2020年12月20日日曜日

「反戦」と「参戦」 ー ウッディ・ガスリー「This Machine Kills Fascists」から考える

 音楽評論家で音楽プロデューサー、エンジニアでもある高橋健太郎さんが、4年前にTwitterで、ウッディ・ガスリーのギターに書かれていた言葉「This Machine Kills Fascists」について、連投で解説されていたことを思い出して、そのまとめを久しぶりに読み返してみた。

https://togetter.com/li/1058954

ウッディ・ガスリーは、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンに多大な影響を与えたシンガー・ソングライターで、プロテストソングの源流ともなったと言われる人物。

以下は、その連投の中の一文。

「打倒ヒットラーのためには銃をも取ろう。そういう姿勢でステージに立ち、歌っていることをウッディはギターに描いて示したのだ。もはや、反戦歌を歌っている時ではない、という緊急のメッセージとして。」

「This Machine Kills Fascists」という言葉は「ペンは剣よりも強し」的な意味合いよりも、「反戦」の立場から「参戦」への「転向」宣言だというのが健太郎さんの解釈。実際にその後のウッディは軍に入隊するそうだ。

「判断保留して考え続けたり、自己を問い直したり、してばかりのインテリに対して、もう臨界点は越えた宣言したのが、ウッディ・ガスリーの『This Machine Kills Fascists』だったのかもしれない。 」

健太郎さんのこの一文には考えさせられる。

自分は、今のこの状況の中で、「考え続けたり、自己を問い直す」作業の必要性を痛感しているけれど、さらに状況が悪化すれば、こういった考えや態度は、役立たずの傍観者として、批判や糾弾の対象となることを覚悟しなきゃいけないと思っている。

鶴見俊輔は、「私は、戦争中から殺人をさけたいということを第一の目標としてきた。」と語り、人間同士が殺しあうことの不条理に注視し続けた。

遠藤ミチロウさんは、「おれは誰も殺したくなんかない」とステージで叫び続けた。

「反戦」の立場をとる自分は、「限界点」を超えた戦争時でも殺人を否定し続けることができるだろうか。

こういった考えが「綺麗事」とされる時代が、既に始まっていると思う。

ー2020年12月20日(日)

2020年7月20日月曜日

 コロナ禍でのライブのブッキングについて 1

明日21日(火)四日市・VEEJAYでのライブは元々、VEEJAYマスター辻田さんの還暦を祝うために、自分を含めた3組が出演するメモリアルイベントとして開催される予定だった。しかし、コロナの影響で満席での開催を自粛せざるを得ない状況となり、それでは採算が取れないということで、3組でのライブは来年以降に延期、代わりに限定人数で自分がソロでライブをやることになったのだ。

VEEJAYは、昨年9月の豪雨で店内が床上浸水して多大な被害を被った。学生時代から弾かせてもらっていたお店のグランドピアノも、浸水により使用不能となり廃棄処分に。そして、今度はコロナである。
明日の公演は、陽性者数が全国的に増加し始めた影響で、結構な数の予約キャンセルが出ているとのこと。こういう状況なので仕方がないこととは言え、20人限定で、さらに予約キャンセルが出るとなると、お店もこちらも厳しい。

四日市公演の後は、寺さん、コミヤンと3人でリクオ・トリオとして北海道3ヶ所をツアーする予定だった。これもコロナの影響で中止せざるを得なくなったのだけれど、公演予定会場の一つだった釧路のラルゴが今月内でお店を閉めることになり、今回がお店でのラストライブになるはずだったとの話をマスターの豊川君から聞き、これはもう自分1人でも行くしかないと、ソロに変更して限定人数でライブやらせてもらうことにした。12年間毎年自分を迎え入れてくれたラルゴと豊川君には感謝しかない。

それに合わせて、トリオで回る予定だったもう1ヶ所の札幌・マルヤノクターンでも、限定人数+配信という形でライブをやらせてもらうことにした。ノクターンも他のライブスポット同様、ライブブッキングがままならない状況の中、これから配信ライブに力を入れてゆくそうなので、今回がそのいいきっかけになってくれればと思う。
経費の少ないソロとは言え、限定人数での2ヶ所公演では収支が厳しいので、北海道他地区のライブ・スポットにも数カ所あたってみたけれど、この状況でブッキングを受けてくれるお店はなかった。

各地方のライブスポットや知人と連絡を取り合って気づいたのは、感染者が少ない地域だからライブがブッキングしやすいわけではないということだ。感染者数の多い都市部よりも、むしろ、地域社会のつながりの強い地方の方が、コロナに対する警戒心や自粛警察的な視線が強くなるようだ。
コロナ感染が収束に向かうだけでなく、この空気感が変わらない限り、地方でのツアーを組むのは難しそうだし、無理をしてまでツアーを組むのもやめておこうと思う。

このコロナ禍で、一体いくつのライブが中止・延期になったのか、敢えて数えないようにしてる。
先が読めない期間がこれからしばらく続くのだろうと思う。もしかしたら、そういう時期が数年続くのかもしれない。覚悟はしておこうと思う。
絶望にも楽観にも寄りかかりたくない。
状況を受け入れながら、今できることを探そうと思う。やれることはまだまだ色々ありそうだ。
不安の中でも自分にこもり過ぎず、人との繋がりを意識しながら、日々を楽しむことを忘れずにいたい。
ー2020年7月20日(月)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
リクオ・ライブスケジュール(ネット配信含む)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●7/21(火) 四日市・VEEJAY (限定20名)
●7/25(土)札幌・円山夜想(限定20名 配信あり)
視聴申し込み https://tiget.net/events/95470
●7/26(日)釧路・喫茶ラルゴ(限定25名)※ソールドアウト
●8/2(日)東京高円寺・jJIROKICHI (配信あり)
「リクオ with 宮下広輔 観客限定(20名)同時配信ライブ」
●8/10(月祝)愛知県稲沢市・カフェサルーテ(限定25名)
●8/12(水)大阪・martha(無観客配信ライブ)
●8/28(金) 福島市・AS SOON AS(限定20名)
●8/29(土) いわき市・club SONIC iwaki(限定40名)
●8/30(日) 仙台市・VORZ BAR(限定15名)※ソールドアウト
詳細 http://www.rikuo.net/live-information/

2020年7月18日土曜日

コロナがわからない ー 陰謀論を超えてコロナ後の時代を生きるために

いまだに新型コロナウイルスのことがわからない。
どのくらい 危険なのか、どのくらい安全なのか?
一体、どの情報が正しいのか?
一体、いつになったら収束するのか?

