2022年12月31日土曜日

タモリの言葉を受けて考えたこと

「徹子の部屋」に出演したタモリが、番組の最後に黒柳徹子から「来年はどんな年になりますかね?」との質問を受けて、少し考えた上で「新しい戦前になるんじゃないでしょうかね」と答えたという。
そういった時代の流れは急に始まるものではないだろうから、タモリは既に「新しい戦前」を感じ取っているのだろう(追記:もちろん、日本が戦争に巻き込まれないことを願っての発言だと思う)。
タモリの言葉を受けて、年末に再会した知人が目を輝かせながら、「既に希望に満ちた時代が始まっていて、来年はさらに素晴らしい時代が開かれてゆく」といった内容を語っていたことを思い出した。2年くらい前から、目に見えないものの価値が高まってゆくという「風の時代」が始まり、劇的に時代が良くなってゆくような話を目にしたり直接人から聞いたりするようになった。タモリの悲観的と思える見解とは対照的である。
同じ日本に生きていても、人によって見えている世界が極端に違うのが、この時代の特徴の一つだと思う。
昨日の日中は、知り合いの記者から取材を受けた後、彼に寿司屋に連れて行ってもらい、アルコールを注入しつつ色々と語り合った。話の内容の一つは「裏取り」の大切さだった。それこそが記者の生命線であり信頼の所以である。
誰もが情報発信できる時代となってからは、ネットやSNS上での「裏取り」は軽視されがちで、さまざまな「極端な真実」が発信され、蔓延するようになった。コロナ禍において、その状況はさらに進行しているように感じる。これほど安易に「裏取り」なく「自分の求める真実」に辿り着けてしまう環境は、自分の生きている時代において、なかったんじゃないだろうか。
 知り合い記者は、若い記者達の中に自分の仕事に自信を失い始めている者がいることを嘆いていた。記者になった瞬間から誹謗中傷の対象となり、「マスゴミ」などと罵られ続ける日々は、どんな気分だろうと想像した。
「極端な真実」よりも「揺るぎない事実」の丁寧な確認、その地道な積み重ねこそが持続可能な未来を切り開いてゆく、自分はそう考えているけれど、SNSやネットメディアがその役割をどこまで果たすことができるのだろう。この時代においても、既存の新聞メディアが果たすべき役割は、まだまだ大きいように思う。
「極端な真実」に耳を傾けていると、同じ日本で暮らしていても、まるで互いがパラレルワールドに生きているように感じる。けれど、そんな人達とも関わり合い影響を受け合いながら、これからも同じ時代を生きてゆくのだ。何かや誰かを切り捨ててゆくことは、結局、自分自身の何かを失うことにもつながるんじゃないだろうか。
「新しい戦前」は、「極端な真実」をもとにした「集団の高揚」を生み出してゆくだろう。その傾向は既に随所で見られる。それらの高揚がまとまってより全体化してゆくことを危惧している。その流れは、加速し始めたらもう止められないだろう。今、自分達はどの段階に立たされているのだろうか。
時代が一気に流されてゆく中でも、立ち止まり逡巡することを忘れずにいようと思う。自身の実感だけを頼りにせず、他者の声や実感にも耳を傾け、俯瞰を心がけ、想像を巡らせ、考え続ける中で、その都度選択決断して行動しようと思う。全ての答を固定させることなく、軌道修正を繰り返すことをよしとしたい。
そして、どんな時代になっても、さまざまな繋がりの中で人生を楽しむことを忘れたくない。しなやかでありたいと思う。
今年も、たくさんの人と音楽に救われました。心より感謝してます。
多くの力添えのお陰で初書籍を出版できたことは大きかったです。この一冊の中に、自分がブログで綴ってきたような考えや姿勢、音楽への思い、哲学やジャーナリズムが凝縮されていると思います。
この本とCDやDVDをキャリーバックに積み込んで、来年も日本中を巡るつもりです。各地でお会いするのを楽しみにしてます。
良いお年を。
ー 2022年12月31日(土)
-----------------------------------------------------------------
リクオの初書籍
「流さない言葉① ピアノマンつぶやく」(12月12日/ヒマール刊)
ツアー暮らし、震災、コロナ禍……
この11年間の日々に書き留めた“備忘録”。
-----------------------------------------------------------------

