2008年3月28日金曜日

季節のせいなのか?

和歌山県田辺市 ウツボムーン
 大阪から田辺までのJRはよく揺れた。少し酔った。
 ウツボムーンに着いたらマスターのためさんが、オレのためにプロレス本を何冊も用意してくれていて、持って帰れと言う。ためさんも大のプロレスファンなので、しばしプロレス談義。昭和のプロレスは間や溜めがあってよかったなどという話。
 昔、有山さんとよく田辺に来ていた頃は、お客さんは男性おっさんが中心だったけれど、最近は若い女性が中心。おっさんばっかりよりいいけれど、あのガラの悪い乗りもちと懐かしい感じ。
 
  最近、自分の演奏に向かう気持ちに少し変化がある。なんか内向的というか、客席のずっとずっと向こうを意識している感じというか。一音一音、味わう感じと いうか。まだうまくコントロールできないのだが、明らかに何かを探っているというか、つかみつつあるというか。う~ん、これは、今だけの感じなんやろか? いや、もっとつきつめたいな。客席にはどう伝わっているんやろ?
 もしかしたら季節のせいもあるかも。自分は、環境に作用されやすい人間だ。

2008年3月27日木曜日

有山な夜

大阪 Rain Dogs
ありやまな夜だatRAIN DOGS Vol.6
【出演】有山じゅんじ ゲスト:リクオ
 2日間のレコーディングの後またツアーに戻り、大阪へ。

 有山さんは自分の師匠みたいな人である。
  出会った頃は、こういう自然体で、力の抜けた、明るくて、適当で、わがままな人になりたいなあと憧れた。付き合いが続くうちに有山さんが抱える葛藤に気付 いたり、過去のさまざまな経験を話してもらうことで、色んな体験と変遷を経て今の有山さんがあるということを知るようになった。自然体を身につけるという のは、結構大変な洗練の作業が必要だ。適当にやるというのは、程よくいい塩梅ということだ。わがままが許されるのは、相手の心をほぐすことのできる人徳が あるからだ。
 有山さんの心の中には今も、とても柔らかくてもろい部分がある。けれどその部分を人に押し付けることは決してしない。有山さんの歌 は人の心の柔らかい部分にやさしくそっと触れてくれる感じ。「あとは好きにしたらええやん」「しゃ~ないやん」とやさしく突き放してくれれる感じも好き。
  この日はステージで、がんばらなかった。多分、有山な夜だったからそうなった。そうしたらいい感じで音楽の神様が降りてきた。有山さんとのセッション曲は たくさん用意していたのだけれど、予定の曲をまだ残したステージの後半で、有山さんが「今日はここらへんで終わっておこう」という。自分もそれで納得だっ た。ここまでとてもいい流れできて、これ以上、無理に盛り上げる必要はないと思えた。この感触を大切にこの日のライブを終えたいと思った。
 師匠、またよろしくです。

