2012年6月29日金曜日

清志郎さんが生きていたら

MAGICAL CHAIN CLUB BANDの4人で、新曲「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」をレコーディングした。この音源を、近日「You Tube」で公開する予定だ。
 昨日までの3日間のレコーディング&リハーサルの間に、ケーヤンと一緒に新たに新曲を完成させた。既に4人でアレンジも考えたので、30日の柏でのライ ブで演奏するつもりだ。ここにきてまた、日々の刺激が、曲作りに反映されるようになってきた。MAGICAL CHAIN CLUB BANDという新たな表現場所を持ったことも大きい。

 「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」をレコーディングするにあたっては、4人で色んな話をした。その中で、「清志郎さんが今生きていたら、どんな活 動をしていただろう」という話になった。多分、3.11以降、多くのミュージシャンが、そのことを想像したに違いない。
 清志郎さんならきっと、どんな状況下でも、自粛せずに、フットワーク軽く、その時に歌いたいことを、自分のやり方で、自由に歌っていただろう。正しいこ とを歌うよりも、その時の旬な思いを、自由に好きに歌うことの方が、清志郎さんにとって大切だったのではないかと思う。そのやり方を通すのは、勇気のいる ことだ。
 清志郎さんなら、再稼働反対の集会やデモには参加しただろうか?もし参加するとしたら、他の人とは違う形でその場にいた気がする。集会の列に皆と同じよ うに並んで、「再稼働反対」のシュプレヒコールに参加する姿をあんまり想像できないのだ。もしかしたら集会場所でいきなり、ゲリラライブをやったかもしれ ない。「サマータイムブルース」の後に「烏合の衆」とか歌ったりして。

 今回の3日間のレコーディング&リハーサルの現場では、再稼働反対のデモのことも話題になった。そのとき、話に参加していたエンジニアのH君が、「デモ で『再稼働反対』って叫ぶよりも、『電力自由化』を主張したほうが、(廃炉への道のりが)早いんじゃないですかね」と言っていたのが印象に残った。反対ば かりするよりも、具体案をもっと皆で主張した方がいいのではないかということだった。一理あると思った。

 時間があるので、今日も首相官邸前の抗議集会に参加するつもりだ。時代を変えようとするエネルギーの渦の中に、自分の身を置いてみたいと思う。実際に、 その場に行ってみなければ、わからないこともある。自分は「変わらない」ことよりも「変わる」ことを選択したい。きっとその方が、楽しいと思うから。
ー2012年6月29日(金)

2012年6月27日水曜日

新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を歌う〈2〉ーコミュニケーションの回路  

今月9日に大阪で「大阪うたの日コンサート」に参加した翌日10日には、東京へ向かい、「東京うたの日コンサート」のイベントシリーズの一環として開催さ れた渋谷BYGでのライブイベントに参加した。共演者は同じピアノ弾き語りの矢野絢子ちゃん。絢子ちゃんのサポートには、黄啓傑(tp)、富永寛之 (g,b,etc)、平井ペタシ陽一(dr)が参加。
 前日に続いて、この日も自分のステージの本編ラスト曲で、新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を歌った。演奏には、トミヤン(富永寛之)とコーチャン(黄啓傑)が参加してくれた。
 前日と同じように、アンコールでは出演者全員でセッション。この日のライブも素晴らしい共鳴空間が生まれた。BYGではいつも、現在進行形の旬な自分を表現できる気がする。