2022年12月24日土曜日

おしょうのこと

 ザ☆ダンス天国、キングサイズ、監獄ロックなどのロックバンドで活動してきたおしょうが亡くなったことをSNSで知った。
学生時代、ソロ活動と並行してキーボード担当でLittle T&Aというバンドを参加していた頃に、おしょうがやってたキングサイズとよく対バンした。大雑把な言い方をすればキャロル的なロックンロールにブルースフィーリングが加わったサウンド。今思い返しても抜群のビートで、印象に残るキャッチーな曲も多かった。
一時、関西では随分と人気があって、バーボンハウスに観に行ったライブでは、ライブ後半にフロアの悪ガキ達が興奮してステージに上がり始めてカオス状態だったことを覚えてる。キャロルの解散コンサートみたいだと思った。
おしょうは「カタギ」じゃない存在に見えた。悪ぶるわけではなく、自然とレールから外れてゆくようなチャーミングな不良だった。いろんな噂は聞いていたけれど、自分にとっては魅力的で悪い人じゃなかった。
十三のライブハウス・ファンダンゴで、自分が弾き語りのライブをやっていた時、演奏中におしょうがフラリと店内に入ってきて、ライブを観てくれたことがあった。ライブの後は、ファンダンゴの向かいにあった焼肉屋・しーちゃんで一緒に飲んだ。
おしょうは上機嫌で、「ライブが良かったから」と言って、その店のお代を全て払ってくれた(後日、彼の知り合い数人に、その夜の話をしたら、おしょうが人に酒をおごるなんてと皆驚いていた)。
手ぶらのおしょうは財布を持っていなくて、ポケットや靴下の中やら、いろんな場所から隠し持っていた千円札を取り出して支払いをしてくれた。その様は、なんだか手品を見てるみたいでおかしかったけれど、もしかしたら、なけなしのお金を使わせてしまったのかもしれない。
その時どんな話をしたのかはほとんど覚えていないけれど、おしょうが「部屋に物がなく、段ボールをテーブル代わりにしている」と話していたことは印象に残ってる。
多分15年以上前、西荻窪の居酒屋で偶然再会して以来、長くご無沙汰していたけれど、どんな暮らしをしていたのだろう。連れ合いはいたのだろうか。
亡くなったおしょうが64歳だったことを知って、6歳も年が離れていたのかと思った。オレ、名前も呼び捨てにして、タメ口で話してたなあ。おしょうがそれを許してくれていたのだ。偉そぶるところのない、気持ちを押し付けない人だった。
数年前、おしょうがやってたバンド・ザ☆ダンス天国のライブ映像をYouTubeで観た。
全身全霊、血湧き肉躍る抜群のステージだった。その佇まいもギターのエグさもキングサイズ当時をさらに上回っているように感じた。
集中力が途切れない。取り憑かれてる人間の演奏だと思う。
そういう人を日本人でもう1人挙げるとしたらAZUMIさんだ。そうか、自分にとってのブルースマンが、AZUMIさんとおしょうだったのか。
キングサイズの「血の滲んだシャツと ポケットの200円と 背中丸めたオレを 待ってておくれ」って歌詞の曲が好きだった。曲名は何だったろう?「200円」?おしょうのナイーブさが伝わる歌だった。
そんな密な付き合いをしていたわけでもなく、若い頃のほんの数年間、近い場所にいたような関係だけれど、忘れられない存在だ。
おしょう、安らかに。

ー2022年12月24日

野澤尚司さん追悼

夜中に旭川・アーリータイムズのマスター・野澤尚司さんの訃報を知る。
アーリータイムズは、デビュー当時からお世話になっていた事務所を離れて、本格的にツアー暮らしを始めた'90年代後半から途切れることなく通い続けていたお店で、野澤さんにはずっと良くしてもらってきた。
去年9月のアーリータイムズのライブでお会いしたのが最後になってしまった。コロナ禍で打ち上げもできない夜だったけれど、野澤さん始め何人もの笑顔と再会できて、嬉しく感慨深い夜だった。
入退院を繰り返されていたのは知っていたけれど、また会えると思ってた。
思い出せば思い出すほど、お世話になりっぱなしだったなと思う。
リハーサルを始める前に、お店のカウンターで野澤さんに入れてもらったコーヒーを飲みながらおしゃべりする時間が好きだった。
野澤さんの温度感は、熱過ぎず冷た過ぎず、良い塩梅で心地よかった。絶妙の距離感と適度な砕け具合で、いつも柔らかく受け入れてもらっている気がしてた。
また一緒に酔っ払いたかったなあ。
楽しいことしか思い出せなくて、寂しいです。
野澤さん、ホントありがとうございました。
心よりお悔やみ申し上げます。




ー2022年12月21日

2022年10月30日日曜日

ジェリー・リー・ルイス追悼

もう30年前のこと。日清パワーステーションでのワンマンライブで、ジェリー・リー・ルイスの真似をしてグランドピアノの上に乗って、腰を振って踊ったら、ライブ後に日清の事務所に呼び出されて、えらく怒られた。学生の頃、職員室に呼び出されて嫌な先生から説教されてる時みたいだと思った。


日清スタッフの怒りはおさまらず、決まっていた次のブッキングもキャンセルされてしまった。自分の不貞腐れた態度が火に油を注いだのかも知れない。
当時は「ジェリーと同じパフォーマンスをしただけやのに」と思って、全然反省しなかったけれど、今振り返れば、せっかく舞台を用意してくれた事務所やイベンターさん、レコード会社のスタッフをがっかりさせて申し訳なかったなとは思う。

ジェリー・リー・ルイスの存在を知らなければ、自分のピアノスタイルは今とは少し違ったものになっていた。定番の「ミラクルマン」という曲を書くこともなかった。

ピアノがこんなにワイルドでヤバくてカッコイイことを、ピアノが打楽器だってことを、ピアノでロックンロールできるってことを、いや、ピアノブギこそがロックンロールの基本なんだってことを、教えてくれたのがジェリーだった。

この写真みたいに足でピアノを弾きたいと今も思う。また怒られるかな。
ジェリー・リー・ルイスは自分に新しい価値観を与えてくれた。それは、自分の中である程度血肉化されたと思う。
でも、そのOUTRAGEOUS(常識外)なありようは、いつまでも届きようのない憧れのままだ。

ジェリーありがとう。
これからもずっとあなたは、オレの中に、そして世界中のたくさんの人の中に存在し続けます。

ー 2022年10月30日(日)

