注意)この文章は少しのネタバレを含みます。
'72年1月、ロスのバプティスト教会で行われたアレサ・フランクリンのゴスペル・ライブを収めたドキュメンタリー映画「アメージング・グレイス」を観た。
画面に入り込み、自分もライブに参加した一員になって、特別な体験をしたような気分。
既に数多くの人が、興奮を押さえ切れずに、この映画のライブの凄さを語っているだろうから、自分は少し違った側面を伝えたい。
映画は、ライブの高揚や開放感を伝えるだけでなく、そこに至るまでの、アレサのナーバスな一面も映し出す。自分には、その部分こそが、このドキュメンタリーに欠かせない肝だと感じられた。
ステージに登場して歌い始める前のアレサの表情はどこか陰鬱で、明らかに緊張と不安の色が見て取れた。普段のエンターテイメントのライブとは勝手が違う、自分のコアな部分を確かめる特別な時間だったのだろう。
映画を観て、アレサの歌の凄さは、不安定な気持ちをそらしたり紛らわせるのではなく、それらに向き合い葛藤し、乗り越えることで、すべてを歌のエネルギーに変換してゆく、その集中力の賜物なんだと思った。
披露されるどの曲も、歌い出しから心を鷲掴みにされた。葛藤を経ての第一声にこそ、彼女の覚悟が凝縮されているように感じた。
ライブの中の1曲で、キャロル・キングの「You've Got A Friend」が歌われるのだけれど、アレサは歌詞の「Friend」の箇所を「Jesus」に置き換えて歌っている。
ゴスペル・ライブだから当然だけれど、映画の中のすべての曲は神に捧げられた歌ばかりだ。「Jesus」が連呼される中で、特定の宗教を持たない自分は「Jesus」を何に置き換えようかと考えた。
アレサが「Friend」を「Jesus」に置き換えたように、「Jesus」を別の何かに置き換えていいのだと思う(ちなみに、自分が書いた「友達でなくても」という曲は、「You've Got A Friend」の「Friend」を、もっと広い意味の何かに置き換えたいと思って書いた曲です)。
自分は、宗教とは、答えや安らぎを与えるだけでなく、不安に向き合う勇気や問いかけを与えてくれる存在ではないかと考えている。そう、あってほしいとも思う。
映画の中のアレサの姿を見て、自分の考えはそんなに的外れじゃないように感じた。
ー 2021年6月6日(日)
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