 BYGでそのまま行われた打ち上げの席で、ちょっとしたハプニングが起こった。宴が半ばにさしかかった頃、既に酔いの回っていた知人の一人が、オレに対してこんな疑問を投げかけてきたのだ。
 「リクオさん、何でああいう歌を歌う必要があるんですか?」
 その場にいた皆の注目がその知人とオレに集まった。ああいう歌とは、新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」にことだった。
 「自分は、音楽に、ああいう具体的な主張や、現実に戻されるような表現を持ち込んでほしくない。今は、反原発という主張が1つのファッションになってい て、多くの人はその流れに乗っかっているだけではないか。自分には正直、原発の問題を自分のこととして感じることができない。はっきりとしたリアリティー を持てない。何が正しいのか、よくわからない。反原発の空気を感じる程、自分の中で反感が大きくなって、原発推進派に回りたい気分にさえなってしまう。た だ、リクオさんの曲の歌詞を聴いて、自分が抱いていた反原発のイメージとは違うようには感じた。けれど、リクオさんの歌が何か答を示してくれているわけで はない。反原発の人達には、もっと納得できる原発停止後のビジョンを見せてほしい。」
 このような言葉を、その知人から投げかけられることは、予測していなかったので、不意をつかれ、戸惑いはしたけれど、感情的にはならなかった。彼の言葉 のすべてを、そのまま鵜呑みにすることはなかった。その言葉のトーン、彼がかもしだす雰囲気、表情の中に、何か切実さを感じた。
 彼の問いに対しては、結構冷静に、丁寧に応じられたように思う。けれど、彼が期待するような明確な答を提示することはできなかった。自分も問いかけ、探し続けているさ中なのだ。
 彼は、何かに傷つけられ、疎外感を抱いているようだった。ただ、自分を傷つけ疎外するものの正体が、自分でもはっきりとわからず、いら立っているようにも見えた。普段は、穏やかでマイペースに見える彼の、このような内面を始めて知った気がした。
 知人の言葉には同意できない部分も多かったけれど、話を聞く程に、彼が抱く疎外感が、3.11以降自分が抱き続けた違和感と通じる部分があるように思え てきた。例えば、自分は、あの高揚をともなった正義感が持つ傲慢さ、圧力に、疲れ、どこかで傷ついてもいた(自分自身の中にもそのような傲慢さがあるのだ が)。彼も似たような感覚を持ったのかれしれないと思った。
 ただ、自分と彼の違いは、「用意された答などない、問い続けながら動くしかない」ことに対する自覚の違いかもしれない。
 その知人とは朝迄飲み明かした。2件目のお店では、知人が自分の生い立ちを話して聞かせてくれた。10数年の付き合いの中で、始めて聞く話ばかりだった。
 その夜を通して、彼との距離が以前より、縮まったような気がした。考え、意識の違いの溝が、そんな簡単に埋まるわけではないけれど、コミュニケーション の回路を探し続けた者同士としての共感のようなものが、互いの中に生まれた気がした。顔をつきあわして会話しなければ、このような共感は生まれなかっただ ろう。
 ー2012年6月27日(水)

2012年6月23日土曜日

「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」の反響ー何かを選択するということ

6月8日早朝に「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」という曲を書き上げて、その翌日には、MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)の新曲として、大阪のステージで演奏した。その約2週間後にはバンドのメンバーと曲をレコー ディングし、7月4日、YouTubeに曲を公開した。
http://www.youtube.com/watch?v=mmX6z_V4wLM&feature=youtu.be
 曲を書いて以来、短期間で、さまざまな反応を受けとり、色々と考えさせられることが多かった。すぐには考えがまとまらず、ツアーとレコーディングに明け暮れていたこの数週間は、なかなかブログを更新することができなかった。

 この一月半程の間で、とにかく議論、対話の機会が増えた。「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」という曲が1つのきっかけやテーマになって、自分の前で色んな人達が、隠していた思い、もやもやしていた気持ちを言葉にし始めた感じた。そ ういう状況を自分自身も求めていたのだと思う。もっと議論、対話の機会が増えて、さらに波紋が広がってゆくことを期待している。
 今は、自分の考えを表明して、波紋の輪をつくることによって、対話を深めてゆくことが、世の中にも自分自身にも必要だと感じている。そのために曲を書い たというわけではないけれど、そういった思いが、曲作りやその後の自身の言動に反影されたことは確かだと思う。
 大げさに聞こえるかもしれないけれど、今の状況は、自分達の生き方から国家というもののあり方までを問い質す、大切な機会だという気がしている。そう いった問いかけとその先にある選択は、これからもまだまだ続けられてゆくべきだ。原発がなくなればそれですむという話では全くないのだ。 

