2012年6月23日土曜日

「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」の反響ー何かを選択するということ

6月8日早朝に「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」という曲を書き上げて、その翌日には、MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)の新曲として、大阪のステージで演奏した。その約2週間後にはバンドのメンバーと曲をレコー ディングし、7月4日、YouTubeに曲を公開した。
http://www.youtube.com/watch?v=mmX6z_V4wLM&feature=youtu.be
 曲を書いて以来、短期間で、さまざまな反応を受けとり、色々と考えさせられることが多かった。すぐには考えがまとまらず、ツアーとレコーディングに明け暮れていたこの数週間は、なかなかブログを更新することができなかった。

 この一月半程の間で、とにかく議論、対話の機会が増えた。「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」という曲が1つのきっかけやテーマになって、自分の前で色んな人達が、隠していた思い、もやもやしていた気持ちを言葉にし始めた感じた。そ ういう状況を自分自身も求めていたのだと思う。もっと議論、対話の機会が増えて、さらに波紋が広がってゆくことを期待している。
 今は、自分の考えを表明して、波紋の輪をつくることによって、対話を深めてゆくことが、世の中にも自分自身にも必要だと感じている。そのために曲を書い たというわけではないけれど、そういった思いが、曲作りやその後の自身の言動に反影されたことは確かだと思う。
 大げさに聞こえるかもしれないけれど、今の状況は、自分達の生き方から国家というもののあり方までを問い質す、大切な機会だという気がしている。そう いった問いかけとその先にある選択は、これからもまだまだ続けられてゆくべきだ。原発がなくなればそれですむという話では全くないのだ。 

 「ライブで政治や原発に関する曲を演奏したり話すことは控えてほしい」この数週間の間に、数カ所のライブイベント主催者側から、このような要請を受けた (要請する際、皆さん一様に申し訳なさそうでした)。自分は元々、音楽活動を通して政治的、社会的な発言を積極的に行うタイプではないのだけれど、「アリ ガトウ~」を公表してからの短期間で、先方の自分に対する認識が変わったようだった。こういう曲を公表することが、あるレッテルを貼られることにつながる のかなあとも感じた。
 少し前にあるライブの主催者側から突然、予定されていたライブを中止にしたいという連絡がきたときは戸惑った。理由を確かめると、やはり「アリガトウ ~」を公表したことが中止にしたい要因とのことだった。その後の主催者側との話し合いによって、結局ライブは予定通り開催されることになったのだけれど、 この出来事によって、多くのことを考えさせられた。
 主催者側とじっくり話をすることで、相手の事情も理解できた(またいつかこの話ができる機会があればと思ってます)。話を聞いて、自身の想像力の欠如を 感じた。相手が隠さずに事情を話してくれたこと、しっかり向き合って対話してくれたことに、心から感謝したい気持ちにもなった。

 「アリガトウ ~」を歌うことで、自分はある選択を公言した。何かを選択するということは、結果的に何かを切り捨てることだ。自分が切り捨てたものに目を向けることを忘 れちゃいけない。曲を書き、その反響を受け取ることで、あらためてそう感じさせられた。
 振り切った表現は、常に誰かを傷つける可能性を持っている。いや、表現という行為自体が、誰かを救うだけではなく、傷つける可能性を含んでいるのだろ う。立場や意見の違う人間を記号化しないこと。血の通った人間の一人として想像すること。対話をあきらめないこと。他者を思いやること。それらのことを肝 に銘じておこうと思う。

 「アリガトウ ~」をラブソングだと言ってくれる人がいたことは嬉しかった。さまざまな反応があったけれど、曲自体や、その演奏が評価されることが、ミュージシャンとし ては、やっぱり嬉しい。そして、批判を多く含んでいたとしても、たくさんの人に聴いてもらえるのが、やっぱり嬉しい。一番悲しいのは無視されることだ。
ー2012年6月23日(月)

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