2022年10月6日木曜日

現状に向き合う ー 地方の小規模店やツアー・ミュージシャンの現状、「一乗寺フェス」のことなど

 今年の春以降は、数だけで言えばコロナ禍以前と同じくらいの数のツアーをこなしている。
社会の空気がウイズコロナにシフトしていることもあり、コロナの影響でライブが中止になったり延期になる機会は減った。
ただ、8月末に自分がコロナに感染して発症、隔離療養を余儀なくされ、ライブを2本飛ばすことになってしまった。
症状に個人差がかなりあるようだけれど、自分の場合、感染してすぐに下熱したと思ったら再び発熱、意外に症状が長引き、味覚障害が出たり、体重が一気に3キロ減ったりしたこともあって、「コロナは風邪やインフルエンザよりかなり厄介だ」と実感した。

今は後遺症もなくすっかり元気になってツアーに復帰したけれど(ただし、後遺症が長く残る人の話もよく聞きます)、地方のツアー先で聞こえてきたり、目にするのは、 ライブスポットや小規模飲食店の実に厳しい現状だ。
東京などの都市部に比べると人の戻りは明らかに遅い。特に40代、50代以上が夜の街に出てこなくなったとの話をよく耳にする。実際に、各地を回っていて、地方の繁華街はコロナ前以上に閑散としている印象だ。
地方都市の夜の繁華街で目立つのは、連んだ若者達の路上飲みだ。コロナ禍で身についた習慣なのだろう。
夜の飲食店は、時短が解かれた後も、日付が変わる前の早くに閉店する店が増えた。開けていてもお客さんが来ないのだ。

今は補助金による援助もなく、さらに、急激な円安やプーチン政権のウクライナ侵攻などがもたらした物価高の影響がお店を直撃し始めている。
「今年はどうにかやりくりできたとしても、来年を乗り切れるかどうか」という話も複数のお店から聞かされた。
ツアーに復帰して各地の現状を目の当たりにすることで、こうした小規模店と自分達のようなフリーのツアーミュージシャンが、最も早くに、そして最も長くコロナの影響を受けてきたことを、あらためて実感している。

ツアーミュージシャンはツアーに復帰したとは言え、どの会場も限定人数でマスク着用、場所によってはマスク着用でも大声禁止など、今も制約がある中でのライブが続いている。動員も厳しい。
知り合いミュージシャンやお世話になっているお店のマスターらと情報交換したりすると、返ってくるのは、自分と同じような立場のツアーミュージシャン達の想像以上に厳しい動員の現状だ。正直、「自分だけじゃないのか」とホッとする気持ちがあるのと同時に、こうしたライブ文化そのものが廃れていくんじゃないかとの危機感を覚える。

多分、自分の場合は、周りとの連携によってコロナ禍でも積極的な音楽活動を続けたことで、まだ影響が抑えられている方なのだろう。それでも、コロナ禍を挟んで、3年、4年と戻ることの出来ていない町も多く、とにかくお店や地域によって動員の格差が極端になった。一度途切れたものを復活させるのは大変なのだ。
ただ、足を運んでくれるお客さん一人一人の熱量は高い。それぞれのライブの一回性、一期一会感は、コロナ前よりも高まったようにさえ思う。ライブを必要とする人は確実に存在するのだ。

多くのツアーミュージシャンは、SNSなどを通して現場に復帰した喜びやライブの盛り上がり、感謝を伝えることはしても、厳しい状況を積極的に伝えようとはしない。自分もそうだ。お世話になった主催者やお店の人にも気を使うし、ネガティブな要素を伝えることが、自身の活動の妨げになるとも感じるからだ。
でも、当事者同士が現状を共有して、そういった厳しい状況を伝えてゆくことも必要なんじゃないかと思う。

前回のブログ《京都「一乗寺フェス」と「ザ・西院フェス」に関するリクオからの「お願い」と言うよりは「呼びかけ」》で綴った内容もそういった危機感の表れだ。https://rikuonet.blogspot.com/2022/09/blog-post_29.html
復活した大型フェスは活況を呈しているようだけれど、地方の小規模イベントは事情がかなり違うように思う。しかも、地域密着の地元の人達による街フェスとなると、余計にコロナの影響が尾を引いているように感じる。
自分が暮らす京都左京区一乗寺で10月15日に開催される街フェス「一乗寺フェス」(生ライブ+配信)のクラウドファンディングは支援募集期間があと6日となりながら、支援金がまだ目標金額の半分にも達していない。
コロナ下、自分も微力ながら多くのクラウドファンディングに参加してきたけれど、もう2年前のようには支援金が集まらなくなっている。けれど、厳しい現状は変わっていなかったりする。

今年の「一乗寺フェス」は、公的補助金に頼ることができなかった実情がある。補助金の予算削減、補助対象事業の縮小はもとより、コロナ禍最初の2年間の支えとなった文化庁Arts For the Future2補助金制度(AFF)において、収容人数50名以下の施設が補助対象外となってしまったことが大きい。文化庁のトップがトリクルダウンの発想を取り入れることで、制度の内容が変わってしまったのだ。
その結果、ひとつのイベントとするフェス形式でも各会場ごとの申請が必要なため、収容50名以下の小規模会場が複数連なる「一乗寺フェス」は対象事業外と判断されてしまった。詳細は「一乗寺フェス」クラウドファンディング申し込みページに綴られているので、興味のある方は目を通してもらいたい。