わからないから何かにすがりたくなる。楽になりたい。
以前にも増して、無意識のうちに自分に都合の良い情報ばかりを求めるようになる。
SNSやYouTubeは、不安への答をたやすく用意してくれる便利なツールだ。
「新型コロナはそんなに危険なウイルスではない」という情報ばかりを集めるようになり、次第にそのことを事実として確信するようになる。

ネットの中で答が見つかると、それらの情報を共有し、共感してくれる仲間を求めるようになる。
ネットで繋がった仲間と情報を交換するうちに、既存のメディアは嘘の情報ばかりを流していて、インフルエンサーやユーチューバーこそが真実を語っていると考えるようになる。
情報のソースを確認する必要を感じなくなる。

そのうち、新型コロナウイルスの不安を煽ることで世界を牛耳ろうとする勢力が存在すると考えるようになる。
新型コロナウイルスは、ワクチンを売りつけるためのビル・ゲイツの陰謀だと確信する。
コロナが生物兵器ではないかと疑うようになる。
5G通信サービスがウイルスへの免疫力を低下させたと考えるようになる。
隣国の大国がこのコロナ禍で存在感を増したことに、これまで以上の脅威を感じるようになる。

知れば知るほど「敵」の存在がどんどん大きく膨らんでゆく。
「物語の単純化」「大きな物語への依存」が進行することで、「敵対と分断」がさらに広がってゆく。

このコロナ禍で、多くの人が陰謀論にすがる傾向がさらに強まったと感じる。
陰謀論を形づくる全てがデマだとは思わない。ある事実から妄想が広がり、無意識に、ある時は意識的にデマが形成されてゆく。陰謀論には妄想とデマと事実が混在する。
全ての人間は多かれ少なかれ陰謀論に陥る資質を持っているのだと思う。もちろん自分もそうだ。過去を振り返ってみれば、色々と想い当たる節があるし、まだ気づかないまま信じている陰謀論もあるのかもしれない。だから、この投稿は自分への戒めでもある。

極端な説や断定的、独善的で強い言葉からは距離を置こうと思う。
「劇的な話」は鵜呑みせず警戒しようと思う。答はすぐには見つからない。
救世主は求めないし、世界は少しずつ変化する方が持続しやすいと思う。
一つの事実を、様々な視点で捉えることを忘れずにいたい。
自分の無知を自覚し、謙虚でありたい。
「わからない」ことを受け入れて、グラデーションに目を凝らし続けるしなやかな強さを持ちたい。白と黒を反転させても同じことだ。
不安に向き合える知性を身につけたい。
知性や理性を盲信し過ぎないよう心掛けたい。

劇的さに寄りかからず、とるに足りないささやかなおこないを積み重ねて、小さな物語を丁寧に紡いでゆきたい。もっと思いやりのある人間になりたい。
地域に根ざし、ローカルから世界を眺め、ローカルから各地を巡り続けたい。そして、最小のローカルは個人であると自覚した上で、他者や知らない自分に巡り会う旅を続けたい。

自分のデフォルト(初期設定)解除を何度も試みたい。
デフォルトを解除しないまま世界を理解しようとする傲慢と弱さが陰謀論を引き寄せる。
世界が変わる前に、自分を変えたい。
それは、とても難しい試みだけれど、目指す心の自由はそこにあるように思う。
コロナを乗り越え、陰謀論を乗り越え、コロナ後の時代を生きるために、今考え続けていることを何度も思い出したい。きっと忘れてしまうから。
ー 2020年7月17日(金)

2020年6月22日月曜日

「通常」にして「特別」な夜 ー 観客ありライブ再開

和歌山・オールドタイムにて、久しぶりの観客ありライブ。
ライブ再開の1回目、ソーシャルディスタンスを心がけての通常とは違うライブということで、少しの不安を抱えながらのライブ当日。
JRに乗るのは3カ月ぶり。車内は普段より空いていて、京都から和歌山までの移動がいつもより長く感じられた。

ちょっと気構えてオールドタイムのお店のドアを開けたのだけれど、マスターの松本さんと音響の中谷君が、ごく普段通りに迎え入れてくれたので、拍子抜けした。
長年通い続けた、いつものオールドタイムと変わらない風景。リハーサルが始まったら気負いが薄れていった。

ライブに、やりにくさや違和感はほとんど感じなかった。それどころか、これまでのオールドタイムの中でも、特別に会場の熱量が高いライブになった。
ソーシャルデシスタンスが、余計に、会場の一体感を高める効果をもたらした気がする。制約があるからこそ、会場の「思い」がより強まった。
この状況の中で、ライブを楽しみに待っていてくれる人達がいることが本当に嬉しく、ありがたかった。

ライブは毎回毎回が「特別」なんだと、あらためて思った。場を受け入れ、その日その場所だからこそのライブを目指すのが自分の信条。そういう意味では、昨夜のライブも「通常」だという逆説が成り立った。
配信ライブでの「気づき」や、これまでの様々なシチュエーションでのライブ体験が、昨夜のライブにも生きた気がする。

オールドタイムは、この先もライブスケジュールが埋まっておらず、通常営業に戻る見通しが立っていない。マスターの松本さんは、このコロナ禍でたくさんの負債を抱え、とっくに申請済みの持続化給付金もいまだに振り込まれない苦しい状況の最中。
それでも、松本さんは、このコロナ禍での気づきや、これらからについて語り、自分の前では、明るく前向きな振る舞いを崩すことがなかった。



自分達ツアー・ミュージシャンはこういう人達に支えられて、成り立ってきた。
地べたと繋がるこのライブ文化を、これからも皆と一緒に守ってゆきたいと思う。自分達が支えようという意思を持たなければ、この文化は廃れてしまうだろう。

「通常」にして「特別」な夜だった。
ライブハウス最高!
ー 2020年6月22日(火)

〈リクオ・観客ありライブ・スケジュール〉
「リクオ&ピアノ 2020」
●7/5(日)名古屋市・オープンハウス 
前売¥3500 開演18:00 限定30名(要予約)
メール予約(0時より):info@openhouse-imaike.com
電話予約(17時より):052-753-4300(オープンハウス)

●7/10(金)長野県駒ヶ根・G-Studio NIRVASH
オープニングアクト:TERRY
前売/予約¥3,000 開演t19:30 限定20名
メール予約:info@nirvash-kmg.com
(問)090-3406-0329

●7/11(土)京都・拾得 tel 075-841-1691
前¥3500 開演18:30 限定25人(要予約) 
メール予約:http://www2.odn.ne.jp/jittoku/yoyaku.htm

●7/21(火) 四日市市・VEEJAY tel 059-351-7440
前売り¥3500 開演20:00
ご予約&問い合わせ
veejay 059-351-7440 090-3381-7139

ライブ詳細:http://www.rikuo.net/live-information/

〈リクオ・オンライン配信ライブ・スケジュール〉
●6月25日(木)[Piano Singers]
出演:リクオ / 伊東ミキオ / 椎名純平
会場:吉祥寺・スターパインズカフェ (STAR PINE'S CAFE)
配信開始:20:00(開場19:30) チケット代:¥2500
購入および詳細:https://tiget.net/events/93175

