2020年12月20日日曜日

「反戦」と「参戦」 ー ウッディ・ガスリー「This Machine Kills Fascists」から考える

 音楽評論家で音楽プロデューサー、エンジニアでもある高橋健太郎さんが、4年前にTwitterで、ウッディ・ガスリーのギターに書かれていた言葉「This Machine Kills Fascists」について、連投で解説されていたことを思い出して、そのまとめを久しぶりに読み返してみた。

https://togetter.com/li/1058954

ウッディ・ガスリーは、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンに多大な影響を与えたシンガー・ソングライターで、プロテストソングの源流ともなったと言われる人物。

以下は、その連投の中の一文。

「打倒ヒットラーのためには銃をも取ろう。そういう姿勢でステージに立ち、歌っていることをウッディはギターに描いて示したのだ。もはや、反戦歌を歌っている時ではない、という緊急のメッセージとして。」

「This Machine Kills Fascists」という言葉は「ペンは剣よりも強し」的な意味合いよりも、「反戦」の立場から「参戦」への「転向」宣言だというのが健太郎さんの解釈。実際にその後のウッディは軍に入隊するそうだ。

「判断保留して考え続けたり、自己を問い直したり、してばかりのインテリに対して、もう臨界点は越えた宣言したのが、ウッディ・ガスリーの『This Machine Kills Fascists』だったのかもしれない。 」

健太郎さんのこの一文には考えさせられる。

自分は、今のこの状況の中で、「考え続けたり、自己を問い直す」作業の必要性を痛感しているけれど、さらに状況が悪化すれば、こういった考えや態度は、役立たずの傍観者として、批判や糾弾の対象となることを覚悟しなきゃいけないと思っている。

鶴見俊輔は、「私は、戦争中から殺人をさけたいということを第一の目標としてきた。」と語り、人間同士が殺しあうことの不条理に注視し続けた。

遠藤ミチロウさんは、「おれは誰も殺したくなんかない」とステージで叫び続けた。

「反戦」の立場をとる自分は、「限界点」を超えた戦争時でも殺人を否定し続けることができるだろうか。

こういった考えが「綺麗事」とされる時代が、既に始まっていると思う。

ー2020年12月20日(日)