2023年1月3日火曜日

「悩む力」が試される時代

 年末年始は、京都でゆっくり過ごし、以前に購入して読み終えていた本を何冊か読み返したりしている。
'08年に刊行され、当時愛読していた「悩む力」(姜 尚中 著)を久しぶりに読み直してみたら、当時以上に共感する箇所が多く、色んなヒントを与えてもらったような気持ちになった。

楽観的にもなれずスピリチャルにも逃げ込めない者たちがどう生きれば良いのか?そうした苦しみを百年以上前に直視した夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、「悩み」を手放さない生き方への提言は、今の自分の心情にも、この時代状況にもタイムリーな内容だと感じた。
「悩み」続けることは堂々巡りに留まることではない。階段の踊り場に立ち、逡巡しながらも考えを更新し続けることだ。そうしてまた歩を進め、その都度逡巡しながら選択を繰り返して歩き続けるのだ。

《「人はなぜ働かなければならないのか」という問いの答えは「他者からのアテンンション」そして「他者へのアテンション」》という一節も沁みた(「アテンション」→「ねぎらいのまなざしを向けること」)。
最近読んだ辻信一氏と高橋源一郎氏との対談本「『あいだ』の思想」の中で辻氏が、文化人類学者デヴィッド・グレーバーの言葉、「人間の仕事というのは、そもそも、そしてますますケアなのではないか」という一節を紹介していて、それと重なる意味合いを感じた。
英語での「ケア」は、介護や看護といった意味を大きく超えて、関心、心配、思いやり、親切、世話など、人と人、人と何かの「あいだ」の精神的、物理的な深い関わりやつながりを意味するそうだ。

それらの言葉をゆっくりと染み込ませてゆくうちに、次第に心が正直になって、「特にこの数年、自分は社会の動向や人との感覚のずれに傷つていきたのだなあ」と自覚した。そして、自分の言動が誰かを傷つけてもきただろうと想像した。

「誰かと往復書簡できないかな」ふとそんなことを思った。
それを本などの形にするのも良いかもしれない。
解を押し付け合うのではなく、丁寧なやりとりの中で、互いが少しづつ変われてゆけたらいいと思う。

やはり忙し過ぎるのは良くない。ゆっくりと自分の心に降りてゆく時間も必要だ。
方々で皆と騒ぎ続けた年末の日々から年明けの静かな内省へのダイナミズムが、自分らしさかなとも思う。

最後に、自分自身への備忘録としてアメリカの作家・デヴィット・フォスター・ウォレス著「これは水です」からの言葉を引用したい。ここ数年、Facebookでは何度も紹介してきた言葉達だ。

《僕の内部で
何が進行中が
耳を澄ませばいいだけなのに、》

《ー 傲慢、やみくもな過信、かたくなに閉ざされた心。
どちらも鉄壁の牢獄に閉じ込められ
獄中にいることすら自覚していない
囚人みたいです》

《ほんの少し謙虚になり
じぶん自身の確信に
すこし「批判的な自意識」を持つこと》

《こころは
「気の利く召使だが
恐ろしい暴君でもある」
という古い決まり文句を思い出してください。》

《これは徳の問題ではなくーー
僕に自然に組み込まれた
ハードウェアの初期設定を
どうにかして変える
あるいは削除するといった作業を
僕個人が選ぶかどうかの問題なのです。
この設定は文字通り徹底して自分中心になっています。》

《さて、こうした崇拝のありようが
油断ならないのは
邪悪とか罪深いからではありません、
無意識のうちだからなのです
初期設定のままだからです。》

《そういう崇拝は
あなたがなし崩しで
日に日に深みにはまりこんでくものです
じぶんが何をしているのか
徹底して自覚がないから、
何を観て価値をどう測るかが
どんどん狭まっていくのです。》

「やみくもな過信」に陥る前に、何度も思い出したい言葉達だ。
「悩む力」が試される時代だと思う。

ー 2023年1月3日(火)

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