 「ライブで政治や原発に関する曲を演奏したり話すことは控えてほしい」この数週間の間に、数カ所のライブイベント主催者側から、このような要請を受けた (要請する際、皆さん一様に申し訳なさそうでした)。自分は元々、音楽活動を通して政治的、社会的な発言を積極的に行うタイプではないのだけれど、「アリ ガトウ~」を公表してからの短期間で、先方の自分に対する認識が変わったようだった。こういう曲を公表することが、あるレッテルを貼られることにつながる のかなあとも感じた。
 少し前にあるライブの主催者側から突然、予定されていたライブを中止にしたいという連絡がきたときは戸惑った。理由を確かめると、やはり「アリガトウ ~」を公表したことが中止にしたい要因とのことだった。その後の主催者側との話し合いによって、結局ライブは予定通り開催されることになったのだけれど、 この出来事によって、多くのことを考えさせられた。
 主催者側とじっくり話をすることで、相手の事情も理解できた(またいつかこの話ができる機会があればと思ってます)。話を聞いて、自身の想像力の欠如を 感じた。相手が隠さずに事情を話してくれたこと、しっかり向き合って対話してくれたことに、心から感謝したい気持ちにもなった。

 「アリガトウ ~」を歌うことで、自分はある選択を公言した。何かを選択するということは、結果的に何かを切り捨てることだ。自分が切り捨てたものに目を向けることを忘 れちゃいけない。曲を書き、その反響を受け取ることで、あらためてそう感じさせられた。
 振り切った表現は、常に誰かを傷つける可能性を持っている。いや、表現という行為自体が、誰かを救うだけではなく、傷つける可能性を含んでいるのだろ う。立場や意見の違う人間を記号化しないこと。血の通った人間の一人として想像すること。対話をあきらめないこと。他者を思いやること。それらのことを肝 に銘じておこうと思う。

 「アリガトウ ~」をラブソングだと言ってくれる人がいたことは嬉しかった。さまざまな反応があったけれど、曲自体や、その演奏が評価されることが、ミュージシャンとし ては、やっぱり嬉しい。そして、批判を多く含んでいたとしても、たくさんの人に聴いてもらえるのが、やっぱり嬉しい。一番悲しいのは無視されることだ。
ー2012年6月23日(月)

2012年6月22日金曜日

官邸前抗議集会の熱気と日比谷で見た夕陽の美しさ

 首相官邸前での原発再稼働反対の抗議集会に参加する直前、日比谷で素晴らしく美しい夕陽を見た。しばらく夕陽に見とれていたので、集会に参加するのが少し遅れた。本当は、夕陽が沈みきるまで、眺め続けていたかったくらいだ。