本来は、公的補助金に多くを頼り過ぎるイベントは健全ではないと思うのだけれど、「一乗寺フェス」と「ザ・西院フェス」は、このコロナ禍においては、外部からの支援なしに来年以降の継続が厳しいのが現状だ。
自分は主催の立場ではないけれど、この二つの街フェスに対しては、地元であり常連の出演者ということもあり、思い入れが強い。
「公助」に頼れない現状の中で、自分達の場所を自分達で守り育くんでゆくためにも、「共助」が必要だと思う。

無理ない範囲で「一乗寺フェス」のクラウドファンディングに参加してもらえたら嬉しいです。
自分の暮らす街だけでなく、各地方の街角で音楽が鳴り響き続けることを願ってます。そんな町同士が繋がり、情報交換し合い、助け合い、互いに盛り上がっていけたらいいなあと思うのです。よろしくお願いします。

■「一乗寺フェス」クラウドファンディング申し込み(支援募集は10月12日午後11:00まで)

「一乗寺フェス」サイト

■「ザ・西院フェス」サイト 

ー 2022年10月6日(木)

2022年9月29日木曜日

京都「一乗寺フェス」と「ザ・西院フェス」に関するリクオからの「お願い」と言うよりは「呼びかけ」

 10月15日(土)京都一乗寺にて開催される「一乗寺フェス」と、11月5日(土)京都西院にて開催される「ザ・西院フェス」は、どちらもコロナ禍以前から出演者として関わってきた思い入れの深い地元の地域密着型街フェスです。
単なる音楽フェスではなく、自分達が暮らす街の活性化を目的の一つにした地域の人達による開催である点で、両フェスは共通しています。

コロナ禍において「一乗寺フェス」は無観客配信での開催となり、「ザ・西院フェス」は2年間の開催中止を余儀なくされました。
今年の「一乗寺フェス」は「キャラバン」をテーマに、地元「京都 一乗寺」だけでなく、東京・名古屋・京都のライブハウスも参加し、有観客+オンラインでの開催となります。しかも、複数会場での配信視聴を無料化するとのこと。 (「一乗寺フェス」サイトhttps://fest.ichijoji.net/2022/
「ザ・西院フェス」は、規模を縮小して、ようやく3年振りの開催が決まりました。(西院フェス・サイト https://saifes.net/

どちらのフェスも今年の開催決定にはこぎつけたものの、来年以降の開催継続は今年の成否に寄るところが大きいようです。自分は地元ということもあって、主催側と近い存在にあるので、両フェスの厳しい状況を耳にしています。
もう2年前のようには支援が集まらないし、補助金制度にも頼れなくなってきてるんです。

「ザ・西院フェス」のクラファンは明日30日で募集終了にも関わらず、支援総額が目標金額の半分にも達していないし、「一乗寺フェス」のクラファンは70万円以上が集まらないと支援金が支払われないシステムにも関わらず、残り13日となって、集まった金額はまだ13万に満たない状況。

主催側の告知方法にも一因があるのかもしれないけれど、こういう支援が集まらない状況が各地で起き始めてるんじゃないかと想像してます。
もう、支援に頼れる時期じゃないのかもしれません。でも、少し聞いてほしいんです。

主催側でもなく、出演者の1人に過ぎないオレが、誰に頼まれたわけでなく、この文章を綴る理由は、両フェスを支援したいからと言うよりは、「一乗寺フェス」も「ザ・西院フェス」もなくなってもらっちゃ自分が困るからなんです。なくなってしまったら自分が寂しくて、悲しくなるんです。
コロナ後も、こういう地域密着の小規模の街フェスが全国に存在し続けてほしいんです。街に音楽が鳴り響き続けてほしいんです。音楽を通じて街の人達が繋がり続けてほしい、自分もその一員になりたいんです。

興味が持てない人に、無理にお願いしたいわけじゃないんです。
でも、こういった文化や人との繋がり方を愛する人達、「ザ・西院フェス」と「一乗寺フェス」の継続を願う人達には、自分のために無理なくクラウドファンディングに参加してもらいたいんです。これは、「お願い」というより「呼びかけ」です。
「自分達にとって大切な場を、自分達で守り、育んでゆきたい」
そういう願いを込めた「呼びかけ」です。

この「呼びかけ」が届くべき人達に届くことを願ってます。

■「一乗寺フェス」クラウドファンディング申し込み

■ザ・西院フェス」クラウドファンディング申し込み

ー 2022年 9月29日(木)

2022年9月28日水曜日

菅前首相の追悼の辞に感じたこと

 安倍晋三氏を見送る国葬の儀における菅前首相の情緒に訴える追悼の辞を聞きながら、色々と考えさせられた。

「総理、あなたの判断はいつも正しかった」

この言葉がもたらす波紋、反感と共感のコントラストを菅氏が想像できていなかったとしたら、かなり冷静さを欠いていると思う。そもそも、「いつも正しい人」など存在しないだろう。
意識的であれ、無意識であれ、菅氏の中に故人を神格化したい欲求があったんじゃないだろうか。
この人は心から安倍氏に心酔していて、その思いが、言葉や語り口の無防備さをもたらしたのかもしれない。そんな印象を抱いた。