2008年3月23日日曜日

白石にて

白石市八幡町 カフェミルトン
~milton again 山口洋(HEAT WAVE)&リクオ~
 ミルトンのことは、以前から人づてに聞いていて、皆とてもいいお店だと言う。何度もライブをやっている山口洋も音楽の神様が降りてくる場所だと言う。
  去年の年末、山口と東北をツアーしたときに、ミルトンママが郡山といわきのライブをわざわざ観に来てくれた。いわきのライブの後はママにも打ち上げに参加 してくれて、アイリッシュパブスタイルの飲み屋に行き、皆で大騒ぎした。ママはとてもオープンで明るい人だった。素直な気持ちで人生を楽しもうとしている 感じが素敵だと思った。そのときに、大手術を直前に控えたKちゃんも一緒だった。若干20歳過ぎのKちゃんは、不安、葛藤、苦しみの中で、自分の置かれた 状況を受け入れ、感謝の気持ちを忘れず、この瞬間を存分に楽しもうとしているように見えた。そのとき自分は、また彼女と再会しなくちゃいけないという気持 ちになった。
 ミルトンでの2daysはKちゃんの退院復帰祝いの意味も込めて企画された。けれど、とても難しい手術であると聞いていたから、彼女が本当に復帰できるかどうかは、誰もわからなかった。つまり願いを込めて企画されたライブだったのだ。
 手術は無事成功し、その後のつらいリハビルを乗り越えて、Kちゃんは先日退院。ライブ当日、元気な姿でミルトンに現れてくれた。あとは、与えれた瞬間を皆で楽しむことである。
  ミルトンには初めて訪れたのに、そんな感じがあまりしなかった。自分が何かとゆるやかに繋がっているような心地よさを最初から感じてリラックスできた。初 めて会ったマスターは、どこかとぼけていて、力の抜き加減がいい塩梅。こういう人って、一緒にいて楽。山口が、お店に来たときからとてもくつろいでいる様 子なのも印象に残った。
 2日間のチケットはソールドアウト。お客さんは皆暖かく、会場にはエネルギーが充満していた。ミルトンが積み重ねて来た10数年の歴史が、こういう空間を育んだのだろう。
 自分や山口をミルトンにつなげてくれたMレコードのMさんは、腎臓結石を押して会場へやって来てくれた。郡山からはラストワルツのマスターとMちゃん、仙台からはお調子者のT、ディスクジョッキーのMさん等も来てくれた。いろんな人達がミルトンに集まって来た。
 新しい出会いあり、劇的な再会ありの、素敵な2日間だった。
 打ち上げの席で、自分が率先してバカをやって盛り上げるのも好きだけれど、この日のように楽しそうに盛り上がっているみんなを眺めているのも、いい感じ。
 また戻ってくる場所ができたなあ、と勝手に思っております。
 感謝。
 さあ、明日からまたレコーディング。





2008年3月20日木曜日

下北沢へ帰る

下北沢 ラ.カーニャ
 豊橋から自宅に戻らず、キャスター付きの旅行バッグを転がしてそのまま下北沢ラカーニャ入り。
 ラカーニャは音楽関係者がよく集まる飲み屋で、週に1、2回の割合でライブも行われている。自分もボトルをキープするぐらいの常連客。ライブをやらせてもらうのは1年半振りくらいかなあ。
  昨日豊橋で打ち上げをしていた時に、100人キャパ未満の飲み屋で、くだけた雰囲気の中演奏しているところを、映像に押さえておきたいなと思い立って、急 遽知り合いの映像チームに電話して撮影をお願いする。PAの藤井さんにもプロトゥールスで録音しておいてもらう。これからは色んな映像を記録しようと思っ ていて、ツアー先でもカメラを回す機会を作るつもり。
 久し振りのツアーを経て開放されている自分と、まだレコーディングの途中で表現者としての 自己に向き合っている緊張感のある自分、2人の自分がブレンドされたようなステージになった。よくしゃべり、よく歌い、よく飲んだ。演奏中は、客席のその 向こうの目に見えない何かとのつながりをより意識していた感じ。こういう集中力は維持していきたいもんだ。
 ライブの後にマスターの岩下さんから関心した様子で「リクオちゃん、ほんと増々しゃべりに磨きがかかってるなあ」と言われる。演奏もよかったでしょ!




★大熊寮氏撮影

2008年3月19日水曜日

豊橋へ帰る

豊橋 HOUSE of CRAZY(ハウスオブクレイジー)
 この日はステージでかなりお酒が進んでしまい、ライブが終わった頃には出来上がってしまった。まあ、力が抜けて、いい演奏ができたような気はする。ハウスオブクレイジーに来ると、ホームグランドに戻って来たようなリラックスした気分になるのだ。
  18年程前に友部正人さんと豊橋を訪れた時に世話してくれたTさんが久し振りにライブを観に来てくれて、打ち上げにも参加してくれる。打ち上げの席で、 18年前の話になり、Tさんから「リクオも友部さんも無口で食事に言ってもほとんど何もしゃべってくれないから困った」という話をされる。
 あの頃の自分は、今よりもずっと人見知りで、ステージでもオフステージでもあまりしゃべらなかった、というか、しゃべれんかった。 
 人は変わるもんである。
 豊橋には有山じゅんじさんのツアーで19年程前に初めて訪れた。マスターの松崎さんとは、その当時からの付き合い。打ち上げの席で酔った松崎さんが「リクオが来てくれるといつも楽しいなあ」と言ってくれたのが嬉しかった。
 思えば、長い付き合いの人が増えたなあ。こういう繋がりが自分の財産。
また元気に再会できますよう。