2020年6月8日月曜日

気落ちからの回復 ー ライブの再開について

7月以降に予定していたツアーが軒並み正式に中止になったことで、ここ数日、思いのほか気落ちしている自分に気づいた。

例えば、地方ツアーが4ヶ所組まれていた場合、その内1ヶ所のお店が開催を希望していても、その他の公演が中止になれば、交通宿泊費、3蜜を避けた限定人数での開催状況を考えると、1公演だけでは収益が成り立たず、ツアー全体を中止にせざるを得なくなる。

お店や主催側が、ライブ再開に慎重になるのは十分に理解できるし、それぞれの選択を尊重すべきたと思いつつも、開催の可能性をギリギリまで探り続けながらの、ここへきての中止の連続は、少々こたえた。
コロナの影響で、9月以降はブッキング自体が思うように進まない状況なので、いつになったら通常のライブを始められるのだろうという不安も大きくなり始めている。

このコロナ禍で収入を断たれ、バイトや別の仕事を始める音楽関係者も多い中、部屋にこもることを許されている自分は、まだ恵まれていると思うけれど、この状況がこれからも長く続くようだと、そうも言ってられなくなる。

実のところ、2ヶ月半続いている部屋ごもりは、思っていたよりストレスフルで新鮮だった。ツアーに出れなくても、配信やDVD制作などやることも結構あって、それなりに充実した日々を過ごすことができている。自分の活動について、色々と考え直す機会を得られたことも良かった。

正直に言えば、ツアーに比べて体力と緊張感を必要としないこの暮らしは楽だった。部屋ごもりを続ける中で、ツアー中心の暮らしが結構タフな日々であったと感じるようになった。20数年間、休むことなくよくやってこれたなと思う。
お陰で、体のメンテナンスができたことは、ここ数ヶ月の収穫の一つではあるけれど、今急に「明日からツアーに戻れますよ」と言われても、すぐには心と体がついてゆけない気がする。
それゆえ、ツアー生活復活に向け自分なりに心身の準備を整え始めていたので、まだしばらくはツアーに出れそうにないことがわかって、ふっと力が抜けてしまった。

とは言え、どこかで折り合いをつけて、ケースバイケースで徐々にでもライブを再開してゆかないと、このままだとライブ文化そのものが廃れてゆくんじゃないかとの危機感がさらに増している。人々の「繋がり」や「文化」「創作」の場を奪ってゆく新型コロナウイルスの厄介さを、今更ながら感じている。

現時点での結論としては、ツアーでの遠出はもう少し待って、関西、東海地区を中心に、ガイドラインに沿って3蜜を避けたソロライブを少しづつでも再開してゆこうと考えている。無謀なことは避けるけれど、やってみないとわからないこと、前に進まないことも多い手探りの状況。
「少しづつ」という姿勢を大切に、焦らずやってゆこうと思う。数日内には、新たなライブの告知を始めるつもりだ。

最近、ツアーミュージシャン含めたライブ関係者の間に、絶望感からくる気力低下が蔓延し始めているのを感じる。先の見通しが立ちづらいことで、今年一杯どころか、あと数年間は通常ライブの開催は難しいだろうと考える人もいて、さすがにそれは悲観し過ぎではと思いつつ、その考えを完全否定することもできない。
振り回されて一喜一憂するよりも、悲観に安住した方が、精神的にはむしろ楽な面がある。けれど、その安住は自分の気力を奪ってゆく。

悲観的になり始めたら、1人で考え込むのをやめて、知り合いと連絡を取り合い、話をする時間を意識的に持つのがいいと思う。自分は、そのことで結構救われている。
愚痴を言い合ったりする中で、何となく気持ちが晴れていたり、人と話すことで、視野が広がって、前向きなアイデアが浮かんだりもする。

通常のライブができないのであれば、今までとは違うライブのあり方、創作のあり方、文化のあり方を、探ってゆこうと思う。自分はオンラインの配信ライブにも、その手がかりのようなものを見つけた気がしている。
配信ライブへのトライは、自分のライブに対する認識を確認し、さらに広げてくれる、とても良い機会を与えてくれた。ライブをつかさどる要素は多様で、自分の意識を変えてゆけば、いろんな形での一期一会が成り立つのだと思う。
この時期に、自分よりもずっと若い仲間とともに、アイデアを出し合いながら一つの目的に向かうことができるのはありがたい。

今は現実に向き合いながら、試行錯誤を楽しみたいと思う。闇の中にこそ希望があるはずだ。そのことをさまざまな繋がりの中で証明してゆきたい。

ありがたいことに、今日は数本のライブ開催が決定した。長年の付き合いのお店のマスターと電話で話して、いいエネルギー交換ができたのも嬉しかった。
そうすると、またムクムクと気力が湧いてきて、周りの景色まで違って見え始める。自分の単純さに呆れつつ、こういう性格で良かったなとも思う。


振り返れば、ツアーに出れなくなったこの数ヶ月の間も、自分は常に音楽に救われてきた。朝起きてすぐに好きな曲を流せば、それだけで心に精気が宿り始めるのを感じる。プレイヤーではなくリスナーとしてのを時間をたくさんつくれたことも、この部屋ごもり期間の収穫の一つだ。
今はインプットしてゆく時間で、それが曲などの形になってゆくには、もうしばらく時間がかかるかも知れないけれど、焦らず、その時を待ちたいと思う。

こういう時期だからこそ、音楽には経済を埋める以外の役割があるはずだ。その役割に自分も加われたらと思う。

ー 2020年 6月8日(月)

〈リクオ・オンライン配信ライブ・スケジュール〉

■6月14日(日)磔磔 presents スペシャル配信ライブ 『リクオ × 竹原ピストル』
配信開始:17:30
チケット代:¥3000
配信チケットのご購入および詳細
https://twitcasting.tv/kyoto_takutaku/shopcart/8184



■6月25日(木)[Piano Singers]
出演:リクオ / 伊東ミキオ / 椎名純平
会場:吉祥寺・スターパインズカフェ (STAR PINE'S CAFE)
配信開始:20:00(開場19:30)
チケット代:¥2500
販売:https://tiget.net/events/93175



2020年6月2日火曜日

配信の可能性と酒場ライブの意味

昨日は、自分が暮らす京都一乗寺からの2度目の配信ライブ。
セッティング、カメラアングル、照明、マイキング、音響等、スタッフのみんなとアイデアを出し合い、配信ライブならではのライブのあり方に、こだわれるだけこだわった。結果、空気感の伝わる音響と、映画を観るような美しい絵を届けることができたんじゃないかと思う。




配信の会場となったインキョカフェは、一乗寺に越して以来通い続け、お世話になっているミュージック・バー。
マスターの院去君は、ブルースを中心としたルーツミュージックをこよなく愛するナイスガイ。店のカウンター席は常に音楽好きの常連さんに占められていて、オレもその中の1人。
数ヶ月前では、このカウンター席で深夜まで、音楽とお酒と会話を楽しむのが、自分のこの街での大切な日常の一部だった。