安倍前首相が銃撃されて以来、個人崇拝や神格化を求める傾向が強まったと感じる。反対意見の多かった国葬は、反対をも粮にして、そういった傾向を後押しする役割を果たしたように思う。
反対意見が多くなる程に安倍氏を支持する強固な心の壁が築かれ、崇拝や美化がさらに強まってゆく様には、カルト的要素を感じる。そもそも、安倍氏と統一教会は、そのカルト的傾向においても親和性が高かったように思う。

そういった傾向や兆候は、今の日本においては各所で確認できる。
社会全体が冷静さを欠いて、カルト的傾向が強まってゆくその先に、差別や偏見、不寛容、敵対、戦争をもたらす全体主義があるのだろう。この傾向には、右も左も関係ないと思う。

こうした流れに、自分自身も飲み込まれてしまいそうな危うさを感じる。
孤独を受け入れながら、慎重に抗い続けようと思う。

ー 2022年9月28日(水)

2022年7月17日日曜日

「バカの壁」をすり抜けるイメージ

「話しても伝わらない。相手の答が固定されていて、聞く耳を持ってもらえない」
コロナ禍を経て、そういうことを感じる機会がさらに増えた。
「自分が知りたくないことは自主的に耳を塞いで、感情も閉じてしまう」傾向は、自分の中にも存在する。動揺したくないのだ。

養老孟司氏によれば、現代では、「自分が物を知らない、ということを疑う人」がどんどん減ってるそうだ。「バカの壁」は高くて強固だ。
この壁を乗り越えたり叩き壊すのではなく、すり抜けてゆくようなイメージを保ちたい。
相手に理解を求めるより先に、相手を知ろうとする態度が自分達には欠けているんだろうと思う。伝わらないのは、こちらが相手を理解しようとしないことも一因なんだろう。

う〜ん、でもオレ、例えば、あの人のことを理解して、許せるのかなあ。オレ、聖人ちゃうもんなあ。
せめて、自分の至らなさや傲慢を自覚して、そんな自分を許しながら、誰かのことも許したい。

でも、今のところ、まだ許せん人もおるかもなあ。
なんでやねん、ってことも多いしなあ。理解できひんもん。
理不尽に対して怒りを感じることも、間違ってないと思うし。

理想と本音がごちゃごちゃになる丑三つ時。

やるべきことをやろう。

一つに集中する時間をちゃんと保とう。

ー2022年7月15日(金)

2022年7月15日金曜日

謙虚な自覚 ー 統一教会のことなど

安倍晋三氏銃撃事件を受けて、統一教会((現在は「世界平和統一家庭連合」に改称)への注目が集まり始めている。
自分がこのカルト教団を初めて意識したのは18歳の頃、高校時代の数少ない友人が教団の信者となったことがきっかけだった。

その友人からの執拗な勧誘によって、教会施設の一室に軟禁され、人類滅亡の恐怖を煽るおどろおどろしいビデオを延々と見せられ続けた体験が、自分がカルト思考や陰謀論史観に向き合う大きなきっかけになった。当時の出来事については、去年のブログでも一度触れている。

自民党とカルト宗教の関係は今に始まったことではないけれど、政治家のカルト思考が進むことで両者の親和性がより高まっていった印象がある。日本会議と自民党の関係性にも同じようなことが言えると思う。
'19年発足の第4次安倍内閣には、党4役を含めると、統一教会がらみ12人、日本会議系12人の大臣が参加しているとの報道も目にした。

昨年開催された統一教会団体であるNGO・天宙平和連合(UPF)の世界大会に、安倍晋三氏がトランプ氏とともにモニター参加してメッセージを寄せたことは、ネット上の一部では注目を浴びたけれど、一般的なニュースになることはなかった。
参院選でのNHK党や参政党の躍進を見ても、政治のカルト化、陰謀論の浸透は、歯止めが効かなくなっている印象だ。この流れを変える一つの手立ては、自分も含め誰もがこういった思考から完全に逃れることはできないのだという謙虚な自覚じゃないかと思う。

今回の銃撃事件は、この世界の暗い未来を見せつけられているような気がした。言論や対話の通じない社会がもたらすのは、暴力の跋扈なのだろう。

ー 2022年7月14日(木)

2022年5月10日火曜日

共感と距離感 ー U2のボノとエッジのウクライナ・キーフでの地下鉄ライブで考えたこと

 U2のボノとエッジが、ウクライナのゼレンスキー大統領の要請に従い、5月8日(日)に、ウクライナ、キーフの現在防空壕となっている地下鉄で、サプライズのアコースティックライブを行ったニュースについて、考え続けている。

ライブの中で、ボノは”Pride”の歌詞を変えて、「今夜、5月8日に、ウクライナの空に銃撃は鳴り響いても、あなた達は自由だ。命を奪われることになっても、あなた達のプライドを奪うことは絶対にできないから」と歌い、MCでは、「あなた達の大統領は、今世界の自由を牽引している。ウクライナの人たちは、自分たちの自由のためだけに戦っているのではなくて、僕ら全員の自由への愛のために戦ってくれている」と語っている。
ボノとエッジの行動力と勇気には心から敬意を抱くけれど、それらの言葉から感じ取れるヒロイズムからは距離を置きたいとも思う。これは、ウクライナの現場でななく日本にいるからこその感覚かもしれない。