2008年3月16日日曜日

15歳から質問攻め

兵庫県加古川市 紅茶と英国菓子の店『チャッツワース(CHATSWORTH)』
オープニングアクト:コトリ木
 加古川に移動する前に、森本さんに、自分がライブで初めてギャラをもらった場所である「麦わら帽子」へ連れて行ってもらってランチを食べる。
懐かしいなあ。
  当時の自分はまだ本格的には歌い始めていなくて、バンドにもキーボード奏者としての参加だった。そのバンドのメンバーとの出会いが、自分に与えた影響は大 きい。麦わら帽子でライブをやったときのバンドのドラマーは現在大阪でライブカフェ、マーサを経営している片平である。

 加古川線に乗って加古川へ移動。約1年半振りのチャッツワース。お店には、今回のライブに備えて新しい音響機材が揃えられていた。マスターの岸本さん等の、この日のライブに対する思いがひしひしと伝わる。
 この日もチケットはソールドアウト。狭い店内にぎっしりと人が集まった。お客さんがすぐ目の前。ツアー4日目でうまい具合に力が抜けてきて、いい演奏ができた。
 アンコールではオープニングで歌ってくれたコトリ木さんと1曲共演。
 今年高校生になる岸本さんの息子さんがお店に来ていて、ライブの後に色々と質問を受ける。彼は一昨年オレのライブを観たことをきっかけに、自分の意志でピアノを習い始めたそう。素晴らしい。将来共演ができたらいいね!
★マスターの岸本さん

2008年3月15日土曜日

「ニューオリンズにいるみたい」って言われた

「加東音楽めぐり」リクオ.ライブ
会場:兵庫県加東市 ピンクハウス 0795-42-8139
 「加東音楽めぐり」は市内各地で14日間、計20公演のライブが行われるという、行政が関わる音楽イベント。このイベントの首謀者で、オレのライブをブッキングしてくれた森本さんとは学生時代からの付き合い。大学のすぐ近くの中古レコード屋で森本さんが働いていたのだ。
  自分が大学1回生の頃、森本さんが地元の加東市(当時は滝野社町)にある麦わら帽子という喫茶店で、自分が当時参加していたバンドのライブを企画してくれ たことがあった。音楽でギャラをもらったのは、そのときが初めてだった。嬉しかったなあ。そのライブのお客さんの中には、まだ高校生だったトータス松本君 がいたことを、後年、森本さんから聞かされた。
 自分がプロになってから、森本さんは何度も滝野社でオレのライブを企画してくれた。デビューよりずっと前から自分を見守り続けてくれている貴重な存在だ。
 地元の音楽文化活性化に取り組み続けた森本さんは、行政も巻き込んで、ついには14日間にも及ぶこんな町ぐるみのイベントまで企画してしまった。素晴らしい。こういう人達に自分が支えられていることを誇りに思う。
  この日のチケットはソールドアウト。幅広い世代のお客さんが集まって、ライブは理想的な盛り上がりになった。同じイベントに別の場所で参加していたブラッ ク.ボトム.ブラス.バンドの連中がライブを観に来てくれて、打ち上げにも参加。その席で、ドラムの王子が「今日のライブはまるでニューオリンズにいるよ うな乗りだった。日本でもこんなライブができるんですね」と興奮気味に話しかけてくれた。