 自分が官邸前に到着した時は既に、通りに長い長い人の列ができていて、方々からシュプレヒコールの声と打楽器の音が響きわたってきた。前回参加したときとは比べ物にならないくらいの人の数(主催側発表では4、5万人)と熱気だった。
 自分は元々、デモや集会に参加することに対して積極的な人間ではない。まず、自分自身の性格の問題があって、人と足並みを揃えるのが苦手なのだ。デモと いう主張のやり方が、ものごとを反対か賛成かに2択で割り切ってしまい、2項対立をより深めてしまう危険性があるのではないか、とも考えていた。デモや集 会に参加することで、自分が人から、ある種のレッテルを貼られてしまうことも危惧していた。
 それでも、抗議集会に参加しようと思った理由は、いくつかあるのだけれど、その内の1つを上げると、今ひろがり続けている再稼働反対のデモや集会のあり 方が、自分が今迄イメージしていた、かってのデモや集会とはかなり違っていることを知ったからだ。3.11以降のデモは、あるイデオロギーやセクトに属す る人達によって組織されているのではなく、世代もバックボーンも多岐にわたる、いわゆる運動家ではない、一般の人達の参加によって成り立ち、ひろがり続け ているようのなのだ。
 とは言え、3月に官邸前の集会に参加したときは、その場にあまり馴染めず、早い時間でそそくさと退散してしまった。ところが今回は違った。その場の熱気 と一体感に巻き込まれて、気づけば随分と気分が高揚していた。前回は参加しづらかったシュプレヒコールにも参加した。大きなエネルギーの渦中にいて、「こ れは、もしかしたら世の中が変わってゆくんじゃないか」という思いさえして興奮した。
 集会に参加した後、自分はツイッターで以下のようなつぶやきをした。
「首相官邸前の抗議集会、前回参加したときとは比べものにならないくらいのすごい人の数と熱気。4万人集まったとのツイートも。これで報道されなきゃおかしい。」
 集会に参加した直後の高揚が感じられる文章だ。このつぶやきに対しては、ほどなくして、以下のようなリプライがきた。
「妄想に取り憑かれたキチガイ」
 自分のこの日の行動とメンタルが、このような負の感情も引き連れてきてしまったようだった。
 多分、これから集会やデモに何万の人が集まろうと、この書き込みをした人の心をほぐすことはできないだろう。数や力や理屈では、他者と他者をつなぐ共感は生まれない。
 自分は、時間が許せばまた、デモや集会に参加しようと思う。いや、時間があっても気分が乗らなかったら、その日の参加はやめておこう。
 あの高揚をまた体験したいという思いがある一方で、自らの正義を疑い、
悶々としながら問いかけを続けてゆく作業を止めてはいけないと思う。デモや集会に参加することによって見失い、損なわれてゆく何かがあること、それらが2項対立を深める要素を持っていることを自覚しながら、デモや集会に参加しようと思う。

 このブログを書き綴りながら、集会に参加する前に、日比谷で見た美しい夕陽を思い出した。官邸前の集会に集まった多くの人達は多分、あの夕陽を拝むことができなかったに違いない。
 自分は、あの官邸前の熱気と、日比谷で見た夕陽の美しさの両方を皆に伝えたいと思った。

2012年6月21日木曜日

新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を歌う〈1〉

 6日間の北海道ツアーから帰宅したその日の夜中から、曲作りにとりかかり、朝方に「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」という曲を完成させた。
 曲ができた日の午後からのMAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)のリハーサルに、早速その新曲を持っていった。曲に取りかかるにあたってまず、歌詞のコピー をメンバーそれぞれに手渡して、曲への思いを口頭で伝えた。いつも以上にメンバーからの反応が気になった。
 ケイヤン、寺さん、コミヤン、それぞれの心の内ははっきりとはわからなかったけれど、明日のライブでこの新曲をやりたいという強引な自分の希望を皆が受 け入れてくれた。限られた時間の中で、4人でアレンジをまとめ、なんとか本番で演奏できそうな見通しがたった。リハーサル後は、4人でケイヤンの自家用車 に同乗して、藤沢から大阪まで車を走らせた。
 車中は助手席に座り、自分がDJになって、自前のi-podでずっと曲を流し続けた。高揚していたのか、大阪に着く迄の間、睡魔に襲われることが一度もなかった。
 午前0時過ぎに大阪に到着して、オレと寺さんは共通の知人宅に同泊させてもらった。寺さんは、到着後あまり休む間もなく、ベースを持ち出し、夜ふけ迄、新曲の練習を続けていた。
 その間自分は、この日行われた野田首相の「大飯原発再稼働容認表明の記者会見」の内容をネットで確認していた。自分には一国の首相が詭弁でもって国民を 欺こうとしているように思えた。この人が守ろうとしているものは何なのだろうかと考えた。国益を守ることが必ずしも、国民の生活と命を守ることとイコール にはならないのだろう。
 この日は、なかなか寝付けなかった。やっとまどろんでも眠りが浅く、しばらくするとまた目が覚めてしまう。その繰り返し。寺さんも早朝に目を覚まして、再びベースを持ち出し、新曲の練習に取り組んでいた。

