2020年5月2日土曜日

清志郎さんの命日に考えたこと

清志郎さんの命日に、自分が7年前に高知新聞に寄稿した清志郎さんヘの思いを綴った記事を読み直した。

忌野清志郎に捧げるレクイエム6
リクオ「自力で泳ぎ続ける勇気 」 2013年6月24日高知新聞掲載

〈抜粋〉
「自分が、清志郎さんの反原発ソングから受けた影響は、どんな状況下でも、自粛することなく、フットワーク軽く、勇気を持って、その時に歌いたいことを歌う、という『姿勢』の部分が大きかったのです。
 10代後半から清志郎さんの歌を聴き続け、短期間でしたがそばにいさせてもらったことで、多くを学びました。自分にとって、清志郎さんは、自身を写す鏡のような存在でもあります。清志郎さんについて考えることが、今も、自分を見つめ直す1つの機会になっています。
 清志郎さんから学んだのは、『正義』ではありません。他者を受け入れ、多様性を認め、時には、自分や自分以外の誰かや社会が唱える『正義』を疑い、ユーモアを忘れず、誤解を恐れず、表現の自由を求め、自力で泳ぎ続ける。こういった生きてゆく上での『態度』と『勇気』です。そしてもちろん、音楽の素晴らしさと無限の可能性を教えてもらいました。清志郎さんは、生き続けています。」

社会状況が変化する中で、あらためて自分の文章を読み直して、『正義』のくだりが少し言葉足らずに感じた。
清志郎さんが疑い続けたのは、あくまでもカギ括弧つきの独りよがりな『正義』であって、本人は決して『相対主義』に身を隠すような人ではなかった。自分がおかしいと思う物事に対しては、批判覚悟で声を上げ、音楽でもその態度を示し続けた人だった。

清志郎さんが旅立って11年後のSNS上では、すべての正義や理想を危険視して無効化しようとするような言説が多く見られるようになった。それは、独善的な『正義』と同様に危険な傾向に思える。その態度の陰には偏見や排外が透けて見える。

特に、この状況下では、頑なな『正義』に陥らないよう、その言動に慎重になりつつも、やはり正しいことをやりたいし、機を見て声も上げ続けようと思う。
その正しい行為とは、イデオロギーなんて大げさなものに依拠するのではなく、満員電車の中で見知らぬ人に席をゆずったり、痴漢行為を見て見ぬ振りしない、そんな態度の延長にあると思っている。
自分の本質は自分本位だと自覚しつつ、利他主義的な態度が究極の自分本位なのだと想像して、この状況を乗り越えたい。

清志郎さんについて考えることが、結局自分のあり方について考えることにつながってゆく。なくなる前も、今も、これからも、自分にとって清志郎さんは、ずっと、そんな存在である続けるのだろうと思う。

ー 2020年5月2日(土)


★リクオ&忌野清志郎共作曲「胸が痛いよ」本日5/2公開
リクオが自宅からのピアノ弾き語り動画をYouTubeに公開してゆくシリーズ「リクオ&ピアノ from My Room」第2回目として、リクオと清志郎さんの共作曲「胸が痛いよ」が公開されました。
https://youtu.be/w80HS89nE7E

★新曲『君を想うとき』rikunetにて5/1より公開中
https://youtu.be/i16LE065BRc

【リクオ無観客有料配信ライブ視聴受付中】
リクオ初の試みとして4月29日(水祝)に行われた無観客有料配信ライブは、予想を大幅に超える視聴者数と反響がありました。ありがとうございます。
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■申し込や視聴のやり方に不安を感じる方のためのページ
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1 件のコメント:

  1. ありがとうございます。清志郎さんは、常に、歌いたいことを歌われていた気がします。これ、出来そうでなかなか出来ないし、でも、とても肝要なことだと思ってます。この陰鬱な時代に、清志郎さんと遠藤賢司さんのおふたりには特にまだ生きてて歌っていてほしかったです。どんな歌が生まれたことだろう、どんな情報を発信していただろうか、と妄想します。

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