2008年3月14日金曜日

ツアー2日目

岡山 モグラ(MO:GLA)
オープニングアクト:OKAYAMA通天閣DUO
 生憎の雨。
 ホテルをチェックアウトした後、昨夜のライブ会場であるポレポレに行き、ゆっくりとンチタイムを過ごしてから、在来線で岡山へ。
  この日のオープニングアクトで演奏してくれたOKAYAMA通天閣は、モグラのオーナーである福武さんと、その息子でモグラで働くヨシキ君からなる親子ギ ターデュオ。去年の11月にアコパルのツアーでモグラを訪れた際の打ち上げの席で、オレが2人に「次回自分がモグラに来る時はオープニンングで演奏してほ しい」とお願いしたのだ。
 2人のコンビネーションは抜群だった。互いに尊重しあいながら、親子で遊んでる感じが素敵で、うらやましくも思えた。
 集まったお客さんの多くはリピーター。楽しみ方をわかっているから、最初からいい空気感。ただ、すっかり伸びた長髪に対するリアクションは微妙。馴染みのお客さんからは「なんかやらしい」と言われる。
 アンコールではOKAYAMA通天閣DUOと「光」をセッション。
 モグラの壁に張られたライブ告知のフライヤーを見ていると、3、4割は知り合いミュージシャン。ああ、みんな回ってんねんなあ。

2008年3月13日木曜日

久し振りのツアー

広島県福山市 ポレポレ 
【オープニングアクト】岡田のりこ
 1週間以上のツアーに出るのは今年に入って初。すごく久し振りのツアーに思える。
 ポレポレでのライブは約2年振り。お店のドアを開けると、マスターのユウさんがいつものように柔らかい笑顔で迎え入れてくれた。なんだかほっとする。すぐにはリハーサルに入らず、ユウさんが入れてくれたコーヒーを飲みながら一服。しばし雑談。
 ユウさんから「これからは体を大事にせにゃいかんで」と言われる。ポレポレに訪れる何人かのツアーミュージシャンから「リクオは飲み過ぎだ」という話を聞いて、心配してくれていたみたいだ。
 ポレポレには心地よい時間の流れがある。それはユウさんの人柄に負うところが大きい。何度でも戻ってきたい場所。
 ライブは空席があったとは思えないくらいの盛り上がりになった。この開放感がやはり好きなんだな。
 いつまでもこんな暮らしを続けていたいと思うし、いつまでこんな暮らしを続けるのだろうとも思う。

2008年3月4日火曜日

芸術vs人生?

いつの頃からか、過去を振り返ったり、体験を反芻したり、定義づけたり、まとめたり、つなげたりする時間が減ってしまったように思う。仕事と遊びに忙しくて空の時間が足りなくなってきた。自分は実人生を、音楽生活を、ツアー生活を、楽しみ過ぎているのかもしれない。

  高田渡さんのことを思い出した。渡さんは、そのキャリアのわりには自作曲をあまり多く残していない。晩年はソングライティングにそれほど興味を持っていな いようにみえた。実際、その音楽以上に、渡さんの生き方とキャラクターの方が、人々にインパクトを残していたように思う。ステージで酔って寝てしまい、ま ともに歌えなくても、お客さんはその様を観て、喜んでいたところがある。
 渡さんは、自分のキャラクター、生き方そのものが自分の作品なのだという自覚があったように思う。実際、渡さんにふれると、音を奏でなくとも、存在そのものが音楽だという感じがした。
 自分は渡さんの後を追いかけているようなところもあるけれど、自分と渡さんはやはり違う。

