、今迄以上に、怒り、哀しみ、不安、恐れ、といった さまざまな負の感情に向き合う作業になった。けれど、それらを対象化して曲にまとめてゆく過程は、自分自身の救いになった。東日本大震災と福島第1原発の 事故から、ある程度の時間を経てからでないと、自分の中で、こういうタイプの歌は生まれなかったと思う。

 この状況で、いきなりこんな曲を演奏したら、かなりのお客さんが引くことは予想していた。誤解も受けるだろう。それはそれで、仕方がない。心に引きずる ものを持って帰ってくれればいいと思っていた。実際、演奏を終えたら、歓声も上がったけれど、やはりどこか微妙な空気が会場に流れているように感じた。そ の空気は、次曲の「ミラクルマン」でもまだ残っていた気がする。
 アンコールでは出演者全員によるセッションが繰り広げられ、微妙な空気は一掃された。とにかく、最高の盛り上がりの中でイベントは大円団を迎えることができた。
 ライブの後、関係者や出演者何人もの人達から「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」の感想を聞かされて、少しホットした。
 この歌を歌うことで、また、さまざまなことに向き合い、考えさせられるテーマを与えられることになりそうだ。

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