この日、自分のステージを終えた後は、客席でお酒を飲みながら木村さんのライブを楽しませてもらった。実に味わい深い素敵なステージだった。自分の原点の1つと言える表現がそこにはあった。
空気を読むだけでなく、時には敢えて空気を壊す、緊張と緩和を操るようなステージング。歌い出したその瞬間に、場の空気を一瞬に掴んでしまうその凄みに、何度もしびれた。
そして、あの哀愁感。哀しくておかしい。おかしくて、やがて哀しい。
そこにはいつもグルーヴがある。どんな曲調でも身体が揺れるのだ。自分は、こんな音楽を「ブルース」と呼びたい。
木村さんは入院前と変わらずの飲酒演奏だった。その酒量は、多分、客席にいる自分の飲酒量を超えていた。それだけ飲める程、体力が回復したとも言えるけれど、やはり少し心配にもなった。まあ、自分が言うのもなんですが。
ステージ上で酒を飲み、タバコをくゆらせる姿がこれほど様になる人は、木村さん以外には有山じゅんじさんくらいしか思い浮かばない。
木村さんや有山さん、そして自分がステージで飲酒するのは、一種の依存だと思う(オレは飲まずに演ることもあります)。不安や緊張、疲れから解放されるためである。飲酒演奏がここまで定着してしまうと、お客さんや企画者側からそれを期待されるようにもなるので、ニーズに応えようとする側面も出てくる。それで、余計に酒量が増えてしまう。
そういった日々の積み重ねは確実に身体にダメージを与える。それがわかっていても飲んでしまう。酔ったノリでその夜がサイコーに楽しくもなるし、翌日に落ち込んだり、体力、気力ともひどく消耗したりもする。
木村さんや自分が演奏する機会の多いライブハウスやバーと言われる空間は、酒の存在を切り離すことのできない猥雑さを多分に含んだ場だ。けれど、そんな空間の中でもステージ上は、神聖さを多いに含んだ場所だ。つまり、ライブスポットは猥雑と神聖が同居する空間なのだ。飲酒するのは猥雑さのせいだけでなく、そこが常に何かと共鳴し合い、何かを生み出すための神聖な空間だからだ。
言い換えれば、ステージはすごく覚悟のいる、楽しいけれど、とても怖い場所だ。数百回、何千回ライブをこなしてもその意識は多分変わらない。
「酒は人間をダメにするものではない。人間は(本来)だめなもので、それをわからせてくれるものが酒だ。」
文章を書き連ねるうちに、この立川談志の言葉を思いだした。
木村さんはどうしようもない自分自身のことを知っている。そんな自分を抱えてステージに上がる。だから表現のベースにはいつも「哀しみ」がある。
木村さんがステージでお酒を飲み、お客さんがそれを受け入れるのは、自身を含めたどうしようもない「人間」という存在に対する肯定であり共感なのかもしれない(念のために言っておけば、先日の木村さんの演奏は、どれだけ酒が進んでも、崩れることのない素晴らしいものだった)。そう言えば、立川談志は「落語とは人間の業の肯定である」とも言っていた。自分が思う「ブルース」の精神もそのようなものだ。
木村さんの「哀しみ」は「おかしみ」となり、それらは「慈しみ」によって包み込まれる。「天使のダミ声」とはよく言ったものだなあと思う。木村さんの音楽と人となりは一体化していて、それらは聖と俗を併せ持っている。
どうしようもない「人間」に対する眼差しの優しさと共感。どんな時代に生きていても、この大切な感性を失いたくないし、奪われたくない。自分も大切に育んでいきたいと思う。
先日のGIGSライブのアンコールでは、この日のオープニングで演奏した心平(近田心平)とMai-kouちゃんも参加して、出演者全員で「お掃除おばちゃん」と「見上げてごらん夜の星を」の2曲をセッションした。26歳と20歳の2人は、ステージ上で、客席で、楽屋で、この先人から何を感じ取ったのだろう。遺伝子が引き継がれたらいいなと思う。
木村さんも有山さんも、少しは身体をいたわって長生きしてほしいと心から思う。オレも身体気いつけます。
4月には大阪でまた木村さんと共演予定です。関西の方、ぜひ。
ー2014年2月17日(火)
●4/24(金)大阪・シャングリラ 06-6343-8601 「HOBO CONNECTION 2015~シェキナ・コネクション ~」 出演:高木まひことシェキナベイべーズ/木村充揮/リクオ/本夛マキ/安藤八主博(ザ・たこさん) 前売り¥3500/当日¥4000(1D別) open 18:30/start 19:00 2/14(土)チケット発売開始 ローソン/ぴあ/イープラス 問)06-6343-8601
●リクオがオーガナイズするコラボ・セッション・イベント「 HOBO CONNECTION 2015」が4月より全国各地9公演開催!詳細→ http://www.rikuo.net/hoboconnection/
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