酔いがまわって気分が良くなると、カウンター席を離れて、お店のアップライトピアノを千鳥指で弾きだすこともしばしばで、今回の配信ライブでは、そんな深夜の酔鍵ライブを再現したいと思った。
選曲も、インキョカフェのカウンターで聴いた曲や、お店に合いそうなブルージィーな曲を意識して、普段の弾き語りよりピアノ演奏をフィーチャーすることにした。

1部で演奏した「アフリカの月」は、3日前の深夜、インキョカフェで院去君と2人で歌った曲だし、2部で演奏したインスト曲、オスカー・ピーターソンの「自由への賛歌」は、先週、インキョカフェのカウンター席で、深夜3時に院去君と2人でしみじみと聴き入った曲だ。



自分の経験では、配信ライブは、演者もスタッフも普段のライブ以上に失敗が許されない一発勝負の緊張感を強いられる。けれど、今回のステージでは敢えて、その緊張感を伝えるよりも、くだけた適当さや、どうしようもない自分を受け入れるようなパフォーマンスを意識した。それが、自分にとって酒場で配信ライブをやる意味の一つでもあった。

個人的には、この状況下で、起きる出来事に真面目に向き合うことで、気持ちが硬直して、自分の多面性を自分で閉じてしまっているような心苦しさを感じていたので、もっと適当に自分を解放したい思いが強くなり始めていた時期だった。今回のステージには、そういう精神状態も色濃く反映されていた思う。

配信ライブに向き合うようになって以来、「いつ、どこで、どんな状況下で演奏するのか」をより強く意識するようになった。このコロナ禍に、一期一会のライブの新しい可能性に挑戦できる意味は大きい。通常のライブが可能になっても、新しい表現の場として配信ライブを活用していきたいと思う。
今の気持ちを忘れずにいれたら、ツアー生活に戻れた時にも、今まで以上に、一つ一つのライブを特別な場として、より新鮮な気持ちでステージに臨むことができるんじゃないかと思う。



前回に続き、リハーサルからリモート参加して、音響に関する的確なアドヴァイスをくれた上に、本番ではチャットにも参加して配信ライブを盛り上げてくれたソウル・フラワー・ユニオンの中川敬君にも、心から感謝したい。
彼は今や、一乗寺からの配信ライブには欠かせない存在。中川君の次回一乗寺配信ライブはノルウェジャンウッド改めオブリ(OBBLi)にて6月20日(日)に決定。

オレの次回の配信ライブは、京都の老舗ライブハウス・磔磔にて、竹原ピストル君とのジョイントライブが6月14日(日)に決定。磔磔は学生時代からお世話になり、デビュー前にはアルバイトもさせてもらっていた縁の深い場所。
まだ通常のライブに戻れる目処が立っていない磔磔にとっても新たな一歩となる大切な配信ライブなので、責任を感じる。次のステージに向けて、張り合いのある日々を過ごせることがホントありがたい。
もちろんピストル君と2人でのセッション曲も色々考えてます。
配信チームは、一乗寺ライブと同じスタッフが担当。配信ならではの、普段の磔磔では観れないライブをお届けします。
視聴参加、よろしくお願いします。

■磔磔 presents スペシャル配信ライブ 『リクオ × 竹原ピストル』
配信チケットのご購入および詳細
https://twitcasting.tv/kyoto_takutaku/shopcart/8184



5月31日(日)インキョカフェからの配信動画は、6月14日(日)までのアーカイブ録画視聴、その間の購入も可能です。よろしくお願いします。
https://twitcasting.tv/c:dop2020/shopcart/6267

全国の皆さんの、たくさんの視聴とコメントに、とても勇気づけられ、感謝してます。
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

ー2020年6月1日(月)

2020年5月31日日曜日

腰を据えた時間 ー 配信ライブとライブDVDのこと

配信ライブをやり始めたおかげで、コロナ禍でも歩みを止めず活動できている気がする。
この新しい試みへのトキメキと緊張が、今の自分の心の支えの一つになっている。配信に関わってくれているスタッフにはホント感謝しないと。

ツアーで毎日のように弾き語りライブをしていた頃は、きっちり曲順を考えることは滅多になかったけれど、配信ライブをやるようになってからは、事前に選曲ですごく悩むようになった。自分のレパートリー多さにも、あらためて気がづいた。

今日の配信ライブは、あえて最近のレパートリーの多くを選曲から外すことにした。初演や久しぶりに演る曲が多いこともあり、最近は、いつになくよく練習している。これを機会に曲のアレンジも練り直したりしてる。

練習すればするほど、自分の未熟さに気づく。イメージ通りの演奏ができず、「ああ、オレって、こんなにヘタクソやったんやなあ」と、ガッカリする。それでも毎日弾き続けていると、ほんの少し上達している自分に気づく瞬間がある。その積み重ね。
ツアー暮らしの中では、こういう腰を据えた練習の時間をしっかり持てなかった。
こうやって、自分の演奏に向き合う機会をつくれたことは、コロナ禍の収穫の一つだと思う。まだまだ向き合う時間が足りないけれど。

今日の配信ライブで、すぐに練習の成果が出るかどうかはわからないけれど、このライブへの思いと演奏できる喜びを伝える自信はある。今日しかやれないステージになると思う。
こういう状況下で演奏できる場があることは、本当にありがたい。
画面越しに皆さんとお会いできることを心から楽しみにしてます。

●5/31(日)リクオ ツイキャスプレミア有料配信ライブ Live at 一乗寺 インキョカフェ
会場:京都市一乗寺・インキョカフェ
■視聴料金:3,000円(税込)
■配信開始時間 17:30〜
視聴料金のうち20%は認定NPO法人ビッグイシュー基金に寄付させていただきます。
■配信視聴購入URL
https://twitcasting.tv/c:dop2020/shopcart/6267
14日間のアーカイブ録画視聴、その間の購入も可能
■配信視聴に関するご案内
https://note.com/notes/n5db8829342c9/


もう一つお知らせがあります。
新設したオンラインショップ・Hello Records shop(BASE) https://rikuoshop.thebase.in/  にて、リクオ with HOBO HOUSE BANDのライブDVDの通信販売を開始することにしました。今日31日より予約受付を開始します、

このライブDVDを制作し始めた頃は、コロナ禍のこのような状況は全く予想していませんでした。バンド形態での3密ライブができるようになるまでには、まだ時間がかかりそうで、とても、もどかしいです。
このDVDを観ながら、待っていてもらえたら嬉しいです。バンドの魅力が凝縮された作品になったと自負してます。
また、皆さんとライブ会場でお会いできることを楽しみにしています。


