2018年9月19日水曜日

点と線の縁 - 大柴広己君のこと

今から10年前、当時まだ20代半ばだったシンガーソングライターの大柴広己君から連絡があり、「煮詰まっているので、リクオさんのツアーに同行させて下さい」といきなり直談判された。
彼とは、大阪のイベントで何度か一緒になったことはあったけれど、キャリアも年齢も随分離れていて、正直、当時は一緒にツアーを回るような関係性ではなかった。きっと、こちらに電話してくるのに勇気がいっただろうと思う。面白い奴だなあと思った。
その電話の翌週だったか翌々週だったか、はっきりと覚えていないけれど、決まっていた4ヶ所の四国ツアーに同行してもらうことにした。その実力はわかっていたので、急遽、各会場のオープニングアクトを彼にまかせることにした。

当時の大柴君はメジャーレーベルと契約したものの、思うようなレコーディングや音楽活動ができず、今後の活動のあり方に随分と悩んでいた様子で、ツアー中に色々と相談に乗った記憶がある。ただ、彼は悩みの最中にあっても、その悩みにすべてをとらわれることがなく、初の地方ツアーをしっかり満喫して楽しんでいるように見えた。その物怖じせず、オープンな姿勢を見て、彼はツアー暮らしが向いていると思った。

あれから10年の歳月を経て、今週末から2人で各地11ヶ所を回るツアーに出ることになった。車の運転は10年前と同じように大柴君にお願いするけれど(オレ、免許持ってないんです)、もちろん今回はオープニング扱いではなくがっつり2人のジョイントライブとしてのツアーだ。
この10年の間に大柴くんもすっかりツアー暮らしが身につき、日本各地で彼の話を聞くようになった。ツアー先で誰かが楽しそうに大柴君の話をしているのを聞くと、こちらも嬉しくなる。大柴くん、愛されてるなあと思う。

彼の音楽活動を見ていると、自分よりも若いミュージシャンを発掘して率先して共演したり、フェスやイベントを企画したり、「場」をつくり「縁を繋ぐ」ことにも、とても自覚的だ。それは、自分も心掛けている姿勢なので、関わりある30代のミュージシャンの中に、そういう志を持って実践している人間がいてくれることが嬉しくて頼もしい。

今回の2人ツアーには、10年前に一緒に回った街や会場も含まれている。愛媛県八幡浜ライブの主催者は、10年前の2人ツアーで初めて大柴君を知って以来、彼の愛媛ライブを企画し続けている共通の知人だったりする。大柴くんの紹介で初めて演らせてもらう会場も多い。
10年前の縁が今も続き、さらに繋がり広がり続ける中で、今回のツアーが実現したことが嬉しい。多いに満喫して楽しもうと思う。大柴くん、よろしくね。
ー2018年9月19日(水)

★リクオ&大柴広己「点と線の縁」
●9/22(土)名古屋・ハルマカフェ  オレ
●9/23(日)大阪枚方・ハングオンカフェ
●9/24(月)大阪谷町四丁目・スキッピー
●9/26(水)福岡・TheVoodooLounge
●9/28(金)愛媛八幡浜・スモーキードラゴン 
●9/29(土)高知・Sha.La.La(今年移転) 
●9/30(日)高松市・Bar RUFFHOUSE 
●10/1(月)岡山・MO:GLA(モグラ) 
●10/8(月)山形米沢・ARB 
●10/9(火)岩手盛岡・すいれん 
●10/10(水)秋田・カフェブルージュ  
ライブ詳細:http://www.rikuo.net/live-information/


2018年9月14日金曜日

何をあきらめて、何をあきらめていないのか - 打ち上げの席でケーヤンの話を聞いて考えたこと

8月後半から関西と山陰地区9ヶ所を回ったケーヤン(ウルフルケイスケ)との6年振りの2人ツアーは、どの公演も盛況で、ライブ後半では、お客さんが総立ちになるのが常だった。これまでのケーヤンとのツアーの中でも、最も弾けたステージのツアーになった気がする。まるで、2人で最小編成のロックバンドをやってるような気分だった。
最近のケーヤンからは、自分が決めたこと、選んだことをやっている開放感と決意みたいなもんを勝手に受け取っている。

