2026年8月13日木曜日

ワインバーの夜、あのベースパターンから繋がる記憶

数日前、アナログレコードを聴かせてくれるワインバーに飲みに行った。
まだ20代のマスターはかなりのDJ気質。その時の会話や空気に合わせて、1曲ごとにターンテーブルのレコードを乗せ換えてくれる。お酒を飲んで会話するだけでなく、選曲まで楽しめる素敵なお店なのだ。

その夜は、’70年代のシティポップを中心とした選曲だった。
その流れの中で、山下達郎さんの「甘く危険な香り」(https://youtu.be/i_tRS1UtyI4?si=S_I26X_AjhqyJvmf)がターンテーブルに乗った。懐かしさと心地良さにすっかりスイッチが入ってしまい、その後は思いのほか長居して、結構飲んでしまった。ミディアムテンポのグルーヴに身を委ねながら、ベースのリズムパターンの心地良さをあらためて実感した。

80年前後、このベースパターンは一つの流行りだったのだと思う。ティーンエージャーに差し掛かった当時の自分は、そのグルーヴに大人の佇まいを十分に感じ取っていた。

同じ時期に聴いたハーブ・アルバートの「Rise」(https://youtu.be/poqjyn7-GtI?si=LXyRUmUgTX7OGb61)も、「甘く危険な香り」と同じテンポ、同じベースパターンのインスト曲で、ウォークマンで聴くとすごく心地よかったのを憶えている。
当時から、ハーブ・アルバートやボビー・コールドウェルのような耳当たりの良いAORを聴く一方で、同時にザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」やグレアム・パーカーのライブ盤を好んで聴いたりと、その節操の無い音楽嗜好は当時も今も変わっていないなと思う。

同じベースパターンの有名曲を挙げるなら、カーティス・メイフィールドの「Tripping Out」(https://youtu.be/QBgelyLjbdo?si=hV0bjEE7cqMzLIJ0)だろう。聴いた瞬間に、達郎さんの「甘く危険な香り」との共通点に気づいた。

完全に同じベースパターンではないけれど、プロレスラーのハリー・レイスの入場曲「ギャラクシー・エキスプレス」(https://youtu.be/WBcp3y39Gmk?si=U_roMYVZftI9QmbF)も同じ分類に入れていいと思う。NWAチャンピオンの風格にピッタリの曲だった。

他にはボズ・スキャッグスの「Gimme the Goods」(https://youtu.be/olYbjnzBJ4k?si=7tcKJXiwsAUgjua7)や「Lowdown」(https://youtu.be/I-hKBmTAADo?si=1o5EporVEK7ka5Kt)など、調べればまだまだ出てくるのだろう。

そんな風に過去の記憶をたどっているうちに、あのベースパターンを活かした曲が自分でも1曲できた。バンドで演るのが今から楽しみだ!

ー 2026年8月13日(水)

2026年8月10日月曜日

AI以前から、音楽は、人間は、均一化を求めていた?

ここ数日、SNSのタイムラインで見かけるようになった、太田裕美のヒット曲「木綿のハンカチーフ」のレゲエ・アレンジ動画。AIによる生成であることに気づかずに聴いている人も多いようだ。

ここ1年ほど、AI生成による音楽を意識的に聴いてきた。
おかげで、「なんとなくAIっぽい」と感じる聴覚が、ある程度身についてきたようで、この音源がAI生成であることには、すぐに気づいた。

でも、だからといって、このヴァージョンが良くないと断定したいわけではない。

レゲエ特有のオフビートのスキンクや、ダブっぽいエコー、土着的で生々しいノリがしっかり出ているし、「遊び心のあるアレンジ」としても楽しめるクオリティーだと思う。
ただ、「AIであっても、良いものは良い」と、そんなふうに素直に受け入れてしまってよいのだろうか、という躊躇や戸惑いを拭い去ることはできない。

「ある程度楽しめるけど、どこか割り切れない」というのが、今の自分の正直な気持ちだ。
そして、「次第にAIの音に、自分の耳が慣れていってるんじゃないか」という静かな怖さも感じる。
その先に、均一化による飼育的な支配を想像してしまうのだ。
人間がすでに求めていた均一化を、AIが極端なかたちで実現してしまうのかもしれない。

