「急進的な変革による破壊を恐れ、過去から受け継がれてきたものを吟味しながら、現実に応じて少しずつ調整していく」
という姿勢において、自分の立場は、本来の意味での「保守」に近いと思う。
⚫︎人間や社会を単純化し過ぎない
⚫︎理念だけで現実を押し切ろうとしない
⚫︎関係性や場の空気、身体感覚を重視する
⚫︎“正しさ”が暴走する危うさに敏感である
⚫︎完成形の理想社会を、一気に実現できるとは考えていない
これらは、革命や全面刷新を志向する思想よりも、
「不完全な人間が作る社会だからこそ、壊し過ぎず、試行錯誤しながら更新していく」
という保守的感覚に近いように思う。
ただ同時に、
⚫︎既存権威への盲従
⚫︎排外主義
⚫︎国家や共同体への無条件の同化
⚫︎「伝統だから正しい」という思考停止
にも強い違和感を持っている。
だから、日本で一般にイメージされる「保守」とは、距離が生まれるのだろう。
自分の中では、「保守」と「リベラル」は対立していない。
自分の関心は、「特定陣営への帰属」にはない。
けれど、今のネット空間では、「国家や権威への批判」や「戦争反対」を表明した時点で、思考の細部を読まれないまま、「サヨク」と認定されがちだ。
そのラベリングへの執着には、「世界を単純化して安心したい」という、人間の根源的な欲求が関係しているように思う。
ラベリングした時点で、それ以上考えなくて済むし、そこには「仲間確認」の機能も働くのだろう。
「サヨクだから」
「ネトウヨだから」
「陰謀論者だから」
そうやって思考停止した瞬間に、相手の複雑さだけでなく、自分自身の複雑さにも触れずに済むようになる。
もちろん、この傾向には自分自身にも思い当たる節がある。
自身を疑い続けることも、「保守」の大切な要素なのだと思う。
「保守か革新か」
「右か左か」
「愛国か反日か」
という二項対立よりも、
「壊れやすい人間社会を、どう持続可能な形で更新していくか」
そこに、自分の関心を置き続けたいと思う。
ー 2026年5月22日(金)



