哲学者、評論家の鶴見俊輔氏が亡くなられた。
自分の両親は、若い頃から鶴見氏のお世話になり、京都の実家の本棚には氏の著作が多数並べられていた。自分がそれらを本棚から取り出すことはほとんどなかったけれど、氏は自分にとってもどこか身近で親しみを感じさせる存在だった。
若かりし頃の両親は、鶴見氏らによって戦後すぐに創刊された「思想の科学」に、’60年代から’70年代にかけて、何度か文章を書いたそうだ。母によると、鶴見氏はとにかく褒め上手で、掲載された母の文章をいつもベタ褒めしたくれたと言う。母はそれが嬉しくて、氏から褒められたことを何人もの同世代の知人に話したところ、皆が一様に何かしらのお褒めの言葉を氏から受けとっていたことが判明し、少しがっかりしたそうだ。鶴見氏の人柄を表すエピソードに違いない。
鶴見氏は、「思想の科学」を創刊するにあたってまず、「大衆は何故、太平洋戦争へと突き進んでいったのか?」という問いをテーマに掲げ、「言葉のお守り的使用法について」という論文を発表する。その中で氏は、戦時中に国家が扇動的に用いたキャッチフレーズを「お守り言葉」と表し、以下のように語っている。
「言葉のお守り的使用法とは、擬似主張的使用法の一種であり、意味がよくわからずに言葉を使う習慣の一つである。軍隊、学校、公共団体に於ける訓示や挨拶の中には必ず之(これ)らの言葉が入っている。」
「大量のキャッチフレーズが国民に向かって繰り出され、こうして戦争に対する『熱狂的献身』と米英に対する『熱狂的憎悪』とが醸し出され、異常な行動形態に国民を導いた」
「政治家が意見を具体化して説明することなしに、お守り言葉をほどよくちりばめた演説や作文で人にうったえようとし、民衆が内容を冷静に検討することなしに、お守り言葉のつかいかたのたくみさに順応してゆく習慣がつづくかぎり、何年かの後にまた戦時とおなじようにうやむやな政治が復活する可能性がのこっている」
ここで言われる戦時中に用いられた「お守り言葉」「大量のキャッチフレーズ」とは、例えば「八紘一宇(はっこういちう)」「翼賛」「鬼畜米英」「国体」などだ。政府はこれらの「お守り言葉」を使って政策を正当化し、戦争の実体を陰蔽した。
こうした言葉の多用は集団の思考停止とヒステリックをもたらした。やがて「お守り言葉」は、大衆を黙従させ、煽動に導く大きな力を持つようになった。自分は、今の日本において、こうした歴史が繰り返される不安を感じている。
「積極的平和主義」「安全保障関連法案(安保法案)」「戦後レジームからの脱却」「アベノミクス」「美しい国」といった言葉を生み出してきた安部政権は「お守り言葉」の使用に自覚的な政権だと思える。それらのフレーズが定着することによって、言葉の意味が書き変えられ、実体がうやむやにされたまま事が進んでゆく不安を覚える。
今月の7月15日、「安全保障関連法案」が衆院平和安全法制特別委員会で可決された。憲法違反との批判が渦巻く中での強行採決だった。
自分は、「安全保障関連法案」は、中国を第1の「敵」とみなし、アメリカへの追従を深め、「戦争可能な国」を目指すものだと考えている。しかし、国会の審議では、どれだけ時間を費やしても、法案の本質や本音がなかなか明らかにされない(今日の参議院での審議で、安部首相は初めて中国を名指しして、その脅威を訴え、法案の必要性を説いた。今後の中国との外交にも影響を及ぼしそうだ)。質問ははぐらかされ、答弁が質問の答にならない。話に具体性がなく、言葉はうわすべるばかりだ。元々双方が分かり合えないことを前提にしているから、対話が成り立たない。自分は、国会の審議に象徴される「対話が成り立たない」状況に、日本の民主主義の危機を感じる。
「安全保障関連法案」に反対の立場をとる側は、この法案を「戦争法案」と呼ぶ。その言葉は、「お守り言葉」から奪われた意味を取り戻して、隠された本質をさらけ出し、自分達の身を守るために生まれた言葉だと思う。
先週、京都の実家に帰ったときに、母と姉と自分の3人で、「戦争法案」という言葉の使用法について議論した。
戦争体験者である母は、今の時代の空気と戦時中を重ね合わせて大きな危惧と憤りを抱いており、「安全保障関連法案」には強く反対の立場である。母はこの法案の本質を伝えるために「戦争法案」という言葉を積極的に使用するべきだとの立場だった。
自分は、法案に反対の立場を取りながらも、自らが「戦争法案」という言葉を進んで使用することには躊躇があった。実家に帰る数日前、法案に反対する国会前での抗議集会に参加した時も、高揚の中で連呼される「戦争法案廃案」のシュプレヒコールには加わることなく、その光景を共感と戸惑いの入り交じった思いで眺めた。その場において「戦争法案」という言葉は、有無を言わさぬ印籠のような存在にも感じられた。
抗議集会の場には、自分と同じようにシュプレヒコールには参加しない人も大勢いた。今の国会前抗議集会には法案に反対するという思いの元に、一括りにできないさまざまな人間が集まっているのだと思う。
実家での議論の中で、自分がなぜ「戦争法案」という言葉の使用に躊躇を感じるのかを、うまく言語化できないことがもどかしかった。その言葉を感情的に多用することで、レッテルばりされることを避けたいとの思いが自分の中にあったことは確かだ。レッテルばりされ、決めつけられる時点で対話の扉は閉ざされてしまう。
社会的な発言をする上で、面倒に巻き込まれたくないという警戒心が「戦争法案」という言葉の多用をためらわせた面もあったと思う。けれど、それだけでは、自分が躊躇する感覚のすべてを説明することができなかった。