 この日のライブイベント「大阪うたの日コンサート2012」は、MAGICAL CHAIN CLUB BANDがホストバンドとなって、出演者全員とセッションすることになっていた。
 自分達がステージに上がった時点で、客席は既に出来上がった状態、熱気が充満していた。共演者である上中丈弥(THE イナズマ戦隊)、藤井一彦 (THE GROOVERS)、kainatsuさんとのセッションは、それぞれが多いに盛り上がった。会場中を素晴らしいエネルギーが循環し、皆が笑顔で、最高の 一期一会を分かち合っていた。
 藤井一彦とのセッションが終わった後、本編最後の3曲はMAGICAL CHAIN CLUB BANDが締めることになっていた。この締めの3曲の1曲目に、新曲「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」を持ってきた。
 「感謝と怒りを込めて歌います。『アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所』」そんなMCの後、コミヤンのカウントで演奏が始まった。
 曲紹介のMCをしていたほんの数秒の間、普段のステージでは体験することのないきまりの悪さを感じた。特にステージ上で「原子力発電所」という言葉を発 することに、想像以上のためらいがあった。このハッピーな空間に、「批判」とか「怒り」の要素を持ち込もうとしている自分自身に抵抗を感じた。もちろん、 ある程度は想像していたことだけれど、こういう歌を歌い、演奏するのは踏ん切りのいることだということを、演奏直前の数秒の間に、より実感した。
 一方では、「ただの歌じゃないか、ラブソングの延長線上じゃないか、無責任に自由に歌えばいいじゃないか」とも思う。だから、このようなナーバスな心情を吐露することに恥ずかしさも覚える。
 この曲での4人の演奏が、この日のライブの中でも特にエモーショナルなものになったのは、そうしなければ気持ちを振り切ることができなかったからかもし れない。気持ちを振り切ってしまえば、サビで「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所~」と歌うことにカタルシスを感じた。

 清志郎さんや斉藤和義君が歌う原発ソングに対しては、その意義を感じつつも、正直、どこかで乗り切れないもやもやした気持ちも抱いていた。けれど、それらの歌が、3.11以降の1年数ヶ月の間、自分に何かを投げかけ続けてくれていたことは確かだ。
 首相官邸前の抗議集会に参加したときも、怒声のシュプレヒコールには加われなかった。けれど、そういう違和感を持った人間でさえ、抗議集会やデモに参加することに、意義があるんじゃないかと考えた。
 とにかく今は、自分なりに声を上げる時だという意識が高まっていた。そういった心境の中での曲作りは、今迄以上に、怒り、哀しみ、不安、恐れ、といった さまざまな負の感情に向き合う作業になった。けれど、それらを対象化して曲にまとめてゆく過程は、自分自身の救いになった。東日本大震災と福島第1原発の 事故から、ある程度の時間を経てからでないと、自分の中で、こういうタイプの歌は生まれなかったと思う。

 この状況で、いきなりこんな曲を演奏したら、かなりのお客さんが引くことは予想していた。誤解も受けるだろう。それはそれで、仕方がない。心に引きずる ものを持って帰ってくれればいいと思っていた。実際、演奏を終えたら、歓声も上がったけれど、やはりどこか微妙な空気が会場に流れているように感じた。そ の空気は、次曲の「ミラクルマン」でもまだ残っていた気がする。
 アンコールでは出演者全員によるセッションが繰り広げられ、微妙な空気は一掃された。とにかく、最高の盛り上がりの中でイベントは大円団を迎えることができた。
 ライブの後、関係者や出演者何人もの人達から「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」の感想を聞かされて、少しホットした。
 この歌を歌うことで、また、さまざまなことに向き合い、考えさせられるテーマを与えられることになりそうだ。