無意識に均一化を求める傾向は、AIが登場する以前から、音楽ファンの傾向の一つとして、自分は感じ取っていたように思う。
コアな音楽ファンの多くは、好みのジャンルに収まった一定の様式を追い求める傾向がある。自分も、リスナーとしてはそうした傾向をある程度持ちながらも、表現者としては、どうしても様式から外れてしまい、どのジャンルにも、どのクラスタにも所属できないことを、これまでずっと自覚してきた。
少し意地悪な見方かもしれないけれど、AI生成による音楽を頑なに拒否している一部のコアな音楽ファンこそ、実はAIとの親和性を有しているように、自分には感じられる。

「正しい音」「正しい演奏」「正しい美学」を大量のデータから学習して、それらしい中央値を出してくるAIは、ある意味では、ジャンルというものが長年培ってきた様式性を極端に純化した存在とも言えるのではないか。
YouTubeに溢れるAI生成による音楽の中で、特に'70年前後のソウル系サウンドが目につくのも、そうした音楽が様式美を再現しやすいことと無関係ではないように思える。

そういった人たちがAIを受け入れられない一因は、これまで築いてきた「音楽の神話」のようなものが、AIによって崩されてしまうからじゃないだろうか。

'00年代後半くらいからだろうか。AIが登場する以前から、'60~'70年代のモータウン、スタックス、Hi(ハイ)などを意識した録音・アレンジで、ヴィンテージ機材やアナログ録音へのこだわりを特徴とする「ヴィンテージ・ソウル」「レトロ・ソウル」と呼ばれる潮流が目立つようになった。

その流れにある大抵のバンドには好感を持ったけれど、一方で、それらの多くのサウンドが、自分にはどこか画一的に聴こえた。上手いし、サウンドも好み。でも、その音の向こう側にいる「演奏する個人」の姿が、あまり見えてこない。破綻がなさ過ぎるのだ。
そうした音楽には、既存の様式を高い精度で再現することを、音楽的な価値として高く置く傾向が見られる。その傾向こそが、AI生成音楽のあり方と重なるのだ。

AIが均一化を生み出したのではなく、音楽の側に、人間の側に、以前から存在していた「均一化への欲望」を、AIが極端な形で実現しようとしているのではないだろうか。

今は音楽に限らず、AIを使って自分自身の感覚を実験しているような状態だ。
無理に「楽しむべき」とか「警戒すべき」と決めつけずに、その両方が同時にある状態を、そのまま感じ続けてみようと思う。

ー 2026年8月10日(月)

2026年8月7日金曜日

三原重夫さん追悼

 素晴らしいドラマーであり、ドラム・チューナーとしても業界に大きな貢献を果たしてきた三原重夫さんが亡くなられた。まだ66歳。

三原さんのドラムを生で初めて聴いたのは、'86年。ローザ・ルクセンブルクの大阪・バナナホールでのライブだった。
三原さんが叩き出すタイトで強靭な8ビートのグルーヴは、バンド全体に大きなうねりをもたらしていた。その鮮烈な印象は今も忘れられない。

自分はまだ学生で、アマチュア・バンドをやっていた頃だった。正直、自分たちとはグルーヴのレベルが違うと感じた。三原さんのドラムプレイは、その印象に大きく貢献していた。「やっぱり、プロはすごいんだな」と思い知らされた夜でもあった。

自分がプロになって、杉並区に住んでいた頃は、下北沢の飲み屋のカウンターでお会いする機会が多かった。いつもほろ酔いで上機嫌。後輩にも緊張感を与えず、えらぶることのない人柄で、何度も楽しく杯を交わさせてもらった。

三原さん、ありがとうございました。
合掌。

ー 2026年8月7日(金)

ドリー・ファンク・Jr.の魅力

 小学生の頃、一番好きな外国人レスラーは、ドリー・ファンク・Jr.だった。ザ・ファンクス・ブームが始まり、弟のテリー・ファンクが圧倒的なスポットを浴びるようになってからも、自分の一押しはずっとドリーだった。

