2003年6月23日月曜日

2003年6月23日(月)米沢 アニバーサリー

今日も晴れ。
米沢に行く前に、昨夜のトーベンさんのライブで知り合った地元の若手バンド.マンであるユウスケ24歳、キャッツ21歳と野郎3人で蔵王の温泉に行く。
蔵王と言えば、「愛と誠」の大賀誠と早乙女愛が出会った場所やね。
なかなか、いい湯でした。


★内湯から撮影。

その後、ユウスケの知り合いがやってるピザ屋へ。これが、ほんとうに美味しかった。
食後、今回のライブのブッキングをしてくれているサンセットスタジオの早川さんの元に寄ってから、皆で米沢へ。米沢でのライブは始めて。
8時15分頃、開演。予想よりお客さんが入って嬉しい。
一部構成でやるつもりが、ライブ途中の成り行きで急遽、休憩をはさむことにする。
今日は新曲とバラードをたくさんやった。そういう気分だったのだ。いつもより気持ちが歌に集中した。
長いライブになった。

2003年6月22日日曜日

2003年6月22日(日) 山形Vigo FM 特別番組公開生放送

午前11:00~12:30
ゲスト:リクオ
場 所:霞城セントラル(JR山形駅西口)1Fアトリウム
入場無料


晴れ。日中は気温が30度に達する。
午前11時20分から番組公開ライブがスタート。
体がまだ起きていない感じ。音の跳ね返りが強くて、音響が悪い。
お客さんも少ない。ライブをやるには厳しい状況。
そこをなんとかするのがオレ、と言いたいところなのだが、今日のライブは胸をはれる内容じゃなかった。ステージの最後まで場の空気をつかめず、集中力も今 一つ。納得のゆく演奏ができなかった。番組のパーソナリティーの女性との会話も噛み合わないまま、ステージを降りる。まだまだ修行不足。
夜は、知り合いで、元子供バンドのベーシストだった湯川トーベンさんが山形市内でアコ-スティック.ギターの弾き語りライブをやるというので、観に行く。
場所はストリートシャッフルという山形大学正門前にある30席程の小さな喫茶店。
実はオレもデビューして間もなくの頃、この店に歌いに来たことがあるのだが、訪れるのはそのとき以来、約11年振り。
店の雰囲気は以前と少しも変わっていないように思えた。でも久しぶりに再会したマスター、アリスさんは、青年っぽさが消えて、前にはない貫禄を感じた。
トーベンさんのライブはPAなし、完全生音での演奏。
ステージと客席の仕切りもなく、客との距離感ゼロ。


★ 弾き語るトーベンさんを客席から撮影

開演から少し遅れて入場したのだが、席につくなり演奏中のトーベンさんから「や~、リクオ~」と声をかえられてしまう。
これはもしかしたらと思っていたら、やっぱりライブの途中でトーベンさん紹介されて、何かいっしょにやろうと言われる。もちろん打ち合わせなし。
で、用意された楽器がピアニカ。そのピアニカ.ケースには「6年3組武田ゆき」とマジックで書かれてあった。
まずトーベンさんがやろうと言い出した曲が、オレのレパートリーでもある、小坂忠さんの「機関車」。
トーベンさんにキィーを伝えて、オレのカウントで曲がスタート。
トーベンさんが弾くギターのコードは相当にデタラメで、ほとんどブル-ス進行の曲のようになっていた。まあこれもありか。マイクなしで歌うのもええね。
ピアニカで吹き語りというのは無理なので間奏でピアニカ.ソロ。気持ちはトランペッターのマイルス.デイビスのつもりで吹く。結構、決まった。
こうなると調子に乗るオレ。そのままステージに居残ってやった。
なにか叩き物はないかと探していたら丁度、カフォンぐらいの大きさの割り箸を収納している木箱がそばにあったので、そいつにまたがりパーカッションにして叩く、これが非常に楽しくて、はまる。
途中で地元の若い子達がやっているジャグ.バンドがトーベンさんの紹介で演奏に参加する。もちろんオレは居座り続けてセッションに加わる。
木箱以外にも割り箸、柱、タバコの吸い殻入れなどいろんな物を使って、演奏した。
いゃ~、楽しかった。サンキュー、トーベンさん。
ライブの後、10年振りにオレを観たというお客さんから「昔よりも若返った感じですね。」と言われ、増々いい気分になる。
違うお客さんからは「君、早くデビューしたほうがいいよ。」と言われる。がんばろ。
打ち上げにも参加。「安愚楽」という年期の入った居酒屋へ連れていってもらう。70をゆうに超えるおばあさんが一人で切り盛りしている小さなお店で、異常に安く、しかも美味しかった。

