2012年12月20日木曜日

かすかな光ー原発について、「原子力発電所」について

ネット新聞「THE FUTURE TIMES」4号に掲載された、被災地支援活動を行った自衛隊員、大宮善直さん(仮名)へのインタビュー「被災地に寄せる自衛隊員の想い」を何度も読み返 しています。実際に現場を体験した人だからこそ語ることのできるリアリティーの伝わる貴重な内容だと思います。インタビューを受けた大宮さんの素直で真摯 な言葉に、何度も心を動かされました。
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no04/connecting_the_dots_04/
 インタビューの中で大宮さんは、昨年5月、活動区域の高台から、水素爆発を起こした福島第1原発4号機を眺めた時の感想を述べています。それは自分に とって、実に印象深い内容でした。その部分を以下に抜粋しました。インタビュアーは、このネット新聞の主催者、ロックバンド、アジアン・カンフー・ジェネ レーションの後藤正文さんです。

後藤「この4号機の写真を撮影されたのは何月くらいなんですか?」
大宮「5月ですね」
後藤「ここまで行ったときには、恐ろしいというような気持ちはありましたか?」
大宮「いや…、ここに来たとき…、今までの感情が、変わったというか…。とにかく、その当時は、原発は悪みたいな感じで、みんなそういう風潮にあったじゃないですか?」
後藤「そうですね…」
大宮「僕自身も、“原発なんて”とか“原発のせいで”とか思いながら、憎きモノとして、この地域に入っていって…。ここ(4号機)は活動区域から見えない んですよね。展望所っていう公園があるんですけど、そこに行ってはじめて見えるんですよ。高台から見ていると、変な話ですけど、僕と原発だけみたいな世界 になったような感覚があって…。不謹慎ですけど…、この世の立ち入ってはいけない区域で、神々しいような感覚があったんです…」
後藤「はい」
大宮「真ん中がボカっと空いているじゃないですか?はじめて見たとき、これが口に見えたんですよ。湯気も見えたんですよね、当時。なんかナウシカの巨神兵 のようにも見えて…。今までは安全だと言われていたから、人のために稼働していたっていう…。地震が起こって制御できなくなって爆発したら、自分たちが 造ったものなのに、原発のせいでとか…。でもよく考えたら、要はコイツ(4号機を指して)を制御できなかった人間がいけないだけじゃないかっていう感じ で、何か(様々な感情の)対象としているものを僕は間違っているなって…。なんていうか、エゴっていうか…。自分たちがいけなかったのに、原発を悪の象徴 にしているっていうのは、人間の悪い…、凄く汚い部分をそのときは感じてしまって…」
後藤「なるほど…」
大宮「もの凄く涙が出て来て…。とにかくコイツ自身が生き物のように見えて、凄い悲壮感だったというか…」


 こんなふうに「原子力発電所」を語ってくれる人がいたことに、随分と救われる思いがしました。脱原発を目指す側にも、原発を善悪だけで語るのではない、こういった感性や想像力が必要だと感じました。
 誰かにとっての「悪の象徴たる原発」は、実は、1部の人間だけでなく、ほとんどの人間のエゴや欲望によって支えられ、祭り上げられたものであるという認識が、自分達には欠 けているように思います。自分達が善で、原発を作り出した人間が悪であるという構図は間違いです。自分達は騙された側かもしれないけれど、実は無意識に、 だまされることを受け入れてきたのではないか、つまりは共犯関係にあったのではないか、という問いかけが必要だと思います。

 エゴや欲望だけではなく、希望、夢、好奇心、野望、傲慢etc.人間の中にあるさまざまな感情と因果が複合的に絡み合い生まれたものが、核であり、原発 である。福島第1原発の事故以降、時を経てそんな考えに至るようになりました。そして、原発に変わる代替エネルギー、自然エネルギーを推進してゆく力の中 にも、エゴや欲望は含まれており、それらが定着してゆく過程の中で、いや定着した後も、さまざまな問題が生じてゆくのだろうと考えています。

 エゴや欲望を一概に否定しているわけではありません。むしろ、そういった感情がなければ、今迄の文明の発達や人類の進化はありえなかったでしょう。けれ ど、加速する文明の発達や人類の進化をこのまま野放しに進めてもよいのでしょうか?発達の加速とともに、人類も破滅へ向かい加速していることを、多くの人 が感じ、漠然とした不安を抱きながら暮らしているように思います。

 だとしたら、進化や発達のスピードを調整することが、人類には可能なのでしょうか?そもそも人類の進化とはどんな状態を意味するのでしょうか?
 原発の問題を考えるにあたっては、今直面しているさまざまな現実問題や矛盾の解決と並行して、このような哲学に至る本質的な問いかけも必要だと考えています。

 あまりにも多くの理不尽、隠ぺい、差別の上に原発産業は成り立ってきました。それらに対する怒りは当然だと思います。けれど、自らの怒りの中にも、エゴ や傲慢が含まれているのではないかという問いかけも必要だと感じています。強い怒りは、時に物事の本質を覆い隠し、誰かが唱える都合のよい「正義」にたや すく取り込まれてしまう恐れを含んでいます。

 原発を廃炉にし、核を廃絶させるためには、他者の意識を変えるだけでなく、自分自身の意識や生き方を変え、人類の進化と文明のあり方を問い直すというプ ロセスが必要だと感じています。問題に対する本質的な問いかけが気付きや謙虚を生み、エゴや欲望を抑制することにもつながるのだと思います。

  人間を人間たらしめてきたさまざまな感情の複合体として生まれてきたものが原発である。福島第1原発の事故以降、歳月を経て、徐々にそんなイメージを 抱くようになりました。そして、そうして生まれてきた原発を維持し続ける人間の主な感情は、やはりエゴや欲望だと言えるのかもしれません。
 そうしたエゴや欲望の象徴として見られる「原子力発電所」と呼ばれる施設そのものには、罪はありません。そして、「放射能」そのものにも罪はありませ ん。しかし、それらは多くの人間から悪の象徴として見られてしまうのです。人間は自分達自身が犯した罪を、それらになすりつけようとしているようにも見え ます。共犯関係はまだ続いているのでしょう。

 水素爆発を起こした後の4号機を見て、生き物のように感じ涙し、人間のエゴを感じながら4号機とナウシカの巨神兵の姿を重ね合わせた大宮さんの感性、そこにある気づき、畏怖の念、謙虚さに、かすかな光を感じています。
 今も続く共犯関係から逃れ、変化を選択し、新たな価値観を見い出すための旅は、まだ始まってもいないのかもしれません。けれど、旅立ちの準備は既に方々 で進められています。自分のような考えを持った人間は1人だけじゃない、世界中にいるのだと想像しながら、この文を終えたいと思います。

「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」MAGICAL CHAIN CLUB BAND
http://www.youtube.com/watch?v=mmX6z_V4wLM&feature=youtu.be

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