自分のように高市早苗首相の笑顔に「演出」や「裏」を感じ取る層もいれば、「頼もしさ」や「親しみ」「安心」を受け取る層も存在していて、どうやら多数派は後者のようだ。
なぜ、これほどまでに認識の差が生じるのか。
その明確な答えを持ち合わせているわけではないけれど、政治が「考えるもの」から「感じるもの」へと、さらにシフトしている、ファクトをも蔑ろにした「感情の消費」へ向かっているように思える。
笑顔に安心したり、敵を叩く言葉や映像に溜飲を下げたりする感覚は、自分の中にも存在する。そうした感情そのものを否定したいわけではなく、感情ばかりで完結してしまうことに危うさを感じるのだ。
政治が判断の場ではなく、応援や反発の場になってしまっているのではないか。
この気持ちよさや安心感は、いったい何と引き換えにされているのか。
入り口が感情であっても、「立ち止まって考える時間」を手放さずにいたい。
今回の衆院選は、正しい情報を得て考える時間が意図的に奪われているように感じる。
ー 2026年1月30日(金)
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