★『Gradation World LIVE』2019年7月21日(日)代々木・Zher the ZOOで行われた 〜リクオ『グラデーション・ワールド』発売記念スペシャル・ライブ〜 が映像化されDVDリリース決定。新設されたHello Records shop(BASE) https://rikuoshop.thebase.in/  とライブ会場での限定販売。
5月31日(日)より予約受付、6月5日(金)より発送開始。

「Gradation World Live」参加メンバー
リクオwith HOBO HOUSE BAND( ベース:寺岡信芳 / コーラス:真城めぐみ / ギター:高木克 / ドラム:小宮山純平 / ペダルスティール:宮下広輔 ) ゲスト:森 俊之(キーボード)

【収録曲】
1 千の夢
2 永遠のダウンタウンボーイ
3 海さくら
4 だんだんよくなる
5 夜更けのミュージック
6 希望のテンダネス
7 グラデーション・ワールド
8 黄昏と夜明け 
9 雨上がり
10 ソウル
11 満員電車
12 オマージュ - ブルーハーツが聴こえる
13 アイノウタ
14 酔いどれ賛歌
15 ミラクルマン
16 永遠のロックンロール

Recorded at Zher the ZOO YOYOGI(2019.7.21)
Produced by リクオ
Visual Staff
Camera / @MARU_movie、山盛博隆、山岸良兼
DVD Authoring / 島川ゴウ
Lighting Design / 高橋麻依( Zher the ZOO YOYOGI)

Audio Staff
PA Operator / 太田亨
Recorded &Mixed by 河村博司
Mastered by 小泉 大輔
Mastered at music studio SIMPO

Stage Director / 丸谷智洋
Art Direction & Package Design &Photograph / コヤママサシ
Cordinator / いせかおり(Hello Records)

2020年5月16日土曜日

「ソウル」の想い出

東日本大震災、福島第一原発事故の直後からしばらくは、被災地ではない地域でも自粛の空気が広がり、多くのライブが中止・延期された。そんな中で自分は、悩みながらも、できる限りライブを自粛せずにツアーを続けることを選択した。
当時のライブでの選曲には、とてもナーバスになった。このシリアスな状況の中で、どんな歌を歌えばいいのか大いに悩んだ。

そんな時期に、今もお世話になっている地方のライブスポットのマスターからこんな内容のメールが届いた。
「リクオさんの『ソウル』って曲の中にいろんな答があるじゃないですか。今、『ソウル』をぜひ歌ってください」
そのメールをきっかけに、3.11以降しばらくは「ソウル」が自分のソロライブの大切なレパートリーになった。

「すべてのソウルにいつも灯がともるように
どんなやるせない夜でも
さまようソウルがいつか誰かに出会うように
光は闇の中に」

その時を境に、自分の中で、この歌の響きや意味合いが変わった。「光は闇の中に」という逆説的なフレーズが、それまでにないリアリティーを持って響くようになった。
3.11直後からしばらくは「この暗闇、絶望の中からでしか、明日への光は見出せない」という思いを強く持った。何かを変えるべきだと思った。

けれど、今思えば、その気持ちは時とともに次第に薄れていった気がする。やはり、しんどいこと、辛いことは忘れたいのだ。
結局、自分は「暗闇」から目をそらしてしまったんじゃないかと、このコロナ禍に思う。自分たちは、あのような災いを経て、何か新しい価値観を築くことができたのだろうか?

先日、自分が暮らす京都一乗寺から、自身初の試みとして、無観客有料配信ライブを行った。スタッフの熱意と、全国各地からの熱い思いに支えられて、忘れがたいステージとなった。無観客であっても無観客ではなかった。
様々な想い、状況を受け止め、それらを反映させるライブができたことの収穫は大きかった。
その日のライブの1部最後の曲に「ソウル」を選んだ。このコロナ禍において「ソウル」を歌うことは、自分自身への問いかけになっているような気がした。この時期だからこその演奏だったと思う。昨日、自身のYouTubeチャンネルにその時の動画を公開したので、観てもらいたい。
https://youtu.be/0wwX4vmCnPY

この数ヶ月の間に、思い悩み考えたことを忘れずにいようと思う。未来のために、この「暗闇」を失なわずにいたい。その姿勢こそが、自分にとっての一番の前向きだ。
コロナ後の「復興」が、以前の社会に戻ることではなく、新しい価値観による「創造」を伴っ たものであってほしいと思う。
ー 2020年5月16日(土)

【リクオ配信ライブ決定のお知らせ】
京都市一乗寺からの無観客配信ライブ第2弾が5月31日(日)に決定。視聴購入の受付も開始になりました。
今回も収益の20%をホームレス自立支援をサポートする認定NPO法人ビッグイシューに寄付させてもらいます。
https://note.com/thedayofpleasure/n/n5db8829342c9

■リクオ YouTubeチャンネル「rikuonet」への登録
https://www.youtube.com/user/rikuonet

2020年5月9日土曜日

「インフォデミック」(デマ・流言の爆発的拡散)への危機感

コロナ禍での「インフォデミック」(デマ・流言の爆発的拡散)に危機感を抱いている。
この2ヶ月程の間に、不確かな情報の拡散がネット上で一層目につくようになった。正義感や善意から、自分のところにもそういった情報が回ってくる。

それらの中には、ディテールがあまりにもリアルで、正直、信憑性が高いのではと感じる情報も含まれていたので、別の知人にその情報を流してしまったことがある(確証はないと前置きした上で)。
今となって、その情報はデマを含んだチェーンメールの類だったと認識しているけれど、当時は、不安な日々の中で自分の判断が鈍ってしまったと反省している。こういったデマや陰謀論の中には、一定の事実が含まれている場合が多いのも、判断を誤らせる引き金になっていると思う。

ソースのはっきりしない情報に対しては、知り合いや身内からもたらされた情報で、たとえ拡散要望があったとしても、自分で検索して確かめた上で、他に信頼できる複数の機関や公的機関が発表するまでは態度を保留して、公に拡散しないよう心がけようと思う。

4月に入った頃からSNSやYouTube上で見かけるようになった不確かな情報の一つとして「5G通信が人間の免疫力を低下させ、新型コロナウイルス感染拡大に影響を与えている」とする説がある。自分は、典型的な陰謀論、デマだと考えているけれど、この説は世界に拡散され、英国では、5G関連設備への放火や作業員への暴行、嫌がらせといった事件が多発して社会問題になっているという。
こういった情報が常にもたらすのは、特定の人種や職種、国などに対する敵対や偏見、差別意識の拡散だ。

