2016年8月2日火曜日

冷静に恐れる ー ショッキングだった2つのニュースについて

この1週間で特にショッキングだったニュースが2つある。
1つは、今回の都知事選で、特定の民族に対するヘイトデモとヘイトスピーチを繰り返してきた団体の元代表者が10万を超える票を集めたことだ。団体の主張の背後にこれだけの数の市民が列をなしていると想像すると、何ともやりきれず、恐ろしさを感じる。多分、この流れは日本だけでなく世界的なもので、残念ながら、こういった排外主義はこれからもまだ広がり続けてゆくのだろう。
自分は今まで、ブログやSNS上で、不安を煽るような物言いを避けるよう心掛けてきたつもりだけれど、都知事選でこのような排外主義者が一定の支持を得たことや、トランプ氏がアメリカの大統領になりかねない状況に対しては、慣れることなく冷静に恐れるべきではないかと思う。自分の感覚では、もう1線を越えてしまっている。これは思想やイデオロギー以前の問題だ。

今年に入って、日本のメディアにもしょっちゅう登場するようになったトランプ氏を見続けていると、自分が次第に”トランプ慣れ”していることに気づく。彼に対する恐れが以前よりも薄まっているように感じるのだ。
特にテレビメディアは、意図的で有る無しに関わらず、彼のチャーミングさを表出してゆく。これまでの独裁者達がそうであったように、彼にも人を惹き付ける力があることは否定できない。だから怖い。
ああいう暴言やレイシズム、排外主義的物言いに、こちらが慣れてしまっちゃいけない。冷静に恐れるべきだと思う。
そして、今の日本を見渡せば、トランプ氏と同じように、暴言を吐きながら、レイシズム、セクシズム、排外主義、デマをまき散らす煽動家が幾人も存在する。彼らの勇ましく感情的な暴言に溜飲を下げているのは、自分と同じ一般民だ。ああいった言動が”本音”として受け入れられ、それが”普通”になってしまうことが本当に怖い。

もう1つのショッキングだったニュースは、相模原で起こった障がい者大量殺害事件だ。事件そのものに対する衝撃はもちろんのこと、犯人の考えに対して、ネット上で共感を寄せる者が多数存在することにもショックを受けた。
言葉にするのもおぞましいけれど、“障がい者抹殺思想”への同調を受け入れるような空気が、ごく1部にしても存在するという状況には、暗澹たる気分だ。
ホント当たり前のことなんだけれど、障がい者の1人1人が個別の個性を持った人間であり、彼ら1人1人を必要とし愛する家族があり、人間はそういった多様性の中で支え合って生きてゆく存在なのだという実感が、人々の中から失われて始めているのかもしれない。そのような弱い立場への不寛容な空気が犯行の背中を後押ししたのではないかとも想像してしまう。

こうした”弱者排除”と”排外主義”の傾向は、共通した背景を持っているように思える。追い込まれ疎外された者が、さらに弱い立場に攻撃を向けるという構図にも、やりきれなさを感じる。経済合理性やら自己責任やら優生思想やらを鵜呑みして、一時の万能感にひたることで、結果的に自分達の首を絞めている。
こんなふうに余裕を失いはじめた社会の中で、綺麗事ともとられてしまう自分の言葉がどこまで通じるのだろうかと考えさせられる。

「迷惑かけてありがとう」たこ八郎

「パラダイス」という曲をライブで歌うときに、エンディングの語りの部分で必ず引用する言葉だ。
色んな個性があって、それぞれに足りないところがあって、補い合って、迷惑かけたり、かけられたりしながら、互いに「ありがとう」って思える世の中の方がいいに決まっている。
ー 2016年8月2日(火)

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