ツアー2公演め、奈良公演での打ち上げの席で、ケーヤンがしてくれた話が印象に残っていたので、ブログに残しておくことにした。
その日の打ち上げは、少人数だったこともあり、落ち着いて色んな話ができた気がする。
居酒屋での内々の打ち上げが始まって、それぞれに程よくアルコールが回り始めた頃、どういった話の流れだったのかは思い出せないのだけれど、「あきらめることの大切さ」が話のテーマになった。
ケーヤンは、自分が深く悩んでいた頃、ある尊敬する先輩ギタリスト某さん宅にしばらく居候させてもらっていた時の話を聞かせてくれた。そのときに某さんから「オマエはチャーになるのはあきらめて、チャボさんを目指せ」とアドヴァイスを受けたことが、自分が変わる1つのきっかけになったそうだ。
実は、ケーヤンと自分が再会するきっかけをつくってくれたのも、その先輩ギタリスト某さんなのだ。

今のケーヤンは、「自分ができることをやる」ということに自覚的なんだと思う。それは音楽的な話だけではない。さまざまな経験を経て、自分に合ったやり方、自分がやりたかったこと、自分ができることがはっきりしてきたんだと思う。
今のソロ活動は、ケーヤンが自らの意志で選択した道なのだ。話を聞いていて、「ケーヤンはちゃんといろんなことを前向きにあきらめることができたんだな」と思った。じゃあ、自分はどうなんだろう?

自分が今のような草の根のネットワークに頼ったツアー暮らしをするようになったのは、メジャーレーベルとの契約が切れて、デビュー当時からお世話になっていた事務所からも離れざるを得なくなったことがきっかけになっている。その時点で自分が音楽で食べてゆくための選択肢は、スタジオ仕事やツアーのサポートなどのバックミュージシャンとしてやってゆくか、フロントマンとしてシンガーソングライターとして、ツアーで細かく全国の数十人キャパのお店を回るか、その2択に限られていた。
当時は、サポート仕事も結構やらせてもらっていたのだけれど、この仕事をメインにするには技術が足りないし、もっと意識を変えなきゃ、続けていくことは難しいと自覚していた。自分はそんなに悩むことなく、後者に軸足を置くことにした。

このインディペンデントな立ち位置でのツアー暮らしは、思いの外自分に向いていた。ツアー先々でのダイレクトな反応、さまざまな出会い、日々受け取る実感が、数字に打ちのめされていた自分の心の支えになってくれた。それは、今も変わらない。
それでも、本格的にツアー暮らしにシフトチェンジした当初は、ファンではない人達の前で演奏することに戸惑ったり、空席だらけの客席に落ち込んだり、毎日続く打ち上げが苦痛になったりすることも多かった(今は率先して打ち上がってます)。
ツアーの移動中、旅の空をながめながら、もう全てを投げ出してしまいたいような気持ちになったこともある。
けれど、ツアー暮らしを続けるうちに、人と関わること、ライブすることが以前よりも楽しくて、より好きになっていった。自分は追いつめられて、環境に適応したんだと思う。それと平行するように、自分の音楽性やライブに向かう姿勢も変化していった。

今のケーヤンと自分の活動スタンスは重なる部分が多いけれど、この活動に至るまでのプロセスには違いがある。ケーヤンは、メジャーで成功した上で、自らの意志でこの活動を選んだけれと、自分の場合は自らの意志で選んだとは言い切れない。少ない選択肢の中で自分を適応させることで役割を見つけたというか、役割を与えてもらった気がしている。

長くツアー暮らしを続ける中で、50代半ばを迎え、残された時間を考えるようになり、「このままでいいのかな」との思いがふくらみ始めている。というか、多分、このままではいられないのだろう。
今の自分は、またこれまでと違ったチャプターに入ったような気がしている。今もツアー暮らしは大好きだけれど、このままツアーの「楽しさ」に埋没していいのだろうかとも思うのだ。
いや、本当は楽しいことばかりじゃなくて、ツアー先で、空席だらけの客席に自尊心を傷つけられ、やるせなく悔しい思いをすることが今だってある。その悔しさに蓋をしていいのかなと思う。
つまり、自分はまだちゃんとあきらめきれていないのだろう。

自分が何を感じて、何が好きで、何がやりたくて、何を求めているのか、正直に自分の心の底に降りてみようと思う。
ケーヤンが吹っ切れて見えるのは、正直にやろうとしているからだと思う。自分も、いつでもそうありたい。この時期に、2人でツアーを回れたことは、自分にとってはとてもタイムリーだった。
ー2018年9月14日


10年振りにリリースしたシングルCDの1曲目「永遠のロックンロール」でケーヤンが素晴しいロックギターを弾いてくれてます。聴いてもらえたら嬉しいです。オレなりの音楽讃歌です。このシングル曲のミュージックビデオ、今のバンドライブの空気が伝わると思います。ケーヤンもオレも、みんないい笑顔。