ロシアのウクライナ侵攻以来、相反する思いが同居するような機会が増えた。自分の中の価値観の揺らぎが続いている感じ。ここまで「反戦」や「非戦」について突き詰めて考える機会は、今までなかったかもしれない。
戦火では、こんな風に迷っている場合ではないんだろうなと思う。

この戦いが2国間の問題に留まらないのは周知の通りだ。 NATOの元最高司令官がNHKのインタビューに応じて、「既にわれわれは第3次世界大戦の最中にある」と語っていたけれど、既に世界中の多くの国々がこの戦いに巻き込まれていることは確かだろうと思う。気になるのは戦いの構図だ。

ボノとエッジは、大量虐殺のあったブチャの墓地にも訪れ、そこでのインタビューの中でプーチンについて言及し、「これは本当に1人の人間による戦争だと思う」と語っている。自分もそれに近い考えを持っていて、この戦争をロシアと欧米の代理戦争の構図に当てはめ過ぎることで、独裁政権による一方的な侵略とジェノサイドが、どっちもどっち論的に相殺されてしまうことを危惧している。
けれども同時に、プーチンという悪を倒せば万事上手くゆくような単純な話でもないと思う。「物語の単純化」が戦禍を拡大させることも肝に銘じておきたい。

ライブの中でボノは、ウクライナの人達の「自由のための戦い」を賛えた後に、「すぐに平和が訪れることを祈っている」と語った。平和を祈るボノのスタンスは、既に戦争が始まってしまった状況の中では、「非戦」ではないのだろう。
日本にいて平和を願う自分は、どこまで「非戦」を貫けるのだろうかと考える。自分は誰も殺したくないし殺されたくもないけれど、既に戦火の最中にあり、殺されないため、自由のために銃を持つウクライナの人達を否定することはできない。日本とウクライナでは状況が違うのだ。

最近、既に戦争気分に巻き込まれている自分自身に危うさを感じることがある。日本にいる自分がやるべきは、ウクライナと主語を同一化することではないと思う。ウクライナの人達の気持ちに寄り添いたいと思う一方で、戦火の状況にない自分達だからこその視点や感性も失うべきではないと思う。
共感と距離感の両方を大切にしながら、独裁や侵略を否定し、平和で民主的、自由な社会を尊重する世界中のすべての人達と、国境を超えて想いを共にしたい。

ー 2022年5月10日(火)

2022年2月6日日曜日

「落とし所」を見つける前に必要なプロセス

結局、東京でのリハーサルに参加した出演者&スタッフの中から3人の陽性者が出た。幸い、それぞれ軽症との報告を受けているけれど、オミクロン株の感染力の高さと、もたらされる影響力の大きさをまざまざと見せつけられる結果となった。

この数週間で、知り合いのコロナ感染者が激増した。その中には、40°前後の発熱が続いた後に味覚嗅覚障害が出た者も何人かいる。
「今回のオミクロン株も『ただの風邪』とはとても言えない」
これが今のところの自分の実感だ。

弱毒化したとは言え、ここまで感染力の強い変異株が登場するとは専門家でさえ予想外だったように思う。国も行政も、変異を繰り返す感染症への対応が追いつかないのが現状だ。
その様を批判することは簡単だけれど、批判だけでなく、「安易な答」が存在しない現実を皆で共有した上で、「落とし所」を見つける議論の必要性を感じる。

ここにきて、新型コロナの位置付けを「2類」から季節性インフルエンザ などの「5類」に下げるべきとの意見をより多く目にするけれど、その正否が、答ありきの不毛な対立の場に化しているように見える。現実を見据えた発展的な議論が成り立っていない。
陽性であっても入院せずに自宅待機が認められ、一定条件を満たしていれば検査も必要なしとされる現状に触れた身からすれば、今のコロナの実質の位置付けは当初の「2類」枠から既に相当はみ出しているという認識だ。

議論を進めるには現状や事実の共有が前提だけれど、コロナ禍の不安要素がその前提の共有をより難しくしているように感じる。この2年間で、自分が見たい景色だけを見て、信じたいものだけを信じる傾向がさらに広まった気がする。

あくまでもコロナを「ただの風邪」と断定し続ける人達は、その不安によって「他者の痛み」に対する想像力を奪われてしまったように見える。「他者への想像力の欠如」こそが「陰謀論者」と呼ばれる極端な説にすがる人達の最大の問題点だと思う。
それは特別な資質ではなく、誰もが陥る可能性のある傾向に違いない。そういった傾向がもたらす悲劇は、歴史が何度も証明してきた。同じ時代を生きる補い合う者同士として、ともに不安を乗り越え、歴史を乗り越えてゆきたい。

先が見えない悩ましい状況は、まだ続くのだろう。今は何を優先しても、そこに「痛み」が伴うように思う。ならばせめて、その「痛み」を忘れずにいたい。
自分達が「落とし所」を見つける前に必要なプロセスは、やはり「他者への想像力」と「痛みの共有」だと思う。

ー 2022年2月5日(土)

2022年2月3日木曜日

「かすかな光」のアンサンブル ー 横浜・サムズアップ公演延期から4日後の現状報告です

1月29日(土)&30日(日)に予定していたリクオ with HOBO HOUSE BAND@横浜・サムズアップ公演は、公演前日よりバンドメンバーのコースケ(宮下広輔)に37度前半の発熱、喉の痛み、頭痛など新型コロナウイルス感染と重なる症状が見られたことを受けて、考慮の結果、開催を延期させてもらいしました。