一番印象に残っているのは、巨漢のヒール(悪役)・アブドーラ・ザ・ブッチャーとのシングル戦だ。

反則を交えた理不尽な猛攻に耐え続けたドリーが、ついに反撃に転じる。ブッチャーの両腕をクロスして固め、しばし間を置き、呼吸を整えた上で放った渾身のダブルアーム・スープレックス。その一連の流れに痺れた。

そこに過度な演出がないからこそ、むしろ、リアリティーが伝わった。

今思えば、豪快に投げるというよりも、どうにか投げ切るまでのプロセスを見せることで、ブッチャーという巨漢レスラーの存在感も十分に生かされていたのだと思う。

自分の知る限り、ドリーは決して独り善がりな試合をしなかった。まずは相手を受け止めることを信条にしていたのだろう。

ドリーの試合における「間の取り方」は、観る側の想像力をかき立てた。繋ぎ技もフィニッシュ技も連発を控える引き算の試合運びは、現在のレスラーにとっても見習うべき部分が多いように思う。

また、ドリーは相手が誰であっても、自分のレスリングを崩さない芯を常に保っていた。ブッチャーやハンセン、ブロディのような怪物相手でも、自分を見失うことがなかった。

感情のコントロールを失い、ときに表現が過剰になる弟・テリーと対照的な存在だったことが、ファンクスの魅力につながっていたのだろう。

小学生の頃に、理屈ではなく直感で感じ取ったドリーの魅力は、今も色褪せることがない。

ありがとう、ドリー。

合掌。

ー 2026年8月7日(金)

2026年8月6日木曜日

楽しむことを諦めない ー 横浜・サムズアップでのラストライブ

昨夜は、9月いっぱいで閉店が決まっている横浜・サムズアップにて、のりふぇす企画によるリクオ with HOBO HOUSE BANDのワンマン。自分にとってはサムズでのラストライブ。

閉店に対しては、寂しさだけではおさまらない思いもあるけれど、湿っぽさは避け、感謝を込めて最高の夜を心掛けた。

のりふぇすとサムズには、特にコロナ禍において大変お世話になり、忘れられない思い出がたくさんある。

あの厳しい状況の中で、サムズのスタッフ、のりちゃん、演者、お客さん、それぞれがアイデアを出し合い、助け合いながら共有した時間は、大切な宝物だし、自分にとっての大きな成功体験にもなっている。

コロナ禍のライブ。声も出せない中、お客さんが掲げてくれた「ラーラーララー」の合唱プラカード。今でも忘れられない大切な思い出だ。

そして昨夜のライブ。アンコール最後の曲「永遠のロックンロール」が始まると、客席のあちこちでそのプラカードが一斉に揺れ始めた。再びあの光景を目にすることができて、いろんな思いが蘇った。グッときたけれど、感傷よりも楽しさの方がはるかに勝っていた。

昨夜の爆発的な盛り上がりは、あの場にいた多くの人たちが、コロナ禍のサムズでのライブ体験を共有していたことも大きかったと思う。

初披露の「My Light Your Light」は、サムズアップでの最後のステージに向けて書いた新曲だった。寺さん、真城さん、克ちゃん、コミヤン、広輔と一緒にこの曲を演れて良かった。

最高のメンバーと、最高の場所で、最高のお客さんと共に描いた、最高の夜。

ありがとう、のりふぇす。
ありがとう、お客さん。
ありがとう、サムズアップ。

区切りがあっても、途切れることはないと思う。
これからも音楽は鳴り続ける。

不穏な社会状況の中で、また厳しい局面が訪れることもあるだろう。それでも皆で助け合いながら、楽しむことを諦めずにいたいと思う。

ー 2026年8月6日(木)







2026年7月25日土曜日

ダンシング義隆さん追悼

 昨日、ツアー先の今治で、ダンシング義隆さんの訃報を知った。

自分が中学3年から高校1年くらいの頃、関西テレビで、義隆さんのバンド名をそのまま番組名にした音楽バラエティ『誰がカバやねんロックンロールショー』が放送されていて、毎週見るのが楽しみだった(司会は明石家さんまと島田紳助)。
ちょうどロックを聴き始めたばかりのティーンエージャーだった自分にとって、『誰カバ』は夢に溢れた番組だった。