  今行っているソロアルバムの製作を通して再認識したことの一つは、自分のソングライターとしての才能と可能性だ。結局自分は、自分の才能を疑いつつも、最 終的には確信し続けているのだ。毎日自分の曲に向き合っているうちに、この才能をもっとアピールするべきだし、さらに活用して、引き出してやるべきだと、 今更ながらあらためて思い直した。
 三島由紀夫は「芸術と人生は一つの勝負であり競争である」と語ったそうだ。大層やなあとも思えるこの言葉が最近、心に響く。自分の実人生と自分の才能、芸術性も、もっと切磋琢磨させられる余地があるに違いない。
  今の自分は無意識の内に芸術よりも実人生の方に重きを置いている気がする。実人生に重きを置く理由の一つは、どこかで自分の才能が報われていないという思 いがあるからだろう。今でも多くの人達が、自分の作品やパフォーマンスに対してありがたい反応を返してくれているにも関わらず、自分はどこかで、自分の才 能、表現は理解されていない、評価されていないという思いを抱えて続けている。そういうことを思ってこんがらがるのはしんどいもんである。性格もねじれそ うになる。だからなるべく考えないことにした。
 「色々あったし、これからもあるやろうけど、せっかっくやし楽しむしかないやん」そういう心持ち で暮らして行きたいと思った。実際、生き方の技術は前よりも身に付いた気がする。楽しくしていると、ある程度人も集まってくるもんである。ただ、そういう 生き方に重きを置こうとすることで、何かにふたをしてしまっている部分もあるかもしれない。
 少し前に、ある知り合いから「今のリクオは寅さん的な生き方に比重が行き過ぎているのではないか」というようなことを言われたことがある。うん、それはあるかも。
 実際、寅さんてどんな人やったんやろ。つうか、実在してないけど。明るさ、気楽さの陰に隠された寅さんの心情、ブルーズを想像してみる。寅さんの葛藤をもっと知りたいな。自分の中の寅さん像をもう少しふくらませてみよう。
 
 才能をみせつけようとすると、固くひとりよがりになりがちだから、才能を共有する、才能を引き出し合う、というような感覚を大切にできたらと思う。才能、芸術は1人では成り立たないものだから。
 そう言えば、才能は人を幸せにするって、誰かが言ってたなあ。ただ、人を幸せにする前に、誰かを傷つけたり、生け贄にすることもある気がする。傷つけ合うことを恐れていては、前に進めないことも事実。
 
 曲作りをしていたのだが、完成しなかった。ばらばらのパズルがうまく組み合わず、途中で頓挫した感じ。天に繋がるに近道なし。
 焦らずじっくりと。

2008年3月2日日曜日

無意識からのメッセージ

昼前、夢の途中で目が覚めた。夢の舞台は自分の高校時代。
 布団の中で、内容を思い出そうと試みたのだが、既に大部分は忘れてしまっていた。ただ、夢のせいで、自分が高校時代に味わったあのなんともいえない孤独感がよみがえってきた。寝起きなのに妙に頭が冴えだして、そのまま布団の中で、物思いにふけり続けた。
 無意識の時間が自分に何かを気付かせ、思い出させようとしているらしい。睡眠は大切だなと思う。

  特に高校2、3年の頃、自分は孤立していた。次第に学友との付き合いが疎遠になり、行き場がなくなってしまった。それが辛かったのかというと、一概にそう とも言えない。寂しさ、やるせなさ、もどかしさを感じながらも、孤独であること、独りでいることの自由さにも気づき始めていたように思う。
 あの 頃の自分はどこにいても、独りでぼんやりと空想の世界にひたってばかりいた。時々、生きること、死ぬこと、有限、無限について想いを巡らせて、恐れおのの いたりもした。言葉はなかなか見つからなかったけれど、メロディーは既に聴こえ始めていた。ただそれを形にする方法をよく知らなかったし、勇気もなかっ た。
 当時の感触、感覚を思い出そうとすると、なんとも言えず胸がしめつけられる。思い出したいような思い出したくないような感じ。まだ何も始まっていないのに、既に喪失感のようなものがあった気がする。自分の体と心の変化に対する戸惑いもあって、アンバランスな時代だった。
 今になって振り返ってみると、自分の創作の原点の一つが、あの当時にあったように思う。孤独な時間は、自分自身に向き合う時間でもあった。それによって自分の想像力が高まっていった気がする。あの頃の“ため”が今に生きていることは間違いない。

 今日は、本を読んだり、ぼんやりしたり、考え事をしたりしながら、言葉を自分にたぐり寄せる作業を少しずつ進めた。