この状況を受けて、WHO(世界保健機関)は「5Gは新型コロナウイルスを広めません」と注意を促す文書をウェブサイトに掲げ、Twitterは5Gと新型コロナウイルスを巡るデマを4月の段階で削除対象となり得る有害なコンテンツとして追加、5月に入って陰謀論について投稿しようとするユーザーにファクトチェック済みのアドヴァイスを読むよう促す機能を導入したそうだ。
Facebookも先月からこの説の拡散への注意喚起を始め、YouTubeはそれらの内容の動画配信を禁止。それでも新たな動画公開が後を絶たないようだ。
今も情報の拡散は収まらず、WHOと中国の結託による陰謀が取りざたされたりもしている。

こういった情報が拡散される背景には、先の見えない不安があると思う。その不安な気持ちが単純な物語を求めて、デマや陰謀論を引き寄せてしまう。それらは正義感や善意によっても拡散され、結果、偏見や差別、敵対意識をさらに広めてしまう。

こういう状況下では特に、誰もがデマや陰謀論を拡散する側に回る可能性があることを自覚しておいたほうがいいと思う。何が本当で何が嘘なのか、わからなくなってしまう瞬間が自分にもある。そんな時には、「わからない」という状況を一旦受け入れ、不安に向き合う時間を大切にしたい。
混沌に目を凝らし、丁寧に物語を紡ぎながら、コロナ後の世界を迎えたいと思う。

ー 2020年5月9日(土)

2020年5月2日土曜日

清志郎さんの命日に考えたこと

清志郎さんの命日に、自分が7年前に高知新聞に寄稿した清志郎さんヘの思いを綴った記事を読み直した。

忌野清志郎に捧げるレクイエム6
リクオ「自力で泳ぎ続ける勇気 」 2013年6月24日高知新聞掲載

〈抜粋〉
「自分が、清志郎さんの反原発ソングから受けた影響は、どんな状況下でも、自粛することなく、フットワーク軽く、勇気を持って、その時に歌いたいことを歌う、という『姿勢』の部分が大きかったのです。
 10代後半から清志郎さんの歌を聴き続け、短期間でしたがそばにいさせてもらったことで、多くを学びました。自分にとって、清志郎さんは、自身を写す鏡のような存在でもあります。清志郎さんについて考えることが、今も、自分を見つめ直す1つの機会になっています。
 清志郎さんから学んだのは、『正義』ではありません。他者を受け入れ、多様性を認め、時には、自分や自分以外の誰かや社会が唱える『正義』を疑い、ユーモアを忘れず、誤解を恐れず、表現の自由を求め、自力で泳ぎ続ける。こういった生きてゆく上での『態度』と『勇気』です。そしてもちろん、音楽の素晴らしさと無限の可能性を教えてもらいました。清志郎さんは、生き続けています。」

社会状況が変化する中で、あらためて自分の文章を読み直して、『正義』のくだりが少し言葉足らずに感じた。
清志郎さんが疑い続けたのは、あくまでもカギ括弧つきの独りよがりな『正義』であって、本人は決して『相対主義』に身を隠すような人ではなかった。自分がおかしいと思う物事に対しては、批判覚悟で声を上げ、音楽でもその態度を示し続けた人だった。

清志郎さんが旅立って11年後のSNS上では、すべての正義や理想を危険視して無効化しようとするような言説が多く見られるようになった。それは、独善的な『正義』と同様に危険な傾向に思える。その態度の陰には偏見や排外が透けて見える。

特に、この状況下では、頑なな『正義』に陥らないよう、その言動に慎重になりつつも、やはり正しいことをやりたいし、機を見て声も上げ続けようと思う。
その正しい行為とは、イデオロギーなんて大げさなものに依拠するのではなく、満員電車の中で見知らぬ人に席をゆずったり、痴漢行為を見て見ぬ振りしない、そんな態度の延長にあると思っている。
自分の本質は自分本位だと自覚しつつ、利他主義的な態度が究極の自分本位なのだと想像して、この状況を乗り越えたい。

清志郎さんについて考えることが、結局自分のあり方について考えることにつながってゆく。なくなる前も、今も、これからも、自分にとって清志郎さんは、ずっと、そんな存在である続けるのだろうと思う。

ー 2020年5月2日(土)


★リクオ&忌野清志郎共作曲「胸が痛いよ」本日5/2公開
リクオが自宅からのピアノ弾き語り動画をYouTubeに公開してゆくシリーズ「リクオ&ピアノ from My Room」第2回目として、リクオと清志郎さんの共作曲「胸が痛いよ」が公開されました。
https://youtu.be/w80HS89nE7E

★新曲『君を想うとき』rikunetにて5/1より公開中
https://youtu.be/i16LE065BRc

【リクオ無観客有料配信ライブ視聴受付中】
リクオ初の試みとして4月29日(水祝)に行われた無観客有料配信ライブは、予想を大幅に超える視聴者数と反響がありました。ありがとうございます。
生配信終了後も5月12日まではアーカイブ(録画)の購入/視聴が可能です。
コロナ禍が続く中、今後も配信ライブの機会を作ってゆくつも利です。よろしくお願いします。
■ 購入&詳細
https://twitcasting.tv/c:dop2020/shopcart/3661
■申し込や視聴のやり方に不安を感じる方のためのページ
https://note.com/thedayofpleasure/n/na865bc9e72b1

2020年4月24日金曜日

「うたつなぎ」のバトンリレーを断っている理由

主に自宅からの配信ライブをミュージシャン同士がバトンリレーする企画「うたつなぎ」の動画が、SNS上を賑わせている。
自分のところへも知り合いミュージシャンからそのバトンが何度か回ってきたのだけれど、その都度、丁重にお断りさせてもらっている。

コロナ禍の世の中を明るくする好企画だと理解しつつも、自宅からの配信に関しては、誰かに促されてやるのではなく、まずは自発的に発信したい思いがあり、それ以前の配信は控えておきたかったのが一番の理由だ。
せっかく自分を選んでもらったのに、断ってしまうことに心苦しさも感じたけれど、自分のタイミングを優先させてもらうことにした。

まわりの状況も自分の心持ちも変化してゆくので、1週間後には考えや態度が変化して、誰かのバトンを受け取っているかもしれないけれど(それもよしとしている)、今は、持て余しがちな感情に向き合いながら、一つ一つの発信を丁寧にやっていきたい気持ちが強い。
しばらく遠ざかっていたブログを更新するようになったのも、そういった思いによる。

振り返れば、この2ヶ月の間で、新型コロナウイルスに対する自分の考えや態度は随分変化した。多分、ほとんどの人と同様、2ヶ月前の自分は楽観的で、ここまでの状況を予測することはできなかった。
このコロナ禍では、状況に応じて自分の考えや行動を柔軟に変化対応させてゆくことも必要だと感じている。

ツアーから離れ、京都の部屋にこもる生活を始めてから、既に一月近くが経過した。
ツアーに出ていた頃に比べると、95パーセント以上の外出制限が続いているけれど、思っていたよりはこの暮らしに適応できている気がする。
この1ヶ月は、心身をメンテナンスしながら、想いを巡らせる時間を大切に心掛けた(お陰でツアーに出ていた頃より体調が良い)。同時に、ここ最近は、長期戦を想定しながらの具体的な準備にも入った感じだ。

