2026年1月8日木曜日

「綺麗事」かもしれないけれど

 2025年は、生成AIの進化に驚きと戸惑いを感じ、デマを伴う排外主義の浸透に危機感を深めた年だった。
以前とは異なり、悪意や自覚のない穏健な排外主義が社会に広く浸透したように思う。その傾向に伴ってナショナリズムの高まりも感じる。

去年の参院選あたりから、ナショナリズムを強く打ち出し、特定の政党や政権を支持するAI使用のミュージックビデオをYouTube上でいくつも目にするようになった(https://youtu.be/HC8ZZ2dDEa8?si=cLbDssXKJX6-PCfN)。今後はさらに、AIを活用した政治による音楽利用が活発化してゆくのだろう。

コロナ禍以降、政治信条や事実とデマに対する認識の違いが明確になることで、相手との関係性に亀裂が入る経験を何度か重ねた。自分のSNSやブログへの投稿が、読み手である知人の大切にしていたナラティブ(物語・語り)を、結果的に否定していたことも自覚している。

正直に言えば、最近は社会や政治に関わる投稿を躊躇する機会が増えていた。自分が臆病になったというよりも、言葉が一瞬で「立場」や「陣営」に回収されてしまう空気が、さらに強まったように感じるからだ。
「結果的に自分自身も社会の分断に加担しているのではないか」と、自問することもある。

だからこそ、他者への想像力を失いたくないし、つながりのある相手とは特に、考えが異なっていても、議論や対話が成り立つ関係性でありたい。もし、その願いが相手にとっての圧になるのなら、対話にならなくても相手の話に耳を傾けることのできる自身のキャパを保ちたい。
「綺麗事」と受け取られるのかもしれないけれど、本心だ。

ー 2026年1月18日(木)

2026年1月7日水曜日

「心の隙間」について ー 久し振りに清志郎さんの「あの娘の神様」を聴いて

 年が明けてから、ふと忌野清志郎さんの「あの娘の神様」という曲を思い出し、久しぶりに聴いてみた。

34、5年前、ライブのサポートをさせてもらっていた当時、清志郎さんがファンから受け取った一通の手紙をもとに書いた新曲として、この曲を何度も一緒に演奏していた。後に忌野清志郎&2・3’Sの1stアルバムに収録されることになるが、その頃の記憶と強く結びついた忘れがたい歌だ。

恋人が自分よりも「信じられるもの」(=神様)を見つけ、離れていってしまったことへの複雑な思いを綴った歌詞は、小・中・高と仲の良かった同級生がカルト宗教に入信し、関係が途絶えてしまった自身の体験とも重なった。
今あらためて聴いても、身につまされるような切なさを覚えるのは、この歌が2026年にも通じる、普遍的なテーマを抱えているからだろう。

自分は今も、歌詞の中で語られる「光」を感じることができず、取り残される側にいる気がしている。振り返っては考え込み、モヤモヤとした思いを抱えながら、それでも何とか、その感情を言葉やメロディーに昇華できないかと試行錯誤を続けている。歌や言葉にすることが、自分にとっての救いなんだと思う。

でも、それだけじゃ楽になりきれないことも確かだ。
今も「理解できない」「理解されない」もどかしさを抱え続けてはいるけれど、日常のささやかな出来事や人の情に救われたり、音楽を通じて誰かと同じ時間を共有することで、どうにか、ありがたく楽しい日々を過ごしている。

自分の心のベースにあるのは、「哀しみ」と「不安」だと思う。そのベースを眩い光で消し去ることで、自分自身を失うだけでなく、他者の排除へと加担することを恐れている。
「分からないこと」「分かり合えないこと」「距離があること」を、まずはそのまま受け入れるところから始めたい。そして、それでもなお、世界は素晴らしいと感じ、歌い続けていたい。

「心の隙間」は、誰にでも存在する。今は、その隙間を簡単に埋めることができてしまう時代だ。「答え」や「真実」ばかりが溢れ、「問いかけ」が蔑ろにされていく傾向に、やはり危うさを感じている。


  あの娘の神様   詞曲 忌野清志郎

あの娘は僕より信じられるものを
見つけたらしい 秋が深まるころ
僕は今までとほとんど変わらない
毎日の中で 君の神様を恨むよ

心の隙間を埋めてくれるものは
君の笑顔だったのに
心の隙間が君にもあったなんて
僕は情けない奴だな

宗教は君に何を与える
しらけた僕は恋人をうばわれただけ

心の隙間を埋めてくれるものは
君の笑顔だったのに
心の隙間が君にもあったなんて
僕は情けない奴だな

宗教は君に何を与える
何をうばったか気にも止めないほど

僕はあいにく 光を感じない
毎日の中で 君の神様を恨むよ
君の感性を恨むよ
君の教祖様を恨むよ

この世の奇跡を恨むよ


ー 2026年1月7日(水)