2015年1月29日木曜日

よし、明日へ行こうー「公の問題」と「私的な問題」と「もやもや」との関係

特別なライブを明日30日にひかえて、どうにも気持ちが落ち着かない。
「公の問題」と「私的な問題」がごっちゃになって切り離して考えることができずにいる。ニュースも気になるし、明日のことも考えるし、明日以降の仕事の準備もしなきゃいけない。やるべきことは多いけれど、心が「もやもや」したままで一つに集中できない。

午後になって自宅を出て、いつものように海沿いをチャリンコで走り、いつもの場所にチャリを置いて、しばし海を眺めながら体をのばしたり深呼吸繰り返したりした後、近くのファミレスへ行く。この街に越してきて以来続いているルーティーンに近い行動パターンだ。
ファミレスでランチをすませた後は、パソコンを開きながらコーヒーを何杯もおかわりして、そのままお店に居座り続ける。TwitterやFacebookのタイムラインを眺めていると、時間がどんどん過ぎてしまう。なんとなく罪悪感を覚える。
「もやもや」が消えないので、久し振りにブログをアップすることにした。




「公の問題に押しつぶされず、それぞれが関わる身近なものを、一番大切に生きるべきだ」という吉本隆明の言葉を時々思いだす。その通りだと思う一方で、「公の問題」と「私的な問題」を、完全に切り離すことは難しい。つきつめてゆけば、当然のことながら「公の問題」も他人事ではなく「私的な問題」とつながっているからだ。
「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」
作家の吉田健のこの言葉を自分のオリジナルである「パラダイス」という楽曲のエンディングの語りで、よく引用させてもらっている。こういう言葉に対しては、昔なら「プチブル」的であるとのレッテルが張られたりしたのだろうけれど、今もまた同じ意味のことを言われそうな空気を感じることがある。だから、最近この言葉を引用するときは、場によっては受け取る側の違和感を想像して、少し緊張したりする(意識過剰だと思う)。そんな状況だからこそ余計に必要な言葉だとも思うけれど。

ここ最近「公の問題」と「私的な問題」が重なって、軽い「孤立感」にに苛まれていたりする(そういう感情はそう長くは続かないけれど)。文章にしてしまうと深刻にとられ過ぎてしまうかもしれない。回りにこれだけよくしてもらって「孤立感」なんて言葉を出すのもどうかと思うけれど、誰もが日常の中にふと抱く感情だと思う。
3・11以降、思うところがあって、以前よりも社会にコミットすることを意識するようになり、社会的な発言をする機会が増えていたのだけれど、最近そういうことに関して自分の考えを表明する機会が少し減っている。
さまざまな出来事に対して思うところはあるけれど、なかなか言葉にまとまらず、はっきりした答をすぐに出せないことも多いので、流されて無理に意見や考えを述べるのをひかえている感じた。このブログの更新が滞っているのもそのことが一因になっていると思う(あと、忙しくて心の余裕がない)。
考えてみれば、自分がどの立場にも依りきれないという「孤立感」は、3・11以降、多くの人が自分と同じ思いを持っているという連帯感と平行して、ずっと抱え続けていた思いだった。そして、その「孤立感」が「もやもや」をもたらす一因となっている。
この「もやもや」は、はっきりとした答を自分の中で導き出せないことも一因なのだろうけれど、ならば、無理に解消するのではなく「もやもや」を抱え続けようかとも思う。それで曲ができれば、なおよい。でも、音楽生活の中では楽しいことも多くて、すぐに「もやもや」を忘れてしまいがちなのだ。

そういった思いを抱えているときに、朝日新聞デジタルに掲載された作家・高橋源一郎の文章「熱狂の陰の孤独 『表現の自由』を叫ぶ前に」に出会った。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11574914.html?_requesturl=articles%2FDA3S11574914.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11574914

文中の言葉を以下に引用させてもらう。

 テロにどう対処するのか、政府や国家、「国民」と名指しされたわたしたちは、こんな時どうすべきなのか。わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない。もっと別のことが頭をよぎる。
 動画を見た。オレンジの「拘束衣」を着せられ、跪(ひざまず)かされ、自分の死について語る男の声をすぐ横で聞かされながら、ふたりはなにを考えていたのだろうか。その思いが初めにある。「意見」はその後だ。
 同時代の誰よりも鋭く、考え抜かれた意見の持ち主であったにもかかわらず、スーザン・ソンタグは、「意見」を持つことに慎重だった。
 「意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだという点である……何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある」
 そこにはつねに、それ以上のことがある。目に見えるそれ、とりあえずの知識で知っているそれ。それ以上のことが、そこにはある。そのことを覚えておきたい。なにか「意見」があるとしても。


これらの文章に触れて、少し腑に落ちたような、救われたような気持ちになった(と同時に、人の意見で無理に自分を納得させてはいけないとの心の声も聞こえてくるけれど)。さらに引用を続ける。

 襲撃事件から数日後、「二十世紀のもっとも偉大な風刺漫画家」ともいうべきアメリカ人ロバート・クラムのインタビューが掲載された。彼は四半世紀にわたってフランスに住んでいたのだ。
 クラムは、ことばを慎重に選びながら、「表現の自由」を守れと熱狂するフランスへの静かな違和を語った。
 「9・11の同時多発テロの時と同じだ。国の安全保障が最優先され、それに反するものは押しつぶされるのだ」
 「それで、あなたは何をしているのですか?」と記者は重ねて訊(たず)ねた。
 「わたしは(風刺)漫画を描いた。ひとりの臆病な(風刺)漫画家としてね」
 クラムは「意見」を述べるのではなく、漫画を描くことを選んだ。


クラムが漫画を描くことを選んだように、自分の最大の表現の場はやはり音楽だ。テキトーなくせにどこかマジメで、臆病なくせに時々妙な正義感に左右され、常に引き裂かれている、そんな自分に向き合い、ユーモアとグルーヴを忘れずに、表現し続け、皆との解放空間をつくり続けたいと思う。
とにかくまずは、明日のライブですべてを昇華させよう。一つのことに集中し、瞬間にすべてをささげ、その瞬間を皆で共有する場を与えられているのは、本当にありがたく幸せなことだ。
お時間許す方、明日30日(金)下北沢GARDENに来て下さい。サイコーのメンバーと一緒にサイコーの「HAPPY DAY」にします。

しめが宣伝とお願いになってしまい、なんだかなあと思いつつも、これが本心です。
よし、無事を心より願いながら、明日へ行こう。

今年も、「もやもや」したり、立ち止まったりしながら、基本的には面白おかしく日々を過ごし、少しずつ前に進んでゆくつもりです。また時々、ブログも更新します。お付き合いの程、よろしくお願いします。
ー2015年1月29日(木)


1/30(金)東京 下北沢 GARDEN 03-3410-3431
『リクオ with HOBO HOUSE BAND Live at 伝承ホール』アルバム発売記念ライブ
開場18:30 開演19:30 前売¥4500 当日¥5000(いずれも飲食別)
【出演】リクオ with HOBO HOUSE BAND
笹倉慎介(ギター&コーラス)/椎野恭一(ドラム)/寺岡信芳(ベース)/ 宮下広輔(ペダルスティール)/橋本歩(チェロ)/阿部美緒(ヴァイオリン)/真城めぐみ(コーラス)
メール予約: reserve@rikuo.net (当日15:00まで受付)