ツアーから戻った後の先週末、自分は再び国会前の抗議集会に足を運んだ。法案への反対を表明するためだけでなく、歴史的な現場に立ち会いたい、2次、3次情報ではなく、この目で状況を確かめたいとの思いも強かった。
集会の規模が大きすぎて全体を把握することは難しかったけれど、自分の見た限り、場の高揚は前回を上回っていた。同時に、警察の警備も厳しさを増し、緊迫の度合いの高まりを感じた。
終了予定時間の午後9時を超えても抗議集会は終わらず、集会を主催するSEALDs(シールズ)の学生達による激しいシュプレヒコールが、そこから途切れる事無くおよそ30分間続いた。コールが繰り返される度に、彼らの「怒り」のエネルギーがどんどん増大してゆくように感じられた。そのエネルギーにまぶしさと頼もしさと圧力を感じた。もはや、その場に「祈り」の入り込む余地はないように思えた。彼らの主張と叫びは大きな力を持って広がっていた。
正直に言うと、その場にいた自分は、この増大するエネルギーに「恐れ」の感情も抱いた。自分は元々、集団の高揚に対する恐怖心が強く、集会やデモには向かないタイプなのだと思う。
自分は、この「怒り」による巨大なエネルギーを受け取る政権側のプレッシャーを想像した。これだけの群衆に国会の回りを取り囲まれたら、やはり怖いと思う。与党の政治家までもがシールズに関するデマを流している状況は、その「恐れ」の裏返しのようにも思える(それにしても、著名な作家や経済学者、政治家までもがシールズやデモや集会に対するひどいデマを流し、それらを多くの人達が鵜呑みしてネット上で拡散する状況には、暗澹とした気分になる)。
この日も当然「戦争法案廃案!」のシュプレヒコールは幾度となく繰り返され、自分はやはりコールには参加しなかった。シールズの若者達によっていくつかのスローガンがローテーションになって繰り返される中で、特に印象に残ったのは、「民主主義ってなんだ」「民主主義ってこれだ」という2フレーズがセットになったコールだった。
「問いかけ」の後にはすぐ「答」が用意されていた。自分はその場の「答」よりも「問いかけ」を持ち帰ることにした。「民主主義」が何であるかの「答」は1つではない。その「答」をそれぞれが自分なりに考え、自分の言葉で見つける作業も大切だと感じる。
集会に参加する前に鶴見氏の訃報を知ることで、自分は氏の定義した「お守り言葉」のことを思い出していた。そうすると、今まで言葉にできなかった感覚の正体が少しずつ明らかになってゆくように思えた。
自分は「戦争法案」という言葉を否定しない。しかし、「お守り言葉」から自分達の身を守るために生まれたその言葉も、「お守り言葉」としての機能を有しているのだと思う。「戦争法案」という言葉の影響力が強まる程に、思考が単純化され、対話が奪われ、煽動の危険性が高まることも忘れずにいたい。あくまでも言葉に対する問いかけを続けてゆくべきだと思う。
戦後を象徴する「民主主義」という言葉も、その問いかけを留めた時点で、都合のよい「お守り言葉」として利用される可能性を含んでいるのだと思う。ある人は「多数決こそが民主主義だ」と言う。しかし、その多数決の中からも「独裁」が生まれた歴史を忘れるべきではない。「民主主義」とは何であるかを問い続けたいと思う。
出来合いのフレーズや主義主張に寄るばかりでなく、体験し、自分の頭で考え、自分なりの言葉や伝え方を探し続けることの大切さを、この時代の中でより強く感じる。そのためには、他者との出会いと経験に基づく実感が不可欠だ。
そういった積み重ねが民主主義の根幹を支え、対話の可能性を生み出すのだと思う。自分は、対話が成り立たなければ民主主義は終わると考えている。立場の違う相手にも伝わる言葉を探したいと思う。
作家の高橋源一郎氏は、週刊プレイボーイ誌のインタビューの中で、http://wpb.shueisha.co.jp/2015/07/14/50697/3・11が明らかにしたのは、この国の「対話の非存在」であり、この国にはそもそも民主主義は存在しなかったのでないかと問題提起している。しかし、氏はそのことを悲観するのではなく、むしろそこに気づくことで、民主主義を探し始めるきっかけになるのではないかと語る。
この国に「民主主義は存在しなかった」かどうかはさておき、「民主主義を探し始める」という姿勢に共感を覚える。
自分は、戦後の日本が民主主義の理想を体現してきたとは思わない。戦後民主主義を支えた「民主」「自由」「平和」「人権」といった「お守り言葉」の実体を検証し直す作業も必要だと考える。
それぞれが「民主主義」を問い直し、その考えを持ち寄り、時にはぶつかり合いながらも、ともに「民主主義を探す」作業を丁寧に続けることが、風通しのよい未来を切り開いてゆくのではないかと思う。
ー2015年7月29日(水)
安保法案への反対が高まる中で、いちばんだいじなのは
返信削除それを単純なブームに終わらせないことだと思います。
自分の選択する言葉や態度こそ、誰かの真似ではなく、
理由と手触りのある自分自身のものであってほしいと思う。
自分の頭で考えることなしに民主主義などありえないのだから。
若者が爆発させている様々なエネルギーを無駄にしないためにも、
上滑りしない、自分の考えと言葉でやり取りする議論と、
それが可能な風通しの良い「場」を作ること。
今、若者を見守る大人がやるべきことはその場作りではないかと感じています。