2021年3月19日金曜日

コロナ、原発後の世界 ー 伊方原発の差止め取り消しに思う

東日本大震災、福島第一原発事故から10年。

今年は、制作やライブ以外に、この10年間の自分の活動や思考を振り返り、まとめる作業にも取り組みたいと考えている。このコロナ禍に、新しい歩みを始めるためにも、立ち止まり振り返る時間を大切にしたい。

中川敬君と2人での震災後の10年を振り返る配信トークライブの企画や、5月1日に予定している被災地である南三陸志津川からの配信ライブ、そして「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」の弾き語りバージョンのYouTube公開は、そういった流れの一環だ。https://youtu.be/PU5D9SBz6NI 

この10年をまとめるような書籍も出版できたらと考えている。

今月に入ってからは、データ保存していた原発に関する記事や資料、自分のブログでの原発に関する発言を読み直す作業を続けている。

そんなときに、運転差し止めを命じられていた伊方原発3号機に対して、広島高裁仮処分異議審が、一転、運転を認める決定を下したというニュースが飛び込んできた。そのニュースは、自分にいくつかの記憶を蘇らせた。

今から9年近く前、四国ツアーの途中に、愛媛県八幡浜の知人の案内で、稼働停止中の伊方原発を訪れ、その建屋内部を見学してまわったことがあった。

愛媛松山から車で約1時間半、愛媛の西先端の佐田岬半島、周りは海と自然ばかりの風光明媚な僻地に、伊方原発はひっそり存在していた。

多分、地元の人以外で伊方原発の所在地を把握している人は、ごく少数だろう。






日本の54基の原発はどこも、産業が乏しく経済力の低い列島の周辺部に存在している。その電力は、その地域のためではなく、大量のエネルギーが消費される都市部のためにこそ必要とされる。

原発の問題に関しては、安全性や放射能の問題だけでなく、「中央による地方の支配と搾取」という構図にも目を向けるべきだと思う。

この構図の中で、都市部で暮らす自分達は搾取する側であり続けた。自分達の文化と暮らしのために、経済を盾に、地方の文化や風土を蔑ろにして、コミュニティーを分断し、放射能の危険のリスクも押し付けてきたのだ。

事故や隠蔽の責任の所在や罪は明らかにするべきだし、責任の濃淡はあるにしても、原発の問題は、都市の暮らしを享受し続けた自分自身の問題としても捉えるべきだと思う。

「そんなことを言いながら、この10年間、お前は原発にどれほど向き合ってきたというのか」もう1人の自分がそう問いかける。自分も悲しいくらいに忘れっぽい人間の1人だ。

原発の問題は、このコロナ禍に炙り出されたさまざまな本質的な問題と地続きなんだと思う。

中央集権、都市集中型の生活様式、市場原理に比重を置き過ぎた価値観が限界が近づいていることを、コロナがあらためて伝えてくれた気がする。本当は、震災と原発事故が起きた10年前が、価値の転換をはかる大きな機会だったと思う。

だから、今のこの時期を大切にしたい。今がチャンスでもあると思う。

この1年を経て、日々の中で「足るを知る暮らし」や「シェアする関係」を意識する機会が以前よりも増した気がする。それは、コロナ禍でよかったことの一つだ。

できないのなら、その状況の中でやれることを見つけてきたし、敢えて少し無理をして人との共同作業を心掛け、足下のごく小さな経済を回すことも意識してきた。結果、それなりの成果も得られたと思う。

我慢や辛いばかりの1年では決してなかった。収入は減っても、やり甲斐や楽しみは減らなかった。新しいやり甲斐や楽しみが見つかった。

不安は消えないけれど、希望のほうが大きい。

この光を大切にしたい。コロナ、原発後の世界は、以前とは違っている方がいいと思う。

このブログを書いている最中に、今度は、水戸地裁が日本原子力発電に対し、東海第2原発の運転差し止めを命じる判決とのニュースが入ってきた。時代の過渡期を象徴するような1日なのかもしれない。

これからのために、今日という日を記憶に留めておきたいと思う。

ー 2021年3月19日(金)