2021年5月11日火曜日

他者の欠如 ー 高橋洋一氏の発言に思うこと

菅首相の側近である高橋洋一内閣官房参与の発言に批判が集まっている。
ここ数年、この人の言動を時々チェックし続けてきたので、今回の発言には驚きを感じない。

もし自分の身内の誰かがコロナで亡くなっていたら、「さざ波」や「笑笑」という表現は出てこなかっただろう。他者への想像力や共感力が決定的に欠如しているのだと思う。

氏のツイッター上でのこれまでの発言から、独善と傲慢、冷笑を感じ取ることは容易い。間違いを認めないし、そもそも間違いに気づけない人との印象。

ネットの世界では、高橋氏のような態度や発言に喝采を送る人が多数存在する。氏も、批判以上に多くの支持が集まることを受けて、発言をエスカレートさせたのではないかと想像する。
支持者はそういった態度に同化して、自らも独善的、冷笑的発言を繰り返すことで、インフルエンサーと同じような万能感を共有する。そういう共犯関係のようなものが成り立っていたのだと思う。

高橋氏が内閣官房参与として官邸に招かれた時にも驚きはなかった。菅首相にとって高橋氏は、自分の考えを都合よく補完してくれる身内に近い存在なのだろうと思う。まわりに身内を固めるのは、安倍政権から続く流れだ。

身内以外の他者や市井の暮らしに対する想像力、共感力の乏しさは、この1年数ヶ月のコロナに対する国の対応にも反映されていると思う。「他者の欠如」という病は、ネット上だけではなく政治をも蝕んでいる。
高橋氏の発言は、そういった流れの中で起きた象徴的な出来事としてとらえている。

ー 2021年5月11日(火)

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