「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。」
英文学者で文筆家の吉田健一氏が、短い随筆の中に残したこの一節は、ピチカートファイヴの小西康陽氏がたびたび引用することで、広く知られるようになった。
「生活を美しくする」とは具体的にどういった行為なのか。「生活を美しくする」ために、どんな姿勢や態度が必要とされるのか。この言葉が自分の心に長居し続けるのは、それが一つの「問いかけ」になっているからだ。
歌を書き、一期一会のステージを繰り返しながら音楽生活を充実させる。方々うろつき回り、出会いと別れをくり返す中で、人との繋がりや自然のサイクルの中で生かされていることを実感する。そういった暮らしを積み重ねることは、自分なりの戦争に反対する一つのあり方だと思えた。この考えは今も変わらない。
けれど、3・11を一つの契機として、自分の中の「生活を美しくする」行為の定義に変化が表れた。もっと正確に言うと、その定義が広がった気がするのだ。
自分は、小西氏がこの言葉を引用したとき、そこには、それまでの日本における左派の社会運動やロックミュージシャンのあり方に対するアンチテーゼが含まれているように感じた(あくまでも自分がそう感じただけで、小西氏の本意は確かめていないけれど)。運動に身を投じて、声高に反対を叫んだり、明確なメッセージソングを歌うことばかりが、抵抗運動ではない。戦争を引き起こすようなメンタリティーに背を向け、音楽人、趣味人としてのセンスを磨き続ける。そういった姿勢にこだわり続けることこそが、小西氏なりの平和運動であり、抵抗運動なのだと自分は勝手に解釈している。
3・11以降の自分は、被災地を回ったり、SNSやブログを通じて社会的な発言をしたり、官邸前や国会前の集会デモに参加したり(そんな頻繁ではないけれど)、以前に比べて社会にコミットする姿勢が強まった。けれど、そういった発言や行動をする際は、大抵どこかアンビバレンスな思いがついて回った。
「反対」を表明し、行動することで敵対が深まり、互いが記号化され、それによって敵対する対象のメンタリティーに自身が近づいてゆくという矛盾や危険を感じることもあった。だからと言って、その時はデモに行くことをやめようとは思わなかった。むしろ、そういったアンビバレンスな思いを抱える人間が、デモ集会に参加することに意味があると思えた。
デモ集会に参加する日は、参加前に映画を観たり、集会後に美味しいものを食べに行ったり、いい音楽を聴いたり、美しい夕陽やお月さんを眺めたり、そうやって意識的に心のバランスをとるよう心掛けた。そうした中で、掲題した吉田健一の1文を度々思い出した。
そもそも吉田健一は、どんな思いであれらの言葉を綴ったのだろう。あの1文は吉田健一の元を離れ、一人歩きしているようにも思えた。
掲題の言葉が「吉田健一著作集ⅩⅢ」の中に収録されている「長崎」という短い随筆の中の1文だということは、ネットを通じて知った。ネットで検索すれば、その随筆の全文を読む事もできる。掲題の1文を含んだ文章を以下に引用させてもらう。
「戦争に反対する最も有効な方法が、過去の戦争のひどさを強調し、二度と再び、……と宣伝することであるとはどうしても思へない。戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は癒えなければならないのである。
戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。過去にいつまでもこだはつて見た所で、誰も救はれるものではない。長崎の町は、さう語つている感じがするのである。」
この文脈の流れで、掲題の1文を読むと、それまでとはまた違った印象を受ける。吉田健一は、同書に収録されている文の中で、広島の原爆ドームが取り壊されることをよしとする考えも述べているそうで、そうした点においては、自分の考えとは異なる。特に今の時代においては、先の戦争にこだわり検証することの大切さを一層強く感じている。
吉田健一と自分がイメージし実践しようとする「美しい生活」には違いがあるのだと思う。時代も育ったバックボーンも個性も違うのだから、それは当然のことだ。けれど、それぞれが時代の中で、誰かが用意した単純な物語に身を委ねることなく、丁寧に物語を紡ぎ、自分なりの「美しい生活」を模索し続けようとする姿勢において、自分と吉田健一は共通しているのではないかと想像している。
3・11以降、アンビバレンズな思いを抱え続けていた自分にとって、昨年から今年にかけてのSEALDs(シールズ)の登場と活躍は、エポックメイキングな出来事だった。学生達が、民主主義に基づく政治を求めて街に出て声を上げはじめ、それらは安保法案に反対する動きとリンクして、一つのムーブメントとなって世間一般からも注目を集めるようになった。
自分が彼らの行動に共感できたのは、それらの活動や発想が日常の生活と地続きであると感じられたからだ。音楽を愛し、恋人との時間を大切に思い、そういった日常と自由の権利を肯定し、それらを守る為のアクションであることに、頑なイデオロギーを超えてゆく社会運動としての可能性を感じた。彼らがコラボする音楽やフライヤーのデザイン、動画などから伝わるポップで洗練された印象も新鮮だった。
SEALDsを代表する奥田愛基さんが、自分と違う立場や考えの人達との議論の場に積極的に出て行く姿勢、相手を安易に記号化しないよう心掛ける態度にも共感を覚えた。
ただ、そういった彼らの姿勢は、その知名度の割には、しっかりと一般には伝わりきれなかった気がする。イデオロギーと党派性から抜け出すことのない、これまでの左派による従来の社会運動の流れとして、見られがちだったことが残念だ。
その一因として、彼らをそういうイメージに押しとどめておきたい、そうでなければ困る人達の存在が影響したように思う。いい大人達が、むきになってSEALDsを否定し、揚げ足を取り、デマをまき散らす姿は、自分にはとてもみっともなく見えた。SEALDsは嫉妬を呼び起こす存在だったのだと思う。自意識とプライドの高い人間程、その感情に向き合うことができず、本能的にSEALDsの本質から目を背けた印象がある。
主にネットを通じて拡散される、そうしたSEALDsに関するデマや中傷を信じてしまう人達、信じたがる人達が実に多いことには、暗澹たる思いを抱いた。彼らを自分よりも特権的な存在と感じて、生理的に否定した人も多かったのかもしれない。
吉田健一氏や小西氏が危惧していたのは、社会運動や政治活動への傾倒が、日常の暮らしをないがしろにしてゆくことだったのではないかと想像する。自分にとってのSEALDsは、そういった危惧を乗り越えようとする存在だった。
SEALDsの活動を知り、彼らが企画する集会デモに参加して、違和感を抱くこともあったけれど、それ以上に勇気づけられ、希望を感じることの方が多かった。彼らの存在と活動を通して、日常の生活を手放すことのない、それらと地続きの社会運動の可能性を感じられたことは、自分にとって大きかった。
以前から明言していた通り、参院選後にSEALDsが解散したことにも、納得がいった。解散によって、彼らは多くの「問いかけ」を残した。それらは未来を切り開く種だと思う。その種を多くの1人1人が受け取ることを願う。
未来は特定の大きな存在に委ねられるものではなく、この国に暮らす1人1人に託されるべきだ。それが民主主義の大切なあり方の1つだと、あらためてSEALDsが教えてくれた気がする。自分にとってのSEALDsとは、「正義」である以上に「姿勢」や「態度」であり、民主主義に対する「問いかけ」であった気がする。
自分は、吉田健一とSEALDsが残した「問いかけ」を受け取る1人でありたい。安易な結論を出すことなく、「日常の暮らし」を守るため、「生活を美しくする」ために、自分ができることを模索し、実践してゆこうと思う。
ー2016年9月29日(木)
0 件のコメント:
コメントを投稿