 

2003年6月15日日曜日

2003年6月15日(日)西宮 RJ&BME’S

しもた、二日酔い。やっぱりワインはあかん。調子に乗って飲み過ぎ。
リハ-サル中もまだしんどい。今日のライブは大丈夫か。
開演までにはなんとか体調が戻ってくる。
今日は50人も入れば満席の小さなブルースバーでのライブ。ここでのライブは3回目になるのだが、毎回、ライブを記念したスペシャル.カクテルがドリン ク.メニューの売り物になる。前回のカクテル名が「ピアノマンワールド」、今回は「メローブルー」でメロン味のカクテル。
オレもステージで「メローブルー」を注文して、お客さんと乾杯。
今日はお客さんだけじゃなく、お店のスタッフ陣の乗りも素晴らしい。演奏中に、カウンター内で振りを合わせて踊るスタッフ陣が目に入る。あまりに素敵だったので、思わず「RJダンサーズ!」と紹介する。
今日の客席の乗りはダニーハザウェイ.ライブにも負けてないなあ。
西宮在住の学生時代からの音楽仲間、N氏が観に来てくれたのも嬉しかった。
夜中の12時を過ぎて、来月共演するアサ.フェストゥーンさんと、その共演場所である神戸カフェ.フィッシュの北村さんが他の関係者といっしょにRJまで会いに来てくれる。アサさんは今夜カフェ.フィッシュでライブを終えて来てくれたのだ。
今年の2月にオレがカフェ.フィッシュでライブさせてもらったときに、北村さんからライブ後にアサさんのCDを聴かせてもらった。とても魅力的な声と歌だ と思った。アサさんもオレのことを知ってくれていたそうで、共演の話はトントン拍子で進んでいった。
アサさんは昨日の川村さんのコンサートにも遊びに来てくれて、その時が初体面。まだ2度目の対面にもかかわらず、打ち解けて、楽しい酒の席になった。
アサさんが去年、発表したファーストアルバムはキユーバ録音で、サポート.ミュージシャンも現地の人達。
このキュ-バ録音に至る経緯を聞かせてもらったのだけれど、映画にしたくなるような素敵な話だった。
アサさんはヘルツのライブを何度も観てくれていたそうだ。そう言えば昨日の打ち上げで川村さんから、その日のステージで共演させてもらった「朝焼け」とい う曲は、ヘルツの「孤独とダンス」という曲に刺激を受けて作ったのだと教えてもらった。これが川村さんテイスト一杯、胸一杯のぐっとくる曲なのだ。
ヘルツに関しては納得しきれない思いを残したまま活動休止したのだけれど、こういう話をきくと、素直に嬉しいし、少しは報われた気持ちになる。
アサさんは、構えたところがなく、真直ぐで、素敵な人だった。
来月の共演が楽しみ。

2003年6月14日土曜日

2003年6月14日(土)大阪 IMPホール 

川村結花さんのコンサートにゲスト出演。3曲共演する。
最近、大阪にしょっちゅう戻って来るなあ。
オレの出番は後半。メンバーをステージに見送って、楽屋で一人ぽつんと待つ。
で、こんな写真を撮ってみました。


