クドカンさん(宮藤官九郎)脚本のTBSドラマ「不適切にもほどがある!」を毎週楽しみに観てる。
タイムスリップによって昭和と令和の価値観の違いを面白おかしく浮き彫りにする内容。
ただ、見終わった後は毎回どこかモヤモヤした気持ちが残る。内容を簡単に消費したり消化できないところが、このドラマの醍醐味の一つだと思う。毎回、自身の感性や思考を試されている気がして、それを確認したくて、見終わった後に誰かとドラマに関して議論したくなる。
主人公による様々な「不適切な言動」に対するフォローが足りなかったり、時に「正論」が露悪的に表現されていることへの懸念や批判が作品に対して起きるのは仕方がないと思うけれど、クドカンさんは、そうした懸念や批判、誤解を覚悟の上で、踏み込んだテーマに挑戦したんじゃないだろうか。
どっちの時代が良いという話ではないのだ。安易な二元論に収斂させない投げ掛けに満ちた内容に表現者としての誠実さを感じる。
ただ、このドラマのポップさや、そのポップさに付き纏う説明不足は、内容を単純化して楽しむことを受け入れるが故に、都合の良い解釈も可能になり、一定の誤解も招き続けるだろうと思う。
クドカンさんは、その誤解を引き受けると同時に、視聴者を信頼しようとしているようにも思える。その表現に、忖度を乗り越えてゆこうとする覚悟を感じる。
自分にとっては、このドラマの内容や反響が、自身の考えを検証してアップデートさせる一つの機会になっている。
もしかしたらクドカンさんにとっても、このドラマの制作過程や反響が、自分の中の偏見や認識不足に向き合い、自身をアップデートさせてゆく一つの機会になっているんじゃないかと想像する。
クドカンさんは、ドラマの主人公・小川市郎と脚本家のエモケンに自身の一部分を投影して、自分自身をアップデートしきれない不完全な人間として謙虚に捉えているのではないだろうか。
誰もが自身の至らなさや過ちを自覚して、対話を繰り返しながら、より良い未来を目指して行けたらいいなと思う。
様々な反響を受け止めた後の、クドカンさんの次の作品も楽しみだ。
その前に最終回、どうなるんだろう。
ー 2024年3月25日(月)
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