公演当日29日午前にコースケが行った抗原検査の結果は陰性でしたが、その後31日のPCR検査の結果は陽性で、新型コロナ感染が確定されました。
2月1日には、同バンドメンバーの寺さん(寺岡信芳)より、前日1月31日深夜より寒気、微熱、関節痛、喉のイガイガなどの症状が出たため1日に病院でPCR検査を受けたとの報告があり、本日3日に陽性が判明しました。
幸い2人とも軽症で、既に熱は平熱に下がり症状も治っているとのことです。

コースケより保健所からの以下の指示の報告を受けました。
《現在は仮に「濃厚接触者」であっても、外出や移動手段、仕事可否について法的な強制力はなく、陽性者と接触後7日間は、普段より健康状態を注視するように。「濃厚接触者かどうか」については重要視しない》
急激な感染拡大に対して保健所や行政が対応しきれなくなっているだけでなく、これまでの感染者、濃厚接触者への対応では社会活動が維持できないとの判断も働き始めているようです。

自分は現在、いたって元気ですが、陽性者との接触後7日間を目処に自宅待機を続けています(明日2月4日までの待機となります)。京都の行政窓口には何度も連絡を試みましたが不通状態が続いたため連絡を諦めて、濃厚接触者であることを自己判断しました。
コースケの陽性結果を受けてすぐに自宅での抗原検査を行い陰性でした。熱は平熱、パルスオキシメーターで測った酸素飽和度&脈拍数も通常数値が続いてます。

抗原検査よりも精度が高いと言われるPCR検査を近日中に受ける予定はありません。検査キット不足の現状や自分が無症状であることから、PCR検査は高齢者、疾患のある方、症状の出ている方に優先してもらった方がいいのではと判断して自宅に篭ってます。もちろん、この判断はそれぞれの状況によっても変わると思います。

自分が濃厚接触者に当たるとの判断は、1月28日のリハーサル後、コースケの運転する車の助手席に40分以上座って時折マスク越しの会話も行っていたことに依りますが、リハーサルに参加した他のメンバーに関しては、現在の判定基準では、濃厚接触者にあたらないメンバーもいるかもしれません。
現在、感染が確認されていないメンバーも、それぞれが自宅待機、PCR検査、抗原検査などを実施して自己判断で対応している状況です。

今は「確実に正しい」やり方や判断がはっきりと見えない状況だと思ってます。落とし所の難しさを感じて、ついつい「安易な答」にすがりたくもなります。正直、ここにきてこれ程までに活動が制限されることになるとは思わなかったので、今がコロナ禍で最も厳しい状況と言えるかもしれません。その割には、心の安定を保っていられるのは、周りからポジティブなエネルギーを受け取っていることも大きいです。

これまでの人生の中で、この2年間ほど、自身の行動や心構え、態度を問われ続けた時期はなかったように思います。
結局、外部以上に自分自身の中に見出した希望の方が持続可能なんじゃないか。今、そんなことを考えてます。
自分自身の思考や態度、行動の中に「かすかな光」を見つける。いつか、方々で生まれた「かすかな光」達が出会い、アンサンブルを奏でる日を夢見続けようと思います。
部屋にこもって6日目、考える時間が多いのは悪いことばかりじゃないと感じてます。

この現状報告が、少しでもみなさんの今後の判断のお役に立てれば幸いです。

ー 2022年2月3日(木)

1/29(土)&30日(日)#リクオ with HOBO HOUSE BAND@横浜・サムズアップ公演の延期を受け、昨年9/4(土)同地でのワンマン・ライブをYouTUBEにて2月6日(日)までフリー配信中です。曲順も公開されてます。

自由にご覧頂けますが、お店&出演関係者の収益となる投げ銭も受け付けてます。よろしくお願いします。
投げ銭振込先 : 三井住友銀行 横浜駅前支店 (普) 9128410
口座名義 有限会社 ストーブス
・お振込名の後ろに公演日をご記入下さい。
例)ミョウジ ナマエ1009 (10/09の場合)

2022年1月30日日曜日

音楽の灯を絶やさない ー 横浜・サムズ・アップ公演延期に際して

 1/29(土)&30(日)横浜・サムズ・アップ公演に出演予定だったリクオ with HOBO HOUSE BANDのメンバーの1人から、ライブ前日の28日深夜に37°前半の発熱の報告を受けた。発熱以外の症状は、喉の軽い痛みとイガイガ、咳、頭痛とのことで、新型コロナ感染の疑いが生じたため、ライブ当日29日午前に行った抗原検査の結果は陰性だった。

その結果を受けて本人が行政窓口に相談したところ、抗原検査で陰性結果が出ればそのまま陰性とみなされるが、数日症状が続くようであれば再検査を指示されたとのこと。
現時点で陰性とはいえ、新型コロナと共通する症状が出ていることも確かで、感染の可能性を完全には否定しきれない。もし症状が続き再度の検査で感染が確定した場合は、サムズアップ公演の出演者全員が濃厚接触者に該当する可能性も生じる。
考慮した結果、開催当日にサムズアップ2days公演延期の判断を下した。

開催直前に発覚した事態だったので、短時間でたくさんのことを考え想像した。
延期を決めた後もまだ考え続けているけれど、やはり結論は変わっていない。やむない判断だったと思う。
でも心は痛む。