RCサクセション、シーナ&ロケッツ、アナーキー、子供ばんど、ソー・バッド・レヴュー、生活向上委員会……。
毎週登場するゲストバンドを思い出してみると、その多くが、その後、自分が繋がりを持つことになる人たちの在籍していたバンドだったことに気づく。

錚々たるミュージシャンが出演する中でも、義隆さん率いる「誰がカバやねんロックンロールショー」は、ゲストに引けを取らない強烈な存在感を放っていた。

特に、シャッフルのブルースロック・ナンバー「何処かで狼が哭いている」のインパクトは絶大だった。エルモア・ジェームスのスタイルを土台にしたバンドサウンドのかっこよさは、まだブルースに触れる機会のなかった少年にも、しっかり伝わってきた。
https://youtu.be/D76VMAYV900?si=QRPOghZG2o66UfFq

義隆さんと知り合ったのは、'90年代半ば、KBS京都の深夜番組に出演させてもらった時だったと思う。義隆さんはその番組のレギュラー出演者だったと記憶している(司会はオセロの2人)。
とにかく気さくで、エネルギッシュ。中学生の頃に抱いていたイメージと少しも変わらない義隆さんが、そこにいた。

当時はアコースティックギターでの弾き語りもされていて、記憶が曖昧なのだけれど、番組出演後、大津での自分のライブにゲスト出演してもらったこともあったと思う。

最後にお会いしたのは、4年半前、RAIN DOGSの岳原さんの十三回忌ライブイベントの時だった。
今は西成で暮らしていて、憂歌団の元マネージャーだった奥村ヒデマロ(宗久)さんと同じアパートに住んでいることなどを話されていた記憶がある。
ヒデマロさんも2年半前に旅立たれ、向こうの世界は賑やかになるばかりだ。

義隆さんは亡くなる直前までライブを続けられていて、昨日も出演予定だったという。
くたばるまでロックンロールし続ける人生だったのだと思う。

義隆さんは、自分の中にあるロックンロールへの憧れの扉を開いてくれた一人だった。
『誰カバ』の向こうに見えていた夢は、今も自分の中で生き続けている。

義隆さん、ありがとうございました。




※写真は写真家・細見大悟さんの作品を転載させていただきました。

2026年7月5日日曜日

「誹謗中傷を許さない」が招いたもの —— ビクターの声明に抱いた違和感

 ビクターエンタテインメントが7月3日、公式サイトで契約アーティストの柴田淳さんの兵庫県知事・斎藤元彦氏に対する「人殺し斎藤」「ポンコツやめろ」などの発言を「誹謗中傷」と判断し、強く抗議する声明文を公表した。この異例とも思える踏み込んだ対応に、強い違和感を抱いている。



こうした声明文を公表するという行為は、おそらく数百万人規模の人々に「このアーティストは企業からも問題視されている」という強いシグナルを発することになる。ビクターの声明が、結果として大規模なバッシングを誘発・増幅する可能性は、十分に予見できたのではないか。

「誹謗中傷を許さない」という理念を掲げる声明が、現実には新たな誹謗中傷の波を招いている。

過去にも柴田さんは同様の注意を受けていたようだが、今回の公表は異例と言えるのではないか。契約アーティストを守る立場のレコード会社が、なぜこのような対応に至ってしまったのだろう。

こうした社会的制裁のスイッチを押すようなやり方は、柴田淳さんに問われている「誹謗中傷」の問題以上に、社会全体へ与える影響という意味で、はるかに強い力を持つように思える。表現の自由に対する萎縮効果も懸念される。

一方で、兵庫県の第三者委員会から公益通報者保護法違反と認定された告発者探しを行い、犬笛を吹くことで個人に誹謗中傷を集め、死に追いやったことが問われている知事を厳しく糾弾しようとした柴田淳さんの問題意識は、自分は間違っていないと考えている。

この件では、トーンポリシング(話し方や口調、感情の強さを批判することで論点をずらし、議論の妥当性を損なわせる行為)という問題も避けて通れない。この点については、あらためて投稿する機会があればと思っている。

強い言葉は支持者を熱狂させる一方で、中立層を遠ざけ、反対派の反発を招きやすい。トーンをどのように調節すべきかは、自分自身の問題としても捉えている。

 ー 2026年7月5日(日)