今週中には、自宅でのピアノ弾き語りによる新曲の収録を行って、自身のYouTubeチャンネル「rikuonet」を通して、近日中に公開できたらと思っている。
動画撮影のための3脚や録音機器なども既に購入済み。ピアノの調律もバッチリ。部屋のお片付けはそこそこ。
2週間前にはYouTubeチャンネル収益化の申請を行い、先日認可が下りたばかり。一様、ユーチューバーへの道が開かれたわけだ。今後、YouTube機能の一つであるSuper Chatなどを使ったライブ配信も考えてみたいと思う。
なので、みなさん、チャンネル登録をよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/user/rikuonet

来週4月29日(水祝)には、自分が暮らす京都一乗寺のミュージック・バー、Norwegianwood(ノルウェイジャンウッド)での無観客有料配信ライブも決定した。ツアーから離れて以来、久し振りのライブ。この1ヶ月の想いを2時間のステージに凝縮させたいと思う。
チケット購入→ https://twitcasting.tv/c:dop2020/shopcart/3661

今後は、配信ならではのライブのあり方を探ってゆくつもり。
もちろん、一番の願いは通常のライブができるようになることだけれど。
今は、離れた場所で、いつも来てくれるお客さんや応援してくれている人達、そして、まだ出会ったことのない人達とも繋がり合って、一緒に楽しめる手立てを考えてゆこうと思う。

自分にとっては、新しい試みばかり。この状況下でも、音楽を通じて、不安と期待の中に身を置けるのは幸せなことだ。

ー 2020年4月24日(金)

2020年4月20日月曜日

ポジティビズムと合理的利他主義

『BIG BANG』から名前を変えて同じ場所で40年続いた京都のライブハウス『VOXhall』が、コロナ禍の影響により、今月で閉店することになった。ビルごとなくなるそうだ。
個人的には、関わりの深い場所ではなかったけれど、長年、地元京都の音楽文化に貢献し続けてきた老舗のライブスポットの一つが、コロナのせいでなくなってしまうのは、やはりショツクだ。

以下は、5月と6月に大阪と東京で共演予定の椎名純平さんのツイート。

「相撲ファンのみなさん、コロナ禍が明けたら両国国技館がなくなっていることを想像してみてください。野球ファンのサッカーファンの皆さん、気づいたらひいきのチームのスタジアムがなくなっていることを想像してください。いま音楽界で起こっているのはそういうことなんです。」

自分のところへも、お世話になっている日本全国のライブスポットから、悲痛な声が届く。今だからこそ余計に、痛みを分かち合うことの大切さを感じる。
音楽業界に限らず、アイデアを出し合い、手を差し伸べあうことで、何とか皆で生きのびたい。

もはや、コロナ禍があと1,2ヶ月で収束するとは思えない。正直、「緊急事態宣言」の期限である5月6日以降にブッキングされているライブの開催も、しばらくは難しいだろうと覚悟している。
年内中ライブができなくなることだって、想定しておいた方がいいのかもしれない。

悲観しすぎるのも良くないけれど、この状況での楽観が、前向きな姿勢とは思えない。
光は闇の中にある。
3.11直後にも感じていたことだ。
現実を受け入れて、この先を見据えたい。

NHK番組・ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界〜海外の知性が語る展望〜」の中で、フランスの経済学者・思想家のジャック・アタリが、ポジティビズム(実証主義)とオプティズム(楽観主義)について、こう語っていた。

「ポジティビズムとオプティズムは違う。
例えば、観客として試合を見ながら『自分のチームが勝ちそうだな』と考えるのが楽観主義。
一方、ポジティビズムは、自らが試合に参加し、『うまくプレイできれば、この試合に勝てるぞ』と考えること。
自分は人類全てがこの試合(新型コロナとの戦い)に勝てると思っている。
自分達の安全のために最善を尽くし、世界規模で経済を変革させていくことができれば、きっと勝てるだろう。」

アタリは、自己の利益よりも他者の利益を優先する利他主義についても、こう語っていてる。

「利他主義とは、合理的利他主義に他ならない。
自らが感染の脅威にさらされないためには、他人の感染を確実に防ぐ必要がある。
利他的であることは、ひいては自分の利益となる。
また、他の国々が感染していないことも、自国の利益となる。
例えば、日本の場合も世界の国々が栄えていれば市場拡大し、長期的に見ると国益につながる。
利他主義とは、最も合理的で自己中心的な行動。」

ポジティビズムと合理的利他主義を意識しながら、日々を過ごしたいと思う。
まわりを見れば、既に、そういった態度に基づく良い兆しが方々で感じられる。この状況下で見出した希望は、持続可能な未来につながるはずだ。

ー 2020年4月20日(月)

2020年4月18日土曜日

闇の中で目を凝らす

音楽家のやることは、演奏したり歌うことだけじゃないはず。

ゆっくりと呼吸して、混沌の中でかき消されそうな声に耳をすます。

自分の心の声も聞いてやる。

思いっきりシャウトする日々が、またいずれおとずれる。今は他にできることを。

揺れる気持ちは押さえきれない。まあ、それもしゃあない。

心を揉みほぐして、体調に気を配る。

長期戦やろな。

楽観しないことが、むしろ前向き。闇の中で目をこらす。

こんな時だからこそ、1人でじっくり考え、想い描く時間を大切に。

しばらく会えない人達、命がけの現場で働いてくれている人達、明日の暮らしに困窮する人達に心を寄せながら。

ー 2020年4月18日(土)

2020年4月15日水曜日

「批判する者を批判する」ということ

新型コロナウイルス関係のニュースや意見ばかり追っていると、やはり心が疲れてくる。
起きる出来事の一々に反応していると、俯瞰の視点が消え、感情に流され過ぎて、自分を見失ってしまいそうだ。

声を上げる側の切迫した思い、批判ばかり目にして心がやられそうになる人、どちらの痛みも想像しながら、一呼吸置いて発言したいと思う。

例の一件は、音楽に携わる人間として、非常に腹立たしく、やりきれない思いに囚われたけれど、感情にまかせた批判は自重することにした。
既に、たくさんの人達が批判の声を寄せ、その中には冷静で的確な指摘も含まれていたので、結果的に、その様が可視化された気がする。

最近は、批判をやめて皆が一丸となるべきとの声もよく聞かれる。確かに、この渦中で、敵対が深まり「分断」が広がれば、コロナ収束後の社会にも悪い影響を残すだろうと思う。
けれど、明日からの暮らしに困窮する人達が続出する中で、「批判する者を批判する」ことが結果的に、異論を排除し、弱い立場の声を封じ込めたり、彼らの存在を切り捨てることにもつながらないだろうか。
過去の歴史を振り返って、「批判を許さない空気がもたらした社会」についても忘れずにおきたい。強い口調の批判や非難ばかりを目にすることに疲れつつも、そう思う。