リハーサル含めた4日間の拘束だけでなく、事前に、ゲスト2人との共演曲12曲と自分の新曲等の予習にもたくさんの時間を割いてくれたバンドメンバーの寺さん、真城さん、克ちゃん、コミヤン、コースケが、この間無収入になってしまったことを思うとつらい。ゲストの友部さん、花田さんも同様。こういうときに補償がないミュージシャンの不安定な立場を痛感する(つうか、コロナ禍、ずっと痛感し続けてる)。
サムズアップも、この厳しい時期に週末2日間のライブがキャンセルになった影響は小さくない。
この2年近く、なんとか小さい経済を回そうと意識してやってきたけれど、今回は周りにダメージを残してしまった。

お客さんの期待にも応えられず、悔しいし心苦しい。
今回の2days公演、こういう状況にも関わらず、たくさんの予約が入り、九州、四国、関西、北海道など地方からの予約も多かったそう。
開催当日の延期告知になってしまったことで、遠方から現地入りした後に延期を知ったお客さんのことを思ったりすると、やはり申し訳ない気持ちになる。

ただ、必要以上に自責することはやめようとも思う。発熱したメンバーもそう思ってほしい。
もうしゃあない。また一緒に仕切り直しを楽しもう。
出演者&関係者に延期の判断を伝えたとき、誰もネガティブな発言をすることなく、こちらの判断を理解して前向きな言葉をかけてくれたのが嬉しかった。こんな人達と何かを一緒にやれるのは幸せなことだ。

先日2日間行われた、友部正人さん、花田裕之さん、リクオ with HOBO HOUSE BANDの面々が集まってのリハーサルは、とても充実したものだった。リハーサルであっても、皆がオープンな姿勢で音を交わし合うかえがえのない時間だった。
振替公演の日まで、この感触を忘れずにいたい。この延期の判断を生かすためにもぜひ振替公演を成功させたいと思う。

やりきれなさや痛みを抱えたまま、前を向きたいと思う。心を揉みほぐして、皆と工夫して楽しむことを忘れずにいたい。外からの自由を制限されても、心の自由は奪われたくない。
なんかブログをまとめている内に、ますます振替公演が楽しみになって、前向きな気持ちが戻ってきた感じ。こういう自分の単純さに救われる。

急遽決定した今日18時からのYouTubeライブ配信は、フリー視聴も可能なんでぜひ気楽にご覧ください。バンドメンバーもチャット参加します。オレ達も楽しみます。ホント、いいライブなんです。
配信期間は2月6日(日)まで。余裕のある方は出演者とサムズアップへの収益となる投げ銭をよろしくお願いします。

音楽の灯は絶やしません。

ー 2022年1月30日(日)

2022年1月15日土曜日

ライブ9本が一気に飛びました ー そして「HOBO CONNECTION FESTIVAL」継続宣言

オミクロン感染急拡大の影響で、2月までのライブ9本が一気に飛んでしまった。展開が急で呆気にとられる。

公演延期の告知ばっかは正直つらい。でも、各地の人と話していると、自分が思っていた以上に状況が厳しく、延期も止む無しと受けと止めざるを得ない。感染された方々が大事に至らないことを願います。9公演それぞれ、必ず振替公演をやりたいと思う。

お世話になっている奄美のお店も宮古島のお店も、感染拡大が収まるまでしばらく閉店するとのこと。経済面の厳しさだけでなく、気持ちを保つのも大変だろうと思う。

また、振り出しに戻ってしまうのか。いやいや、そんなことはないはず。弱毒化してることは確かだろうから、この変異株で集団免疫を獲得できたらパンデミックは収束するんじゃないか。そう願いたい。

そんなふうに色々と考えてしまうけれど、まだ断定できない要素が多いのが実際なんだろう。楽観にも悲観にも寄りかかることなく、状況を見据えたいと思う。そうやって、この2年間を過ごしてきたのだ。

とにかくツアーがなくなって時間もできので、しばらくは先日10日(月祝)なんばHatchで開催された「HOBO CONNECTION FESTIVAL」のアーカイブ配信(1/23まで視聴可能)の告知に力を入れまくろうと思う。



関西からのローカル発信を掲げたこのイベントは、当初から配信ライブによって全国へ発信することを重要視してきた。アーカイブ視聴は伸びてきているし、配信過多のこの状況の中では健闘しているのかもしれないけれど、正直、まだ各地の届くべき人達にこの配信が届いてるとは思えない。

今回はこれでは満足しない。この画期的なコラボ・ステージと配信の可能性をひろげる映像をもっと広く伝えたい、この厳しい状況の中でもポジティブな何かを、新しい出会いとつながりを生み出せることを伝えたいと思う。

アーカイブ配信が終わる1月23日(日)まで、「HOBO CONNECTION FESTIVAL」が継続することを、ここに宣言します。
この週末もぜひアーカイブ配信をお楽しみ下さい。配信への認識が変わると思います。
今後も動画含めSNSで色々と発信をしてゆくので、みなさん、23日までこのフェスをオンライン上でも盛り上げてやってください。よろしくお願いします。

■アーカイブ配信申し込み https://eplus.jp/rikuo-st/ (視聴&視聴申し込みは1月23日まで)

ー 2022年1月15日(土)