リクオ『永遠のロックンロール』Music Video
https://youtu.be/SY9RnyDZVWI

リクオ『海さくら』Music Video
https://youtu.be/dQ5bYwULpA0

ケーヤンの会場限定発売アナログシングル「ミュージック/アホみたい」にピアノとコーラスで参加しました。アナログレコードにぴったりのご機嫌なバンドサウンド。名曲「ミュージック」がバンドサウンドでリリースされるのも嬉しいですね。ぜひ、会場で手に入れて下さい。https://www.ulfulkeisuke.com/item/

2018年9月8日土曜日

君と僕とサンダーロード ー 祝・マーサ・リニューアル・オープン

毎年8月に行われていた恒例の大阪・マーサでのライブは、お店の改装工事のために今年は9月開催となった。
お店に足を運ぶのは、この日が改装後初だったので、どんな風に生まれ変わっているのか、ちょっとドキドキした。
リニューアルしたマーサは、これまでの店の雰囲気を充分残しつつ、ライブカフェとしてよりカスタマイズされたつくりに変化していた。客席からステージが見やすくなって、何よりも音がさらに良くなったのが嬉しかった。ライブカフェとして、今後さらに評判を呼ぶことは間違いないと思う。


個人的な思い入れで、この日のリニューアル記念ライブまでに完成させたかった曲があり、前夜まで歌詞とメロディーの推敲を重ねた。
マーサ代表の片平社長とは学生時代に一緒にバンドをやっていた仲なので、その頃の思い出を元に、当時のバンドのボーカル&ギター、曲作り担当だった外村伸二の歌へのオマージュも込めた歌が書けたらと考えていたのだ。なんとかぎりぎり曲としてまとめることができたので、アンコールで初披露させてもらった。
「君と僕とサンダーロード」というタイトルをつけたのだけれど、ちょっと恥ずかしい感じもあって、タイトルも歌詞もまだ変更があるかもしれない。「サンダーロード」はスプリングスティーンの曲からの引用。

片平や外村らとバンドをやり始めて、もう33年以上の歳月が流れた。彼らとのバンドで過ごした数年間で、自分は何か確信を得た気がする。音楽と共に生きてゆくための鍵をあの数年間で手に入れたんだと思う。

随分と時が流れ、僕らは「ハイウェイへの鍵」を手にすることはなかった気がするけれど、今も音楽で高鳴り続けている。ただ、あの頃とは歌の響きが少し変わった。
あの頃好きだった歌は、当時よりもずっと「痛みの記憶」を刺激するようになった。その記憶が強過ぎると、聴くのがつらくなる。けれど、その痛みをこえたときに、あの頃聴いていた歌の意味が今になってわかった気がして、あらたな高鳴りを覚える。僕らは今も痛みとともに高鳴り続けている。
暮らしとともに、人生とともに音楽はあるのだと実感する。33年を経て、それぞれがそれぞれのやり方で音楽と関わり続け、僕らは音楽を通じて今も繋がってる。そのことが嬉しく誇らしい。
新しいマーサのステージで歌いながら、物語はまだ続いているのだと思った。

ゲストの蠣崎未来ちゃんとは初共演。心のやわらかい部分に深く沁み入る歌声だった。
彼女を紹介してくれた片平社長の目利きはさすがだと思った。思えば、ハンバートハンバートや杉瀬陽子ちゃん、優河ちゃん等を紹介してくれたのも社長だった。ん?女性ばっかりやん、社長。
未来ちゃんとのアンコール・セッションでは、また彼女の違った側面が感じられて、そのポテンシャルの高さを存分に感じた。きっと彼女のブルースは、これからさらに解放されてゆくのだろう。こうやって若い才能と共演できるのは、ありがたいことだ。

大学時代の軽音仲間の同級生が夫婦でライブを観に来てくれて、ライブ後にメッセージを送ってくれた。「今週は、関西を直撃した台風でお客さんの会社が大打撃を受けたり、お客さんの自宅が半壊したり、たくさん悲しいことがあったけれど、リクオのライブで元気になった」そんな内容だった。
直接の被害は少なくても、災害続きで心のダメージを抱えながら、この日のライブに足を運んでくれた人がきっと何人もおられただろうと思う。もし一時でも、気持ちを楽にしてもらえたなら嬉しいです。


各地で被災された方々には、この場をかりて、心よりお見舞い申し上げます。一日も早く日常の暮らしに戻れることを願っています。
疲れがたまってくる頃かと思います。自分をいたわってやりましょうね。
各地で、皆さんと再会できることを楽しみにしてます。また。
ー2018年9月8月