まわりの事業者やミュージシャンの間では、既に多くの助け合いやこの状況を乗り切るための助け合いやアイデアの交換が見られ、それが自分にとっては救いの一つになっているけれど、もはや、それだけで乗り切れる事態ではなくなっている。
この状況下での、国や各自治体の対応を見ていると、生活者の怒りや悲痛な声が、ある程度は届き始めているようにも思う。国の対応が遅まき過ぎると感じつつ、それらの声が届くことで政策が改善されてゆくことに、一つの希望を見いだしたい(急を要するけれど)。生活者の声が政策に反映され、国へのチェック機能が維持されることは民主主義のあるべき姿だと思う。

声を上げる者とそれを受け取る者、批判する者とされる者は、互いに「補い合う関係」だという意識を残しておきたい。特に、この状況においては、政治の場でも、超党派で案を出し合い、協力して、より良い政策を迅速に実現してもらいたい。

ただし、迅速さが求められるのは、非常時の対応においてであって、収束後は、空気に流されない、じっくりと時間をかけた議論も続けてもらいたい。そして、コロナウイルス禍での様々な対応を、きっちりと検証し直し、今後の教訓として生かしてゆくこことも大切だと思う。

怒りややり切れなさを抱えていても、「分断」という油に火を注ぐことのないよう、むやみに不安を煽ることのないよう、言葉を選び、「声の上げ方」にも慎重であろうと思う。
自分の言葉が、立場の違う誰かを傷つける可能性があること(それも致し方ない場合もあるとは思う)、議論は大切だけれど、「論破」することが前向きなものを何も生み出さないことも、あらためて自覚しておきたい。

こういう自分の態度は、無収入になっても、まだしばらくは蓄えでなんとか凌げそうな立場にいることで担保されているのかもしれない。この状態がさらに数ヶ月、半年と続く中で、冷静な思考を保ち続けることができるだろうか(今も冷静かどうかわからないけれど)。
そう考えると、今まさに切迫した立場に追いやられている人に、冷静で寛容な態度を求めるのは酷のように思う。まず、そういった人達に心を配り、手を差し伸べるのが成熟した社会ではないだろうか。

こういった非常時には、市民の様々な権利が抑制される。今はそれも仕方がないと考えて、自宅にこもっているけれど、決まって非常時に民主主義が崩壊してきた歴史は忘れずにいたい。
「一丸となる」という言葉への違和感を抱きながら、主義主張を超えて助け合いたいと思う。

コロナウイルス禍はいつかは収束する。そのダメージは長く残り続けるのかもしれないけれど、今は離れた場所で痛みを分かち合いながら、コロナ後の新しい世界に希望を描きたいと思う。

ー 2020年4月15日(水)

2020年4月12日日曜日

「限定条件付きの優しさ」をいかに克服するか ー このウイルスを乗り越えるために

緊急事態宣言が出された東京で、路上に追い出された「ネットカフェ難民」に対して都が12億円の予算措置をつけることへの批判が、ネット上で拡散されているのを見て、つらい気持ちになった。 「弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く その音が響きわたれば ブルースは加速してゆく」 ザ・ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」の1節を思い出した。 自分も「加速したブルース」を持て余しながら、この文章を綴っている。 批判する者にとって、「ネットカフェ難民」は、納税義務も果たさずに国から保護を受けようとするずるい存在として、怒りの対象になっているようだ。休業補償を行う厚生労働省の制度が、接待を伴うナイトクラブなどの飲食店や風俗業の関係者に支給されることへの批判と同じ流れだ(そういった人達を一括りに非納税者と断定すること自体が偏見で、間違いを含んでいると思う)。 つまるところ「自己責任論」のもとに、「ネットカフェ難民」や風俗関係者は救うべき存在とは見なされていないのだ(あるいは優先順位の最下位)。「不安定な生き方を選んだ自分のせいだ、社会のせいにするな」として、彼らが切り捨てられることをよしとしているのだろう。 そういった考えは、新型コロナウイルスの感染拡大をより広めてゆくことにもつながりかねない。都が「ネットカフェ難民」を援助しようとするのは、感染拡大を防ぐための切迫した事情だと想像する。 自分のようなフリーランスのミュージシャンの多くは、この状況下で、路頭に迷う自分自身の姿を現実的に想像する者も多いんじゃないかと思う。自分も、収入の大半を占めていたライブ活動を自粛しているので、しばらくは無収入に近い状態が続くだろう。 「収入がなくなり納税も滞るようになれば、自分達も社会から切り捨てられるべき存在と見なされるのだろうか。いや、もともと自分達のような不安定な業種は、こういう事態に陥れば、早くに切り捨てられる存在だったのかもしれない。」なんてことも考えてしまう。まあ、そうであっても、くたばってたまるかって気持ちだけれど。 「自己責任論」を振りかざす者の多くは、多分、悪人なんかではなく、周囲に対しては気配りや思いやりを注ぐことのできる、真面目で優しい人間だったりするのだと思う。だから余計にかなしい。 その「思いやり」を、自分とは立場の違う存在、「ネットカフェ難民」やホームレス、夜の接客や風俗で働く人達、生まれたところや皮膚や目の色の違う人達に、少しだけでも注ぐことはできないだろうか。 その「優しさ」の対象は、あくまでも「限定条件付き」でしかないのだろうか。 「ネットカフェ難民」のことを、ずるい存在、怒りの対象ではなく、手を差し伸べるべき弱い立場の人間、この社会の一員として受け入れることはできないだろうか。彼らの存在を一括りに見るばかりではなく、それぞれ異なる事情を持った一人一人の人間として想像することはできないのだろうか。 これらの言葉が「きれいごと」に受け取られるのは重々承知しているけれど、この「きれいごと」こそが新型コロナウイルスを克服するための一つの手立てだと思える。 この状況の中で、自分達はどこまで「限定条件」を外して、他者への想像力を広げてゆくことができるだろうか。 今、本当に困っている立場の弱い人達に手を差し伸べることができなければ、収束はますます遠のいてゆくように思う。今こそ、セーフティネットの重要性を、国や行政の側だけでなく、自分達生活者が意識すべき時じゃないだろうか。 グローバル化した社会において、この感染の影響は一国のみの収束を許さない。自分達さえ良ければ済む問題ではなくなってしまったのだ。国や人種、あらゆる立場を超えた「連帯」がなければ、経済面も含めて、このウイルスのダメージはますます長引いてゆくだろう。 ウイルス感染が収束した後の世界は、「連帯」に向かってゆくのか、あるいは、さらに内向きに「分断」してゆくのか。どちらが人類にとって持続可能な世界なのか。その答は出ているように思う。 今、自分達はウイルスによって試されている気がする。  ー 2020年4月12日(日)