交流のある20歳程年下の後輩ミュージシャンと、最近飲んだときのこと。
彼がキャリアを重ねて実力をつけ、認知を上げつつある姿をみていたので、「もうバイトをやめて音楽だけでも食っていけるんじゃない?」と聞いてみた。単純に、地方ツアーの数を増やして音楽1本にしぼった方が、バイトを続けるより実入りもいいんじゃないかと思ったのだ。
そうしたら、少し戸惑ったような表情で、「音楽1本でやるのは不安だし、まだ不安定なんで、バイトをやめられないんです」との返事が返ってきた。彼の「不安」という言葉を聞いて、自分のことを振り返った。
ありがたいことに、CDデビューしてからの26年間、ずっと音楽で食わせてもらっているけれど、その間、不安から逃れられたことはない気がする。もう少し正確に説明すると、「どうにかなるさ」という楽観、「どうにかするぞ」という決意、「どうにでもなれ」という開き直り、「どうなるんやろう」という不安、それらの感情が日々立ち代わりながら同居し続けてきた感じだ。
その後輩ミュージシャンと話していて、自分が大学を卒業したばかりで、まだバイトしながら音楽をやり続けていた頃に、先輩のプロミュージシャンである石田長生さんと2人飲みさせてもらった時のことを思い出した。
一回り年の離れたオレに対して、石田さんは、えらそ振ることもなく実に素直に色んな話を聞かせてくれた。そのときに石田さんから聞いた忘れられない言葉がある。
「オレ、年取ったら野垂れ死にしそうな気がしてるねん」
そう話す石田さんは、特に深刻な風でもなく、乾いた哀愁を漂わせていた。
これから音楽で食っていきたいと考えていた当時の自分にとって、それは後にひく言葉だった。既にプロミュージシャンとしてのキャリアを重ね、これだけの評価と認知を得ている石田さんでも、そんなことを考えるのかと思った。
でも、今思えば、当時の日本では、50代以上のプロのロック、ブルース、フォーク系ミュージシャンは、まだ存在していなかったのだ。だから、自分の年代以上に、20年、30年と音楽で食い続けるイメージは湧きづらかったはずだ。それは前例のない未知の世界だったのだ。
考えてみると、あのときの石田さんって、まだ34、5歳くらいで、今の自分より、随分と年下だったのだ。当時の石田さんは、「不安」を抱えていても、肝は座っているように見えた。既に覚悟を決めていたのだと思う。「野垂れ死に」という言葉は、その覚悟の表れとして自分は受け止めた。
後輩ミュージシャンの彼がバイトをやめるべきかどうかはわからないけれど、「不安」に背を向けるよりも、そいつに向き合った方が、表現者としての説得力は増すのだろうと思う。多分、バイトを続けてもやめても、そいつが消え去ることはない気がする。
自分は、石田さんのように、「不安」に向き合い、「不安」と格闘し、「不安」を笑い飛ばし続ける音楽人生でありたいと思う。
ー2016年10月6日(木)
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