★ 出番前、楽屋にて


 ★出番直前。舞台袖からステージを撮影。

川村さんのナンバー、「プレイヤ-」の前奏が始まったところで、川村さんがオレを
紹介してくれる。今夜はショーマン.プロレスラー、リック.フレアーを意識したウォーキングでステージ.インした。アメリカのレスラー達は、花道を通って リング.インし、試合が始まるまでのパフォーマンスにたっぷりと時間をかける。一流のレスラー達はゴングが鳴るまでに自分のキャラクターを客席に伝え、お 客さんを掌の上に乗せてしまう。プロレス.ファンのオレは、彼らのパフォーマンスを自分のステージングの参考にしている。
今、アメリカのプロレスはWWEという団体の独占状態にあるのだが、とにかくこの団
体は選手のキャラ付けが徹底している。興業の世界は客とお金を集めてなんぼの世界
であり、そこで最も重要視されるのはプレイヤーの演奏力や歌唱力が高いことや、選
手が強いことではなくて、お客が面白いと思うかどうか、気持ちよく感じるかどうか、また観に来たいと思うかどうか、ということなのだ。WWEという団体はシビアにその原則を守っている。
その結果、エンターテインメントとしての完成度とスケールは、少し前までは世界一と言われた日本のプロレスが、もはや遠く及ばないレベルにまで達している。
WWEを観ていると、全く規模が違うとはいえ、同じショービジネスの世界に関わる人間として考えさせられることが多い。自分はどれくらい興業の世界で生き ているという自覚をしているのだろうか、自分がイメージするプロフェッショナルとはどういうものなのか?と自問自答させられる。
最近、オレがプロフェッショナルについて考える時に、参考にしている言葉がある。
「プロとは技術を背景にしたキャラである」
「リアルな感情がエンターテインメントに化ける瞬間を演出するのがプロの真骨頂」
ちゅうわけで、今夜のステージの課題の一つはステージ.インしてピアノを弾き始めるまでに、なるべく長い時間をかけて、その間にお客さんを魅きつけることだった。
上手から登場して、フレアー.ウォークでじっくり時間をかけて、やっとエレピの前に立った時に、演奏が突然ブレイクした。ハイ、そこでオレが決めのポー ズ。これ、事前に打ち合わせ無し。川村さんをはじめステージの演奏者達がオレのパフォーマンスに反応してくれたのだ。こういうことがあると乗るね。
川村さんは頼もしいメンバ-に恵まれているなと思?。ステ-ジ上の人間、すべての笑顔が素敵だった。
打ち上げも弾けた。


★ステージがはねた直後。楽屋でメンバーと乾杯! 

2003年6月10日火曜日

2003年6月10日(火)

日中、世田谷文学館館へ「寺山修司の青春時代展」を観に行く。
寺山が10代後半から20代にかけて、恩師や友達に向けて書いた手紙がたくさん展示されていて、興味深かった。
手紙の中の寺山は、素直で人懐っこい印象。
寺山修司という人は亡くなるまで青春時代を送り続けた人だと思う。
「ぼくは不完全な死体として生まれ何十年かかって完全な死体となるのである」
 ―寺山修司


★6/10 

夜中から高円寺で小林建樹君と飲む。
小林君は髪の毛を思いっきり短くカットしていた。
なんだか大正時代の青年文士のよう。
先日、表参道のFABのイベントで一緒だった早川義夫さんが「足りないのではなく余計なものが多すぎるのだ」と歌っていたのを聴いて、短くしようと思ったそう。
夜中の3時に頃店を出た後、小林君の誘いで彼が音楽製作の仕事用に借りている部屋にお邪魔して飲み直す。
語り明かして、自分の部屋に戻ったのが朝の7時過ぎ。
こんなんばっかりやな。

2003年6月8日日曜日

2003年6月8日(日)千葉 ANGA

朝までレコーディングをやっていたので、さすがに体がきつい。
しかも千葉は予想以上に遠かった。30分程、遅刻する。
今日は地元でがんばっている2組のアマチュアミュージシャン、高橋ちかさん、田中としみつ君がオープニングで演奏してくれた。どちらも弾き語りのシンプルなスタイルながら、幅広い音楽性を感じさせる演奏で、歌心もあり、好感をもった。
少し前まで、年上のミュージシャンばかりの現場にいた気がするのだが、最近は自分よりずっと年下といっしょになる機会の方が多い。そういう人達と接していると、引き出しが多く、音楽センスの良い人が増えたなあと実感する。
けれど、あくの強い、やんちゃな奴は減っているように思う。
今日のライブはMCとアップ.テンポの曲をいつもより減らして、じっくり歌を聴いてもらうつもりでいたのだが、ステージにあがったらそんなことは忘れてし まった。あ~あ、ようしゃべってるわ。すっかり、成り行きまかせのステージ。まあ、いつものことではあるが。
「君をゆるして僕をゆるして」という新曲を始めて、ライブで歌ってみた。
いけるかも。


★ライブ後の店内。

2003年6月7日土曜日

2003年6月7日(土)

今日もヤマサキ.スタジオでレコーディング。
夜にはあやちゃんが来てストリングス.パートを入れてくれる。
歌入れを始めたのが夜中の2時を過ぎた頃。
約、1時間半で一気に続けて2曲とる。
まだ客観的に聴けないけれど、いけたかも。
今回のCD製作は色々と新しいことにトライしていて、手探りの作業が多く、生みの苦しみを味わっている。けれど、やっとそれを乗り越えつつあるように思う。
今までの自分にはなかった作品になることは間違いない。
帰宅したのは朝の7時頃。