2022年12月31日土曜日

タモリの言葉を受けて考えたこと

「徹子の部屋」に出演したタモリが、番組の最後に黒柳徹子から「来年はどんな年になりますかね?」との質問を受けて、少し考えた上で「新しい戦前になるんじゃないでしょうかね」と答えたという。
そういった時代の流れは急に始まるものではないだろうから、タモリは既に「新しい戦前」を感じ取っているのだろう(追記:もちろん、日本が戦争に巻き込まれないことを願っての発言だと思う)。
タモリの言葉を受けて、年末に再会した知人が目を輝かせながら、「既に希望に満ちた時代が始まっていて、来年はさらに素晴らしい時代が開かれてゆく」といった内容を語っていたことを思い出した。2年くらい前から、目に見えないものの価値が高まってゆくという「風の時代」が始まり、劇的に時代が良くなってゆくような話を目にしたり直接人から聞いたりするようになった。タモリの悲観的と思える見解とは対照的である。
同じ日本に生きていても、人によって見えている世界が極端に違うのが、この時代の特徴の一つだと思う。
昨日の日中は、知り合いの記者から取材を受けた後、彼に寿司屋に連れて行ってもらい、アルコールを注入しつつ色々と語り合った。話の内容の一つは「裏取り」の大切さだった。それこそが記者の生命線であり信頼の所以である。
誰もが情報発信できる時代となってからは、ネットやSNS上での「裏取り」は軽視されがちで、さまざまな「極端な真実」が発信され、蔓延するようになった。コロナ禍において、その状況はさらに進行しているように感じる。これほど安易に「裏取り」なく「自分の求める真実」に辿り着けてしまう環境は、自分の生きている時代において、なかったんじゃないだろうか。
 知り合い記者は、若い記者達の中に自分の仕事に自信を失い始めている者がいることを嘆いていた。記者になった瞬間から誹謗中傷の対象となり、「マスゴミ」などと罵られ続ける日々は、どんな気分だろうと想像した。
「極端な真実」よりも「揺るぎない事実」の丁寧な確認、その地道な積み重ねこそが持続可能な未来を切り開いてゆく、自分はそう考えているけれど、SNSやネットメディアがその役割をどこまで果たすことができるのだろう。この時代においても、既存の新聞メディアが果たすべき役割は、まだまだ大きいように思う。
「極端な真実」に耳を傾けていると、同じ日本で暮らしていても、まるで互いがパラレルワールドに生きているように感じる。けれど、そんな人達とも関わり合い影響を受け合いながら、これからも同じ時代を生きてゆくのだ。何かや誰かを切り捨ててゆくことは、結局、自分自身の何かを失うことにもつながるんじゃないだろうか。
「新しい戦前」は、「極端な真実」をもとにした「集団の高揚」を生み出してゆくだろう。その傾向は既に随所で見られる。それらの高揚がまとまってより全体化してゆくことを危惧している。その流れは、加速し始めたらもう止められないだろう。今、自分達はどの段階に立たされているのだろうか。
時代が一気に流されてゆく中でも、立ち止まり逡巡することを忘れずにいようと思う。自身の実感だけを頼りにせず、他者の声や実感にも耳を傾け、俯瞰を心がけ、想像を巡らせ、考え続ける中で、その都度選択決断して行動しようと思う。全ての答を固定させることなく、軌道修正を繰り返すことをよしとしたい。
そして、どんな時代になっても、さまざまな繋がりの中で人生を楽しむことを忘れたくない。しなやかでありたいと思う。
今年も、たくさんの人と音楽に救われました。心より感謝してます。
多くの力添えのお陰で初書籍を出版できたことは大きかったです。この一冊の中に、自分がブログで綴ってきたような考えや姿勢、音楽への思い、哲学やジャーナリズムが凝縮されていると思います。
この本とCDやDVDをキャリーバックに積み込んで、来年も日本中を巡るつもりです。各地でお会いするのを楽しみにしてます。
良いお年を。
ー 2022年12月31日(土)
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リクオの初書籍
「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」(12月12日/ヒマール刊)
ツアー暮らし、震災、コロナ禍……
この11年間の日々に書き留めた“備忘録”。
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